美濃征伐にて候

第53話 北か、西か?

 永禄二年 四月を迎えた。



 田植えを無事に終えて世は戦シーズンとなった。


 初夏から秋にかけては戦を仕掛けやすい。

 田植えが終わって農兵が使えるからだ。

 実際この期間は一番戦が多い。


 しかし、我が織田家は今年は戦をしない方針だ。


 戦を行うには以前も言ったが『大義名分』が必要だ。

 織田家が近隣に侵攻する為の大義名分はない!

 北の美濃斎藤とは昨年協力関係を築いた。

 これをこちらから破る程の大義名分は織田家にはない。

 強いて上げるのであれば元犬山城主の織田信清を差し出させる事で戦を吹っ掛けるくらいだ。

 信清は織田家の裏切り者なので彼を出しに使うのだ。

 でも、これは大義名分としては弱い。

 美濃国人達を味方に付ける理由にはならないからだ。


 東南の松平家とは同盟を結んでいる。


 あの人なつこっい顔をした松平元康は今川の防波堤だ。

 こちらから同盟関係を崩す必要はない。

 せいぜい今川と殺り合ってくれればいい。


 となると残るのは西だ。


 西の伊勢は北は長野家、南は北畠家と別れている。

 近年この両家は仲はあまり良くない。

 長野家は六角家と同盟関係を結んでいる。

 これは北畠家との侵攻を恐れているからだ。


 北畠家は北畠家で伊勢統一を果たしたい。

 しかし、それほど積極的とは言い難い。

 名門北畠の動きは鈍い。


 こうして見ると北の美濃斎藤を相手にするより、西の伊勢長野家と北畠家を相手にするべきだろうか?


 しかし、長野家に侵攻すると近江の六角家を敵に回す可能性がある。

 その場合は北畠家と一旦手を結び。

 挟み撃ちにするのが良いだろう。

 これなら織田家単独で当たるよりも楽に侵攻できる。

 それに北畠家と盟を結ぶのに熱田が使える。

 伊勢神宮と熱田神宮は関係が深い。

 この二つの神宮に協力して貰えば?


 いや、駄目だな。


 史実では伊勢統一はかなり苦労している。


 伊勢国人衆を取り込むのに、神戸家と北畠家に信長は自分の息子を養子にさえ出している。

 その後は両家は謀叛を起こして族滅に有っている。

 どちらの家も成り上がりの織田家の下に収まる事はなかったのだ。

 北畠家と同盟関係を結んでも、きっと良いことにはならないだろう。

 むしろ、最初から敵対してくれた方が後々楽だろう。

 何らかの理由で伊勢侵攻の大義名分を得たい所だ。


 とすると伊勢侵攻には伊勢国境付近に有る長島を抑える必要がある。



 今の長島は自治都市のような物で領主が存在しない。


 長野家の支配を受けていないのだ。

 そしてここを支配しているのは一向衆だ。

 しかし、厳密に支配している訳ではない。

 ここでの布教活動をしている内にいつの間にか支配層に成っていたようだ。

 ここは伊勢、尾張、美濃からの人や物が集まっている状態で治安が悪い。

 下手に力で支配しようとすると反発して噛みついてくる。


 そして、それを先導するのが一向衆だ。


 その為に長島は無主の地になっている。



 この長島という土地は非常に厄介なのだ。



 向こうでもこっちでも宗教は本当に厄介だ。

 しかし、長島の土地の利便性は非常に高く魅力的でも有るし、尾張の安全保障を考えるとこれをそのままには出来ない。

 一向衆を敵に回すか?

 それとも上手く取り込むかしないといけない。


 でも、あの一向衆だよ?


 取り込んでも内から食い破られる可能性が高い。


 何とかしないとな。



 と、考え込んでいるとコンコンと戸を叩く音が聞こえる。


「誰だ?」


「長です。お茶をお持ちしました」


「え? はぁ~? あ、ちょっと待って下さい!」


 俺は慌てて未来から持っていた物を葛籠に直す。


 そう、今俺は屋敷の自室で今後の事を考えていたのだ。


 それにしても、今川の姫様が直接茶を持ってくるなんて!


