第45話 林美作外道なり

 朝から皆で食事を摂っている。


 俺の右側に長姫が左側に小六が居る。


 対面にまつと寧々がその隣に朝日と母様、とも姉さんに弥助さん。小一は小六の隣だ。


 つまり上座に長姫が座っている事になるのか?


 朝食は一分づきの米と味噌汁に母様の漬けた漬物だ。


 久しぶりの家族水入らずの食卓だな。

 昨日は木下一家だけで食べたからな。長姫達には遠慮してもらったのだ。

 いつもは城で一人寂しい食事で不味くも美味しくもないご飯を食べている。

 腹いっぱい食べる事の出来る現状は大変有り難いのだが、どうせなら食事は美味しく食べたい。

 今朝は美少女と美女に囲まれての食事だ。


 食が進むと言う物だ。




 しかし、この食事に皆の笑顔はない!


 俺を挟んで互いが互いを牽制している。

 迂闊に声を掛ける事も出来ない。

 食べ始めは良かったのだが、このプレッシャーは朝からきつい。

 という訳で先に食事を終えて要件を伝えてる。


「あー、長姫様?」


「はい!何ですか藤吉?」


 勢いよく返事をする長姫様。その顔は笑顔に溢れている。


「今日は私と共に城まで来てもらいます」


「何故ですの?」


 く、小首を傾げるその姿、アザと可愛い!


 この人は知っているのだ。自分のこの姿が絵になると!


「ごほん、私は連れてくるように言われただけですので」


 嘘です。知ってます。信光様からの厳命なのです。


 内容は今川方の内情の確認です。


「そうですか。では藤吉が一緒に居てくれるのですね」


「え、いえ。私はご一緒出来ませんです。はい」


「ならば、わたくしは参りません」


 長姫はそう答えるとプイッと顔を背けた。


 えー、ちょっと止めてよ!


「あらあら、囚われの姫さんは藤吉の頼みも聞けないのかい」


「む!」


「そうですね。藤吉様のお願いも聞けないなんて、図々しいです」


「何ですって~」


「はぁ~、小六さんも寧々ちゃんも抑えて抑えて」


「分かりました。わたくし参ります。但し! 藤吉が一緒に居てくださいね」


「あ、えーはい、分かりました」


 とりあえず城まで連れて行って、後は勝三郎に丸投げしよう。


 俺は通常の仕事が有るしな。


「はい、はい。皆今日も一日働こうかね!」


 パンパンと手を叩く母様。それに対して皆は?


「「「「はい!」」」」


 息ピッタリだね皆。それに慣れてるな母様。



 城までは馬に乗って行くのだが、長姫は俺と一緒の馬に乗って城に向かった。


 これには小六と寧々の眉間がピクピクしていたが暴発はしなかった。後ろで母様が見ていたからな。

 しかし、この姫様は何で俺なんかに好意を寄せているのかいまいち分からない。

 しかし、まあ、美女に好意を寄せられていやな訳はしない訳で。

 鼻の下を伸ばしながら締まりのない顔をしていたと後にまつが教えてくれた。


 締まりのない顔は元々だと思うんだが?



 城に着くと俺はいつもの部屋に向かった。


 長姫は最初は駄々をこねたが『あまり駄々をこねるとおっ母に言い付けますよ』と言うと大人しくまつと供に奥屋敷に向かってくれた。

 屋敷を出る前に小六の助言を聞いていて良かった。


 今度帰ったらハグしてやろう!



 そして、部屋でいつもの様に書の山を一つ一つ処理していると聞いた事のある足音が聞こえて来た。


 さーと戸が開かれるとそこには平手のじい様がいた。


 相変わらず眉間に皺を寄せている。


「藤吉、戦になる。用意を頼む。五日後だ」


「は?」


「聞いてなかったのか。五日後だ!」


「いやいや、そうじゃなくて。戦ですか? 何処と?」


「む? 昨日話してなかったか?」


「聞いてませんよ?」


 何でいきなり戦になるんだよ!


 斎藤山城か? 義龍か? それとも伊勢の長野家か?


 もしかして三河の『松平 元康』か!


 俺がそんな事を考えていると平手のじい様が説明してくれた。


 平手のじい様の話によると拷問にかけていた『林 美作』が口を割ったそうだ。

 その中で討伐すべき相手が現れた。


 当初、捕まったばかりの林美作は強気な態度をとっていた。


『今に今川がやって来る。その時俺を生かしておいた方がお前らの為だ!』


 と牢屋で罵っていたそうだ。


 しかし、頼みの今川は俺達が、いや、市姫様の軍勢が追い払った。

 そして待てど暮らせど今川がやって来ない事に気づいた林美作の威勢は、段々と落ちていった。

 それからは信光様の主導で拷問が始まった。

 今までどうやって今川と通じていたのかを吐かせる為で、それにまだ織田家に弓引く裏切り者がいないかの確認の為にやったことだ。


 林美作の話は正直に言うと聞かなければ良かったと言う話が多い。


 林美作は自分が助からないと知って洗いざらいぶちまけた。


 その一つに主君『織田 三河守 信秀』を殺害した事を認めた!


