第39話 決戦の道

 さて、予定通りに大高城を使い物にならないようにした。


 そして今川勢は沓掛城からこの鳴海城に直接やって来る事になる。

 しかし沓掛から鳴海城の道は道幅が狭く大軍で進むには適していない。

 多少遠回りだが大高城を経由した方が大軍で通るには適している。

 しかし大高城は使えない。

 兵をろくに休ませる事も出来ない。

 この鳴海城につく頃にはある程度疲労しているはずだ。


 これで少しは時間を稼げるはずだ。



 斥候の報告で大高城の兵は沓掛城まで戻ったそうだ。

 戦って亡くなった人数よりも怪我をした人数が圧倒的に多い。

 一旦戻って態勢を立て直すのかもしれない。


 先の大高城攻めで負傷者は三百人近い、死傷者は百人未満ほど出た。

 戦に死者は付き物だ。

 しかし、戦の最中に亡くなる人は少ない。


 死者は戦の後が多いのだ。


 現代と違ってこの時代の医療は外科よりも内科の方が優れている。

 その為兵の死の原因は外傷、及びその後の破傷風による物が多い。

 俺は医療に詳しい訳ではないが、取り敢えず傷口を綺麗に洗って清潔な布を巻き付ける。

 これぐらいの事しか知らない。

 俺はこの簡単な治療法を指導してまわった。

 今は右筆の仕事は後回しだ。

 一人でも多くの兵を助けないといけない。

 この後の策には一人でも多く戦える人数が必要だ。


 そしてとにかく時間だ!


 時間を稼いで少しでも今川勢をこの鳴海城に釘付けにしないといけない。

 そして、俺達は援軍が来るのを待つのだ。


 だが、援軍が間に合わないその時は……



「勝三郎。どのくらいで今川は来ると思う?」


「そうだな。沓掛からはここまで半日ほど、岡崎に居る本隊は二日ほどだろうか」


「遅くなる事はあっても早くなる事はないよな?」


「それは向こう次第だろう。犬山はどうなったかな?」


「まだ、動きはないだろう。多分。最悪、俺達だけでやらないとな」


「それは勘弁して欲しいな」


「まったくだ」


 二人して笑った。


 少しでも明るく振る舞う。

 兵達を不安にさせる訳にはいかない。

 こういう不利な時、アニメや漫画、小説にドラマの主人公達は明るかった。

 それを真似したのだがその意味を今なら分かる。


 怖さを紛らわしていたのだ。


 もう少ししたら今川勢三万がこの鳴海城を取り囲む。

 それを思うと震えて来る。

 先の大高の時はそこまで怖くなかった。

 楽勝だと思っていたからだ。

 しかし実際は、下手したら死んでもおかしくなかった。

 鳴海に着いた時は思わずへたりこんだほどだ。

 勝三郎から叱られたが勝三郎の足元を見れば小刻みに震えていた。

 勝三郎でも怖かったのだと思うと自分だけではない。

 皆が怖かったのだと知った。


 そして今度はこの鳴海城での籠城戦だ。


 正直籠城戦では勝ち目はない。

 これははっきりしている。

 勝ち目のない戦いだが、やらないといけない。

 途中で降参するという考えもあったが、それは周りが許してくれないだろう。

 何より降参した場合の命の保証を誰がしてくれるのだろうか?

 織田と今川は西三河で激しく殺り合った。

 部下はともかく市姫様や織田家一門はその命を散らすかもしれない。

 それを俺は座して見ている訳にはいかない。


 俺ってこんなに熱い男じゃなかったのにな?


