第41話 桶狭間の退き口

 追い詰められた!


 と思うのは早計だった。


 確かに山頂まで登りきり疲れ果てているのは確か。

 しかし、四方を囲まれている訳ではない。


 逃げ出す方法は幾つかある。


 それを知る事が出来たのは蜂須賀党の面々のお陰だ。

 彼らが義元の行方を四方に探してくれたお陰で、この桶狭間山を下る道を幾つか見つける事が出来た。

 一つは俺達が登って来た道だ。

 その道は今川勢が少しずつ登ってきている。教吉の鳴海勢が立ちはだかって居るが数を減らしている。

 それほど長くは持たないだろう。


 残る道は二つだ。


 一つは東海道に繋がる道ともう一つは大高道に出る道だ。


 俺達の取るべき選択肢は三つ。


 一つ、このまま駆け下りて今川勢を打ち破り義元の首を取る!


 これは無理だ。


 源平の『源 義経』よろしく逆落としでも出来ればいいがこの山道はとても緩やかで、勢いよく駆け下りる事は出来ない。

 勢いをつける事が出来なければ今の俺達では数に勝る今川勢を打ち破る事は出来ない。

 或いは行けるかと思ったがそんな一か八かの賭けは出来ない。

 生き残る事を優先したいからな。


 二つ、東海道に出る道を下りる。


 これは追撃を受けるが比較的楽に今川勢を撒けるだろう。

 東海道に出て一旦体制を立て直し間道を出て来る今川勢と戦う。

 悪くない策だ。

 しかし、この策の欠点は桶狭間山に居た兵が東海道に出る間道で伏兵をしていなければだが?

 伏兵が有った場合は挟まれて最悪全滅という事も。


 三つ目は、大高道に出る。


 これは東海道と同じリスクがある。


 こちらも悪くすれば全滅だ。

 だがメリットは大高道に出て今川勢の背後に回る事が出来る。

 そうすれば敵の最後尾には当初の目標である物資を運ぶ部隊と出くわす可能性が高い。


 さて、どの選択肢を選ぶか? 時間はない!


「藤吉。このままでは」


 若干青ざめた表情をしている勝三郎。


 勝三郎でもそんな顔をするんだな。


「大将! 殺るんならとことん付き合うぜ!」


 こっちは興奮しているのか顔を真っ赤にしている長康。

 俺は二人にさっき考えた三つの選択肢を告げる。


「逃げるか、戦って死ぬか、か?」


「大将は決めてるんだろ」


 勝三郎は迷っているが、長康は俺に従う覚悟なのか俺の返答を待っている。


「勝三郎、どうする?」


「俺はこの状況を作り出した責任がある。戦うなら先陣を、退くなら殿(最後に残る)を務める!」


「そうじゃなくて、どれを選ぶか聞いたんだ! お前が大将なんだぞ!」


「大将か? それなら俺は大将の器じゃない。皆を死地に」


「勝三郎!」


 俺は勝三郎の顔を殴った!


 勝三郎は殴られて尻餅を着き、その顔は驚愕していた。


「何をメソメソと言い訳してやがる! 覚悟を決めろ! みんなお前の指示を待ってるんだ!」


「藤吉」 「ほら」


 俺は勝三郎に手を差し出し起き上がらせる。


「すまん。藤吉」


「いいさ。俺も手が痛かった。お前、顔が硬いのな」


 俺と勝三郎、それに周りに居た兵達は皆笑った。


「藤吉。お前が決めてくれ。頼む!」


「いいのか?」


「俺はさっき間違えた。つぎはお前に任せる。無責任だがな」


「間違っても恨むなよ」


「安心しろ。間違えたら皆であの世行きだ。恨みようがない」


「違いない」


 また俺達は笑った。


「よし分かった。俺の選択は…… 」



 俺達は陣幕の布を槍に巻き付け火を着けた!


 輿にも火を着けそれを襲い掛かって来た今川勢に投げつける!

