10・狂気の瞳(1)

「江川?」


 弦音つるね朝矢ともやにつられて視線を向けると、その先に江川樹里えがわきさとの姿が見えた。しかも顔面蒼白で友人に支えられながら歩いているではないか。


「江川?おい、江川」


 弦音は慌てて彼女たちのほうへと駆け寄った。


「杉原くん」


「江川。どうしたんだ?」


「わからないわ。突然苦しみだしたの」


「苦しみだした?」


「とにかく保健室に連れて行こうと思って……」


「江川さん。どうしたの?」


 べつの方向から声がした。振り返ると、園田たちがこちらへ近づいてきた。


 どうやら彼女たちも樹里を心配してきてくれたようだ。


「わかりません。突然倒れて」


 弦音にいったことを繰り返す。


「おかしいわね。さっきまでピンピンしていたのに……」


 たしかにそうだ。さっきまで元気だった。

 それなのに今は、いつ倒れてもおかしくない状態である。


「どうした?」


 また別の方向からも声がした。


 秋月だ。秋月とその友達たちもまた彼女の下へと集まってくる。


「江川さん?大丈夫」


 秋月が彼女のほうへと近づき話しかけた。

 すると、虚ろだった彼女の眼が見開き、秋月を見る。


「……」


 口を開いたまま、食い入るように見つめられた秋月は思わず仰け反った。


 樹里は秋月へと手を伸ばしている。


 秋月は彼女の突然の行動に驚き、後退りと同時にバランスを崩して尻餅をついた。


弦音は伸ばされた手から茫然と樹里をみつめる秋月を一瞥したのちに、再度樹里の横顔を見る。


樹里の視線はほかの誰でもない。秋月を見つめていたのだ。


「江川?」


声をかけるが彼女は弦音を見ない。


「秋月くん。大丈夫?」


 そうこうしているうちに、園田が秋月に駆け寄るところが弦音の視界の片隅に移り、同時に樹里の表情が歪んだように見えた。


「その子から離れろ」



「きゃあ」


 その瞬間、朝矢の切羽詰まった声が響くとほぼ同時に樹里が自分を支えていた麻美の体を突き飛ばした。


「え? うわつ」


麻美だけじゃない。すぐ近くにいた弦音もなにか見えない力によって、樹里のそばから突き放されたのだ。


正直これをどう表現すべきか弦音にはわからないが、凄まじい風に吹き飛ばされる感覚に似ていた。





「江川?」


「樹里?」


弦音も麻美も倒れることはなかったのだが、樹里よりも数歩離れる形になった。


そこから彼女を見ると、先ほどまで倒れそうになっていた体がまっすぐに立っていたのだ。

 

 彼女のトレードマークともいえるポニーテールはほどけ、その胸のところまである長い髪はまるで生き物のようにうなりながら広がっている。


 風が吹く。


 彼女を中心に突風が吹き付ける。


 匂いがする。


 何の匂いかわからない。


 でも嗅いだことのある匂い。


 彼女の眼は宙をさ迷い、やがて秋月と園田先輩のほうへと注がれる。


 顔面蒼白でありながら、その瞳だけがえらくギラつかせながら、園田たちを見ていた。



「ひい」


 園田が悲鳴を上げ、秋月に抱き着く。秋月の顔も真っ青になり、体中に震顫しんせんを起こしている。


 恐怖。


 理性的に激しい恐怖が襲う。


 まるで蛇に睨まれたカエルのような感覚だ。


 弦音もまた動けない。どうしてなのか。


 なぜその目に恐怖を感じてしまうのかわからない。


 ただ全身が凍り付いて動けない。


 だめだ。どうにかしないといけない。


 動け


 動け


 止めないといけない



 そう思えるのに、金縛りにでもあったかのように体が動かなかった。

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