第七話 サードマンに成り損ねた俺

 先に紹介した「付いて来る人影」には、実は後日談が有りました。

 今回はそれをご紹介致します。


 その日も私の両親はあの山に出掛けていた。と言うのも……


 前回、未明から雨が降ったお陰で、実現出来なかった登頂に再挑戦すべく俺達は再びこの山に来た。

 今回は前回よりも日程を少し早めたお陰で、山小屋に着いてから周囲を散策する余裕まである。やはりちょっと早目がミソだったな。偉いぞ、俺。

(さぁて、せっかく早く山小屋にチェックインしたんだから写真でも撮りに行くか。

 そう言えば、娘のヤツ、旅の想い出アルバムには周囲の景色とかも要素に含んでないと味気ないよね、とか言ってたな……よっしゃ、高山植物の花も撮って自慢してやるか……)

 俺の脳裏に、前回訪れた時に偶然見かけた可憐な花の姿が過った。

(そうだ、この間のにチングルマが有ったぞ。周りを探せばもっと生えているかもな。今頃はちょうど綿毛に成っている筈だから、画面的にも結構いいかもしれない。ちょっと出るか。)

 秋も深まり紅葉と呼べる景色も薄れ、あんなに賑わっていた夏に比べて登山客は数える程に成っていた。同時に早い冬の到来も間近。一夜にして寒気団が入り込み、雪景色なんてのも有り得るのが山だ。 

「俺、ちょっとそこらで写真撮って来るから。」

 荷物の整理をしている背中にそう声を掛けて立ち上がった俺の井出達を振り返り見て、家内は溜息混じりに言った。

「変な場所に入り込まないでね。ここは山なんだからね。思ったより危ないんだから。この間みたいに注意されるわよ。」

「分かってるって。その辺で花でも撮って来るだけだから。それと景色とかな。」

 とにかく家内は心配性だ。

「分かった。のんびりしないで、さっさと帰って来てね。陽が沈むのも早くなってるからね。気を付けて。」

「はいはい。」


 家内はああ言っていたが、夕焼けの景色にはまだまだ時間が有るし、夕陽に染まった山々を撮るなら山小屋で十分事足りる。でも、花はそうは行かない。咲いている場所へ明るい内に行かなくてはならないのだよ。

 とは言うものの、この間偶然見付けた群生地はあの斜面道の途中だ。行く所を見られたらまたクドクド言われてしまうな。ちょちょっと行って、ささっと撮って帰って来れば、何処で写真を撮ったと言わなくて済む。

 よし、そうと決まれば早く行こう。


 この時の俺は、その後に遭遇するを全く想像出来ていなかったのだ。


 小屋から出て尾根を例の場所まで下り、斜面の道を辿りながら目的物を探して歩く内、調子に乗った俺は少なからず登山道を随分外れて行っていたのだと思う。そして青い空に山の景色も植物も映え、にわか写真家熱につい時間を忘れていたと思う。

 思った通りチングルマは見事に真っ赤な紅葉の装いで、クルンくるんに巻いた白い綿毛が何とも可愛らしかった。

(いいねぇ、こんなの撮ったの初めてだな。)

 何かの気配に俺はファインダーからふと目を上げた。視界の端っこにゆらりと動く黒いモノが有る。まさか、熊か、と思いながら俺は視線をそちらに向けた。

 ずっと下の方の、斜面の続きの様な所に中年の男女が立ってこちらをと見ているのだ。気が付くと、辺りは陽が傾きかけ、あんなに明るかった景色が暗く沈んだ色になっていた。

(何だ、人か……)

 と、一旦は思ったが、冷静な頭脳は俺の頭の中にアラームを鳴らした。

(こんな所に人がいるわけ無い……登山道はもっと上だし、あんな軽装で来れる山じゃない。……出た? とうとう、俺も見た? 今俺がいるここだって随分道から外れているんだ。それなのにあんな所、有り得ない。あれはきっと、じゃない。)

 俺は二人を見たが何気なく目線を逸らし、気付いていない様にカメラをウェストポーチにしまい、登山道の方へ向かって足早に歩き出した。

(……気付いている事に気付かせるな。気付かれたら最後、付いて来るに違いない。)

 意識はしていなかったが心臓が早鐘の様に鳴り出した。

 何かの境界線でも俺は踏み越えてしまったのだろうか。例えばあの世とこの世とかの? アイツがこの間変な事を言っていたよな。俺の後を人が付いて来てたとか。そんなの見間違えだと俺、一蹴したぞ……

 まともには振り返る事など出来なくて、それでも気になって視界の端っこギリギリに神経を集中した。

(ウソだ~!! 付いて来てる。追い付かれたら取り憑かれるって事か? 勘弁しろよ。俺が何をした。そうか、アンタ達が静かに眠ってる所にずかずか入り込んじまったのか。それなら謝るから。謝るから勘弁しろぉ~!!)

 待って……

 待って……

 幻聴だろうか、空耳だろうか。微かな弱々しい声が聞こえる気がするが、そんな事にはお構いなく、俺は必死に現実に似せたこの黄昏地帯から脱出すべく前だけを見てずんずん歩いた。

 登山の際の自分のペースは何度かの経験から弁えているつもりだったが、その時の俺の足の速さはきっとあの血気盛んな大学生の登山部並みだった事だろう。決して走ったりはしないが、駆け上がる様に斜面を進み続け、それはきっと50㍍も無かったのだろうが、1k㍍も2k㍍も走った様に疲れ、登山道の目印のペイントを見付けるまでは生きた心地とは程遠く、それが目に入ったは心底助かったと思った。

