6・足踏み
「どうしたんだ? お前、いきなり叫んで?」
朝矢は思わず尋ねると、彼が振り返る。
「ああああああ!! おれの弓いいいいいい!」
弦音は朝矢のほうに凄い形相で近づいてきた。
朝矢は思わずぎよっとする。
「おれの弓です!! それ!!」
「あっ、そうなのか。悪い」
弦音はそれを奪い取るなり、ぶつぶつと文句をいいながら弓を射る準備をはじめた。
三人の視線を感じるなかで一度深呼吸をした弦音は、よしと気合いをいれながら、弓を持ち上げ押し開く。弓矢が耳の後ろの辺りまでくるぐらいまで力いっぱい引き、矢を放つ。
矢はまっすぐに的へと向かっていく。的を貫くかと思いきや、的を通り過ぎて後ろの安土へと突き刺さった。
やっぱり、外れた。
もう何度も練習しているのだが、的に当たったのは10回中一度あるかないかだ。いや、100回に一度かもしれない。
中央なんて当たった試しもない。
「はい。もう一回ね」
うなだれている弦音に対して、
「はい?」
「もう一回だよ。杉原くん。ほーら」
そうしないと絶対帰さないというオーラのせいで逆らえずに、再び矢を放つ。
今度は、的まで届くことなく、矢道(中庭)の芝生に突き刺さった。
「大丈夫。ほらほら。いつもの調子でいこう」
いつもの調子ってなんですか?
これがいつもの調子ですけど……
弦音はわかっているだろうと的場に視線をむけるがまったく無視している。
いったいどんだけ俺に恥じをさらさせるというのだろうか。
パワハラだああああ。
部活ハラスメントだああああ
弦音は心の中で喚き散らす。
「大丈夫。君ならできる。君は期待の星だ」
なにをほめちぎっているのだろうか。いままでそんなこと言われたことないぞと的場を睨みつける。
意味がわからない。
なにをそこまでこの男に見せたがっているのだろうかと首を傾げるばかりだ。
「大丈夫。君ならできる」
そこまで言われるとまんざらでもない。
疑いながらもやれる気がしてくるのは、この的場先生の巧な言い回しのせいだろう。
ほぼやけくそで弦音は再び弓を構えた。
「今度こそ」
気づけば、何度も矢を放っていた。
何度目かで何とか的へと当たるが、外れるギリギリライン。
まっすぐ中央には突き刺さることはない。
「あれれ。うまいはずだよ。たしか……。杉原君が一番……」
「いやいやいや。それ木原のことかと……」
「ああ、そうだった。そうだった。すまないねえ。君はダメダメだったね」
木原というのは弦音の一つ下の後輩だ。小さいころから弓道をしていたらしく、その腕は一流ともいえる。なんでも中学の都大会で何度も優勝しているという優れモノだ。
そいつと比較されるのは仕方ないのだが、どうも先生の最後の言葉が癪に障る。
このまま矢を先生にむけてやろうかとも思った。
「お前……」
先ほどまで黙っていた
「お前、硬すぎだな」
「え?」
「しかも雑だ。大体足踏み自体なってねえよ。そこがなってなかったら、そりゃあ、的に当たらないのも当然だな」
「えっと……」
弦音は困惑する。
「一応。足踏みの仕方おしえているんだけどね。この子はまったくできないんだよ。どうも変な癖がついているみたいでね。どうしてかなあ。コントロールは抜群なだけどね」
的場は首をかしげる。
「コントロールがよくても基本のフォームがなってなかったら意味ねえよ。それにその弓もちゃんと手入れしとけよ。ボケ」
また弦音の頭に何本もの矢が突き刺されたような感覚に陥る。
確かにそうかもしれない。
足踏みとは弓道の基本のフォームで土台だ。それがちゃんとできていなければ、その後の一連の行程がうまくいかないのは当然のことである。もちろん、弦音は彼なりにちゃんとしたフォームでできるようにと何度も練習したが、どうも癖が抜けない。それは、中学時代まで続けてきた球技のフォームが抜けないことを意味している。
「でも、君がコーチしてくれたら、もしかしたらこの子の才能が開花するかもしれない」
どうやら、このへたくそな部員をネタにして自分を口説こうとしているようだと朝矢は思った。
けれど、まったく切迫感がない。
(あのくそ店長みたいだ)
朝矢は、店長のいつもの能天気な顔を思い浮かぶ。
「どうかな?やってくれないかい?」
『朝矢殿。野風殿のお帰りじゃ』
朝矢の視線が横にそれる。そこには、白銀の狼の姿があった。
「考えさせてもらいます」
「そうだね。急には無理だね。わかったよ」
「……。失礼します」
「有川さん。謝礼は?」
弓道場から立ち去ろうとした朝矢に教頭が慌てて呼び止める。
「謝礼は‟店”に持ってきてください。そういう決まりなので。では失礼します。あと、そいつに才能あるとは思えないな」
弦音は弓を下ろし、朝矢を見る。
「お前、いつからやってんの?」
「え?」
「弓道……」
「えっと、高校入ってすぐ」
「一年か。それほどあれば、基本ぐらいマスターしてもおかしくないよな。まあ、遊び程度ならいいだろうけどさ。試合は向いていないな。弓道をばかにしている」
「そんなこと……。言われなくても」
弦音はむっとする。
わかっている。
いやでもわかる。
どうして、こんなにもうまくいかないのだろうか。
あの弓の名手といわれたじいちゃんの孫だ。絶対に向いていると思っていたのに、現実は違っていた。
コントロールはいい。それには自信がある。
だけど、どうしても基本的な部分がうまくいかないのだ。それはわかってはいるのだが、初対面の人に言われるととにかく癪にさわる。
もうひとこといってやろうかと思った時には、すでに朝矢の姿は弓道場のなかにはなかった。
「待ってえええ」
弦音は弓を置くと、急いで弓道場を飛び出しだ。
先生たちはしばらく彼らを見ていた。
「やれやれ、賑やかな子だ」
メタボな先生は汗を拭き取りながら言った。
「やっぱり天才だね。あの子」
その横では的場が目を輝かせている。
「天才ですか?」
「だって、他人の弓であそこまで正確に射抜けるのは天才としかいえませんよ」
「そんなものですかねね」
「ますます、コーチに迎えたくなりました」
そういいながら、的場が軽い足取りで歩きだした。
そのあとをメタボな先生が歩き、弓道場をあとにした。
その様子を楽しげに見ていた〝家康”は「ホホホホ。楽しいのお。この時代も……。はてさて、あの、若人はちゃんと成仏したのかのお」と空を仰いだ。
一瞬目を細めた“家康”だったが、すぐにホホホホと笑みを浮かべる。
「やれやれじゃのお。とりあえず、面倒が起こる前にわしは去るとするか」
そういって、“家康”はスーっと、姿を消した。
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