 どうも寧々に言ったあの言葉から、なんかスイッチが入ったみたいで胸の中が熱いのだ。


『俺に任せろ!』


 なんて魔法の掛かったセリフなんだろうな。

 でも、気分は悪くない。

 悪くないどころかすこぶる調子がいい。

 今ならなんでも、……なんでもは出来ないな。


 とにかくだ! やるだけやるしかない。




 大高城の戦いから三日経った。


 俺達の目の前には今川勢がいた。

 見た限りでは二万ほどの軍勢だ。

 全軍ではないようだ。

 その今川勢は遠巻きに鳴海城を半包囲している。


「どうだ藤吉。絶景だな!」


「余裕あるな勝三郎。あれを見てそんな事言えるなんて?」


「そうだな。それに私も一度でいいからあれぐらいの軍勢を指揮してみたいよ」


「ああ、そうだな。俺もそう思う」


 俺達が矢倉で雑談を交わしていると山口親子がやって来た。


「いよいよですな」


「ええ。でも援軍は間に合いそうもないようです」


「そうですか。では我らで手柄の立て放題ですな! ははは」


 息子の教吉は大きな声で笑った。


 無理してんじゃないのか?


「そうですな。この勝三郎。必ず大将首を上げて見せますぞ!」


「それは俺も同じです。負けませんよ!」


 勝三郎と教吉は張り合っている。


 そして教継が私に近づいて囁く。


「藤吉殿。どうしてもやりますか?」


「ここまで来たらやるしかないでしょう。援軍が間に合えば俺達がやらなくてもよかったんですけどね」


「そうですな。座して死すより出でて生を掴む、ですな?」


「誰の言葉ですか?」


「私の言葉です」


 俺と教継は大きな声で笑った。


「何だよ親父、それに藤吉殿も。俺もまぜてくださいよ」


「そうだぞ藤吉。私も混ぜてくれ」


 そして四人で笑った。


「では、手筈通りに」


「うむ」


 先に教継殿が去っていく。


「では俺も」


 そして教吉も去った。


 残ったのは俺と勝三郎のみ。


「で、藤吉。義元の本隊はどの道を通ると思う?」


「そうだな。今俺達を包囲している今川勢は大高城からやって来た。なら本隊は別の道を通るはずだ」


「なぜ、そう思う」


「本来なら全軍で包囲するつもりだったんだろう。でも大高から来た兵が速くやって来た。だから他の隊は大高以外の道を通って来ていると思う。だから全軍が揃っていない」


「確かにな」


「おそらく東海道を通るはずだ」


「熱田に向かうとは考えないのか?」


「確かに熱田に向かうかもしれないが、今川はそれほど兵糧に余裕があるとは思えない。熱田に向かう前にこの鳴海を落としてその兵糧を奪うはずだ」


「ふむ、そうだな。大高に入れた兵糧は俺達が焼いたからな。なら……」


「ああ、全軍揃ったら総攻撃を仕掛けるだろうな」


「なら俺達は」


「東海道を通る本隊を奇襲する!」


「ふぅ、もう少し兵が有ればな」


「それはしょうがない。でも道幅が狭いからそんなに多くの兵はいないと思うよ」


「もし、本隊じゃなかったら?」


「その時はその時。適当に殺り合って退くさ」


「まさに賭けだな。乾坤一擲」


「ああ乾坤一擲だ!」




 その日の夜、俺と勝三郎、教吉が率いる兵三千は夜の闇に紛れて鳴海城を出た。



 鳴海城から出ていった兵三千は大きく迂回して善照寺に向かった。

 この善照寺は高台に有り、鳴海城からはよく見えない。

 しかし善照寺からはこの付近の地形はよく見える。

 朝靄の中兵達を休め、俺と勝三郎は地図を見ながら眼下の風景に目を凝らす。


「やはりまだ義元本隊は来ていないな」


「なんで分かる勝三郎?」


