第43話 弘治過ぎ去りて候う
俺達は休憩もそこそこに今川の荷駄隊を襲った!
抵抗らしい抵抗を受ける事もなくあっさりと荷駄隊を撃破。
警護していた今川勢の数も多くなかったので助かった。
人足は抵抗しなければ逃がした。
彼らは銭で雇われた者や今川領に住む領民だ。
無理に殺す必要はない。
そして荷は一部を残して全て焼き払った。
いいぞ、いいぞ。運がこちらに向いてきた。
荷を派手に燃やしたので先行していた義元本隊にこの事は分かったはずだ。
後は今川勢の動き次第だ。
こちらに向かって来たら近くの間道を使って東海道に出る。
そして遠回りだが鎌倉道を使って熱田の近く笠寺に向かう。
そこで味方と合流して今川勢を迎え撃つ。
これが一番大変かもしれない。
とにかく笠寺まで逃げればいいのだが何とかなるだろうか?
逆に進軍の不利を覚って兵を退く場合は、何もせずに見送る。
下手に刺激して逆襲を受ける等考えたくもない。
こちらが無理せずとも兵を退いてくれるならそれに越した事はない。
それに俺は今川勢に懸念を持っていた。
今川勢は思っていたよりも強くなかった。
強いと言うより弱かった。
よく『織田の兵は弱兵だ』と小説で言われるが、俺は今川勢よりは織田勢が強いと肌で感じた。
実際に桶狭間でぶつかった時、今川勢の抵抗は弱かった。
これは相手が奇襲を受けていたから弱かったと思っていたが、殿をしていた時もたいして強くなかった。
これはおそらくは心の持ちようではないのかと俺は思う。
人間勝ち戦の時は命を惜しむものだ。
今回の戦いは今川が圧倒的に優勢で負ける要素が皆無だ。
だから無理して戦って命を落とすなんてバカな事はしない。
逆に俺達は後がなかった。
死中に活を求める。そんな感じで戦った。そして生き残った。
今回の今川侵攻では悉く裏目に、という訳ではないが上手くいかなかったがここに来て風向きが変わったようだ。
後はこの風に乗って事をなすだけだ。
そしてそれは起こった。
東海道方面の間道を見張っていた兵が報告して来る。
「今川勢がこちらにやって来ます!」
「数は?」
「千以上です」
「どう思う。勝三郎?」
「千以上なら退却の兵じゃないな。荷駄隊を襲った俺達の排除か?」
「う~ん、それならもっと数が有ってもいいはずだ」
「確かにそうだな。教吉殿はどう思われます?」
「大物見では?」
「大物見にしては数が多すぎるような?」
「そうでもないぞ藤吉。こっちの数が分からないので」
「報告します!」
俺達の会話に別の兵が報告をしてきた。
「さらに別の今川勢約二千がこちらに向かってきます!」
「これはどういう事だ。なぜ兵を分ける?」
「兵を分けて俺達を見つける為。にしてはやはり数が多いな?」
勝三郎と俺は考え込む。そして教吉殿が何か気づいたのか兵に尋ねる。
「おい! 今川勢は旗を持っていたか?」
「あ~、いえ、確か旗は見えませんでした」
「お前は見たのか?」
「いえ、見ていません」
「教吉殿? 旗がどうかされましたか?」
俺は不思議に思い教吉殿に尋ねる。
「藤吉殿! 我らの勝ちです!」
「は? 何でですか?」
「そうか! そういう事か!」
「え、勝三郎。何? どうしたの?」
「「援軍だ!」」
「は~?」
勝三郎と教吉殿の説明ではこうだ。
こちらに来る今川勢が別々の道を通ってくるのは味方の兵と戦って敗走しているからだと。
その証拠に今川勢は旗指物を持っていない。
さらに報告には今川勢は無秩序に隊列を組むことなく向かって来ているそうだ。
なら『最初からそう言えよ!』とツッコミたかったが、報告に来た兵も内心慌てていたので詳細を省いたようだ。
それにしてもよく気づいたな教吉殿は?
