3・霊力0の男

「なるほど……。彼らの話と一致したな。けど、それだけではないだろう? 君はそう見ている」


 病院から「かぐら骨董店」を訪れた芦屋尚孝は、江川樹里の事件に遭遇した朝矢に話を聞いていた。



「ああ。あの女から妙な気配がしたからな。野風にしばらく見張らせた」


 朝矢は隣にいる野風のほうへと視線を向ける。しかし、尚孝には空間が空いているだけのようにしか見えない。


「そこにいるのか?」


 とくに何かを感じているわけではないが、朝矢の行動からそこになにかがいるのとは予測がついた。


 それにここはそういうところだ。


 ここに勤めている連中は皆が霊能力者であり、祓い屋という仕事をしている。ゆえに妖怪やら幽霊が漂っていてもおかしくはない。


「野風」


 朝矢が自分のそばにいるその獣の名を呼ぶ。直後、白銀の狼が姿を消し、そのかわりに一人の女が現れた。


 花魁のように着物を身にまとう若い女性。


「相変わらず、きれいな人だ」


 尚孝はなにもないところから現れた女を見ても動揺することもなく、そう言葉をかける。


 女性は優美な笑みを浮かべた。


「野風は人じゃないぞ」


「別に口説いていないぞ。思ったことをいっただけだ」


 忽然と類まれない美貌をもつ女性が現れたというのに、この刑事はいたって冷静だ。


 誉めることさえもする。


 慣れているのだろう。


 人でないもの。人が見える範囲には存在しないもの。


 妖怪と霊といった類が時折人に対して巻き起こす事件の数々。それらを解決するという部署に所属しているために、いやおうなくそういった類の事件に遭遇する。


 それなのに彼には霊力というものがまったくない。


 本来なら、多少なりとも霊力をもっている者のほうが多い中で、彼の中には霊力が皆無だった。だから、霊や妖怪といった分類を見ることも感じることもできない。


 それなのに、彼が警視庁に所属している霊や妖怪の類いを扱う部署の主任をやっているというのは滑稽な話だ。なにせ、彼以外のその部署に所属するものたちはすべて、霊能力をもっているというのだから……。


 そんな人間にも唯一みることができるとすれば、神に近い存在である神獣や妖怪が意図的に普通の人間にも認識できるようにしたときだけだ。


 野風は、霊力のない尚孝にも見えるように人へ化けたのだ。


 本来の狼の姿で現れることも可能なのだが、人の姿のほうが認知されやすいという判断でのこと。


 だから、彼女の本来の姿・狼としての野風を尚孝が見ることはない。


 まあ、実際はただの彼女の嗜好によるもののほうが大きいのだが……。


 野風はこの芦屋尚孝という男をいたく気に入っているらしい。


「それで?野風がみたというわけか」


「そういうことらしい。説明してやれ」


「主が申すのなら仕方がない。われは朝矢の命令で娘を監視していた。そしたら、娘の背後に影がついておったのじゃ」


「影?」


「霊にでもつかれとったんか?」


「シゲ。あんたは横やりしない。こっちきなさい」


 成都は桜花に引っ張られるままに奥のカウンターの椅子に座らされた。


 そして、さりげなく麦茶の入ったグラスを差し出され、それを飲む。


「霊? そんなものじゃねえ。あの子の腕を掴んだときに感じたのは……」


「おそらく“なりかけ”だろうな」


 野風が続けた。


「ちなみに“なりかけ”というのは……。死んだ者があちらへ行かずにこちらに未練を残したまま彷徨い続けた魂。そして、その魂があの娘にとり憑いた」


「それが“アヤカシ”化しかけた状態を“なりかけ”と呼んでいる」


「あいつらが関わってる? 悪の組織の陰謀かなあ。やっぱり、だれかが解いちゃったあれ関係だよね」


 子どもが横やりを入れる。


「ナツキ。てめえも黙れ。つうか、山男も 野風もイチイチ説明するな。ここにいる連中みんな知ってることだろうが!」


「なにをいっておる」



「我らは読者に説明しているんだ」


「そうだ。そうだ」


「ナツキ! あっちいってろ! つうか、それ、地の文でいいだろうが!」


「はーい」


 朝矢の怒鳴り声にびくともせず、ナツキは山男に背中に乗り、おうまさんごっこを始めた。


 まあ、とりあえず、読者への説明は追々するとして……


 ともかく、話を続けることとする。


「とはいえ、封印のごく一部が解けたにすぎん。その封印から流れ出てきたものたちも大概は封印している。だが……」


「一部が逃げて行方不明。しかも依り代、手に入れているらしいよお」


「だから、口を出すな。ぼけ」


「はーい」


「あいつはそれを探してまわっているのか?」


 芦屋が尋ねた。


「そうじゃねえ。あいつが面倒なことするか」


「そうだよ~ん。とうさんはいまね。巣鴨にいっているんだよ」


「は? 巣鴨?」


「なんかねえ。おばあちゃんのお世話するんだって」


「おばあちゃん? あいつってマジで守備範囲広いな」


 尚孝があきれたようにいった。


「てめえ。居場所わかってんなら、教えろよ」


「ええ。場所まで教えろとまで言われてないもん」


 確かにそうだ。店長がどこにいるかまでは聞いていない。


 その時だった。


 尚孝の携帯電話が鳴り響いた。


「はい。はあ? 逃げた?」


 尚孝の表情が硬くなる


「わかった。すぐに戻る」


 尚孝が携帯を切ると立ち上がった。


「芦屋刑事?」


「あの子が病院を抜け出したらしい」


「あの子?」


「“なりかけ”にとり憑かれたあの子だ」


「何? どういうことだ?」


「わからない。もしかしたら、進んでいるのかもしれない。とにかく俺は病院に戻る」


「わかった」


 尚孝は慌ただしく出ていった。


「朝矢。どないすんねん。その子を探すのか?」


「それもあるが、他にも探さないといけないものがいる」


「まさか、被害者?」


「ああ。事情はよくわかっていないが、もしもアヤカシ化が進行していれば、おそらくその女を狙う。あるいは……」


 朝矢の脳裏に秋月という少年の姿がよぎる。

 彼は何と言ったか。


 確実に知っているようだった。


 あの女子高生は未練をもつ魂につかれている。その影響で、彼女の肉体が変化していき、人とは呼べない異形の存在へと変わろうとしていた。


 朝矢たちはその異形の存在を“アヤカシ”とよんでいる。


 むろん、それが完全体ではない。人に戻れる可能性のある状態だ。しかし、一番暴走しやすくなり、被害も甚大になりかねないから、なるべく“なりかけ”状態のうちに戻したいところだ。


「澤村。調べられるか?」


「その必要はないわ」


 桜花がテーブルの上を指さした。


 するとそこにはUSBが置かれているではないか。


「芦屋さんが置いていったわよ。おそらく、あんたが知りたい情報が入っているはずよ」


「ああ」


 朝矢はテーブルに置いたあったUSBを手にとるとそれを桜花に渡した。


 桜花はレジのところに置いていたノートパソコンを開くと、USBを接続した。


「ねえねえ。トモ兄。とうさんに連絡しようか?」


「ああ頼めるか」


「はーい。山男。借りていい?」


「ああ」


 ナツキは山男の背中に乗ると店の玄関のほうへと向かう。扉が開くことなく、ナツキを乗せた山男は窓ガラスの中へと吸い込まれるように消えた。


「開いたわ」


 朝矢たちはパソコンの画面に視線を向けた。

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