「義元の旗がない」


「よくここから旗なんて見えるな?」


「嘘だよ」


「勝三郎、お前冗談なんて」


「別に冗談を言ってる訳じゃない。昨日と同じで兵達のばらつきが見えたからだ。あんなばらついた状態ならまだ義元は来てないはずだ」


「つまり統率されてないって事か?」


「その通り。さてそろそろ出ようか? 休憩もそろそろ良いだろう?」


「そうだな。よし、段取りを確認しよう」


「分かった。教吉殿を連れてくる」


 勝三郎は教吉殿の元に向かった。


 俺は地図を見て策の確認をする。


 俺と勝三郎の立てた策は本来はこうであった。


 まず、大高城を内応を装って落とす。


 そして、その大高城で今川勢を向かえ撃つ。

 この時にわざと大高城に敵を入れて火を放ち城を使えないようになる。

 その後鳴海城に戻って籠城戦を行い、援軍を待つ予定だった。

 市姫様達には鳴海城で俺達が今川勢を引き付けている間に、熱田から遠回りして今川の背後に回るように頼んだ。

 挟まれる形になった今川勢はうかつに動けない。

 そうなれば後は戦うか退くかだが、おそらくは退くはずだ。

 無駄に戦って兵を損なう事はしないはずだ。


 賢い義元ならそうすると俺は予測したのだ。


 しかし現実はそうならなかった!


 予定より今川勢が来るのが遅かった。

 それは良かったのだ。

 時間が掛かれば掛かるほど市姫様の援軍が期待出来る。

 しかし、実際は大高城を落としたが先に焼き払う目になった。

 これで予測の日にちとあまり変わらなくなってしまった。

 そして、予定よりも速く鳴海城を囲まれる事になってしまった。

 せめて後二日ほど有れば援軍が来るはずだった。

 なぜなら鳴海城を発つ前に津島から使いがやって来たからだ。


 そして、その使いの持ってきた文には『義龍 立てり』と書いてあった。


 斎藤義龍が蝮に謀叛を起こしたのだ!

 小六と小一が上手くやってくれたようだ。

 だが、斎藤勢が兵を退いて市姫様がこっちに来るのにどのくらい時間が掛かるだろうか?


 おそらく二日ほど掛かるだろう。


 その二日を俺達は守れるだろうか?


 それは無理だ。


 鳴海城は大高城よりは大きいが攻め手の数が多すぎる。

 本隊が来なくても二万の兵で攻められれば、半日と持たないだろう。

 持ったとしても二日持つかどうかだと思う。

 こちらに三千以上の兵が居たとしても大勢に囲まれるのは精神的に辛いのだ。

 今川の軍勢を見た時にそう思った。


 だから、一部策を変更した。


 鳴海城には五百の兵を残し、残りの動ける兵を使ってこちらにやって来る兵を奇襲する。

 鳴海城の兵は敵が攻め寄せたら抵抗する事なく逃げるように言ってある。

 教継殿なら上手くやってくれるだろう。

 ちなみに鳴海城には兵糧も武具もほとんど無い。

 今川勢は腹を空かして城に入ったら目当ての兵糧が無い訳だ。


 ざまあみろだ!


 そしてなぜ俺達が残りの兵でこちらに来る今川勢を襲うのかと言うと。

 最後にやって来る兵は補給物資を持って来るからだ。

 三万の兵が食べる物資を持って来るのだから自然と行軍速度は遅くなる。

 そして、その部隊にはおそらく義元本隊がいる可能性もある。


 俺達の目標はあくまでも物資を率いている隊だ。

 これを襲って物資を焼く。

 鳴海城には兵糧が無く、持って来た物資は焼かれて無い。

 そうなれば今川勢の足も止まる。

 後は退却するか先に進むかだ。


 だが、先に進んでも市姫様の軍勢がやって来ればおいそれとは戦えないだろう。


 そうなれば俺達の勝ちだ!


 第一目標はあくまで物資だ!