 今川勢は密集していたので逃げることも出来ずに火の着いた槍や輿に巻き込まれた。

 逃げ惑う今川勢。

 今ならこの間隙をついて逃げ出せる。


「教吉殿! 退きますぞ!」


「何を言われる。今なら今川の軍を割って義元の首を!」


「直ぐに態勢を立て直します。突っ込んでも犬死にするだけです。今は退いて下さい!」


「うぬ、ここまで来て」


「まだ、負けてません。急いで!」


「分かった。殿は?」


「この藤吉にお任せあれ!」


「しかし、いや、すまん。頼む!」


 教吉殿の鳴海勢は半数近くが動けなくなっていた。

 可哀想だが、助けてやる事は出来ない。

 今は目の前の今川勢を相手にしないといけない。


「大将! 槍のお代わりはどうする?」


「敵の後方に投げつけろ! 向かってくるのは殴れ!」


「おおよ! 聞いたか野郎ども!」


「「「おおおー!!」」」


 蜂須賀党は本当に頼りになる。

 そして熱田衆も負けじと張り合っている。

 後ろの連中が退くまで何とか堪えないとな。


 頂上には陣幕と輿ぐらいしかなかったが、所々で戦った場所には今川勢が残した武具が残っていた。

 これを拾って今川の奴らに投げつけている。


 今川勢の悲鳴と兵を叱咤する将の声が響く。

 出来ればその将に攻撃を集中して討ち取りたいが、そんな余力はない。

 向かってくる今川勢を打ち払うので精一杯だ。

 体の疲労も溜まっていたがここは我慢のしどころだ。


「大将! そろそろ俺達も退こうぜ。囲まれちまう!」


 気づけば徐々にではあるが囲まれ始めていた。

 目の前の事に集中しすぎていた。

 しかし長康は優秀だな。

 護衛に付けてくれた小六に感謝だ。


「大将! 本当にヤバくなる前に退こうや。大将が死んじまったら俺ら姉さんに殺されちまう!」


 ……流石だ小六。


「よし、俺達も退くぞ! あれを使え!」


「「「おー!」」」


 一番大きな布に火を着けてそれを今川勢に被せる。

 それを合図に一目散に逃げる!

 後ろを振り返ることなくひたすら走る。


 こういうのを火事場のくそ力と言うのかな?


 自分でも驚くほど体が動いてくれた。


 俺達が向かう退き口は………



 ※※※※※※※



「治部様。敵が逃げます。追撃に移ります」


「ほっときなさいな」


「しかし!」


「和尚が言っていたわ。追い詰めると噛まれるって。今もそうじゃない」


「負傷者は多けれど、軽傷です」


「罠は一つではないでしょ。それよりもあれだけやったのに半分も減らせないなんてね」


「も、申し訳」


「次はないわ」


 義元の冷たい目が側近達を貫く。


「池田 勝三郎ね。こちらに突っ込んで来るかと思ったけれど、中々に冷静ね」


「治部様?」


「追撃は不要よ。どうせ兵達は逃げ散ってしまうでしょうし。脅威にはならないわ」


「は、仰るとおりに」


「鳴海につく前に休息を」


「は、直ぐに準備を!」


「はぁ、つまらないわ。もっと楽しませてくると思ったのに」


「治部様?」


「何でもないわ」


 …………本当につまらない。



 義元にとってこの戦は遊びに過ぎないようだ。



 ※※※※※※



 俺の部隊は桶狭間山の頂上からあるルートを通って下山した。


 下山途中で今川勢を幾つか見かけたが既に倒されていた。

 先に下りた勝三郎の部隊と戦った後だったようだ。

 俺達は息が残っている者を見つけると止めを刺して遺留品である武器や兵糧を頂いて下りた。

 逃げ出した時に手持ちの武器も投げつけてしまっている者もいたからだ。


 しかし、数が少ない。


 もっと多くの兵を伏兵に使っていると思ったのにな?

 山を下りるまでに出会った敵兵は二百もいなかった。

 それに固まっての伏兵ではなく十人、二十人ぐらいでの伏兵だったようで、これでは千人を率いる勝三郎の部隊と出くわせば結果は明らかだ。


 だが、味方の兵の亡骸も少なくなかった。


 おそらくは手傷を負った鳴海勢だろう。

 教吉殿が兵を退くときに担いでいた負傷兵が動けなくなって介錯をしたのだろう。

 亡くなった兵は苦しまないようにと深い傷が残っていた。

 乱戦でこんな深い傷は出来ない。

 それに武具や手持ちの兵糧も無くなっていた。

 きっと同僚の兵達が持って行ったのだろう。


 それらを見つけながら俺達は下山した。


 不思議な事に山頂からの今川勢の追撃はなかった。


 途中で小休止を取ったりして上からの襲撃に備えていたのだが、まったく無かった。

 今川勢に何か有ったのか? それとも伏兵に自信が有ったのか?

