2・疑念
それからしばらくの時間がすぎていた。警察はまだいる。
病室に入ることなく、廊下で眠り続けている樹里に背を向ける形で立っている人が二人いるだけなのだが、どうも威圧感がある。
まるで自分が監視されているようで居心地が悪い。
彼らはいつまでここにいるのだろうか。
樹里の母親も落ち着いて娘を看病できないではないか。でも、仕方がないことだ。なにせ樹里は障害事件を起こした張本人。彼女が目を覚ますのを待っているのだ。
正直、その現場をみておきながら、弦音には信じられないことだった。あれは、幻想ではないか。ただの夢ではないかと何度も否定する。
けれど、警察官の存在がいやおうなく自分の見たものを肯定してくるのだ。
もう一人の目撃者?
ふいにあの刑事の言葉を思い出す。
浮かぶものはひとりしかいない。
有川朝矢だ。
彼とあの刑事たちとは知り合いのようだ。
はっきりとはいわなかったが、あの刑事の会話からそう読み取れる。
一体どんな知り合いなのか。
そういえば、彼はいつのまにか消えていた。
学校の救急車がくるまでは姿をみたような気がするが、その後のドタバタのせいですっかり彼の存在を忘れていた。
気づけば、どこにもいなかった。
帰ったのだろう。
弦音は病室のほうへ視線を向ける。
眠っている。
何事もなかったかのようにスヤスヤと眠っているのだ。
「アヤカシ?」
突然麻美がつぶやいた。
「西岡?どうした?」
弦音が尋ねる。
「これは噂なんだけど、最近アヤカシが至るところに出現しているらしいわ」
「アヤカシ?」
「いままで見たこともない化け物が突然現れて人を襲うらしいの。よく聞かない? 未解決事件とか猟奇事件とか。そういうの。アヤカシの仕業の可能性があるって話」
「まさか」
そんなものいるはずがない。
異形の存在とは何なのかよくわからないが、常識では考えられないようなものにあった試しがない。
「でも、噂に似ているような気がする。さっきの樹里の姿。異形だったわ。ありえない」
麻美の言っていることもわかる。たしかに異形だ。
身体中が緑色になり、爪が異様な発達していた。顔はよく見えなかった。
けれど、それを目の当たりにした園田や秋月の驚愕した表情を思い浮かべると、麻美の言葉が戯れ言には思えなかった。いやそもそも、こんな状況で冗談いうような人ではない。
化け物
そうとしか思えない。
でも、
そんなことがありえない
漫画でもないのに、どうしてそんなことが起こるというのか。
ならば、先程弦音がみたものはなんだったというのか。弦音だけじゃない。彼女が変貌するところを数人が見ている。なによりも、園田を庇った青年は彼女の伸びた爪に切り裂かれて血を流していたではないか。
長く延びた爪が確かに朝矢の腕に食い込んでいた。血が滴り落ち、苦渋に顔を歪めながらも、彼女を気絶させたのだ。けっこう激しい動きをしていたように思えたのだが、本人は何食わぬ顔で止血をすると意識を失った樹里を担ぎ上げている。
彼の迅速な行動で騒動がある程度落ち着いた。
いったい彼は何者なのかという疑問が弦音の中で浮かぶ。
けれど、樹里の存在が一瞬の好奇心を忘れさせる。
いったい彼女の中でなにがあったのだろうか。
弦音の心に靄がはいっているようで、漠然とした不安が収まらない。
「でも、なにかの間違いよ。樹里はただの女の子よ。私の大切な友達なのよ」
そう言い聞かせながら、麻美は彼女のほうへと近づいた。
ふいに窓際に花が飾られていることに気づいた。
「花? そうだわ。花だわ」
「はい?」
弦音が聞くよりも早く麻美は刑事の元へと向かった。
「花です。刑事さん。樹里、今朝変な花を見つけたっていってました」
「花? どこで?」
「えっと、中学校です。私たちの母校ではないんですけど、あの子の通学路なんです」
「中学校というのは?」
「えっと、たしか西……西松羅中学です」
「西松羅?」
弦音がオウム返しした。
聞いたことがある。
確かあそこは、秋月の母校だ。
秋月と関係があるということなのだろうか。
秋月と彼の母校。
それに一輪の花。
そういえば……。
「あいつの母校」
「杉原?どうしたの?」
「亮太郎って関係しているのかなって……」
「さあ、どうかしら?」
「よし決めた」
「どうしたの?」
「秋月に逢ってくる。なにか知っているかも……」
そういいだすと、病室を出た。
すると、警察に連れ添われる形で病室へと向かってきていた秋月の姿が見えた。
「亮太郎」
弦音はすぐさま駆け寄る。
「お前、なにか知っているか?江川が西松羅中学で花拾ったとかいっていたらしいんだけどさ。なにか……。あれ? 亮太郎?」
秋月を見ると、彼身の身体が震えていた。
どうしたというのだろうか。
彼の持っていた鞄が床に落ちる。
音が病院内に響く。
彼は突然頭を押さえてうずくまった。
「そんなこが……。違う……」
「おい。亮太郎? どうした?」
秋月ははっとして顔を上げる。
「そんなことする子じゃないよ。あの子はそんなことしない」
秋月は突然弦音の両腕を掴んだ。
「はい?」
「だれか止めてくれ。ぼくはただ逢いたかっただけなんだよ」
「へッ?」
なにをいっているのかわからない。
「落ち着け。なにをいっているんだよ」
興奮している秋月に警察が抑え込む。そのまま、弦音から離された。
「大丈夫だよ、大丈夫。詳しく事情を話せるかな」
警察が優しい口調でささやいた。
弦音がホッとしたのも、つかの間。
バリーン
「樹里。待ちなさい」
ガラスの割れる音ともに病室から絶叫が聞こえる。
樹里の母親だ。
「どうしたんですか?」
病室に入ると、座り込む樹里の母と割れた窓ガラス。
床にはガラスの破片が散らばっている。
ベッドを見ると、そこには眠っているはずの樹里の姿はなかった。
「江川?」
「どうされましたか?」
警察の一人が母親に尋ねた。
「わかりません。娘が……。目を覚ましたんです。けれど、いつもと違っていて、声をかけようとしたんです。そしたら、突然ガラスが割れて娘が飛び出していったんです」
警察は窓の外を見る。
しかし、彼女の姿はどこにもなかった。
「急いで連絡します」
刑事の一人がどこかへと電話した。
「芦屋刑事。大変です。彼女が逃げました」
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