第六話 道端の少女と赤ん坊
この話は書こうかどうしようか迷ったのだけれど、書く事にした。
もう時効だと思うから。
お寺で閉じ込められそうになってから一ヶ月もしないある日、私と長男は実家に遊びに来ていた。実家は嫁ぎ先から約20キロ離れた場所に有って、自家用車を使えば45分で行ける距離だ。途中の道は交通量の多い国道だが、流れに乗ってしまえば別に怖い思いもした事が無い。
その日も用事を済ませた後、他愛の無い話をしながら両親とお茶の時間を楽しんでいた。私の同行者で、きかん坊の息子は珍しくお昼寝の続き、ソファーですっかり眠ってしまった。せっかく寝たモノを起こすなんてナンセンス。起きるのをゆっく~り待って帰宅しても誰にも文句は言われないだろう。
話題は多岐に渡るが、その時の両親との会話で内容を覚えているのは、近所で起きた不幸な交通事故の事だった。高校生の女の子が帰宅途中ではねられ、亡くなったのだとか。自転車通学だったらしい。
若いのに、可哀想に……
事故現場は近くだが、両親は被害者の子は隣町の子で名前も顔も知らないらしかった。
私も気を付けて運転しなくちゃ、と改めて思った。
さて、一時間半ほど熟睡をして息子が目を覚まし、暗くなった雰囲気を一気に騒々しくして、私達は帰宅するのだが、妙な事はその車中で起こった。
何時もの様に、カーステレオで鳴らす息子お気に入りの昔話ソングに合わせて二人で歌っていると、間奏の沈黙を破って彼が言った。
「ママ、知らないお姉ちゃんがね、車の横を走ってるよ。」
そんなバカな、と私は思わず車のスピードメーターを見た。50㌔毎時は出ている。人が追い付いて来る速度ではないが、ドアミラーとバックミラー。続いて素早く目視。付近に並走しているバイクも自転車も無いが、咄嗟にさっきの事故の事を思った。私達の話を聞いていて、三歳児の悪知恵でもって私を脅かそうとしているのだろうか? いや、彼は狸寝入りが出来る歳ではなく熟睡状態で内容を把握している筈がない。何よりも私を騒然とさせたのは、息子が窓の外を見て笑って手を振っている事だった。大声で歌を歌っていたのだから寝ぼけている訳では無いらしい。
私は運転席。息子は後部座席の私の後ろにベビーシートに固定されている。
「お姉ちゃんはお外を走ってるのね?」
私の問い掛けに息子の反応はいつも通りあくまで無邪気だ。
「うん、凄いね。自転車びゅーんって。髪の毛もびゅーんって。」あはははっ……
自転車通学の……何かがとにかく見えているのだろうが、変にそれを否定してこの幼い子の記憶に残してはいけない気がした。
「そっか。お姉ちゃんは車に乗せて欲しいのかな?」
「違うみたい。」走るのを真似て手足をパタパタ前後に動かしいてる。
「どうして?」
「だって、笑ってバイバイってしてる。自転車だもん。」
「そうだね。じゃあ、バイバイってしてあげよう。ママもバイバイしてあげるね。」
私達は暫く声を揃えて「バイバーイ」と、見送ってくれている身内にでもするように手を振り続けた。そして何事も無かった様に昔話ソングに戻った。
それでこの出来事は終わった気がしていたのだが……
夜の9時半頃……いつもならとっくに寝入る筈の息子が、幼稚園から借りて来た絵本を3冊続けて読んでも眠ってくれないのだ。流石の私も疲れてこっちが眠くなってしまっていた。4冊目を手に取るか、最初の1冊目に戻るのか……歌でも静か~に唄うか……いや、ここは審問がいいのか? いやいや、熱でも有るのではないか? と最悪な事を思い付いた私は彼の小さなオデコに手を当てた……熱は無い様だ。
「どうしたの、眠くないの?」
そう聞いた私に息子は困った顔をした。
「あのね、赤ちゃんがずっと泣いてて煩いから眠れないの。」
幼稚園に通うようになって、幼い子なりの他への気遣いに目覚めたらしい事を担任の先生から伺っていたので、母としては感謝と共にじーんと来た。いきなり自分の都合で自分より小さい子に怒ってはいけないのだと、彼なりに我慢していたらしい。
でも、赤ちゃんって? どう言う事?
「赤ちゃん?」
私は耳をすませてみた。それで眠れずにいたのなら安心させてやればいいのだ。
お隣は年寄り夫婦の筈だけど、孫でも来ているのか? いや、聞こえない。
発情期のネコか? そんな気配も無い。風も無い静かな夜だ。
息子は告げ口した事を窘められると思ったらしく、益々困り顔で訴える様に言った。
「その子、何処の子なの?」
部屋の端を指差した息子に私は少し間を置いて言った。実際は聞こえていない声が聞こえると言う現象は私も何度も体験している。あくまで脳の疲労が原因だと思っているのだが、自分の対処方が彼に効くかどうかは分からない。
きっと昼間の外出で、見た目では分からないが疲れているのだ。
「大丈夫。目を閉じてて。赤ちゃんにはママがお家に帰るように言うから。合図したら一緒に手を二回叩くのよ。」
さて……私は息子が目を閉じたのを確認してから部屋の端に向かって言った。
「もう遅いからお家にお帰り。お家の人が待ってるよ。」
間髪入れずに
「手を叩いて。」パン!パン!
二拍手が響くと、息子は目を閉じたまま、うーん、と寝返りを打って、そのまま眠ってしまった。赤子の声が聞こえなくなった事は彼の様子を見れば明らかである。
その後……彼が高校生になってから、お寺の老婆やこの日の事について覚えているかそれとなく聞いてみた所、幸いな事に何も記憶に残っていなかった。
とにかくおおらかに。何事にも慌てない、そんな子に育って欲しい。
私の願いはそれに尽きたが、叶っただろうか……叶ったと思う。
次回「サードマンに成り損ねた俺」5月1日(水) UP予定です
ちょっと息抜きしましょうか。
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