 長姫に入室を許可して二人で茶を飲んでいる。

 ちなみに戸を叩く行為は俺が家族に厳命して守らせている。

 どこぞのバカ(前田のバカ犬)がいきなり戸を開ける事が有るので俺がキレて、バカをぼこぼこにしてからはこの決まり事を破る者はいない。緊急時以外では。


「考え事は纏まりましたか?」


 長姫は辺りに散在している資料を見て質問してきた。


 この長姫を俺は好ましいと思っている。


 有り体に言えば好きなのだ。


 しかし、彼女は今川の人間だ。


 織田家にとっては貴重な人質なのだ。


 そんな大事な人物を俺は……


「どうしました?」


 気づけば長姫が近づいていた。

 目の前には彼女の美しい顔がある。

 俺はその顔をまとも見る事が出来ずに視線を反らした。


「か、考え事をしてました。な、何でしょうか?」


 今の俺の顔は、きっと真っ赤になっているだろう。


 は、恥ずかしい。


「ですから考え事は纏まりましたか、と」


「いえ、全くです」


 俺は少しだけ彼女と距離を取って答えた。


 そう、全く纏まらない。


 北と西、どっちを選んでも一筋縄では行かない。

 それに俺には決定権がない。

 臣下の身分の俺では何も出来ないのだ。

 それなのに『手柄を立てろ!』なんて無茶振りされて、俺にどうしろと言うんだ!


「美濃の地図ですわね? それにこれは伊勢長野家の家臣の事かしら、こんな話が有るなんて知りませんでしたわ」


 彼女はそこら辺の資料を手に取っていた。


 今見ている資料は長姫が見ても大丈夫な物だ。

 危ない物はさっき隠したからな。

 好意を持っているからと言って、彼女に見せられる物とそうでない物は分けないといけない。


「興味が有りますか?」


「そうですわね。興味は有ります。特に貴方に」


 そう言うとまた俺の側に近寄ってくる。


 俺は思わず後退りして壁際まで下がった。


「そんなに警戒しなくてもよいのに。わたくしがお嫌いですか?」


「いえ、そうではないです」


 俺は首を横に降ってから答える。


「では、なぜ距離を取るのかしら?」


 そして、長姫が俺に寄ってくる。


 少しずつ、着実に距離を縮めてくる。


 あ、これ。なんか前にも有ったような?


「わたくしの想いに、貴方も気づいているでしょう?」


「いや、あの、しかし」


 これ以上は下がれない。


 しまった!戸口の方に下がるんだった!


「大丈夫ですわ。皆には黙っていれば良いのです。さあ?」


 長姫の細長い指先が俺の頬を掠める。

 辺りには良い匂いがしている。

 あ、これは香を焚いているな?


 このままでは俺の理性が!


「長姫。俺は、俺は……」


「さあ、我慢為さらずに。こちらに」


 なんて甘い言葉なんだ。


 ぐ、こんな誘惑に耐えられるか。


 俺はやるぞ! やってやるぞ!


「長姫!」 「ああ」


 ドスン、ドスン、ドスン、スパーン。


「何やってんだい! この泥棒猫が!」


「こ、小六!」 「もう、もう少しだったのにー!」


 部屋にやって来たのは小六だった。


 小六は美濃での情報収集の為に屋敷を留守にしていたのだ。

 そう言えば寧々はどうしたんだろう?


「私が留守にしている間に事に及ぼうとするなんて、それでもあんた姫様かい!」


「わたくしはもう我慢する事は止めました。これからは自由に行動致しますわ!」


「は、囚われの姫様が何を」


「あら、わたくしは好きでここに居るのです。別に囚われの身ではありませんわ」


「何を!」 「何ですの!」


 もう寝よう。明日も早いし。


 二人には出ていって貰って眠りについた。


 二人は外で殺り合っていたようだが母様の声がして静かになった。



 今日も静かに眠れそうだ。



 翌朝、寧々に昨日はどうして居たのかと聞いてみると、いつの間にか眠っていたそうだ。


 寧々はいつ寝たのか覚えていないそうだ。


 そして、長姫の方を見ると彼女は微かに笑みを浮かべると扇子で口元を隠した。


 この姫様、寧々に何かしたのか?