 第二目標が義元だ。


 義元はおまけ位に思っておこう。



 方針を固めた俺達は一路東海道に向かう。


 沓掛城からやって来る今川勢を襲うのだ。


 しかし、東海道に出た俺達は今川勢に会わなかった。


 斥候を沓掛方面に放ったが、しばらくして戻った斥候の報告には今川勢の姿は見えなかったと報告された。


「どういう事だ。なぜ今川勢が来ない?」


「おかしい。朝方から出たのなら姿を表してもいいはずなのに?」


 俺と勝三郎は顔を見合せ語り合ったが答えは出ない。

 すると後方に居た教吉殿がやって来た。

 教吉殿には後方から来るかもしれない今川勢を見張ってもらっていたのだ。


「お二方、今川勢はまだ見えませぬか?」


 俺と勝三郎は斥候の報告を伝える。


 教吉殿が持ち場を離れた事は一応注意したが、部下が見ているので大丈夫だと言われたので深く追求しなかった。

 それよりは教吉殿の意見で何か思い付くかもしれないと思った。


「もしかしたらですが、東海道ではなく大高道を通っているのでは?」


「いやいやいや、そんなはずは。大高道は遠回りなんですよ? そこをわざわざ通りますかね」


「私も藤吉の意見に賛成だ。わざわざ遠回りの大高道よりもこちらの東海道を通るはずだ」


「ですが、敵は海道一の弓取りですぞ! こちらの考え等お見通しかも知れません。そうなれば」


 確かにそう言われれば、俺達が相手にしているのは『海道一の弓取り』と言われた義元だ。


 こちらの考えを読んでいてもおかしくない。


「なら、大高道ではなくて直接熱田に通じる鎌倉道を通るのでは?」


「いやいや藤吉、それはない。それなら二万の兵を鳴海に寄越したりはしない」


「いや、分かりませぬぞ。鳴海の二万を囮に使ったやも知れませぬ。私は藤吉殿の意見に賛成します」


 教吉殿はどうも俺に好意的だな。


 なんか教吉殿の好感度をあげるような事したっけな?

 そういえば教継殿もやたら協力的だったな。

 こんな胡散臭い男の言うことをよく聞いてくれた。

 とても感謝しているが、なんでだろ?


「では、鎌倉道に物見(偵察隊)を放つか?」


「待て、先に大高道に物見を放とう。鎌倉より大高の方が近い」


「いや待て、遠い鎌倉を調べる方が先だ」


「それなら両方を調べるのは?」


「確かに!」 「いや待て」


 ここで意見が別れてしまった。

 方針はすでに決めているのだ。

 しかし肝心の目標が見つからない。

 焦りも手伝って意見が纏まらない。

 こうしている時間も惜しいのだが。


 俺達が話し合いをしていると沓掛方面の兵がやって来て報告した。


「間道に居た戦見物の者達を捕まえました。どうしますか?」


 戦見物? 何だっけそれ?


 う~ん、う~ん、あ!


「すぐに呼んで来てくれ!」


「は、分かりました」


 ほどなくして兵が戦見物に来ていた者達を連れて来る。


 数は五人、身なりは雑兵に近く粗末ななりだ。

 それもそのはず戦見物に来る者達は農民や地侍が多い。

 彼らにとって戦は格好の暇潰しであり娯楽であり『収入源』だ。

 この戦見物をしている者達が戦が終わると追い剥ぎに変わるのだ。


 怖いね~戦国の世の中は。


「お前達に聞きたい。正直に話せ! 嘘を吐けば殺す。本当の事を言えば褒美を取らせる」


 俺は懐から銭を取り出す。


 それを見た戦見物の者は喉をゴクリと鳴らし質問に答えると言った。

 俺はこの辺で今川勢を見なかったかと聞いた。

 すると彼らは見たと言った。


「それはどこだ!」


 彼らはある間道を指差した。

 そこは俺も覚えのある場所に繋がっている場所だ。

 そこは『田楽坪』と呼ばれる『桶狭間山』に至る間道だった。


「……桶狭間」


 俺はその名を呟いて身震いした。

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