第49話 蝮の本気

 美濃の内乱が終わった。



 美濃の内乱が終わっても俺の仕事終わらない。

 いや、これから始まるのだ。


 そう、俺の犬山での仕事はすでに始まっている。

 犬山城占領と同時に領民からの苦情処理に追われていた。

 どうやら蝮の奴はこの犬山城周辺の村から一切合切持ち出したようだ。

 その為に今の俺は城に有った備蓄を吐き出している。


 せっかく得た貴重な物資の山が!


 俺の心が悲嘆にくれても物資は残る事はない。

 小六達に命じて領民に物資を配っている。

 この地味な作業を弟の小一は嫌がる事なくこなしている。

 時には笑顔で、時には領民に同情して涙を流している。

 そんな小一に犬山の人々は信頼を寄せているようだ。

 何か有ると『小一様、小一様』と頼りにされている。


 なんか小一の方が秀吉みたいだな?


 そんな嫉妬を感じるほど小一は良くやっている。

 まぁ、後で誉めておこう。

 そして俺達が犬山で領民に食料やら衣類やらを配っていると第二次墨俣合戦の詳細と続報が次々とやって来た。


 蜂須賀党は本当に良くやっているよ。


 役に立つなんてもんじゃない。

 俺にとって無くてはならない物になっている。

 あ、物なんて失礼な物言いだな。訂正、訂正。


 俺にとって無くてはならない人達だ!



 そんな蜂須賀党からの報告を俺と小一、小六と長康が聞いていた。


 その内容は……



 まずは自分の死亡を仄めかす情報を流して義龍を誘い出した蝮こと道三。

 墨俣川近くに陣を張る両軍。

 しかし、前の戦と同様ににらみ合いを続ける。

 前回はここで義龍側が井ノ口城を奇襲で攻めとった。そしてそのまま両軍は兵を退いた。


 では、今回は?


 義龍側にある報告が届く。『六角が兵を起こし大垣に攻め寄せている』と。

 義龍と六角氏の中は悪くない。

 義龍が大垣に居を構えて直ぐに六角氏に使者を送って友好関係を築いている。

 しかし、義龍と六角氏は同盟を結んではいない。

 あくまで友好関係を築いているに過ぎない。

 なぜ、義龍は六角氏と同盟を結ばなかったのか?


 それは俺には分からないが、今回はそれが致命的であった!



 報告を受けた義龍は当初慌てる事なく、兵を退くことにしたらしい。

 その義龍の初動が遅かった事も災いした。

 いざ、兵を退こうとした時すでに大垣は落ちていた。


『大垣、落ちる』


 その報告が成されると義龍陣営は慌てて兵を退いた。


 その様子を眺めていた道三が義龍を見逃すはずもなく。

 激しい追撃を受けた義龍側はこれに抵抗しきれずに惨敗。

 義龍は逃げる事も出来ずに討ち取られた。


 これが第二次墨俣合戦の内容だ。



 そして義龍が討ち取られた後に井ノ口の『安藤 守就』は降伏した。

 安藤が降伏した事で義龍に味方していた国人衆はその後次々に道三に降伏していった。

 この降伏してきた国人衆を道三は受け入れて美濃内乱は終息した。



 俺としてはもうちょっと美濃がゴタゴタしてくれれば良かったのにと思ったが案外すんなりと終わったので拍子抜けしていた。


 それにしても不思議な事は井ノ口にいた安藤だ。

 彼はなぜ動かなかったのだろうか?

 彼が道三の背後、もしくは加納城に攻め込めば、今頃道三と義龍の立場は逆になっていただろうに?

 おそらくは道三が安藤に何らかの働きかけをしたのだろう。

 その為に安藤は動かず、そして戦が終わって直ぐに道三に降伏した。


 結果を見れば道三と安藤が繋がっていたと言われれば納得する。


 いや、納得せざるを得ない。




 そして大垣城を攻め落としたのは六角氏ではなかった。


 攻め落としたのは『明智 十兵衛 光秀』の手勢であった。


 光秀はどうやったのかは知らないが密かに六角氏の所に行き、六角氏に兵を出させた。

 その兵力は決して多くはなかったが大垣に籠る人々は味方と思っていた六角が攻めて来た衝撃は大きかったのだろう。

 光秀率いる僅かな手勢に何ら抵抗する事も出来ずに城を落とされた。

 この時に城に残っていた義龍の嫡男である『斎藤 龍興』は討ち取られている。


 龍興が死に、義龍も死んでしまっては義龍に味方した国人衆が抵抗する意味もない。


 旗頭を失っては抵抗出来る訳ない。



 これで美濃は蝮の手に戻ったと言う事だ。



 やれやれ、厄介な御仁が残ってしまった。

 それに大垣を僅かな手勢で落とした光秀の名前も近隣諸国に鳴り響いていた。

 これで光秀君は有名人だな。


 決して羨ましい訳ではない。決してない!



