第50話 笠寺の会見にて候

 市姫様が元康と会見する?



 その為に俺に戻ってくるようにとの連絡が有ったのだが、何故に俺が戻らないといけないのよ?


 外交に関する右筆は俺の先生でもある『明院 利政』様が担当している。

 それに信光様や平手のじい様が居るから俺の出番はないはずだ。

 もしかして、平手のじい様や先生に何か有ったのか?


「え、平手のじじいに何か? いや別に何もなかったな」


「本当かよ?」


「疑り深い奴だな? 本当に何もないよ。それより清洲に戻ろうぜ。もう出るんだろ?」


「明日だ、明日。まだ帰る準備が出来てないからな」


「そうか、そうか。じゃあ今夜は付き合え」


「え!」


「なんだ。帰ったら長姫達にチクるぞ」


「く、なんて卑怯な」


 結局その日は俺と又左、小一と長康の四人で飲んだ。

 俺が逃げ出さないようにガッチリと固められた。

 長康の奴、俺の味方じゃないのかよ?


「すまん。大将。前田の兄貴には逆らえないんだ」


 く、ここにも又左の犠牲者が!


 そして俺は男四人で飲み明かす事になった。

 これはこれで楽しいんだけどな?

 小六は蜂須賀党の面々を集めてやけ酒していた。


 ごめんよ小六。



 俺の春はまだ遠いようだ。




 急いで城に戻ると市姫様達が会見場所の笠寺に向かう所だった。

 なんだ、俺は必要なかったじゃないか?

 そう思っていたら勝三郎がやって来た。


「良かった。間に合ったな」


「勝三郎。俺も同行しないといけないのか?」


「当たり前だ!なんせ姫様達の要望だからな」


「姫様、達?」


 見れば織田家の紋の入った専用の輿が二つ見えた。


「なんで二つあるんだ?」


「市姫様と長姫の物だ」


「え、なんで長姫が一緒なんだよ?」


「それは道すがら説明する。さぁ行くぞ」


「お、おい。勝三郎」


 ろくに休憩する暇も無く、俺は姫様ご一行に強引に連れ去られた。

 道中で今回の会見の内容を教えてもらった。



 今回の会見は松平家からの要望であった。


 前年の文による同盟締結を改めて正式に行う為である。

 その為に元康自らが尾張の笠寺に直接乗り込んで来るのだ。

 なんとも低姿勢な事である。

 今回はこちらが出迎える形になるために先乗りして色々と準備しないといけない。


 その為に長姫が用意された。


 長姫は会見に参加する為の条件として俺の同行を願った。


 それは市姫様も同様のようだ。



 なんで俺が一緒に居ないといけないんだ?



 今回の会見で元康と、将来の『徳川 家康』と会えるのは歴史好きにとっては嬉しいイベントではある。

 将来の敵になるだろう人物を知るいい機会だ。

 だが、右筆としての俺の仕事は外交担当じゃない。

 先生の仕事を奪うようで申し訳ない。


 まぁ、それは建前だ。


 本当は早く帰って犬山の決済処理をしたいのだ。

 時間が経てば経つほど俺の仕事が増えるだよ!

 正直言って元康なんかと会っている暇なんてないんだ、俺には!


 ああ、帰ったらまた城に缶詰にされるのか?


 なんて憂鬱なんだ。



「どうした? そんな辛気くさい顔して。空はこんなに晴れていい陽気じゃないか」


 笑顔でそんな事を言うのは又左だった。


「そうだよ藤吉。こんな天気のいい日は珍じゃないのさ?」


 心配そうな顔をして俺に近づく小六。


 なんか距離感が近いな? 気のせいか?


 今の俺は右手に仇花、左手に花だ。


 そんな俺を周りの人達はジト目で見ている。


『なんて羨ましい奴だ!』(又左衛門もっと邪魔しろ!)


『そこを俺と変われ!』(又左衛門は要らん!)


『見せつけやがって、馬に蹴らてしまえ!』

(又左衛門も蹴られろ!)


 皆の呟きと心の声が聞こえて来るようだ。


 そしてそんな俺達を冷たい目で見ている者がいる。


 輿に乗っていた二人だ。


 市姫様と長姫は輿から降りて馬に乗っている。


『なんで態々用意した輿に乗らないで馬に乗ってんだよ!』と言ってやりたい。

 途中までは輿に乗っていたのだが、小休止を取った後に急に二人供に馬に乗りたいと言い出したのだ。



 二人の我が儘はお目付け役の勝三郎に止められるはずもなく、結局馬に乗る事になった。

 輿には何故かお付きの侍女が乗っている。

 侍女達は恐れ多いと辞退したが、二人の姫の強引な説得によって無理やり乗せられたのだ。


 本当に何やってんのかね。この二人は?


