第八話 妖怪 桶鳴らし

 今回の話は、何だか今まで紹介して来たモノとは根本的に違う気がしたのだが、お話しする事にした。


 それは、次男が県外の大学に進学して一人暮らしを始めて三か月ほどが経った頃、掃除や雑用をこなしがてら様子を見に行った時の事である。


 部屋の隅に山積みされた段ボールを畳み、これまた山と積まれたコンビニの袋と入ったままの空き缶や弁当がら、ペットボトル等々を分別しながら片付けて、床に掃除機をかけて、トイレや浴室の掃除に入った私に息子が言い難そうな顔をして言ったのだ。

「掃除が終わったらさ、風呂の桶は椅子の上とかに絶対置かないで。床にしっかり上向きに置いておいてね。立て掛けるのも、下向きもダメだからね。」

 妙な事を念押しされて、私も理由が聞きたくなった。

 桶は中や底にカビを生えさせない様に乾燥させる為、家ではいつも風呂椅子二つを橋渡しした様に伏せて置くか壁などに立て掛けているのだ。

「ふぅ~ん。何で?」

 息子の眉間にシワが寄った。

「桶を蹴飛ばす奴がいるの。」

 訳が分からず私は息子の顔をまじっと見た。

「……誰が蹴るっての? 私はそんなヘマはしないけど。」

 息子は口もへの字に曲げた。

「だからさ、母さんの事言ってるんじゃないよ。桶を椅子の上に置くと、気に食わないのか必ず蹴飛ばすんだ、アイツ。それも真夜中に。」

 ……とうとう、私の知らない第三者かのじょ様のご登場か、と思いきや、違った。

「夜中にって……どう言う事?」

「いるんだよ。この部屋に越して来て次の日に気が付いたんだけど、風呂場に桶を蹴飛ばす妖怪みたいなのが。」

 私は、冷静に成れ、と自分に言い聞かせた。事もあろうにのとは。水木茂さんのファンだったかしら、この子? 漫画は読ませてなかった筈だけど。

「姿は見たの?」

 息子はへの字に曲げていた口を元に戻した。それでもまだ眉間のシワは深い。

「見てたら速攻で部屋替えしてもらってるわい。でもね、知ってるの俺だけじゃないから、Yが来た時も出たんだから。」

 私は、ほお、と一旦ゴミ袋を下に置いた。

「どう言う事なのよ、それって。詳しく喋るがよいぞ。」

 

 それは息子の幼馴染で一番の仲良しのY君がはるばる訪ねて来た時の事。

 コンビニで買った諸々で夕食を済ませ、宿代の代わりに掃除をしてもらった浴室を使う順番をこれまたフェアーに決めようとジャンケンすると、お客であるY君が負けてしまったらしい。

 そこで息子は私に言ったのと同じ事をお願いしたらしい。

「あのさ、風呂を使った後、桶は下に置いておいてくれないかな。」

 息子の敢えての言葉にY君も不思議そうに、何で? と聞いたらしいが、こうこうこうで、と説明したら、きっと一人暮らしでノイローゼか何かを発症したと思われかねないと思ったらしく、何となく、それが落ち着くんだ、と誤魔化したとか。