 しかし、今回は蝮の本気を感じたな。


 織田家に兵を出させるために領地を差し出し、決して仲が良かった訳ではない六角氏を動かし、更には敵の有力者を味方につけるその手腕は大いに勉強になった。


 これが蝮の本気か?


 この蝮と俺達織田家はどう向き合って行けばいいのだろう?


 しかし、俺は織田家の一臣下でしかない。


 織田家の行く末を決めるのは市姫様だ


 そして俺は市姫様の決定に従うだけだ。


 決して思考停止している訳ではない。



「これからどうなるんだろうね? 兄者」


「さあな」


「さあなって大将。いつもの大将らしくないな?」


「そうか?」


「そうだよ。兄者は何時だって先を見ていたじゃないか?」


「そうだったかな?」


「どうしたんだい藤吉。あんたらくしないよ?」


 俺らしくない?


 それは多分…… 俺が恐怖しているからだ。


 俺はどこかで安心していたんだと思う。


 今までは何だかんだと上手くやっていたし、上手くいっていた。

 全ては俺の思う通りに物事が進む。

 そう思っていた。


 しかし、今回は違う。


 今回の出来事は俺の想像を越えていた。


 俺はこんなに早く美濃が纏まるなんて思ってなかった。

 この混乱はもっと長引くと思っていたのだ。

 だが、結果は違った。

 俺の思う以上の結果だった。



 俺は怖い。


 何故なら蝮の次の目標は、間違いなく尾張だ!


 果たして俺は本気の蝮を相手に戦えるのだろうか?



 蝮の本気を見た事で俺はこの世界の怖さを改めて思い知らされる事になった。


 しかし、今は目の前の難題をクリアしないとな?


 実は織田家は金欠なんだよ。


 これは前年の収穫で得た収入を褒賞と借銭支払いに当てた為だ。

 そして今回の出兵は借銭せずに出せる兵を出した。

 その為に費用は安くついたのだが、その後の費用を犬山で得た物資で補おうとしていたのだ。

 その為の何に使うのかの予定表まで作った。


 それも全てパーになった!


 難民と化した犬山の人達に物資を振る舞ってしまったからだ。

 信光様の許可を取った行為ではあるが、この行為によって少しは犬山の住民が織田家に感謝してくれれば良いのだが、なんせ世は戦国。

 明日の命もしれない時代だ。恩や義理に縛れる事はないかもしれない。

 だからあまり期待はしていない。

 小一は『これで良かった』と言っているが俺は信じていない。

 世の中そんなに甘くない。


 さて、銭を手に入れないとな?


 まずは津島の堀田道空に頼んでいた米の売買の利潤を受け取るか?

 でも、借銭の支払いに変わるだけだよな。

 熱田の加藤はどうだろうか?

 これも変わらないな。

 何とか銭を手に入れて兵を出せる状態を整えないと、蝮が兵を出して来た時にまともに戦えないかもしれない。

 兵糧を恩賞に当てる事も考えたが、それだと連戦など有った時に戦えない。


 やはり銭は必要なんだよ!


 はぁ、どうか蝮が直ぐに動きませんように。


 俺は天に向かって祈るしかなかった。


 ちなみに俺は無信教者だ。しいて上げれば神道を信じていると言える。

 南無阿弥陀仏と唱えると極楽に逝けるなんて信じちゃいないよ。

 それを信じてる人達を悪く言うつもりもないけどね。

 人はそれぞれ信じる物が違うからな。

 価値観や宗教を押し付けるのは良くない事だよ。


 それはさておき。


 犬山はとりあえず織田家の直轄地になった。

 押さえられる土地は押さえておく。

 織田家本領を多く持って置けば税収を集中的に使えるからな。

 ばら蒔き政策なんて必要ない。

 必要な所に必要なだけ資金と労働力を宛がうのだ。

 それが一番効率が良い。

 今は清洲名古屋と津島清洲、それに名古屋熱田の三街道を拡げている。

 人通りを良くして物の行き交いも良くする。

 それだけでも以前よりは入ってくる税収が違うのだ。

 今の尾張は桶狭間合戦の勝利で人と物が集まっている。


 さながら桶狭間バブル景気だ。



 しかし、入ってくる税収は右から左と無くなっている。


 何故か?