 こわ! 長姫こわ!


 そして、その日城に向かうと美濃斎藤家からの使者が来る話を聞いた。



 美濃斎藤家、こちらが動く前に蝮が動き出したようだ。



 斎藤道三からの使者がやって来た。


 今回は光秀が使者ではなかった。

 何だ、イケメン十兵衛ではないのか?

 城の女中のがっかり感が凄かった。


 やっぱり男は顔か、顔なのか!!


 斎藤家の使者がやって来ても俺の仕事は変わらない。

 以前は俺も使者との対面に顔を出していたが今回は外された。

 と言うか外して貰った。

 今の俺は財政処理に加えて手柄を立てる方策を考えるのに頭が一杯であった。

 斎藤家の使者と会っている時間なんて必要ない。

 直ぐにでもこの書の山を処理して時間を作るのだ。


 そう思って仕事をしていた。


 そして、事件は起こった!


 いつもの様に書の山に囲まれながら仕事をしていると耳慣れた足音が近づいて来た。

 そして、いつもの様に戸がスパーンと開かれる。

 俺は振り向きもせずにやって来た者に言葉をかける。


「何のようだ勝三郎。早く閉めてくれ。風で紙が飛んでしまう」


 ふ、今の俺はカッコいいよな?


 どこぞのマンガに書いて有ったシーンを再現して見た。

 一度言ってみたかったんだよね、このセリフ。


 と俺がカッコつけていると……


「藤吉。驚くなよ!」 「驚かないからまずは落ち着け勝三郎」


 なんだ、よほど大事が有ったのか?


「どうしたんだ。そんなに慌てて? ふむ、当ててみようか? そうだなあ、斎藤から正式に同盟の打診でもしてきたか? それとも道三がとうとう死んだのか? 俺としては後者の方が嬉しいのだがな」


 そうだな、斎藤道三が死んでくれたら俺としては万々歳だ!

 早くあの世に退場してくれないかね。美濃の蝮は?


「どれも違うぞ。藤吉!」


「何だ違うのか。そうなると嫁取りの話か? 奇妙丸様にはまだ早いと思うが、まあ、無い話ではないな」


 そうだな、奇妙丸様も数えで五歳を向かえた。

 そう言う話が有ってもおかしくない、のか?

 いや、いくら何でも早すぎるだろう。


「それも違う。いや、違わなくもないが。嫁取りの話は合ってる。問題は相手だ!」


「相手? 歳が合わないのか? 五、六歳の子供にまさか二十歳ぐらいの子を宛がったのか? それはいくら何でも……」


 歳が合わないのはしょうがないが歳が離れすぎるのも問題だ。

 でも、そんな事をあの蝮がするだろうか?

 あ、それを断った理由で戦を吹っ掛けようとしてるのか。


 なんて悪辣な!


「そうじゃない! 相手は『斎藤 龍重』だ!」


「な、龍重だって! いくら何でもそれはないだろう? 龍重が衆道趣味でショタコンでも、当主と当主なんてそれはないだろう」


「ショタ? 何だそれは? いやそうじゃない。こちらの相手が市姫様で、相手が龍重なんだ!」


「なにー!」


 俺は立ち上がって大きな声をあげていた。


 市姫様が結婚だとー!


 俺には散々条件を付けておいて自分は先に結婚するだと!

 許せるものか!断固抗議してやるー!


 俺は立ち上がった勢いそのままに市姫様が居るだろう奥の間に向かう。


「待て藤吉。どこに行く!」 「市姫様に会いに行く!」


 俺は振り返る事なく市姫様の元に向かった。


 勝三郎の呟きに気付くことなく。


「あいつも何だかんだで姫様が好きなんだな」



 ドンドンと足音を立てて廊下を走る。


 いや、走っていない。はや歩きをしている。

 走ると袴が邪魔になるからだ。

 袴の裾を両手で持ち上げてはや歩きをしている。

 ドンドンと音を立てているのは俺の怒りを表している。


 そして目当ての部屋の前に来た。


 部屋の前には侍女達が居たが俺は彼女達の制止を振り切って、戸に手をかける。

 そしてそのまま勢いよくスパーンと開け放つ。


 ふっ、やっと出来たぞ!


