第54話 宣戦布告にて候

 また、やってしまった。


『俺に任せろ!』


 なんで俺はあんな事を言ってしまったのか?

 意気揚々と部屋に戻った後にふと正気に戻ってしまった。

 一体俺に何が出来ると言うのか。


 はぁ~穴が有ったら入りたい。


 少し前の自分を叱りつけたい。

 しかし、時間は戻らない。

 俺はテンションが低いまま仕事に戻った。


 そう言えば勝三郎が部屋にいなかったな?


 どこに行ったのだろう?




 次の日には市姫様が使者に返事をしていた。


 そこには当然俺も同席していた。いや、させられていた。

 市姫様は使者に対しておもむろに立ち上がり胸元から扇子を取り出す。

 そして、ビシッと扇子を使者に向ける。


「返事は戦場にて答えよう!」


 何とも絵になるポーズだ。


「宜しいのですかな? 本当に当家を敵に回すご所存か!」


「くどい!龍重では我が夫にはなり得ぬ。帰って龍重にそう伝えよ」


 おお、何とも勇ましくも美しい。


 それに凛とした立ち姿に強い意思のこもった瞳。

 市姫様は本当に素晴らしい当主、じゃなかった陣代だ。

 周りにいた織田家家臣も満足そうな顔をしている。


 それも当然か?


 斎藤道三は織田家を下に見ていたのだ。

 それに陣代を嫁に寄越せなんて酷い要求だ!

 これは織田家を侮ると言うよりも馬鹿にしている。

 そんな要求を毅然とした態度で断った市姫様を見れば少しは溜飲が下がると言うものだ。


「後悔なさいますぞ!」


 使者は毎度お馴染みの何処かで聞いた捨て台詞を吐いて去っていった。

 もうちょっとはひねった台詞はないのかね?

 俺ならもっとこう……… 同じ台詞を吐いてるな。


 そして使者が去った後に市姫様が俺を見て微笑みウインクした。


 俺はあの笑顔を守る為に戦うのだと改めて思った。




 こうして、織田家と斎藤家は戦争状態になった。


 戦争状態になったからと言っても何か起こる訳ではない。

 去年と今年は尾張も美濃も戦乱に明け暮れてまともな戦を起こせるほどの余裕はない。

 せいぜい嫌がらせの類いの小規模な戦が続くくらいだ。

 国境付近の村で青田刈りや焼き討ち等をするのだ。


 しかし、その小規模な戦も回数を重ねると馬鹿に出来ない。


 ここは一気に勝負を決める大合戦を起こすべきなのだが、今の織田家は銭が無い。

 先月、松平との同盟を結んだ時に米を売り付けてやったが、それでも大規模な戦を起こすには銭が足りないのだ。


 やっぱり何をやるにも銭と米が要る。


 では、大規模な戦が出来ない時は何をやるべきか?


 それは敵に調略をかけるのだ!


 調略とは、敵方の人材の引き抜きや、有事における内応、誘降、謀反、離反などを起こさせる事だ。


 特に敵方の武将を引き抜いたりするのが有効だ。

 それが国人衆や土豪ならなお良い。

 土地持ちである国人衆がこちらに寝返ればそれはそのまま味方の支配領域が広がり、敵のそれが縮小する。

 簡単に言えば味方が増えて敵が減ると言う事だ。


 ちなみに蜂須賀党がこれに当たる。


 計らずも俺は美濃の有力国人衆である蜂須賀党を既に味方に付けている。

 これは俺に取って大きな手柄を立てる切っ掛けになるはずだ。


 いや、絶対に手柄を立てる!


 小六を使って味方になってくれそうな国人衆と連絡を取る。

 小六がそのまま調略をかけても良いし、俺が直接話をしに行ってもいい。

 昔取った杵柄で俺の営業トークを使って味方に引きずり込んでやる。


 さぁ小六。俺の為に美濃国人衆を味方に付けるのだ!



「嫌だ」


「何でだよ!」


 Whats、Why、何、何故、何でだよ?


「最近藤吉と触れ合ってないし、良いように使われてる気がするのよねぇ~」


 ギクッ!身に覚えが確かにある。


「いや~そんな事ないと思うけどなあ~」


「そんな事あるわよねぇ~。私一人だけだと不安だわぁ~」


 く、小六の奴、今までこんな事を言ったこと無かったのに。


 今は屋敷に戻って作戦会議だ。


 部屋には俺と小一、小六と長康が居る。


「あ、それならおいらが一緒に」「ああ!」


「何でもないです」


 小一の発言を目線と声で牽制しやがった。


「まあ、大将と姉御が一緒に行くのが一番だよな」


「そうよねぇ~。それが一番よねぇ~」


 く、小六の奴。すでに長康に言い含めやがったな。


「いや、俺もそうしたい所だけどな。城での仕事が残ってるし」


 これは嘘ではない。


 俺には右筆としての仕事が優先されるのだ。


 それも奉行としての業務が!