 最初は腑に落ちない顔をしていたY君も、さすが友達、息子が変な事に拘る事も熟知していて、それ以上の追及もなく快諾した。

「おう。分ったよ。」


 男2人でも何だかんだと話は尽きず、気が付くと時刻は夜中の1時を回っていた。

 Y君は明日は車で地元へ帰る。途中で居眠りされては困る。

「そろそろ寝ようぜ。」

 ジャンケンで負けた息子が床で寝袋、Y君がベッドだったらしいが、そんな事はどうでもいい。問題は二人がやや寝入ろうかとしたその瞬間だった。

 カコーン! コツコツ……コロコロ……パタン。

 部屋に大きく響いたその音に、2人は同時に起き上がった。

「お前、桶、椅子に置いたな。」

 やや怒気の籠った息子の言葉にF君は、

「お前のルーティーン無視してねえよ。ちゃんと床に置いたから。」

「じゃあ、今の音、何だよ。」

「桶の転がる音……だよな。何でだよ。何で誰も風呂場にいねぇのに転がんのさ。」

「……だから、床に置けって言ったんだよ。」

「俺は下に置いたって言っただろうが。」

 そんな言い合いをしながら、2人は現場検証すべく起き上がり、バスルームへ行った。そしてドアを開けながらも息子はクドクド言い続けた。

「立て掛けるのもダメだかんな。必ず蹴とばされんだよ。」

「そりゃ、聞いて無かったけど、俺は下に置いたかんな。ってか、誰が蹴飛ばすってんだよって話しだろが。」

 灯りを点けて2人同時に中を覗いた。

「やっぱり……お前、椅子の上に置いてんじゃん。」

「俺は……置いてねえよ。ってか、さっき落ちて転がった音、してただろうがぁ?」

 2人は目の前の風呂椅子にしっかり鎮座したを前に、一瞬訳が分からなくなった。

 息子は無言で椅子の上から桶を床に下ろし、ドアをそっと何事も無かった様に閉めた。そして……

「近くにカラオケ有るよ。今からオール行く?」オール(オールナイトの略)

 Y君は息子の顔を少し眺めていたが、

「寝ようぜ。俺、明日、出発11時にするわ。言っとくけど、俺はちゃんと床に置いたぞ。」

「分かってるよ。俺こそ言い過ぎた。ごめんな。」

「ああ、別にいいよ。」

「この部屋……友達泊めるの初めてだしな……」

「住んでんのかよ、そいつ。」

 寝床に戻りながらポツポツ喋り合う2人。

「いるんじゃねぇ。悪口言うなよ。怒ったら怖いかもしんねえし。」

「確かにな。でも、怖くねぇのかよ。」

「別に……実家にも小さい頃から似たようなのがいるの見てたから。構ったりしなきゃ何にもしねぇし、別にそいつらそこに居るってだけだしな。花瓶か置物みたいなもんじゃね。」

 この発言にY君はどう思っただろうか。私もそれを聞いて驚いたのだが、我が家ににも居るって言うのか? 幼馴染として付き合って来た友人の知られざる側面だった事だろうに……Y君もかなりの心臓だと思う。

「お前って、そんなに強かったっけ。」

「別に強かねぇよ。おやすみ……」

「おう、おやすみ……」


 私は改めて息子を見た。

「で……ウチにいる君に似たモノって何? 何処にいるってのよ。そんな話し、一度もした事無かったでしょうよ。どんなヤツよ。」

 そう言った私に息子は再び口を尖らせた。

「真っ黒な、夜の闇より黒くてでかいヤツ。夜中にトイレ付いて来てって言ってたのは、ソイツが廊下の端っこに居たからなんだよ。変なのがいるって初めて気付いて言った時、かるーく、そんなのいないから、って母さん言ったから、母さんには見えないのかと思って言うの止めた。」

 私は記憶の奥底をほじくり返してみた。

「そう言えば……そんな事有ったかも。怖がると余計いけないかなぁって、右から左に受け流す様に、そう言ったかも。」

「でもさ、見ない様にしてたら何もしてこないから放って置く事にしたんだ。」

 奇妙な出来事の体験者である私も……長男の時は出来た事も、手を抜いてしまっていたらしいと、ちょっと反省した。

「それからさ……とか、勝手に名前付けないでくれる? 俺的にはとかって呼んでたんだけど……まあ……の方が、語呂がいいかも。まぁ、いいか。」


 今はもう大学を卒業し、ヤツが住むアパートを引っ越した息子だが、Y君が帰り際に言った言葉は、引っ越すまで守っていたらしい。

「友達泊める時は前もってアイツに断っておけよ。その方がいいぞ、きっと。」

 それ以来、大学の友人を呼ぶ時は何気なく風呂に入りながら断りを入れたらしい。そのお陰か、珍事は桶を床に置く事だけを守れば二度と起きなかったとか。


 引っ越す時、息子はちゃんと自分がいなくなる事を君に告げたのか、気になってしまう母なのだった。

 でも……きっとエレベーターの動作による微細振動のお陰で桶が落ちていたのだと思うのだけど……一応それは本人も現場で何度もグラスに水を入れて充分観察し、その可能性は果てしなくゼロに近いと結論付けたらしい。


 最後までお読み頂きましてありがとうございました。

 ご意見等、色々有るかとは存じますが、一旦ここでお開きと致します。

 それではまた、新しい情報が入って参りましたら順次作文致しますので、お見捨て無きよう宜しくお願い致します。

                         桜木 玲音

 



 


 

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

身近に潜んでいた恐怖体験 短編集 その2 桜木 玲音 @minazuki-ichigo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