 部屋には市姫様が居た。


 どこかの小説の主人公よろしくラッキースケベな展開はなかった。

 ちょっとだけ期待していたんだかな?

 いや、それはいい。無ければ無いで別に構わない。


「市姫様。どういう事ですか!」


「藤吉、お前。私を心配して来てくれたのか? それにこんなにも早く来てくれるなんて、私は、私は……」


 市姫様は俺を見て顔を赤らめ、更には目に涙を貯めている。


 あ、あれ? なんか予想してたのと違うぞ。


 それにその芝居がかった様な反応は何? 


 な、なんだよ。この展開は!



 市姫が落ち着いた所で話を聞いてみる。


 道三の使者は織田家に正式に同盟を申し込んできたようだ。

 勿体ぶった言い方で長ったらしい口上で使者は話していた。

 その話を市姫様は眠くなるのを必死に堪えたそうだ。


 その様子は見たかったな。


 普段はキリッとした姿の市姫様がこっくり、こっくりしている姿はさぞかし可愛らしかっただろう。


 そして、使者が同盟の利点を話終えた所で龍重の近況を話し出す。


 龍重には妻子がいたが井ノ口城が落城した時に逃げ遅れて殺されたそうだ。

 その為に普段は普通に振る舞っているが一人になると妻子を想い涙していると。

 その話の後に道三からの提案を使者が伝える。


 同盟関係をより強固な物にするために両家で婚姻を結んではどうかと話を持ってきたのだ。


 最初は奇妙丸様との婚姻を持ち出したが奇妙丸様が幼い事で信光様と平手のじい様がやんわりと断りを入れた。


『今すぐの婚姻は無理であろうから、五年ほどお待ち頂きたいと思うのだが?』


 すると使者は、それならば『市姫様では、如何であろうか?』とふざけた話を持ち出したのだ。


 最初に奇妙丸様の話を持ってきたのは断られる事が分かっていたからだ。

 その後に妥協して市姫様を貰おうではないかとの上から目線の話をした。

 道三からすると二度は断れまいとの計算を感じる。

 それにこれを断れば戦を吹っ掛けられるかもしれない。


 そして使者は『市姫様の美貌をもってすれば傷ついた龍重様の心を癒す事が出来ましょう』と宣ったのだ!


 龍重の傷心なんて全然気にもしないがこれを断るとまた風聞が良くない。


 市姫様は当然即答を控えた。


 使者には後日返事をするとして帰らせた。



 話を聞き終えた俺は市姫様を見た。


 彼女は突然の婚姻の話に動転していた。

 まさか陣代である自分に婚姻話が持ち上がるとは思ってもいなかったのだ。

 そして涙目に成りながら話すその姿を見て俺は決心した。


 市姫様が嫌がる婚姻等、俺が潰してやる!


 道三がなんだ! 蝮がなんだ!


 俺が本気を出せば斎藤家なんて敵じゃないからな!


「姫様ご安心下さい。この藤吉が必ず姫様をお守り致します」


「本当か藤吉!本当に私は嫁に行かなくてもいいのか?」


「もちろんです。すべてこの藤吉にお任せあれ」


 俺はいつの間にか市姫様の手を取って宣言していた。


 よし、やるぞ。 蝮を相手に美濃取りだ!


 ふふふ、見ていろ道三!


 俺は必ず美濃を取って市姫様の婚姻話そのものを無くしてやるぞ。


 ふふ、ふふふ、ふはははー



 俺はやる気に満ちて部屋を後にした。





「ふふふ、平手の言った通りであったな。これで藤吉は私の物だ。ふふふ」


 市姫は一人、部屋に残り悪い笑みを浮かべていた。

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