 ここまで来ればアイツらも諦めるだろう。

 俺はすっかり上がった息をやっと整えて、そっと振り返ってみた。

 やはり何か理解不能な境目が有るのだろうか、諦めたようでそこには何もいなかった。やれやれと道端の岩に腰を下ろして脱して来た場所を向いたまま、念のために持って来ていたペットボトル入りの水を飲もうと、ウェストポーチに手を入れた。目線を外したのはその一瞬だった。

 森林限界は過ぎ視界を妨げるモノは風化を免れた大きな岩だが、その陰から人影がひっこりと顔を出した。

「やった。道だ。よかった……やっぱりだったじゃないか。」

「……助かった。」

 俺は自分の心臓が凍る音を聞いた気がした。驚きのあまりに声が出ないのだ。

 出て来た二人はよろよろと俺に近付いて来た。

「すみません、驚かせたみたいで。私達、この山は初めてで景色に見とれて歩いている内に途中で道に迷って、何時間もこの辺を彷徨っていたんです。」

「陽も傾き始めるし、このままだと遭難するんじゃないかって、怖くて怖くて。」

「そしたら、あなたの姿が見えて。」

「私はてっきり、山の話に出て来る幽霊かと……でもそれで助けてもらった人の話しだから、付いて行ってみようって。」

 二人はとても憔悴し切った顔に満面の笑みを浮かべて俺を見ていた。

「それにしても、足がお速いのですね。どうしても追い付けなくて、途中でやっぱりなんじゃないのかと思いました。」

 俺は返す言葉も思い付かず、照れ笑いを浮かべるしかなかった。

 幽霊と間違えて、思いっ切り逃げたのは俺の方ですだよ。

「日が短くなってるもんでね、つい写真を撮ってる内に暮れかかって来てたもんだから、急いで小屋に帰ろうと思って。迷ってたんですか。そりゃ心細かったでしょう。小屋に泊まるんですよね。一緒に行きましょう。」

 二人は道に戻れた事で疲れも忘れた様子だった。

「はい。」

「とにかく、本当にありがとうございました。」

「まあ、それはもういいから、小屋でゆっくり休んだ方がいい。」

 三人で尾根道を歩きながら俺はただ言い訳を考えでいた。

 二人と一緒だとまた色々説明しなきゃならなくなる。そうなると何処で会ったとか決定的な事を聞かれるだろうし、説教を食らうのは目に見えている。

「写真がご趣味ですか。いいですね。登山も長いんですか?」

「まあ、そうね。長いって程じゃないけれど。弟が大学の時に山岳部でその影響かな。まあ、登山道をちょっと外れると何処も似た様な岩と景色だからね。目印をしっかり遠くまで確認してそこを目指しながら、足元に注意しつつ、無理をせずだね。」

 ……いい事を思い付いたぞ。それがいい、それしか無い。

「この辺りは自然保護区だから、基本登山道を逸れちゃダメなんだよ。知られたら何だかんだ注意される事も有るし、実際、アナタ方、本当に危なかったと思うよ。俺は何度も来ていて分かっていて下りて行ってたけど、あんな所で会った亊はナイショって事で頼んでいいかな。俺もアナタ達には道の途中で会った事にしておくから。本当に気を付けなくちゃいけないよ。」

 怖かった山の想い出なんて要らないと思う。次の失敗は命取りになるかもしれない。そうならないように願うだけだ。

「そうなんですか。分りました。」

「次からは、本当に気を抜かずに歩きます。」


 二人とは小屋の前で別れ、俺は何食わぬ顔で夕陽に染まる山々にカメラを向けた。


 さて、後日、登山の話を聞きに娘がやって来て、この時とばかりに紅葉したチングルマの写真のお披露目となったのだが、

「綺麗ね、お父さん。流石目の付け所が違うわ。お母さんも見て。」

「あら、本当ね。でも……チングルマなんて私、見てないわね。何処に有ったの?」

「この間行った時に見付けといたんだ。その時は花は終わってたけど、そろそろ紅葉かなって、思って。そしたら、ドンピシャだよ。」

 褒められるとつい、口は軽くなる。

「そうなんだ。本当、感心するわよね。ただ歩いてないって言うかさ。」

「この間ねぇ。私にも言ってくれたら一緒に見たのに。」

「お前には無理だって。ちょっと離れた所に有るんだ。あの最後の尾根づたいに入る直前の所をずっと下を行った所にな、開けた平らな所が有るんだ。周りをよく見るとさ、もう少し斜面を下った所に群生しててさ、凄かったよ。」

「ふぅん。そんな所が有るんだ。」

「多分誰も知らない場所だな。でもな、この写真撮ってる時、いきなり変な所から人が2人現れてさ、ビックリしたのなんのって……」

 家内と娘はいつの間にか感心顔から呆れ顔に成っていた。

 しまった……

「やっぱり、また行ったんだ。」

 家内は目を吊り上げて俺を睨んだ。

「その人の奥さんに朝ご飯の時に声掛けられたのよ。おたくの旦那さんに助けてもらいましたって。何の事だか分からなかったから、適当に挨拶しといたわよ。」

 何度言っても懲りない人ね、と家内は怒った様子で呆れそっぽを向いた。

 確かにもう道を外れて勝手な事をするのはやめようと思う。安易に足跡を付けると、そこが迷い道の入り口になってしまう可能性が有るからだ。あの人達ももしかしたら俺が以前に付けた足跡に誘われてしまったのかもしれない。

「サードマンに成り損ねたな、俺。」

 そう言った俺に娘は、涼しい顔で首を振った。

「お父さんは、リアルサードマンだよ。」


                        令和元年 5月1日 (水)



 次回「桶鳴らし」

    新築アパート6階の息子の部屋には

    何かが最初から同居しているらしい。

    もしかしたら、それって妖怪なの?

    5月4日土曜 UP予定しています。


 

 

 






 




 

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