石鹸をきざむ

トン、トン、トン、


 薬用石鹸の側面を、小刀の刃先が滑っていく。するすると薄いリボン状に削り出された石鹸の切れ端たちは、サーモンピンクの本体とは似つかない、淡い乳白色をしていた。

「すごーい、こんなに薄く削れるんだ」

 感嘆する少女の言葉に、青年がはにかみながら答えた。

「やー、慣れれば誰でもできますよ」

 そのあいだも青年は手を休めずに、削り出した石鹸を細かな粉末へと刻んでいく。

「おおー」

 少女がパチパチと手を叩くと、青年は「大袈裟ですって」と頬を掻いた。恥ずかしそうに謙遜の言葉を重ねるが、その手捌きには無駄がない。何とはなしに覗いた正宗も思わず見入っていた。


 そういえば子どもの頃、料理している母さんの手元を見るのが好きだったっけ。


 正宗の記憶の淵に、今は亡き母親の横顔がぼんやりと浮かびあがった。

 母は、ひどく心配性な人だった。

 あの家で、この故郷まちで、何をするにしても慎重を期していた母親の言動は、今にして思えばある種の自衛手段だったのだろうと察しがつく。そんな母に無理を強いたのは、他でもない正宗自身だった。

 最期に看取った母の手は、悲しいほど細く、小さかった。心労のかけ通しで、何も返せずにいるうちに逝ってしまった。

 その、さいたる心労の発端ほったんは────…


「ねぇ、」


 耳元で少女の声がした。

「ぅわっ」

 咄嗟に出た声がうわずる。

「『うわっ』ておじさん、シツレイな」

 声のしたほうに正宗が目をやると、不満げに唇を尖らせた少女の顔があった。

「ごめんなボーッとしてた。なに?」

「」

 少女の返答に、わずかな間がじった。

「おじさん、」


 なんか落ち込んでる?


 そう尋ねた少女は、正宗の目をまっすぐ見つめていた。少女の気遣わしげな視線には、敵意も悪意もない。それにも関わらず、正宗の体は射すくめられたように強張こわばった。返答にきゅうした正宗は、たははと笑って誤魔化す。そんな様子を見てとり、少女はハァ、とため息をくと、正宗に向けていた目を伏せた。

「…なんでそこで笑っちゃうのかな、おじさんは」


 呆れているような、

 悲しんでいるような。


 今までにない声色だった。


 いや。

 違う。

 は、この声を何度も聞いたことがある。


 ─────…正宗おれが?


 ザラリとした舌触りの疑念が、喉から迫り上がる。

 どこかが。

 明確に知覚できないなにかが。

 …致命的に、ズレている気がした。


「準備が整いましたよ」


 形容しがたい放心に割って入ったのは、青年の声だった。両手には水が半分ほど注がれた乳酸菌飲料の容器を持っている。正宗たちが気がつかないうちに、青年は席を外していたようだった。目の前の光景をしげしげと眺め、不思議そうな面持ちで軽く口をすぼませている。

「おふたりとも、どうかされたんですか?」

「ん、いや」

 正宗が言葉を濁す。

 少女も黙って首を振った。

 チリンと鳴った風鈴の音が、お互いのあいだに広がった静けさを際立たせる。

 青年は一度、正宗と少女それぞれの表情を見やったあと、ゆっくり瞬きをして、

「ストロー、何色なんしょくかおいろあるんですけど、どれにします?」

 とだけ尋ねた。

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