第40話 桶狭間の戦い

『桶狭間』


 いやいや、無い無い無い!!


 何だよこれは?


 確かに桶狭間の戦いに近いシチュエーションだけど、これは無い!

 俺は『織田 信長』じゃないんだよ!

 絶対に上手くいきっこない。


 これは罠だ! 絶対にそうだ!


 そもそもタイミングよく戦見物をしている奴を捕まえたのが怪しい。

 もしかしたら今川の間者じゃないのか?

 そうだよ、それなら納得がいく。


 でもそうじゃないとしたら?


 あー、くそ!


 どうする、どうしたらいい。


「藤吉。行くぞ!」


「勝三郎?」


「今川勢の場所が分かった。今奴らは陣を張っているらしい。そこに突っ込むぞ!」


「ま、待て勝三郎。これは罠だ! 一旦戻ろう」


「何を言うんだ! これは好機だ! 敵は油断している。今なら」


「駄目だ。これは罠だ! 油断したと見せかけてるだけだ」


「ここに来て臆病風に吹かれたか。藤吉!」


「うぐ」


 勝三郎の視線が痛い。


 勝三郎の言い分も分かる。


 これは千載一遇のチャンスだ!


 しかし同時に絶体絶命の罠のような気もする。


 駄目だ。勝三郎を説得できる気がしない。


 よしんば罠だとして『だからなんだ!』て感じになってるんだよな。

 周りの兵もなんかやる気をみなぎらせてるしさ。

 ここで俺が撤退なんて言っても聞きはしないよ。


 それに俺の立場は勝三郎の副将みたいな立場だ。

 今この軍を率いているのは俺ではない『池田 勝三郎』だ。

 なら、俺がやることは決まっている。

 勝三郎を補佐するだけだ。


「分かった。殺ろう勝三郎」


「ああ、殺ろう藤吉!」


「だがあくまで目的は物資を焼き払う事だ。それを徹底してくれ」


「ああ、分かっている」


 俺と勝三郎は改めて目的の確認をする。

 たとえ義元が居たとしても目標は物資だ。

 普段冷静な勝三郎なら大丈夫だ。


 ……俺はそう思っていた。



 東海道と大高道を結ぶ間道は幾つかある。


 今川勢はその中の間道から一つを選んだ。

 そしてそこは由りにもよって田楽狭間の桶狭間山に布陣している。

 これで豪雨でも有ればまさしく『桶狭間の戦い』だ。


 しかし、現実は雨どころか雲一つない青空だ。


 俺達を隠すのはわずかな木立だけだ。


 多分、桶狭間山から俺達の姿が見えているんじゃないかと思う。

 もう奇襲ですらないな。

 しかし、進軍を止める訳には行かない。

 可及的速やかに今川勢を捕捉しないと。


 そして、木立の切れ目に近付くと付近の雑草が踏み固められている場所を見つける。

 そしてそれは道になっていた。

 その道の先を見ると柵があちこちに見える。


 今川勢を遂に見つけた。


「勝三郎。物資が置かれている所を探そう」


「藤吉。見てみろ?」


「うん、何をだ?」


「上だ。輿が見える」


 勝三郎が山頂を指差している。


 だが俺にはよく見えない。


「いや、俺はそんなに目が良くない。輿が見えたから何なんだ」


「今川治部が上にいる」


「おい勝三郎。まさか?」


「藤吉。見たところ今川の兵は俺達より少なそうだ。殺ろう!今が好機だ!」


「勝三郎。俺達の目的は」


「これを逃したら、いつまた今川が攻めて来るか分からない。今殺るんだ!」


「落ち着け勝三郎。止めろ。俺達が敵う相手じゃない。大高でも殺られそうになっただろう。思い出せ!」


「あの時はそれでも上手くいった。今回は兵も多い。殺るべきだ!」


「勝三郎」 「乾坤一擲。これに賭けるんだ!」


 勝三郎が俺の肩を強く握る。

 その手から、いや体から熱さを感じる。

 勝三郎の目が俺に訴える。


 これは駄目だ。


 何を言っても無駄か。


 俺は空を見る。


 空は雲一つない晴天。


 殺るしかないのか。


「分かった」


「藤吉!」


 敵の大将が手の届く位置にいるのだ。

 いくら前もって目的を決めていても、それを見てしまえば他の事が見えなくなるのはしょうがない事だ。

 目の前の勝三郎をしてそうなる。


 殺るしかない!



