5・嫉妬と執着と癒えぬ痛み

1・戸惑い

 彼女はまだ目を覚まさない。

 あれから、すぐ、彼女は救急車で運ばれた。

 

 弦音が彼女の眠る病室へと向かうと、病室の前には警官が一人立っていた。彼に一礼して、病室へと入る。


 そこには、心配する彼女の母親の姿と刑事らしき大人の男が一人いた。


「まだ目を覚まさないようですね」


 刑事がいうと、母親は「はい」と力なくうなずいている。


 突然、学校から電話があって突然先輩に襲い掛かって、たまたま訪れていた青年に怪我を負わせてしまったと聞かされた。そのうえに娘が昏睡状態に陥ったというのはいったいどういうことかを把握するには情報が足りなさすぎる。

 

 樹里の母親は憔悴しきった顔で傷害事件を起こして眠り続けているという娘を見つめる。


 なにをどう説明すべきなのだろうか。


 弦音はわが子を心配している母親の横顔を見ながら思った。


 そもそも説明できるような内容ではない。


 その現場を目撃した弦音さえもあの出来事は夢の中のできごとのように感じている。


 樹里が別の何かに成り代わろうとしているようだった。


 しかも園田に対しての激しい憎悪をみなぎらせながら、化け物に変わるなんて常識的に考えにくい。


ありえないことだ。


だから、弦音が見た光景を夢だと疑うのは当然のことだ。



「あの、刑事さん。これはいったいどういうことなのでしょうか。電話はいただきました。けれど、この子に限って」


 母親は刑事のほうを振り返る。


 刑事はしばらく黙り込んでいた。


「まだはっきりしたことはわかりません」


「そうですか」



 母親は樹里を見る。そして、彼女の顔を撫でながら耳元で名前を呼ぶ。


「どうしたの? どうしてそんなことをしたの?」


 そう問いかけるが、樹里は目を覚まさない。


「どうして? どうして覚まさないのよ」


 母親は顔を伏せて肩を揺らす。


 泣いているのだ。


 なにがなんだからわからずに泣いている。


 その姿を見ながら、弦音も母親と同じように問いかける。


 なにがどうなっているのか。


 なぜ彼女が先輩を襲ったのか。

 

 あれは樹里だったのか。


 別のなにかではなかったのか。


 どんなに考えても弦音には答えになりそうなものを拾い出すことができなかった。


 ただひとつ思いついたのは、やはり樹里は亮太郎に好意を抱いていたかもしれないという事実だった。


 それを思うだけでひやりとする。


 

「杉原。樹里は?」


 そんなことでひとり葛藤しているうちに、樹里の親友の麻美がいることに気づいた。


「大丈夫だよ。命には別状ないらしい」


「そう。けど、どうしたのかしら、本当に……」


「君たちは、目撃者だね」


 刑事さんが弦音たちのほうへと近づいてきた。黒い髪をオールバックにしたサングラスをかけた二十代後半ぐらいの刑事だ。

彼の掲げる警察手帳には「警視庁特別怪奇捜査部巡査部長芦屋尚孝」と書かれている。


「事情を聞かせてほしいのだが……」


それを黒い背広の胸ポケットに入れると弦音たちに尋ねる。


「はい。でも、俺たちもよくわかりません」


「とにかく状況を把握したい。ありのままを話してくれるかな?」


 弦音たちは自分たちが見たことをそのまま話した。


「ありがとう。被害者にも事情を聴きたいところだが……」


「芦屋刑事。被害者の園田美奈とはまだ連絡が付きません。家にも帰っていないようです」


 部下らしき刑事がそう報告する。


「そうか。君たちは心あたりはないか」


「いいえ。園田先輩とはさほど親しいわけでないので……」


 園田先輩が消えた?


 どこかに消えてしまったようだ。


 それもそうだろう。


 襲われたのだ。


 得体のしれないものに襲われたのだから、逃げるのも致し方ないはずだ。


「彼のほうはどうかな?」


 芦屋刑事が部下に聞いた。


「秋月君ですか? 彼にも話を聞いたのですが、その二人とも似たようなことを話すだけでした」


「彼は帰したのか?」


「いいえ。まだいます。なにか?」


「いいや、いまはいい。それよりも俺はもう一人の目撃者のところへいく」


「もう一人の……」


「正確には、彼女を救った英雄かな。まあ、そういったら機嫌悪くなるだろうな」


「彼ですね」


「ああ」


「……。わかりました。後は任せておいてください」


「たのむ」


 芦屋と呼ばれた男はもう一人の刑事に頼むと、病院を後にした。


 

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