 考えても仕方ない事だ。

 実際には襲撃もなく、伏兵は勝三郎達が蹴散らした。

 結果として俺達は無事に下山する事が出来たのだ。


 それでいいだろう。


「藤吉!」 「勝三郎!」


 俺達は下山して直ぐに待っていた勝三郎と教吉殿と合流する事が出来た。


「そっちの被害はどれ程だ。こっちは五十ほど殺られた。脱落した奴はいなかったが」


 俺達の部隊は殿を勤めた時の被害がひどかったが一割ほどの被害だった。

 これはあの状況を考えると驚異的に少ないと思う。

 これも蜂須賀党の頑張りのお陰だ。

 しかし、蜂須賀党にも被害は出ていた。十人の死者とほとんどの兵が負傷したいた。俺も例外じゃない。


「こっちは二百ほどが殺られた。後は三百ほど逃げ出した。残ったのは千もいない」


 勝三郎の隊は元馬廻りで構成されている。

 俺達混成部隊の中でも最精鋭だがそれでもと言うべきか、当たり前と言うべきか、五百の被害を出していた。三割の損失だ。


 最も被害を出していたのは教吉殿の鳴海勢だ。

 ほぼ半数の兵を失っていた。

 そして、三隊の中で最も沈んでいた。


「教吉殿」


「藤吉殿。ご無事でなにより」


「そちらこそ、無事で良かった」


 教吉自身は負傷していなかったが、元気がない。

 当たり前か。

 今まで苦楽を共にしてきた者達を大勢亡くしたのだから。

 しかし、今は立ち止まっている訳にはいかない。


 少し休息を取った後に、直ぐにでも行動しなくてはな。


 状況は以前良くないのだ。


 俺達は残った兵を確認した後、大休止を取ることにした。

 一応周囲を警戒させての事ではあるが、少しは休息を取らないと倒れる兵が出るだろう。

 それが証拠に大休止の宣言をした瞬間、兵達は一斉に腰を降ろした。

 立っているのも辛かったのだろう。


 しかし、俺と勝三郎、教吉殿はそうもいかない。

 指揮官は弱音を吐くことは出来ない。

 特に今は士気が低下している。

 何かの拍子に兵が離散する事もあり得るからだ。


 ふと見れば、兵達は思い思いに休息を取っている。


 竹筒の水で喉を潤したり、干し飯をそのまま食べる者、ただ腰を降ろしてぼ~としている者、雑談に興じる者、様々だ。


 俺達指揮官は雑談をする事はない。


 策を練らないといけない。

 俺は長康に頼んで比較的元気な奴らに斥候を任せた。

 周辺の情報が欲しいからな。

 ここは比較的安全だと思うが、過信はしない。


 用心に越した事はない。


 そして三人で車座に座り中央に地図を広げる。

 俺は竹筒から水を飲み一息ついてから話し出す。


「まずはこの場所の確認だ。教吉殿?」


「ここはもう大高道に出ている。若干道を外れているが直ぐに道を確認できるはずだ」


 そう、俺達は大高道を逃走に選んだのだ。


 理由は東海道を選んでも足止めが出来るか分からなかったからだ。

 それに俺なら伏兵を置くなら東海道方面に置いておく。

 逃走するなら東海道に出て多少遠回りでも鎌倉道を使えば安全だ。

 その安全に帰る心を読むだろう。

 それに今川勢は元々東海道に出ようとしていた。

 伏兵にてこずって山を下りた時には本隊が居る可能性もある。

 それならいっそ、大高道に出て物資を運ぶ荷駄隊を襲う事を考えた。


 そもそも俺達の目標は荷駄隊だったのだ。


 あくまでも義元はおまけだった。

 それを勝三郎が先走ってしまったのだ。

 しかしそれは結果的には良かったかも知れない。

 もしあのまま進んでいたら俺達は義元本隊と桶狭間山の部隊とで挟撃されて全滅したかもしれない。

 まあ、全滅前に逃げ出しただろうがな。

 でもその場合は兵のほとんどを失っていただろう。


 たらればの話はここまでにしよう。


 ここからは現実の話だ。


「荷駄隊は既に間道を通っていると考えるが、どう思う?」


「勝三郎の考えはもっともだと思う」


「某も同じ考えに」


「今、長康に物見を頼んでいる。まずは間道に入った」


「大将! 見つけたぞ!」


 話している途中で長康がやって来たようだ。


「俺を見つけてどうするんだ長康? 見つけるなら荷駄隊を」


「その荷駄隊を見つけたんだ!」


 なんだと!?


「本当か? 何処だ!」


「目の前だ!」


「はぁ?」


「だから、目の前!」


 俺は立ち上がり目の前の藪をかき分けながら目の前の大高道に向かう。

 するとそこには大量の物資を運ぶ人足と荷物を乗せた馬が居た。


 俺は歓喜した!


 ようやくだ! ようやく勝利の糸口を掴んだ!


 俺は絶対にこの好機を逃さない。


 待っていろ義元。


 俺達を逃した事を後悔させてやるぞ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る