さすがに戦い慣れているからか。
俺と勝三郎では気付かなかったかも知れない。
しかし、これで俺達の仕事はほぼ終わりだ。
今川勢が敗走しているならそのまま通してやればいい。
下手に通せんぼして逆襲を食らっては堪らない。
俺達は直ぐに撤収準備を始めた。
と言っても奪った荷駄を持って帰るだけだ。
それほど手間ではない。
念のために大高道から少し離れた所に移動する。
今川勢とかち合うのを防ぐ為だ。
ほどなくして今川勢がやって来た。
数は報告よりも少なかった。
見張りの奴らよほど慌てたようだ。
今川勢は先を争うように走っている。
こうやって端で見ていると敗残兵の姿は惨めだなと思う。
それに彼らからは義元討ち死にの声が上がっていた。
そうか、義元は死んだのか。
少し残念な気分だ。
まだ若い女性が死んだのだ。
痛む気持ちを持ってもバチは当たるまい。
「義元は死んだようだな」
「ああ、そうみたいだな」
「少しは嬉しそうな顔をしたらどうですか。二人とも」
俺と勝三郎は義元が死んで嬉しいとは思わなかったようだ。
「義元は女だっただろう。それが討ち取られた聞いたら、市姫様の事を思ってしまった」
勝三郎の言葉に俺も同意した。
もしこれが逆になっていたらと思うと………
そして気が付くと今川勢は既に見えなくなっていた。
そこに長康がやって来た。
「大将! ちょっと来てくれ!」
「なんだ。長康?」
「むこうで乱取りをやっている奴らがいるんだ」
「あまり長居したくない。止めさせろ!」
「それが俺らじゃないんだ。今川同士でやってんだ」
「仲間割れか? ほっとくか?」
「そうだな。俺達には関係ない。教吉殿。移動しましょう」
「大将。襲われてるのは女みたいなんだが」
「勝三郎! 直ぐに向かおう!」
「おい! 藤吉!」
「案内しろ! 長康」
「分かったぜ。大将!」
そして、俺達が向かった先に大勢に取り囲まれる者がいた。
「わ、わたくしを、今川治部と知っての狼藉ですの!」
そこに居たのは長い黒髪を靡かせた人が立っていた。
自らを『今川治部』と名乗り。
※※※※※※
何故だ! どうしてこのような事になる!
わたくしは松井を解して兵達に指示を送っていた。
わたくしの言う通りに動けば負けるはずない!
なのに兵達はわたくしの命令通りに動かなかった?
それどころか、一部が勝手に動いた為にそこを織田勢に突かれてしまった。
まだ大丈夫! それぐらいならいくらでも取り返しがつく。
そう思っていたのに織田勢の勢いに圧されたのか。
一部の兵が逃走し始めたのです。
松井に兵を鼓舞させるも全く意味をなさなかった。
そればかりか、兵達から兵を率いる将達が次々に討ち死にする報告が!
そんなはずはない。
そんなはずはないのに!
既にわたくしの命令は伝わる事はなく、兵は敗走していた。
松井に言われるがままに馬に乗り撤退する。
松井は殿を務めると残った。
こんなはずでは? こんなにはずではないのに!
どこで間違ったの? わたくしの選択に間違いはなかったのに?
そして気づけばわたくしを護衛していた兵が居なくなっていた。
さらにわたくしの周りには見たことのない兵達がいて、わたくしを囲むと刀を抜き斬りかかってまいりました。
わたくしはそれを避ける事が出来ましたけど、乗っていた馬を斬られてしまい落馬してしまいましたの。
日頃の鍛練の成果で、上手く受け身が取れた為に怪我らしい怪我はしなかったものの、兜がずれ落ちてしまい髪の毛で視界が思うように取れません。
そこに先ほどの兵達がわたくしに襲い掛かってきました。
けれどわたくしを只のおなごと侮られては困りますわ!
一人一人襲い掛かってもわたくしを斬る事等出来ません。
襲い来る兵を一人、また一人と斬っていきます。
しかし、多勢に無勢。
わたくしは囲まれてしまいました。
「わ、わたくしを今川治部と知っての狼藉か!」
「知っていますよ。治部様。お命頂戴!」
この数に同時に襲い掛かられてはいかにわたくしでも捌ききれません。
わたくしが覚悟を決めようとしたその時。
「待て、お前ら!」
そう言ってわたくしの前に飛び出した一人の男が現れ、後ろ姿故に顔は見えませぬがわたくしを守るように前に立っていました。
わたくしはこの者がわたくしを助けてくれる者と判断し、名を尋ねる事にしました。
「そなた。名は?」
その者は振り返る事なく答えました。
「木下 藤吉! 義によりお助け致します!」
そう言うとわたくしを囲んでいた兵達に向かって行きました。
その時、わたくしの胸の鼓動が激しく鳴っていたのです。
このような事は今まで無かった事に戸惑いを覚えましたわ。
「木下 藤吉」
わたくしは両手で胸を押さえるとその名を呟いていました。
は、と気づくとわたくしを囲んでいた兵達は斬られるか、あるいは逃げるかしたのでしょう。
その姿は見えなくなりました。
その代わり、わたくしの目の前にわたくしを助けてくれた男がいました。
その者はわたくしを見ると尋ねました。
「その、あなたは、今川治部大輔義元で間違い御座いませんか?」
「いいえ、違います! わたくしは今川 長得。長とお呼びください!」
お父上様。わたくしは見つけたかもしれません。
わたくしの夫となる方を!