 小六と一緒に美濃の有力国人衆を巡る旅は確かに悪くない。

 いや、是非一緒に行きたい。

 しかし、俺の本能がそれを拒否している。

 一緒に行くのは危険だと叫んでいる。


「ねえ、一緒に行きましょうよ。それが一番効率が良いしねぇ~」


「おい、止めろ。引っ付くな」


「あわわ」「こんな姉御初めて見るぜ?」


 小一は両手で目をふさぐが隙間が開いている。

 長康は『見てらんないぜ』と両手を広げて呆れている。


 俺にしなだれかかる小六を引き離そうとしていると、廊下から聞き慣れた足音がしてくる。


 そして、スパーンと気持ちいい音と共に戸が開かれる。


「話は聞きました。わたくしも一緒に行きますわ!」


「ちょ、長姫様?」


 そこには両手を広げて戸を開けて仁王立ちする長姫が居た。


「何で姫さんが付いてくるんだい。あんたは屋敷を出られないだろうに」


 すぐに立ち上がり指摘する小六。


 そうだよ。小六の言う通りだ。

 長姫は織田家の人質だよ。

 一応、俺の預かりだけどさ。


「そのような心配は入りませんわ。ちゃんと了解は取っていますから」


 長姫は懐から文を取り出し俺に手渡す。


『藤吉と伴に行動する限り外出を許可する』と書かれている。


 嘘だろ?


「では、ご一緒に参りますわよ!おーほほほ」


「私は嫌だからね!」



 もう、嫌な予感しかしない。





 織田家は斎藤家に宣戦布告をした。


 きっかけは斎藤家の無礼な同盟依頼からであった。

 陣代市姫様を斎藤家当主斎藤龍重の嫁にと言う、とても釣り合いの取れる要求ではなかった。

 これが織田家の他の姫君であったなら、多少交渉の余地はあっただろう。

 いや、おそらくはその婚姻話は纏まっただろう。


 しかし、斎藤家が要求したのは市姫様だ。


 この要求を飲むと言う事は斎藤家が織田家を数段下に見ていると言う事であり、嘗められていると言う事でもある。

 他家に侮られると言う事は武士の面子が許さない。

 ましてや、先頃まで内乱を起こした上に織田家に助力を乞うた相手に対してである。


 当初、織田弾正忠家は尾張半国も満たない弱小大名であった。

 そして勢力が弱まった時に斎藤家から嫁を貰った。濃姫である。

 その後は清洲を征した織田弾正忠家は当主信長を亡くし、陣代市姫様が後を継いだ。

 逆境に次ぐ逆境であったが、本人と家臣達の奮闘を持って遂に尾張を平定した。


 その時斎藤家は何をしたのか?


 信長亡き織田家に対して火事場泥棒宜しく尾張に攻め入り犬山を奪ったのだ。

 先の犬山返還にしても恩に感じる事も無かった。

 それも有っての今回の無礼である。

 織田家の家臣達の憤りは激しいものがあった。

 市姫様の判断に対して織田家家臣達が反対する事は無かった。



 そして、俺は織田家と斎藤家が大規模な戦を起こす前に斎藤家家臣及び美濃国人衆に調略を仕掛ける事にした。


 これは信光様と平手のじい様の許可を取っての行動である。


 なんせ俺の本業は右筆である。


 最近は右筆の仕事よりも奉行としての仕事が主ではあるのだが、これでは手柄を立てる事等出来ない。

 だから、二人に直訴して行動の自由を得たのだ。


 貞勝殿や信定殿には留守番を頼んだ。


 何、大丈夫だよ。俺が居なくてもしっかりやれるさ!