 ちなみに俺達も馬に乗っている。


 そして、次の小休止の後に俺は二人の姫様に挟まれる事になった。




「見ろ藤吉。あの鳥は美しいな」 「はぁ、そうですね」


「藤吉。あの花は何と言うのかしら?」 「さぁ、存じませぬ」


「藤吉」「藤吉」


 さっきから二人の姫様に話し掛けられているが俺の心は上の空だ。


 なんだよこれ?


 そしてそんな俺達を遠巻きに見ている者達がいる。


 又左は相変わらずニヤニヤとして、勝三郎は『私は何も見ていない』とポーカーフェイスで、小六が羨ましいそうに見ている。

 そしてお付きの者達が怪訝そうな顔を向けている。


 これは良くないよ。絶対に良くない。


「あの……、お二方?」


「し、黙ってそのまま聞いて欲しい」


「藤吉。竹千代の事をどれだけ知っている?」


 先ほどまで笑顔だった二人が突然真面目な顔をして俺に問い掛ける。

 真剣な眼差しに変わった事で俺はちょっと驚いたが直ぐに切り替えた。


「えっと、松平元康ですか?」


 俺は長姫の問いに素直に答える。


 こっちの世界の家康こと元康は史実とあまり変わりがない。


 幼少の頃に今川の人質になるはずが織田家の人質になり、その後人質交換で今川の人質になった。

 その後は今川家で準一門格で遇されている。

 長姫が家督を継いだ時に嫁を貰っている。

 歴史好きには有名なあの『築山』殿だ。


 長姫の話によると元康の嫁になるのは自分だったそうだ。


 聞いてびっくりだ!


 更にびっくりなのは長姫は元康が大嫌いだそうだ。

 それは市姫様も同様のようだ。


 何でも元康は普段は何事も不真面目で、本気で何かに打ち込む事をしないそうだ。

 その代わり何をやってもそつなくこなすので周りは何かと注意しずらい。

 いわゆる天才肌なのだろう。

 周りが必死にやっている事を元康は難なくこなしてしまう。

 元康が真剣にならないはずだ。

 そしてそんな才気溢れる元康を寿桂尼と雪斎は高く評価していたそうだ。


 だが、そんな元康を長姫は嫌っていた。


 そして市姫様も嫌っている。



 理由を聞いてみたが二人の答えは……


「「会えば分かる!」」 だった。



 そして、笠寺に着いた俺達が松平一行を迎え寺の境内でいざ会見となった。


 現れた十代の若者は多少太っていた。

 顔はイケメンではなく愛嬌のある顔だ。

 相手に好印象を与える顔だ。

 あれに警戒心を抱くのは難しいだろう。

 現に俺も彼にはなんか親近感が湧いてくる。


 そんな彼の第一声は……


「会いたかったよお市ちゃ~ん」


 そう言って市姫様に抱きつこうとして、逆に市姫様に殴られた。


 こいつが松平元康。後の『徳川 家康』なのか?