「掛かれ!」


 勝三郎の号令の元、織田勢が桶狭間山に布陣する今川勢に襲い掛かった。

 義元が居るのは山頂付近だ。

 そこに向けて一直線に向かっていく味方の兵。


 今川勢は突然の事に驚いたのか。

 兵達が浮き足だって見える。

 これはいけるかもしれない。


 俺は勝三郎とは別の方向から山を登っている。

 この山の斜面は緩やかだ。

 それほど苦労せずに登れる。

 勢いよく登り敵の陣に襲い掛かる。


 その時上から太鼓の音が響き渡った。


 俺はそれを聞いた時、悪寒を感じた。

 言い知れぬ不安、しかし足を止める訳には行かない。

 目の前の敵を打ち破らないと行けない。


 俺は手に持っている槍を目の前の足軽達に叩き付ける。


 俺の身長は百七十を越えている。


 この世界では一般人よりも頭一つ大きい。

 大きい事はそのまま強さに繋がる。

 体のサイズが一回り大きい俺の打撃は普通の人の打撃よりも重くて強い。

 三メートル近い槍を力任せに振り下ろす。

 相手に槍が当たった瞬間、手に衝撃が伝わるが構わず叩き付ける。

 無我夢中だった。

 俺に叩かれた足軽達は立ち上がれずに地に伏すか。

 叩かれるのを恐れて逃げ出していった。



 周囲の足軽達を追い払うと勝三郎の率いる兵はさらに上を駆けていく。


 俺達もそれに続こうとした時、下の方から大勢の声が聞こえた。


「織田の兵を治部様に近づけるな! 掛かれ! 掛かれ!」


「「「「おう!」」」」


 見れば俺達が登って来た場所に今川勢が姿を表していた。


 俺達は今川勢に上と下に挟まれた。


「藤吉様。どうしますか?」


 どうしますか? そんなの俺が聞きたいよ!


 どうする。俺!



 俺達の背後に現れた今川勢を見てみる。


 数は千五百から二千だろうか?

 パッと見た感じなので実際はもっと少ないのかもしれない。

 しかし、後ろを取られたのは事実だ。


 さあ、どうする藤吉!


 考えろ、考えろ、考えろ!


「どうするよ? 大将」


 俺に問いかけているのは蜂須賀党の面々を取りまとめる『前野 長康』。

 小六が俺に付けた護衛だ。

 史実の長康は、小六とほぼ同じ頃に秀吉の与力になって各地を転戦。

 最後は秀次事件の被害者になって亡くなっている。


 こいつも秀吉の犠牲者の一人だ。


 長康は俺と同じくらいの背丈をしている。

 俺の想像していた長康は顔に傷のある山賊顔だが、こいつは中々に男らしい顔をしているが傷は無いし髭も無い。

 一見すると厳つい顔だがそれほど怖くない。


「上を目指すしかない!」


「まあ、それしかないな」


 そう上を、義元を討ち取るしかこの窮地を脱する事は出来ない。

 そして上を目指そうとした俺達に伝令がやって来る。


「教吉様からの伝言です! 『後ろは任されよ』との事です」


「あい分かった!」


 教吉殿は死ぬ気か?


 だが、ここで死なす訳には行かない。


「伝言を頼む。『半刻、いや四半刻耐えられよ』と」


「は、伝えまする!」


 伝令が去って行くのを見ながら蜂須賀党の面々に号令を掛ける。


「狙うは今川治部だ! 行くぞ!」


「「「おう!」」」


 俺達は上に向かって駆け出す。

 既に勝三郎の部隊は上に有った今川陣に突撃を掛けている。

 負けじと俺達も敵陣地になだれ込む。


 この時の俺達の編成は……


 勝三郎 千五百 藤吉 五百 教吉 千


 勝三郎の兵は馬廻衆が中心、俺の兵は蜂須賀党と熱田衆の混成部隊。

 そして教吉の兵は鳴海の兵だ。

 俺の率いる兵蜂須賀党は五十と少ないので熱田衆が合流したのだ。

 実質俺の隊は熱田衆だがこれまでよく俺の命令を聞いてくれている。


 本当に有難い。


 だが、真っ先に敵陣に飛び込むのは蜂須賀党だ。


 実に戦い慣れている。


 俺も負けじと敵兵を叩いたり取っ払ったりしているが、彼らには負けているような気がする。

 そして、その蜂須賀党の勇猛な戦いに引っ張られるように熱田衆も奮戦している。


 あらかた周りの兵を追い散らし上を見ると輿が見えた。

 下に居た時は全然分からなかったがここまで来ると俺にもはっきりと見えた。


 後少しだ!


