駄菓子屋

 ガラガラ、と木製のガラス戸が音を立てたあと、

「こんにちはぁ」

 と軽やかな声が続く。しかし、応答する者はいなかった。

「あれー? おっかしぃなぁ」

 少女は首を傾げた。引き戸のへりに手をかけたまま、薄暗い店内に向かって身を乗り出す。

「おばちゃーん? いないのー?」

 返ってくる答えは、しんとした静寂だけだった。正宗と少女の間に、気まずい沈黙が訪れる。提案した手前、「店主がいない」と言い出しづらいのだろう。少女は見るからに申し訳なさそうな表情を浮かべて、正宗をじっと見上げた。苦笑いを交えて、正宗が少女の言葉のあとを引き継いだ。

「…残念。いないみたいだ」

 ココはやめようか、と目配せすると、彼女はバツが悪そうにエヘヘと笑った。

「付き合わせといて、ごめんね」

 少女は名残惜しげに、そっと引き戸を閉めた。まだ後ろ髪を引かれている様子だった。

「いいや、ありがとう」

 気にしないで、と口に出しかけた時だった。


 はーい。


 少女が今しがた閉めた引き戸の向こうから、時間差で応答の声が返ってきた。しかし戸に向き直った少女の顔には、明らかな困惑の色が浮かんでいる。


 、少女はそう言ったのだ。


「すみません、今開けますねー」

 応答の主の声は、明らかにのものだった。それも若い。

「誰…? 息子さんがいたなんて聞いたこと───…」

 ない、と少女が言い終わるタイミングでガラ、とガラス戸が開けられた。

 店の奥から姿を現したのは、二十代半ばほどの青年だった。盛夏の真昼に、黒い長袖のパーカーを羽織っている。下に着ているワイシャツも、どうやら長袖のようだった。黒いパーカーの袖から、白い袖口がのぞいている。

 だ。

 正宗は喉元まで出かかった言葉を呑み込んだ。正宗たちに向けられた青年の笑みにも、その服装とどこか似たようなぎこちなさが滲んでいた。

「お待たせしました」

 正宗の所感など知るよしもない青年は、カラリと戸を開けきって、正宗たちの邪魔にならないように脇へと引いた。奥の方向へ伸ばされた手が、正宗たちを店内へと促している。

 少女が小さい声でありがとうございます、と言って敷居を跨いだ。正宗も会釈をして少女の後ろに続く。顔を上げながらチラリと青年に目をやると、青年と視線がかち合った。

「どうも、お忙しいところをすみません」

 条件反射のように滑り出した正宗の言葉を受け、青年は再びぎこちない笑顔を浮かべた。

「いいえ、こちらこそ不慣れで」

 返答の声自体は穏やかそのものだが、なぜか正宗は彼に対しての違和感が拭えなかった。言い知れぬ不安を掻き立てられ、正宗は無意識のうちに違和感の正体を探ってと思い至った。

 青年の目の下には、うっすらと赤いクマがあった。疲労や睡眠不足と言うよりも、泣き腫らしたあとの、泣きあざような。

 だ。

 このクマが、青年の笑顔を不自然なものにしているのだと、正宗は理解した。感情を押し殺して無理に笑みを作っているような痛ましさを覚える。

「あの、何かご所望の品がお決まりですか?」

 青年の問いかけで、正宗は我に返った。

「あ…違うんです。ありがとうございます」

 慌てて手を左右に振り、そそくさと陳列棚の方へ向かう。

「ごゆっくり」

 背中越しに聞く青年の声は、どこまでも静かだった。表情の痛ましさを抜きにすれば、そこにぎこちなさは無い。表情と声、どちらが青年の本質なのだろうか。

「あっ。ねね、おじさん! きてきて、コレ見て!」

 正宗の詮索を、少女のはしゃいだ声がさえぎった。

「おじさんこのお菓子知ってる? けっこーこのお店には来てるはずなんだけど、私これ初めて見た」

 少女が手に取って見せた品は、シンプルな棒付きキャンディーだった。

「ペロペロ飴だろ?」

 一見して何が珍しいのかが分からなかった正宗は、ごく簡潔に答えを述べた。

「ちがうちがうー、アメの模様!」

 正宗の的外れな返事に、少女はパタパタと足を踏み鳴らした。地団太じだんだのつもりらしい。

「よく見て!」

 ずい、と鼻先に突き出された“ペロペロ飴”には、透明の地に花火のような模様が色鮮やかに咲いていた。

「あ─…言われてみれば。絵がついててキレイだな」

「おじさん……マジでおじさん…」

 なんともノリの悪い正宗のリアクションに、少女は呆れた様子だった。つまんない、とそっぽを向いた少女は店番の青年に話題を振った。

「これ、なんてゆー飴なんですか?」

 青年は一瞬ためらう素振りを見せたが、すぐににこやかな顔で応対に移った。チラリと正宗の方に目をやったような気もするが、正宗はあえて知らぬフリを通した。青年の意図がどうであれ、キラキラとした菓子の話題など正宗には門外漢もんがいかんだ。