 それは美濃内乱による難民の受け入れを行っているからだ。


 これが結構バカにならない出費なんだよ。

 難民を受け入れて働き場を与える。

 これだけでも大変な作業なんだよ。

 一応名簿を作ってもいるからな。

 何かの役に立つだろうと思っている。

 その為に右筆衆は更に仕事が増えたが、これは想定内だ。

 新たに雇った小者達を中心に名簿作りをやらせている。

 大変だったのはチェック作業だけだけどね。


 しかし難民受け入れも内乱が終わった事で無くなるだろう。


 美濃内乱が終わった事で織田家が得たのは多くの難民と犬山一帯の土地だ。

 資金や兵糧は増えていない。逆に減ってしまった。

 先々の投資だと思えば心が軽くなるが、同時に織田家の財布も軽くなった。

 これから清洲に帰ると、鬼のような顔をした平手のじい様が待っているかと思うと気が重い。


「はぁ、本当に気が重い」


「大丈夫かい、藤吉?」


「なあ小六。銭が空から降ってこないかなあ?」


「銭が空から? それは豪気だねえ」


「俺が降らせるじゃないぞ」


「分かってるよ。でも、藤吉の心配も分かるけど成るように成るもんさ」


「そういうもんか?」


「そうだよ。私がそうだったんだから」


 小六の自信に満ちた顔が眩しかった。


 俺の事を一部も疑っていないその顔を俺は直視出来なかった。


 とりあえずは清洲に戻る事にしよう。

 ここ犬山で出来る仕事は終わった。

 後は清洲での決済の仕事が待っている。

 小六の言うとおり何とか成るもんだよな。

 もっと気楽に考えよう。


 よし、清洲に戻ればなんか思い付くしれないしな


 後、平手のじい様の説教が待ってるけどな。逃げてー!



 ……そう言えば小六との結婚も伸び伸びになっているな?

 桶狭間が終わってから吉日を選んで結婚するはずだったのに、俺が城に缶詰にあってから市姫様に許可を貰うはずが中々話が出来ずにもう一年近く経っている。


 さすがに待たせ過ぎだよな?


「なぁ小六」


「なんだい?」


「清洲に帰ったら市姫様に許可を貰おうと思うんだ」


「うん? 許可って何を?」


「え、あれだよ。あれ」


「あれ?」


「だから、その、あれだよ!」


「あれ?あれって…… ああ! あれね! 本当かい!」


 小六が俺に抱きついて密着する。


 うお、凶悪なあれの感触が感じられる。


「ああ、大分待たせてしまったしな。美濃も落ち着いたからしばらくは戦も起きないだろう。今のうちにって思ってさ?」


「ああ、うん。そうだね。そうしよう。ああ、嬉しいよ。藤吉!」


 小六は俺の頬に口を付ける。

 自然と顔がにやけてしまった。


 よし、今夜こそは決めるぞ!


 今日は誰は邪魔する奴はいない。


 小六とめくるめく快楽を供にするのだ!


 ふふ、ふはは、はははは。


 俺がにやけている目の前に見慣れた人物が立っていた。


 あれ、おかしいな? なんで又左が居るんだよ?


「又左? なんでここに?」


「いや~、昼間っからお熱いね~」


「え、いや、これは、その……」


 俺は小六から離れて又左に近づく。


「それで、何のようなんだ?」


「いや、お前が浮気してないか長姫様に頼まれてな」


 嘘をつくな! そんな事を長姫が言うもんか!


「浮気も何も小六は俺の嫁になるんだぞ。それより本題はなんだ!」


 こいつはいつも俺をからかいやがる。


 そうだ! 勝三郎に頼んでとっととまつとくっ付けてしまおう!

 普段俺をからかってるんだ。

 今度は俺が、いや俺と勝三郎でからかってやろう。ふふ。


「なんだよ。急に笑顔になりやがって気持ち悪い」


「いいから、早く話せ」


「姫様から至急戻って来いとさ。それとこれをな」


 又左は俺に文を渡した。これは市姫様の文だな。何だろ?


「戻れも何も明日には戻ろうと思ってたんだよ」


「そうか。ならちょうど良かったな。それ、何が書いてあるんだ?」


「知らないのか?」


「伝令役を取っ捕まえて変わってもらったんだ。何の文かは知らん」


 こいつ、さては城で何か問題を起こしやがったな?


「で、何が書いてあるんだ」


「ちょっと待てよ。何々……」


 文にはこう書いてあった。



『笠寺にて松平元康と会見す。至急戻られたし』


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