 尾張笠寺にて織田家と松平家の同盟話が進んでいた。


 ぶっちゃけると既に同盟の話は終わっているのだ。

 両家の外交担当者同士で話が済んでいる。

 後は当主同士が会って起請文に連名する。


 起請文は人が契約を交わす際、それを破らないことを神仏に誓う文書の事だ。

 戦国時代では実際にはほとんど守られた例がない。

 だが、起請文を交わすのは約束事である。

 これをやるのとやらないとでは同盟の価値も違ってくる。

 両家がちゃんと同盟を結んだ事を内外にアピールする為だ。そして、それを守る気があるのかないのかは別の話である。



 そして今、市姫様と元康が対面している。


 市姫は正装している。いつもの男装姿ではない。


 大変美しい。


 一方の元康君も正装姿だ。


 こっちは顔が腫れていて痛々しい。


「お久しぶりです。お市殿」


 そう言って軽く頭を下げる元康。


 なんだ、ちゃんと挨拶出来るじゃないか。


「久しいな、竹千代。変わってなくて何よりだ」


 市姫様の元康を見る目が冷たい。


 あれはかなり怒っている。


 市姫様との付き合いもずいぶん長い。だから、多少は市姫様の感情表現も分かって来た。

 あれは何か有れば直ぐに爆発する感じだ。

 市姫様の後ろに控えている侍女達も腰を少し浮かしている。

 何か有れば直ぐに飛び出せるようにしているのだ。


 俺は勝三郎や又左と共に織田家側の席に居る。


 上座の席で対面する二人に対して、俺達家臣は左右に別れて下座に居るのだ。

 そして俺は最前列に居て、右筆として記録を書いている。

 本来の仕事をしている訳だ。

 最近は奉行としての仕事ばかりしていたので、自分が右筆だと言う事を忘れそうだ。


「まだ怒っているのですか? あれは久しぶりにお会いしたお市殿があまりに美しかったので、つい」


「つい?」


 あ、市姫の眉がピクッと動いた。


「あ、いえ。何でもありません」


 しゅんとする元康君。なんか可愛いな。


「それで、松平はどうしたいのだ?」


「むろん、織田家との同盟をお願い致したく、伏してお願い致しまする」


 おい、そんな簡単に頭を下げるなよ。


 俺、いや俺達織田家家臣が驚いていると松平家の家臣達も元康同様に頭を下げた。

 何でこんなに低姿勢なんだ。


 しかし、これで同盟関係がはっきりした。


 織田家が上で、松平家が下だ。


 まあこれは当たり前と言えば当たり前だ。


 織田家は今や飛ぶ鳥落とす勢いを持っている。と外からは見えている。実際は違うが。

 かたや、松平家は独立したとはいえ西三河しか領有していない。

 しかも、夏場に今川と戦って敗北に近い引き分けをしている。

 それに津島商人堀田道空からの情報で三河も凶作の影響を受けている。

 頭を下げてでも織田家との同盟を結びたいのだろう。


「で、あるか」


 市姫様は胸元から扇子を取りだしバッと広げると口元を隠した。

 あれは笑みを隠しているのだ。


 よし、ちょっとは機嫌が治った。


「では、同盟締結を」


 元康が頭を上げて話を進めようとすると。


「待て、そなたと話をしたいと言う者がおる。これに」


 市姫様が元康に扇子を向けた後に下座を指す。

 そして、下座から市姫様に勝るとも劣らない美女がやって来た。

 その美女の登場に松平家臣達が顔を青くしている。

 当然、元康も驚きで声が出ないようだ。口をパクパクさせている。まるで餌を貰う時の鯉のように。


「久しぶりよな、竹千代。わたくしが死んだと思っておったか?」


 今川長得が市姫様の隣に座る。


 いつの間にか座布団が置かれていた。気づかなかったが、多分侍女達が用意したのだろう?


「ちょ、長ちゃん!いや、治部様。ご、ご無事でしたか?」


 元康の額から玉のような汗が出ているように見えた。 

 実際流してるんだろうな。


「白々しいの。あれはお主の差し金であろうが?」


 長姫が手に持っていた扇子でビシッと元康を指している。


「な、何の事か。分かりかねまする。それよりも、何故織田家に居られるのです?」


「何、奇特な御仁がわたくしを救いだしてくれたのだ」


 長姫が俺の方を見てウインクした。


 はぅ、これは反則だ!


 は、市姫様がこっちを見ているかなり怒っている。


「それはそれは。では長ちゃん。いえ、治部様はこれからどうなさるおつもりですか?」


 元康は少しだけ気を取り直したかな?


「どうもせぬ。わたくしはこのまま織田家の世話になるだけよ。それよりも竹千代。そなたの後ろには誰が居る!」


「誰も居りませぬが?」


 元康は自分は後ろを向いて誰も居ない事を確かめて答える。


 すげえな元康。そんな返しが出来るのかよ?


「きさま、このわたくしを」


「お待ちを。冗談にて!平に御容赦を」


 そう言うとまた頭を下げる元康。


 なんだ、この猿芝居は?


「まあよい。大方の予想は出来ておる。それに」


「それに何か?」


「今度は負けぬぞ、竹千代。その事を覚えておれ」


「左様ですか。ですが次も私が勝ちますので」


「ふん」


 これで猿芝居は終わりかな?


「竹千代」


「何ですかな。お市殿?」


「今川に長姫の事を知らせるがよい。その方の助けになろう」


「これは有り難き事に。して見返りは?」


「裏切りは許さぬ。しかとその身に刻め!」


「はは」


 市姫様の目が光ったように見えた。


 そして、再度頭を下げる元康。


 なんだろうな。ここで長姫の存在を教える事に何の意味が有ったんだ?


 俺には全然分からん?



 こうして織田家と松平家の同盟が正式に結ばれた。


 あ、ちなみに同盟記念に松平家に米を売ってやったよ。

 記念特価ってやつだ。


 『値段? 』聞かない方がいいよ。


 これで織田家の資金が少しだけ余裕が持てた。

 向こうは米が無かったかし、こっちは米が少し余ってたからね。

 これぞWinWinな関係だよね。


 え、尾張も凶作だったろって?


 凶作前に買っていた米が有ったからね。それを売ったのさ。

 ありがとう元康君。また、利用させてね。



 ※※※※※※




「なんで長ちゃんがここに居るのさ?」


「さあ、ですがこれで今川に対しての駒が増えましたな?」


「そうだね。使えない駒だよ」


「そうですかな?」


「そうだよ! 長ちゃんが生きてるなんてあの婆さんが知ったら?」


「知ったら?」


「全力で進軍して来るよ!」


「まさか、そこまでは?」


「甘いよ。忠次! あの婆さんが本気になったら……」


「これは弱りましたな」


「くっそー。今川の間者を尾張に入れないようにしないと」


「では、服部に命じて直ぐに」


「それに長ちゃん。気づいてたみたいだね。俺が爺さんと繋がってた事」


「それは仕方ないかと?」


「ああ、もう、やりずらくなった!」


「殿!」


「大丈夫だよ。次は本気出すから。次は」



 忠次のため息が聞こえて来るようだった。

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