6・美しい花には棘がある

1・変貌

 杉原弦音は、我が目を疑った。


渋谷駅スクランブル交差点の中に茫然と立ち尽くす弦音の周辺にいる人たちが、顔をを青くして悲鳴をあげなているのだ。


 ほぼ反射的に“それ”から逃れようと走り出していく。雑踏のなかでだれもが走り出すものだから、人通しがぶつかり、転倒する。泣き叫んでいる人の姿もある。


 車も速度をあげて走り抜けようとするために衝突事故も起こしている。車では逃げられないと思った人たちが車を飛び出し、少しでも交差点から離れようとしている。


 もちろん、弦音のように事態が把握できずに“それ”を愕然と眺めているものもいる。


 とにかく渋谷駅にやってきた皆が混乱しているのだ。


 弦音の目の前にあるのは、だれもが混乱してしまうものだった。


 ビルの五階ほどあるだろう花のような巨大な化け物。


 そういう表現しか思いつかない見たこともないものがそこにあって、動いているのだ。


 棘だらけの蔦がうねるように動き、逃げ回る人たちを捕まえてそのまま地面へと投げ飛ばしていく。


 その光景は弦音の理解をはるかに超えていた。


 いったい、なにが起こっているのか。


 これが現実だというのだろうか。


 まるでゲームか映画の世界のように思えてならない。


 確か、自分は江川を探していた。


 渋谷駅に向かったかもしれないという麻美の情報を得た弦音はまっすぐに最寄り駅へと向かった。渋谷に行くには必ず電車を使うはずだと踏んだからだ。


 まあ、バスでいけないわけじゃない。


 だけど、電車のほうが早いし、彼女自身も乗りなれている。


 すると、都心へ向かう電車の中。人であふれかえっている車内で彼女の姿を発見した。私服ではなく、寝間着姿。


 いやおうなく目立つ。


 そのはずなのに、だれもが彼女の姿に気にも留めていなかった。いや振り向くものもいただろう。けれど、だれも声をかけたりはしない。どうも彼女に近づくことさえも憚られる雰囲気を漂わせていたからだ。


 それは弦音にもヒシヒシと感じていた。それでも人込みをかき分けながら彼女に近づこうと手を伸ばす。


 けれど、たどり着けない。


 得体のしれない何かに阻まれて、まったく彼女の元へと近づけなかった。


 やがて彼女は人の流れに沿って渋谷駅に降りたつ。


 弦音も慌てて降りた。


 その直後、彼女の姿を見失ってしまった。


 どこだ。


 どこにいってしまったのだろうか。


 弦音が必死に探してみるが人の多さに紛れて、彼女の姿など見えない。


 どこだ。


 どこへいったのか。


 まさか乗り換えたのか。


 そんなことを考えていると彼女の代わりに別の少女の姿が見えた。


「園田先輩?」


 園田の顔が真っ青だ。


 周囲を警戒するようにみたかと思うと突然駆け出した。


「先輩?」


 弦音は思わず追いかける。


 しかし、先輩の姿もすぐに見失った。


 いつの間にか駅の改札口を出た。


 スクランブル交差点の色は青。多くの人たちが横断歩道を多方へと流れていく。弦音は探した。まだこのあたりにいるのではないかと思い探した。


 夏休みの渋谷駅。


 そして見つけた。


 スクランブル交差点のちょうど真ん中付近。

 彼女はまるで操り人形のように身体を揺らしながら歩いている。 


「江川」


 弦音は駆け出す。スクランブル交差点の中央あたりに来たときには彼女の姿はなかった。彼女はすでに交差点をわたり終えていたのだ。


「江川」


 弦音は彼女の名を呼びながら交差点を渡りきれろうとしたとき、それは怒った。



 突然彼女の体内から無数の蔦が飛び出してきたのだ。


 その蔦は一瞬で周辺に広がっていき、彼女のそばにいる人たちの身体に巻き付いていく。


 悲鳴があがるのにさほど時間を要しなかった。突然現れ自由自在に動き、人々に絡みついてくるものにパニックを起こしてしまうのはいうまでもない。


 スクランブル交差点を中心にあたりは騒然となる。


 蔦の中心にいる彼女から人々が遠ざかっていき、彼女を中心に空洞となった。直後、彼女を囲むように蔦が伸び、彼女の姿をかき消していった。


「江川」


 逃げまどう人々とは逆流するように弦音が彼女のもとへと駆け出す。


 彼女を飲み込んだ蔦が膨れ上がり、やがて空へ向かって赤く大きな花を咲かせた。


「があああああ」


 花から咆哮があがる。その音は鼓膜を破るほどの響きがあり、思わず耳をふさいだ。身動きすら奪われ、だれもが足を止めた。


 空を仰いでいた花が下を向く。


 その赤い花の姿は決して美しいものではなかった。


 螺旋のような模様をした一つ目と大きく開かれた口から伸びるのは紫の舌。


 見たこともない物体がここにいる。


 逃げないと……。


 本能がそうささやいている。


 いますぐに逃げないとその化け物に殺される。


 そんな恐怖が弦音の中によぎる。


 それは弦音だけではない。周囲の人たちもそうだ。悲鳴をあげて逃げるモノ。弦音のように身動きがとれなくなるもの。さまざまだ。

 なに?


 なにが起こっているのか。


 これは夢。


 夢に違いない。


「江川……」


 化け物花に樹里の姿が重なる。


 笑った顔


 起こった顔。


 江川?


 江川……じゃない……


 そして、病院で見た彼女。


 鋭い眼差しは蛇が獲物を見つけたような顔をしていた。


 だれだ?


 お前はだれだ?


 江川なはずがない。


 江川があんな化け物になるはずがないんだ。


 では、自分はなにを追いかけていたのか。


 江川だったはず。


 けれど、ちがう。


 あんな化け物が江川なはずがない。


 花の化け物は周囲を蔦で壊していきながら、正面のビルのほうへと近づていく。


「せ~ん~ぱ~い~」


 声が聞こえる。


 少女の声だ。


「消えてね♡私のために……。亮ちゃんのために」


 聞きなれない声。


 弦音がはっとする。


 視線の先


 ビルの二階の窓ガラス


 そこには園田先輩の姿があった。


「先輩?」


「杉原……」


 弦音ははっとする。


 花の化け物。


「助けて……」


 化け物の蔦に絡めとられて身動きの取れない状態になっている樹里の姿が見えた。


「江川?江川」


「助けて……」


 樹里の声が聞こえる。いまにも消えそうな声。


 その声がなぜか耳というよりも頭に響いている。


「江川」


 弦音は思わず、花の化け物へと手を伸ばした。


 瞬間、彼女の姿が蔦に隠れて見えなくなってしまった。



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