7・青白い手(1)
「弓道場に戦国時代の武将の霊が出るという噂は昔からありました。けれど、つい最近になって、目撃情報が相次ぎまして」
「見えただけならいいのです。目があった瞬間に矢を向けられて、弓道部員の中でもけがをした人もいました」
鍵を回すもカチンという男が響く。
そこまで聞いている限りでは幽霊の仕業とはいい難い。ふざけていて矢に刺さった可能性もある。
先生は引き戸のなっている扉を開くと中へと入っていった。朝矢がそのあとに続く。
入ってすぐにある木造の札付きの靴箱に脱いだ靴をいれる。板張りの廊下を少し歩くいたところに二つ目の扉があった。それを開くとすぐに五段ほどの階段。
その階段を登れば、射場と呼ばれる弓を引くために設けられた舞台がある。
「話を聞いたときは、あり得ないと思いました。その生徒のただのでっち上げ。本当はふざけていて、矢が刺さったのだろうと……。しかし、彼らのいうことは正しかった。それは、私自身がこの目でみたのです」
そんな風に説明する先生の顔が青ざめていく。どうやら自分の見たものを思い出しているようだ。朝矢に続いて靴を履き替えた先生だったがしばらくその場に立ち尽くす。
やがて首を横にふると五段階を登る。そのあとを朝矢が続いた。
もう一つの引き戸を開くと射場がある。
扉の向かって左側にはまた扉があるその隣に弓と矢などの弓道に使う道具がきれいに整頓されている。
正面にも弓や矢があるが、向かって左側に立て掛けられている多くの弓矢と違って、まるでオブジェのようにその弓矢は横にして飾られていた。
それらは、他とは違ってずいぶんと年期が入っているようだ。
「あれは、部ができたときに献上された弓です。何でも室町時代のものだそうです」
朝矢は弓のほうへと近づくとそれに触れる。すると、なにか光ったような気がして、咄嗟に手を離した。
「どうかなさいましたか?」
「いや……」
朝矢がそれを見ていると弓を握る手があった。青白い手。それについているはずの体はない。手のみが壁から飛び出して弓を掴んでいた。
朝矢がじっと見つめていると、先生が怪訝な顔をする。
「なにかみえるのですか?」
朝矢は先生を一瞥すると、再び視線を弓のほうへと注ぐ。
どうやら“手”が見ているのは、朝矢だけらしい。
先生がそう尋ねるのは、朝矢が何者なのかを知っているからだ。
いわゆる霊能力者と呼ばれる類の人間。
常人には見えることのないモノをみることのできる力を有する者。
超常現象の対処に特化したもの。
そういった人間の一人だ。
霊や魔物、あるいは妖という目に見えぬ存在は、ただの幻想の世界。実際には存在するはずがない。けれど、存在していた。ただ人が認知していないだけで、太古昔からすぐ傍らにいた。
認知されない。
認知されないように生きていた存在。
それでも、一度認知してしまえば、その存在を無視することができなくなる。忘れない限り、認知し続けるのだ。
そして、いま“手”を認知していのは朝矢だけ。先生には認知ではない。どんなに目を凝らそうとも、意識するにはまだほど遠い。
手が弓をしっかりと掴む。弓が持ち上がる。
「わっ」
ようやく先生が悲鳴を上げた。
「弓が……。また……」
先生が見えているのは弓だけ。
弓が勝手に宙に浮かんでいるようにしか見えない。
けれど、朝矢にははっきりとその弓を掴む青白い腕が見えていた。
弓を必死に握る“手”が震えている。
腕から徐々に全貌が姿を現していく。
武将だ。
甲冑を身に纏った年若き武将がこちらを見ている。
「ヒィィィ」
どうやら先生にもはっきりと見えてしまったらしい。先ほどよりもいっそう、血の気を失い、全身を震わせながら座り込んでいる。
いままで見てなかったはずのものが見えるようになったということは、その手の主が“実体化” したことを意味している。
それとも……。
「……」
朝矢は周囲を見回した。すると、矢の入った筒を見つける。
「あの……」
「弓と矢。借りるぞ」
「はあ」
先生の返答など聞くよりも早く、立てかけられていた弓と矢を掴む。一本を武将へと渡す。武将はそれを手に取る。弓の弦に引っ掛けると、正面にある的へと視線を向けた。武将は構えると弦を引っ張り、矢を放つ。弓が的へ目掛けて飛んでいくも、その手前で失速して地面に突き刺さった。
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