 信秀は病死であったのだが、林美作は土田御前を使って信秀を殺害したのだ。

 殺害方法は信長と同じで毒だ。

 しかも、信長とは違い致死量の毒を酒に混ぜて飲ませての殺害だ。

 酒を飲んだ信秀は直ぐに死んでしまった。

 後始末は土田御前の侍女達がしてしまい、証拠が残らなかった。

 信長や親族が来た時には既に冷たくなった信秀が居て、土田御前の説明に誰も疑う者はいなかったそうだ。


 林美作は主君殺しを二度も殺っていた。


 こいつは本当に下衆野郎だ!


 それだけではない。三男の秀隆様より下の子は自分の子だと言っている。

 これが本当なのかどうかは死んだ土田御前しか知らないかもしれない。

 ちなみに土田御前付きの侍女は林美作との不義の情報が漏れない様に既に殺してしまった。

 確認の取りようがない。

 早まった事をしてしまったかも知れない。


 これは益々市姫様に話せない話だ。


 そして林美作が今川方との繋がりには『太原 雪斎せっさい』の名前が上がった。


 あの黒衣の宰相かよ! まだ生きていたのか?


 最悪だ! 蝮に黒衣の宰相の両方が生きてるなんて!


 しかし、どちらももういい歳をしているので後数年したら……


 希望的観測はいかん。現実を直視しないと!


 それから林美作の話は裏切り者の名前を吐いた。


 その人物は『水野みずの 忠次ただつぐ


 水野忠次? 酒井さんじゃないの?



『水野 忠次』


 尾張知多半島一帯を支配する国人衆水野家の当主である。

 水野家は今川に従属していたが『織田信秀』が三河に侵攻すると今川から織田に付いた。

 それから信秀の援護を受けて知多半島を制圧して半独立状態であった。

 水野家は織田家に対して大恩が有るのだ。


 しかし、水野忠次は大恩ある織田家を裏切った。


 忠次を唆したのは『太原 雪斎』と『林佐渡』であった。


 雪斎は今川家の侵攻を仄めかすし、林佐渡は織田家の乗っ取りの話をして協力をあおいだ。

 当初はこれを突っぱねていた忠次であったが、次第に今川、林の両方の話を聞くようになっていった。

 その後は今川と林の仲を取り持つ様になったのだ。

 林美作の話によると林達が今川と接触したのは『松平 元康』事『竹千代』と『織田 信広』の人質交換の頃からの付き合いらしい。

 忠次は約一年ほど前から今川と繋がりを持っていた。


 今川と林の連絡に不都合が無くなったのは忠次の働きが大きい。


 そして、忠次は山口教継親子が織田家のスパイである事を知っていた。

 その為に俺達は大高城で危ない目にあった。

 桶狭間合戦において常に相手に裏をかかれまくったのは忠次の裏切りの為だ。


 彼が情報を流していたのだ!


 それに水野家は海から今川の侵攻があった為に援軍を出せないと言っていた。これは当然嘘である。侵攻自体がなかったのだ。

 これは熱田商人や津島商人が証言している。

 そして桶狭間合戦の後に忠次はなに食わぬ顔をして清洲にやって来て、戦勝の挨拶をしに来たのだ。


 ずいぶんと面の皮が厚い事だ。


 味方を、いやこの場合は裏切った織田家を窮地に追い込んでおきながらのこの対応。

 むしろ清々しさすら感じる。

 でも、立場の弱い国人衆は常に生き残りをかけて暗躍しているのだ。

 俺が忠次の立場に居たら同じような事をしたかもしれない。

 いや、俺なら自分で兵を率いて戦っただろうな。暢気に高みの見物等していられない。

 それを考えると忠次は保身で身を滅ぼしたと思える。


 忠次はまさか林美作が生きているとは思っていなかったのだろう。

 戦勝の挨拶の時に林兄弟を討ち取り云々等言っていたのだ。

 さぞ滑稽な姿だっただろう。


 だが俺は彼とは会っていない。


 俺の仕事は挨拶の順番を決める事までだ。その後は他の者が担当した。

 俺は挨拶に現れた人達とは一切会っていないのだ。

 挨拶が行われていた時、俺は政務をしていたからな。

 知っていれば見に行ったのに残念だ。


「という訳で、水野家の討伐に兵を出す!」


「どのぐらいの兵を出すのです?」


「うむ、五千だ」


 五千か。水野家はそれほど多くの兵を持っていない。これなら楽勝か?