「…ああ、それはヒガン飴って名前なんです。夏の終わりに、隣町で“ひがん流し”、あるでしょう? アレに結構な数の観光客が来るもんで。ウチの町もあやかろう、ということで作ったみたらしいんです」

「あ、じゃあこのお花は彼岸花?」

「ええ、そうです。彼岸花。手前味噌で恐縮なんですが、けっこう見映えがするでしょう。女性のお客さんをメインターゲットにしようと張り切って商品開発したみたいなんです。地元の老舗製菓店にもお手伝いしていただいて。当初は『良いのものができた!』と喜んでたんですけどね……」

 少女の問いに答える青年の言葉が、次第に歯切れの悪いものへと変わっていった。

「……『それじゃあ、道の駅なりなんなりに置いてもらおう』という段階まで来たところで、商工会のお偉方に、こっぴどく怒られたらしいんです。『こんな縁起の悪い花を子どもの菓子にするなんて何事だ!』って」

 縁起が悪い?と呟いた正宗の問いに、あー、と相槌を挟んだのは少女だった。

「地獄花だとか、幽霊花だとか、不気味な別名がたくさんありますもんね。おじーちゃんたち、そんなこと気にするんだ」

 底抜けに明るそうな少女から飛び出した陰鬱なフレーズに、正宗は内心たじろいだ。少女の返しに青年が沈痛な面持でうなずき言葉を続ける。

「まあ、頓挫の決定打になったのはそこではなくてですね。『子どもが本物の彼岸花を誤食するかもしれない』という懸念をぬぐいきれなかったのが一番の理由なんです。ご存知かもしれませんが、彼岸花には花から根まで毒がありますから。おかげで地元のよしみへとおろす訳にもいかなくて。かといってお力添えしてくださったお店のご厚意を無下むげにして廃棄するのも違うだろう、と」

 いつになったらける日が来るかな、という青年の口ぶりからして、抱える在庫の数はそれなりのもののようだった。

「その理由を聞いたら残念がるのもはばかられちゃうけど、やっぱり────…もったいないですね。こんなに綺麗なのに」

 少女は心から落胆しているようだった。少女の落ちこみようを見た青年は、困ったようなような表情を浮かべてこう続けた。

「なので今は『せめてどなたかのお手元に』というウチの店主のお達しのもと、希望された方限定で当店のオマケとしてお配りしてるんですよ。もちろん、誤食への注意喚起をしっかりと行ったうえで。…─────よろしければ、おひとついかがですか?」

 青年の申し出に、少女は表情をパッと明るくした。

「いいんですか?」

 少女の問いに、青年はどうぞどうぞ、と言って目を細めた。

「お好きなものをお持ちください」

 少女がわあ、と柔らかな歓声を上げた。飴を選ぼうと身を乗り出した少女に、正宗はこらこら、と待ったをかける。

「オマケにどうぞって言われたんなら、まずは買い物を済ませたほうがいいんじゃないか?」

 言い終わってから、しまったとほぞを噛んだ。楽しげな空気に、何故わざわざ水を差してしまうのか。

 しかし少女は、正宗のに対して妙に素直な素振そぶりで「あ、そっかぁ」と返答した。少女のとぼけた声が、気まずくなりかけた雰囲気を流していく。少女の真意は分からないが、相手が突かれて痛い部分をそれとなく避けることに、彼女は長けていた。

「じゃあさじゃあさ、おじさんはどれ買う予定?」

 せっかくなら、いろんなの食べてみたくない? と少女が朗らかに笑った。え、と訊き返す正宗に、少女は悪戯っぽい表情を浮かべて答える。

「だって“戦利品”は分け合わなきゃ損でしょ?」

 お互いが買った菓子をあとで交換しよう、ということらしい。正宗は合点して、ああ、と相槌を打った。

「じゃ、予算は三百円で」

 そう言うなり少女はローファーのかかとをカツンと打ちあわせて、“きをつけ”の姿勢をとった。右手を指先までピシリと揃え、ひたいに掲げて敬礼の真似をする。

「テーサツブタイセンペー、必ずやおじさんに戦果を持ち帰ってくるであります!」

 勢い任せのしっちゃかめっちゃかな口上を終えるなり、少女は素早くきびすを返した。プリーツのスカートをフワリとなびかせ、楽し気な足取りで陳列棚の間を進んでいく。日差しも届かないはずの薄暗い屋内で、少女のいる空間だけがほんのりと明るかった。色とりどりの駄菓子の海に、セーラー服の白地がよく映えていた。

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