 ちゃんと『台帳記入マニュアル?』を渡している。

 これが有れば小者達でも書類仕事が出来る。

 城を出る前に小者達には俺がちゃんと教育してきた。


 帰って来たら仕事の山なんて事にはならないさ。


 ならない様にちゃんと脅しておいたしな。

 それに平手のじい様にも釘を刺しておいた。

 しっかりと指導してくれる。


 それでは皆、俺が居ない間頑張ってくれたまえ。ははは。


 とご機嫌で家に帰っての作戦会議だったのだ。


 まさか、長姫が付いてくる事になろうとは予想していなかった。

 それに断っても必ず付いてくると言って聞かない。

 遂には根負けして同行を許可する事になった。



 そして、俺達は美濃国人衆の調略の為に美濃国境に来ていた。


 目指す目標は川並衆を率いる『坪内 利定』だ。


 実は彼は前野長康の実弟にあたる。


 坪内の嫡男であった長康が前野家に養子に出されて、利定が坪内家を継いだのだ。

 当然、小六とも面識があるので今回は楽勝だ。

 彼に会ってまずは西美濃国人衆に楔を打ち込むのだ!


 ちなみに小六と長康は義姉弟である。


 そして着いたのは尾張と美濃国境『松倉城』だ。

 厳密にはここ松倉城は尾張にあたるが、勢力的には美濃側に位置する。


 早速城主である坪内利定に会った。


 利定は兄長康に少し似ていたが、上座に座る姿は実にだらしない。

 両足をだらりと伸ばして客を迎える態度とは思えない。


「御初に御目見え致します。織田家家臣木下藤吉にございます。坪内利定様に御逢いできて恐悦至極にございます」


 俺は両手を前に突いて深々と頭を下げる。

 最初の挨拶はしっかりと行う。営業の基本だよ。

 そして、最初はご機嫌伺いから始めるのだが、こいつ人の話を聞きやがられねえ。

 こちらが挨拶をした後に「ああ、そうか」と答えた後は、俺を見ていない。

 見ているのは俺の後ろに居る長姫だ。


 今の長姫は男装姿をしている。


 しかし、その美貌は男装姿で隠しきれる物ではなかった。

 男装する事で反って怪しい魅力を醸し出している。

 利定はだらしない格好をしつつ、目は長姫に釘付けになっている。

 しかも、かなり下卑た目をしている。


 しかし、当の長姫は全く気にしていないのか。

 周りをキョロキョロと見ている。

 そんなに珍しい物が有るわけでは無いのにだ。


 何を見ているか?


「おい、そこの奴!」


 あ、ヤバい。こいつ長姫にちょっかいをかけるつもりだな?


 しかし、長姫は聞いていないのか、返事をしない。


「おい、お前!」


 続けて利定が長姫に声をかけるが無視している。


「おい、貴様!聞いているのか!」


 無視されている事に気付いた利定は怒って立ち上がった。


「うるさい蝿ですわね。ブンブンと煩くてしょうがないですわ」


 やめてー、煽らないで!


「おのれ~、それが人に物を頼む態度か!」


 何言ってんの?

 それはブーメラン発言だろう。


 しかしこれは不味い。俺が間に入らないと!


 俺が長姫に近付いてくる利定を抑えようと立ち上がろうとした時、ピタッと利定の動きが止まった。


 そして、何故か利定の体が小刻みに震え始める。


「久しぶりだねえ~利定」


「あ、姉御。お、お久しぶりです」


 小六の姿を見た利定は直立不動で動かなくなった。

 どうやら長姫にばかり目が行って、小六が居たことに気付かなかったようだ。

 


「ちょっと見ない間に随分と偉く成ったじゃないかい? なぁ~そうだろう?」


「い、いえ、そんなことは。す、すみません!」


 小六の小さくも凄んだ声に利定はその場で土下座した。


「それに私の姿が目に見えなかったのかい。どうなんだい?」


「は、はい。え、いえ。そのような事は」


「それに私の藤吉の話を全然聞いてなかったみたいじゃないか」


「は? 私のって、こいつが姉御の?」


 利定は土下座の体制から顔だけを上げて小六を見ている。


 その顔はきょとんととしている。


「おい、お前。私の藤吉をこいつ呼ばわりかい。いい度胸してるじゃないのさ?」


「も、申し訳ありません!」


 利定が額を床に打ち付ける様に土下座する。

 しかし、小六の怒りは収まらないのか。

 つかつかと利定に近寄るとその足で利定の頭を踏みつける。


「あんたにはみっちりと礼儀を叩き込もうじゃないか。いいね」


「は、はいー!」


 小六の声には殺気が感じられた。


 そしてその場にいた坪内の人達全員が土下座していた。


 俺、要らなくない?


 こうして坪内利定は織田家(俺に?)に味方する事になった。



「ふあ~、少し疲れましたわ藤吉。お茶でも飲んで休みましょう?これ、部屋に案内しなさい」


「は、はは~」


 長姫は坪内の家臣に指図すると奴らは素直に従っていた。


 何ともマイペースな長姫であった。

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