「了解しました。期日は五日後ですね。右筆は誰が同行するのです」


「今回は太田じゃ。お主と村井は政務を優先せよ」


「はは、仰せのままに」


「うむ、頼むぞ」


 そういうと平手のじい様は去っていった。


 しかし、五日後か? また徹夜になるのかね。




 五日後、織田信広を大将に五千の兵が水野家討伐に向かった。


 今回は馬周り衆はお留守番だ。勝三郎に又左も同様だ。

 俺達は清洲で吉報を待つことになる。

 問題は元康が軍を動かすかもしれない事だ。

 水野家は松平家と縁が深い。

 忠次と元康は叔父甥の関係らしい。


 その為、元康が兵を動かす可能性は無くもない。


 しかし、迂闊に兵を動かせば今川が攻めてくるかもしれないからな。

 そんな危険な事はしないだろう。

 今は対今川で目一杯のはずだからな。


 そういえば、俺はこの前から家に帰っていない。


 この五日間はずっと城に泊まり込みだった。

 いい加減人を増やして欲しい。

 本当に切実な願いだ。誰か叶えて欲しい!


 そんな事を言っても無駄か。


 ……俺は黙って仕事に戻る事にした。



 十日後。


 水野家討伐は終わった。


 水野忠次は城に籠って火を放ち亡くなった。

 討伐軍は損害らしい損害はなかった。

 忠次は自分が織田家から攻められるとは思っていなかったらしい。

 城に籠ったがろくな抵抗は出来なかったようだ。


 これで知多半島を制圧できた。


 残る尾張での抵抗勢力は犬山の『織田 信清』だけだ。

 これも早期に制圧してさっさと尾張統一といきたい。


 とその前に林美作の斬首が決まった。本来なら磔獄門にするところだが領民の前であらぬ事を言い出しかねない為、数名が見守る中での斬首となった。

 林美作のいや、林兄弟の暗躍の影でどれ程の人が亡くなっただろう。

 それを思うと決して林兄弟を許すことは出来ないししてはいけない。


 林美作は斬首されるその時まで織田家を罵り笑っていたそうだ。その後は晒し首にされた。


 斬首を見届けたのは信光様と戦から帰って来た信広様、そして平手のじい様だ。

 俺は同席していない。同席するように言われなかったのを内心ほっとしていた。

 聞きたくもない事を聞かされたかもしれないと思うとぞっとする。

 あんな男の最後を見なくて良かった。


 しかし、後日俺は全ての事情を知っている三人から呼び出される。


 何故に呼ばれたのか? それは…… 秘密の共有だ。

 俺は林美作と土田御前の不義を知っている。

 だから、どうせなら全部教えてやろうとの平手のじい様の嫌がらせだ。


「林の目的は何だったのですか?」


 俺は単刀直入に聞いてみた。


「大名に成りたかった。……そうだ」


 信広様はそう答えてくれた。


 四人で車座に座り漬物を肴に酒を注ぎ交わしていた。


「バカげた事を」


 信広様が呟く。俺も同感だ。


「すべては殿と土田御前の不仲から来ているのだ」


 平手のじい様はそう言うとぽつりぽつりと話出した。


 信秀と土田御前。


 信秀は戦場から帰ってきては側室を抱いていた。

 それを土田御前はただ見ているだけだった。

 婚姻した当初は仲睦まじい夫婦であったのだが、信秀は正室土田御前以外にもたくさんの側室を抱えていた。

 土田御前が信長、信行を産んだ辺りから少しずつ二人の距離は離れて行った。

 しかし、子を産んだとはいえ土田御前は女盛りだ。

 それに大変美しい人でもある。そんな女性を近くで見ていたのが林美作だ。

 夫に相手にされなくなる美しい女性。

 林美作は戯れに土田御前を口説いたそうだ。


 それが間違いの始まり。


 信秀が城を留守にしている事を良いことにその熱は燃え上がった。

 そしてその火は林美作の野心に火を点けた。

 後はその炎に身を焦がしながら破滅の道を二人は歩いていたのだ。


 思えば土田御前も可哀想な人なのかもしれない。

 しかし、だからと言って不義密通をしていい理由にはならない。

 せめて信秀が土田御前に少しでもかまってやれば良かったのだ。

 そうすればこのような事が起きる事もなかったのだ。


 それにしても女は怖い。 俺も精々気を付けよう。



「藤吉。そなたもおなごの扱いには重々気をつけてな?」


 信光様のその言葉は重かった。

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