※※※※※※
今川との戦は終わった。
『今川 治部大輔 義元』討死の報に、侵攻してきた今川勢は我先にと撤退して行った。
鳴海城を占拠していた一部の兵が居たが、義元の兜を与えるとそれを持って撤退して行った。
それだけではない。
沓掛城の兵まで撤退して行ったのだ。
そして無血で沓掛城を手に入れる事が出来た。
これで鳴海、大高、沓掛を手に入れて尾張南部を平定した事になる。
今回は防衛戦であったにもかかわらず領土を増やす事が出来た。
大変目出度い!
しかし、目出度い事ばかりではない。
美濃の『斎藤山城守』は息子の『斎藤義龍』に謀叛されたのだがこれを撃破した。
返す刀で犬山城に密使を放ち、犬山城主『織田信清』が寝返り尾張北部の一部を失う事になった。
さすが蝮。転んでも只では起きない!
しかし、蝮も無傷では無かった。
謀叛に失敗した義龍は西美濃に逃れて、ここで独立。
さらに東美濃の『遠山家』が半独立。
武田に従属する事になった。
これで美濃は三分割された。
西は義龍、東は遠山、中央を蝮。
美濃は混沌とした雰囲気を醸し出している。
そして三河では史実通りに『松平 元康』が岡崎城で挙兵。
これに西三河の国人衆が呼応して独立する。
まるで今川が敗れて義元が死ぬのを知っていたかのように、手際が良かった。
そして元康は織田に使者を送って来て『当分は両者、領土不可侵を約さん』と言ってきた。
『ぶっちゃけ今織田さんと喧嘩なんてしてる暇ないんだよね。お宅らも斎藤と今川と戦って大変でしょ。俺達と喧嘩するよりも家の後始末を優先したいでしょ。俺達も独立したばっかだから織田と今川両方敵にしたくないのよ。だからここは国境線を決めてとりあえず手出ししないようにしようよ。ねえ、良いでしよ。市さん。あなたの元康より』(現代語訳)
と言うふざけた文も持ってきていた。
これを見た市姫様は頭を抱えるもこれを了承した。
確かに今は敵が減るなら大歓迎だ。
無理に戦うよりはいい。
限定的ではあるが松平家とは同盟を結ぶ事になった。
俺は戦から帰ると直ぐに平手のじい様に捕まり、清洲と名古屋に鳴海に大高、沓掛の戦後処理を一任されてしまった!
ブラックだ、ブラックだと思っていたがさらに酷くなってしまった!
『ふざけるなー!』と叫びたい。
お蔭で俺は清洲城から一歩も外に出る事なく後処理に追われる事になった。
しかし、今回は俺一人ではない!
城に帰って来ると『村井 貞勝』と『太田 信定』の二人が待っていた。
正確には待っていたのは貞勝殿一人で、俺と信定殿の二人は戦場帰りだ。
貞勝殿の『待っていたよ』と取れる笑顔が印象的だった。
そして俺はここでようやく太田信定が誰か分かった!
彼は『信長公記』の作者『太田
気づいた理由は利久から彼が馬廻りの一員として戦に参加している時に、素晴らしい弓の腕を見せたいたそうだ。
織田家で弓の得意な太田さんは俺の知っている中では太田牛一しかいない。
書が書けて弓が得意とくればこれはもう間違いない。
しかし名前はいつ牛一になったんだろうか?
まあ、そんな事は些細な事だ。
久しぶりに揃った右筆衆の力を見せてやるぜ!
それに俺は今、自分の屋敷に戻りたくない。
その理由は………
どう見ても『今川 義元』にしか見えない彼女は、自らを『今川 長得』と名乗った。
さっき自分で今川治部って言ってたよね!
そしてそれを問い質すと彼女は自分は義元の影武者だと言い張った。
影武者ねえ?