「輿が見えるぞ! 今川治部はあそこだ! 掛かれ、掛かれ!」


 俺は輿が見えた方角を指してありったけの声を張り上げた!


「大将首を上げろ! 行くぞ!」


 前野長康が負けじと大声を出す。

 俺としては生け捕りにしたい所だ。

 まだ二十歳前の女性だ。

 その首なんて見たくない。

 しかし、状況がそれを許さない。

 それほど切羽詰まっているのだ。


 勝三郎の隊も敵を蹴散らしてこっちに向かっている。

 後ろでは怒号と悲鳴が聞こえている。


 急げ、急げ、急げ!


 疲れている体に鞭打つように声を出しながら走る。

 一見すると無駄に体力を使っているように見えるがそうではない。

 声を出すことで恐怖をまぎらわせているのだ。

 本当は直ぐにでも逃げ出したいのだ。

 それを声を出すことで打ち消している。


「うおー、掛かれ! 掛かれ!」


「「「おう!」」」


 そして遂に頂上にたどり着く。


 しかし、今川の陣は静まり返っていた。

 訝しく思いながらも俺は兵を動かす。

 蜂須賀党が真っ先に輿が見える陣幕に突入する。


「大将! 敵がいねえぞ!」


「誰もいねえ。逃げたのか?」


「探せ、探せ! まだ近くにいるはずだ!」


 陣幕にいる蜂須賀党の面々の声を聞いて俺は一辺に血の気が引いた。


 罠に掛けられた!


 間違いない。俺達は罠に掛かったのだ。


「藤吉! 今川治部は? 治部はどこだ!」


 勝三郎の声が聞こえるが俺は返事をしなかった。いや、出来なかった。自分達の置かれた状況を直ぐに理解したからだ。


「おい、藤吉! 聞いているのか? 返事をしろ!」


 勝三郎が俺の肩を掴み揺さぶる。


「勝三郎」


「藤吉。治部は?」


「やられた」


「藤吉?」


「俺達は嵌められた。今川治部は居ない。最初から居なかった!」


「何だと?」


 俺と勝三郎が話していると蜂須賀党の面々がやって来て報告する。


「駄目だ。大将。今川の奴ら何処にもいねえ!」


「陣には武器も何もねえ! どうなってんだ?」


 俺は背後を振り返り山裾を見る。

 そこには次々と今川の兵が現れていた。

 最初に見た兵よりも遥かに多い。おそらく五千は居るだろう。

 そしてその五千の兵達の後方には朱塗りの輿が見えた。

 俺はそれを指差した。


「治部はあそこだ。俺達は今川治部の策に嵌まったんだ」


「な!」


 俺の周囲に居た連中は声を出すことも出来なかった。

 そして俺と同じで覚ったのだろう。


 自分達が義元を討つことが出来ない事を……


 俺達は義元が山頂に居ると思い、がむしゃらに上を目指した。

 その為この山頂に着くまでに相当体力を減らしている。

 途中で今川勢とも戦っている。

 疲労していない訳がない。

 しかし、義元を討ち取ればその疲れも吹っ飛ぶ。

 だから遮二無二に山を登ったのだ。


 だが、義元は居なかった。


 目立つ輿を山頂に置いて最初から居なかったのだ。輿を囮に使い俺達を誘き寄せた。

 そして肝心の義元は下に居る。俺達は山の頂上に追い詰めらたのだ。

 その事を理解した時、体は一気に疲労感を爆発させた。


 俺と勝三郎は立っているが周囲の兵達は一人また一人と腰を落とす。


 その顔は絶望を感じさせていた。


 まさに俺達は絶体絶命の状況に追い込まれていた!

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