第2話 暖炉とマシュマロ

あれだけ関東地方が白くなっていく天気予報を見せられたのです。

過去の大雪の映像も映し出されました。

人間、そんなのを、これでもかって見せられると、こりゃ、えらいこっちゃって、そんな気になります。


でも、雪という、めったにお目にかからない現象を、心のどこかで心待ちにしているのでしょう。なんか、ウキウキしてその日の朝を迎えたのでした。


予報では、九時ごろからの降雪になっていました。

新聞を取りに玄関先に行った時、雪はまだ降っていませんでした。でも、気温はあきらかに低くなってきています。

 こりゃ、雪は降ってくるって。

そんなことを思いながら、一杯のコーヒーを淹れて、朝の仕事に勤しみます。


ふと、背中のあたりがもぞもぞしてきました。

そんな時、いつだって、異変が起きるのです。

後ろを振り返り、ブラインドの隙間から外を伺います。

おっ、降ってきた!

道路はいつも通りですが。歩道に隣接する樹木帯はうっすらと白くなっています。

我が宅のバルコニーに張り巡らされたレンガの上にも雪がうっすら。

私、ちょっと、嬉しくなってきました。

だって、雪なのです。


私、仕事を中断して、暖炉に薪をくべました。

着火剤を暖炉の中でかざして、煙突に向かって、熱を送ります。

煙が流れ出ていく上昇気流をつくるんです。


我が宅の薪は、もう随分と乾いて、火のつきも良好です。

パチパチと音をたてながら、薪が炎を煙を立ち上げます。


暖炉という暖房器具に、致命的な欠点があるとすれば、それが出す炎に夢中になってしまうことです。

何かも中断して、暖炉の前にソファーを引っ張ってきて、そこにどかっと腰をおろしてしまうことです。


その朝も、私は、仕事をやめて、暖炉の前で火の番となりました。


薪の中に虫の死骸でもあったのでしょうか、パチッと音がして、火花が暖炉の外に飛び出してきます。

薪が炎をあげて燃え盛り、白く炎をあげます。

 こうなると、安心です。あとは新しい薪をときおりくべれば、暖炉は消えることなく燃え続け、暖を私にとどけてくれます。


あれはカナダはビクトリアの、最高級三ッ星ホテルのジ・エンプレスでのことでした。


カントリー調のレストランでアルバータ牛のステーキをいただいたときのことでした。

出されたステーキは、脂っ気の少しもない、日本人にはちょっと見慣れないステーキでした。

脂身もついていません。バターが添えられているわけでもありません。

大量のフライドポテトと赤身のステーキだけが皿に盛られて出てきたのです。


白髪の混じった年配の給仕が、ロッキー山脈の彼方アルバータ州から取り寄せた最高のステーキですなんてことを言って、私のテーブルに置きました。


暖炉の火は暑すぎませんか、と私を気遣ってくれます。


私の席の斜め後ろに、その暖炉はありました。

大きな子供の背丈ぐらいに暖炉の口は開いています。

そこに、丸太が三本転がり、細々と火が付いているそんな暖炉であったのです。


熱いも何も、今にも消えそうな炎の暖炉など飾りにすぎまいと、そう思いながら、私はアルバータ牛のステーキに舌鼓を打ったのです。

脂っ気はなし、味付けは塩のみ、それが存外美味しかったのです。

柔らかな肉などではありません。適当な大きさに切って口に入れないと、きっと口の中に噛み残しがあって、にっちもさっちもいかなくなります。


ハリウッド映画で見る西部の街のレストランで保安官が、細かく肉を切って口に運ぶのは、何もマナーの観点ばかりではないのだ、そうしないと口の中は肉の噛み残しでいっぱいになるからなのだって、そう思ったのです。


あの老齢の給仕が再びやってきました。

お味はいかがでしたか、ご満足いただけましたか、なんてことを言います。


まだ、WAGYUUが世界を席巻する以前のことです。

神戸ビーフを食したアメリカ人が、これは腐っていると、その柔らかさを訝った時代です。


牛は、塊を、塩を振って、薪で焼き、小さく切って、腹に詰め込む。

それが我らロッキーの麓に暮らす者たちの食べ方よって、その老給仕が誇らしげに言っているようでした。


デザートはマシュマロをご用意しております。

どうぞ、こちらへと私は、席を立たされ、あの細々とした暖炉のそばに設えられた小テーブルの脇の椅子に就いたのでした。


暖炉の火を使って、自分でマシュマロを焼くのです。


粋なことをするではないか。

だから、さほどに炎をあげなかったのだと今更のように気づくのです。


小テーブルの上には、マシュマロのほかにホテルの名前が刻まれたクラッカーが置いてあります。

 焼いたマシュマロをクラッカーの上に乗せて、カナダといえば、あのメイプルシロップを浸すほどにして食するのです。

さほど強くはないと思っていた暖炉の熱が足元からじわじわと押し寄せてきます。

さほどの丸太をくべているのだ。もし、それがめらめらと燃えていたら、暑くて、ここにすわっていることなどできまい、それをさきほどあの老齢の給仕は気にかけてくれたのだ。

そう思うと、彼の心くばりがありがたく思えてくるのです。


そうだ、いつか、つくばの我が宅にも暖炉を作ろう、そう、その時思ったのです。


あれから何年かして、私は、それまでの家をリフォームしました。そして、ジ・エンプレスでのレストランで思ったことを現実にしたのです。


だから、我が宅の暖炉のそばには、いつもマシュマロが置かれているのです。

ちょっと炙って、それを頬張るのです。

残念なのは、メイプルシロップを切らしてしまっていることです。


この日の朝、私は、暖炉の柔らかな暖かさに包まれて、そして、マシュマロを炙って、雪降る朝の光景に見入ったのでした。

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