龍千代の話と外見上は合ってるんだよねぇ。
背は百五十五から百六十で、少し痩せて見える。
着ている鎧が少し大きく、髪は長く膝まで届くくらい。
目元はちょっとつり上がり強気な性格を伺わせる。
肌は白く日に焼けていない。
おそらく外に出る事が少ないのだろう。
歳は二十歳前に見える。
龍千代の言っていた『弱そう』な生粋のお姫様のイメージではある。
一応彼女は捕虜として扱う事に決まった。
彼女は影武者とは言え今川方の重要人物だ。
囲っていて損はない。
そして俺達は今川残党を相手にする事なく援軍と合流を果たした。
なんと援軍を率いていたのは市姫様ご本人であり会って直ぐに抱き締められた。
周りは顔見知りの近習と侍女達ではあったがこれは良くないと思い直ぐに離れた。
市姫様は俺の顔を見て涙ぐんでいたのだが俺の隣を見て顔色を変えた。
「藤吉。その者はなんだ」
底冷えのする声での詰問に先ほどの歓迎ムードは一辺していた。
「え~と彼女はですね」 「彼女だと!」
まつ、そこツッコミ入れないで。
「私達が必死になって急いで駆けつけたのに貴様は私の知らぬおなごと」
「ストーップ。待ってください。俺の話を聞いてください!」
「言い訳は清洲でゆっくりと聞こうではないか」
市姫様の冷たい視線が有無を言わせない。
駄目だ。今は何を言っても聞いてくれない。
しかし、長得もとい長姫は何も言わないな?
不思議に思い隣を見ると勝ち誇った顔をした長姫がそこにいた。
俺は何も言えずそこに立っていた。
結局、清洲に着いても俺は市姫様と話をする事が出来なかった。
何でも犬山城の一件が平手のじい様の耳に入ったらしく俺を市姫様に会わせないようにしたのだ。
そして俺が大量の紙の山に囲まれいる間に、市姫様と長姫は対面していた。
その時の話を俺は聞かされていない。
だが、結果だけは教えられた。
「今川長得は預り処分になった」
「預り処分? 誰が預かるんだ?」
「お前」 「お前? て俺かよ! なんで?」
「知らん。とりあえずお前の屋敷で預りになったから」
「はぁ~。なんでこんな事に」
「良かったな! 藤吉」
「なんでそんなに嬉しそうなんだ又左衛門君?」
「さあ、なんでだろうな?」
こいつ。また何かやらかしたな?
そうなんだよ。
俺の屋敷(以前貰った屋敷)には、蜂須賀郷から帰って来た俺の家族とまつ、寧々におまけの又左、それに長姫がいる。
あ、忘れてた小六も居たな。
だから今は屋敷に帰るのが恐ろしい!
家で何が起きているのか、想像したくない。
そんなこんなで城に缶詰になっている俺だが、仕事はきっちりやっている。
まずは『信行の葬儀』だ。
世間では『織田騒動』と言われている信行の、と言うより林達の謀叛騒ぎ。
表向きは謀叛の責任者として死亡と発表しているが、裏では織田家の一員としてちゃんと葬儀を行った。
もちろん参加しているのは織田家一門のみではあるが。
信行の残した妻子に関しては一門として面倒をみる事が決まった。
そして『林佐渡』と『柴田勝家』は正式に謀叛人として発表されて領地没収とされて遺族は各々の親戚筋に預けられた。
遺族の登用は様子を見て行われる予定だ。
登用と言えば。
『滝川 一益』と『森 可成』の二人を登用する事が出来た。
滝川一益は市姫様襲撃犯人の下手人だが、彼はただ命令されただけの下っぱだ。
罪に問うよりその行動力を買う事になった。
本人も林達よりも織田家に直接仕える事が出来て大喜びしている。
それにこの男、勝三郎とは親戚筋にあたるらしい?
勝三郎も一益を推薦したので登用する事になった。
当分は勝三郎の元で働く事になる。
森可成は鳴海城の戦で大いに働き、その働きを認めて登用が決まった。
その槍働きは期待したい!
そして、林美作はまだ生きている。
奴にはたっぷりと時間をかけて洗いざらい吐いてもらわないといけない。
そう時間をかけて………
こうして忙しい時間は過ぎ去って行く。
そして田植えを終えた頃に都から改元の知らせがもたらされた。
『弘治』から『永禄』に。
そして津島に居た山科卿から『奇妙丸』様に正式に『尾張守』が与えられた。
これで織田家は名実共に尾張の大名となったのだ!
俺がこっちに来てから瞬く間に一年が過ぎ去った。
訳も分からずに戦場に迷い混み、なし崩し的に仕官して、尾張の統一の手助けをし、上洛に付き合わされて危うく長尾家に拉致されそうになり。
尾張に帰って来たらクーデターが発生して、それを沈めたら斎藤と今川が攻めて来るし、まあ斎藤は攻めて来させたんだけどな。
とにかく物凄く濃い一年だった。
願わくば来年以降はもう少し緩やかな一年である事を願いたい。
永禄元年 六月某日
織田家 右筆 足軽大将 木下 藤吉 書す
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