第37話 交渉事は得意にて候

 俺と勝三郎は加藤家に来ていた。


 目の前には『加藤 図書助 順盛』が居る。


『熱田は今川に合力する』


 加藤順盛は開口一番、そう告げた。


 ここでの交渉事は上役である勝三郎の役目だ。

 俺はあくまでも補佐役に徹しないといけない。

 勝三郎に話をさせて俺が交渉の取っ掛かりを見つける。

 役割分担をはっきりしておく事は大事な事だ。

 特に話を聞いてくれない交渉相手とは。


 しかし、俺が想像していた感じとは違っていた。


 てっきり門前払いを食らうのかと思っていたが、そうではなかった。

 意外にもすんなり中に通したし、待たせる事なく会ってももらえた。

 まあ、最初から断り文句を言われるのは想定していたのでそれはいい。

 だが、話をする場を設けてもらったと言う事は少なくともこちらの話を聞く気は有ると言う事だ。


 これなら行ける!


 俺はそう思った。


 だが、勝三郎と順盛の話は平行線をたどっていた。


「何度も言いました通り、織田家に合力する事は出来ませぬ」


「我ら織田家が今川に勝てぬと、言いたいのか!」


「有り体に言えば、そう言う事ですな」


 違った。


 端から話にならなかった。


 ふぅ、これは容易じゃないな。


 順盛の判断は正しい。


 織田家に味方しても今の状態では今川を押し返す事は出来ない。

 よほどの幸運が続かないと無理だ。

 まずは斎藤をこちらがほぼ無傷で追い払い。

 そして今川を鳴海近くで押し止めて要るうちに、その無傷の兵力で援軍に来てもらいそのまま野戦決戦に持ち込む。

 その野戦で織田家はある程度の犠牲を払って今川を撃退する。


 うん、無理だ。


 つらつらと勝利条件を上げてみたものの、到底達成出来るとは思えない。

 しかし、織田家が生き延びる為にはその条件を整える準備をしないといけない。

 俺と勝三郎の役目は今川の足止めだ。

 その為に熱田の力が必要なんだ。

 いっその事俺の策を話してみるか?

 いやいや、話をして断られた上に今川にこの策の内容を伝えられたら俺達はおしまいだ。

 だが、この策はそもそも熱田の力を借りないと成立しない。

 まあ、物は熱田でなくても用意は出来るのだが、俺達が必要なのは『熱田の物』である必要があるのだ。


 さて、どうするか?


「今川に合力しても、織田家の時より酷くなる可能性もあるのではないのか?」


「今川様は左様な事はないと約束してくれました。すでに禁制(銭)を支払う用意も出来ておりますれば」


 禁制を支払う?


 つまり、『銭をやるから乱暴、狼藉はしないでね』って事だ。


 そうか、まだ禁制を支払うまでは行っていないのか。


 なるほど、順盛の考えが分かった!


 順盛はギリギリまで織田家と今川家を天秤に掛けているのだ。

 俺達と話をしているのは織田家が勝った場合の保護以上の何かを引き出す為だ。

 なるほど商人として抜け目がない。

 しかし俺達の手札は従来の保護と関所撤廃に守護不入の約束だけだ。


 他の手札はない。


「津島は堀田家を中心に我らに協力してくれる。それは我らが勝てると思っているからだ。そこに熱田の協力が有れば勝利は約束されたも同然」


「津島の堀田家が協力しようと我らには関係ござりませぬ。それに堀田家は我らの商売敵。今川様が勝てば堀田家は大損どころか。御家をなくしましょうぞ。ハハハ」


 ダメか~~。


 勝三郎の説得方法は間違っていない。


 曖昧な答えを出すよりもハッキリとした内容を伝えるのが一番分かりやすいし、納得も得やすい。


 しかし、商売敵か。


 津島と熱田は織田家の傘下に入って保護されてきたが、津島の方が熱田よりも活気があったな。


 加藤家と堀田家は商売敵。


 織田家が勝った場合は熱田加藤家は冷遇はされないだろうけど、今まで通り。

 対して堀田家は更に繁栄していくだろう。

 今川が勝った場合は逆になる。

 最悪堀田家は無くなってしまうのかもしれない。


 そうだ、堀田家が無くなったら俺の借金も消えるな!


 信行のクーデター以後は銭が無かったから、堀田家から借銭してたんだよな。

 後で平手のじい様に言って払ってもらうつもりだったけど、織田家が消えたら借金が残ると思っていたけど、堀田家も無くなるならそれも良いな。

 でもその場合、俺は死んでるんだろうな。


 しかし、商売敵か?


 待てよ。


 確か駿河に有名な豪商が居たような……

 う~ん思い出せない。

 分からない時は聞くのが早いな!

 順盛なら知っているだろう。


「順盛殿。私から一つ聞きたい事が有るのですが?」


「うん、何ですかな?」


「今川の御用聞きの商人は何と言いましたかね?」


「今川の商人? ……友野でしょうか」


 あ、思い出した!


 そうだよ、確か友野って名前だった。


「そうでした。友野、友野、友野何でしたかな?」


 あれ、何だったっけ?


「友野二郎兵衛ですな」


「そう、そう、友野二郎兵衛」


「その友野が何でしょうか?」


「いや、その友野二郎兵衛は今川の御用聞きでしょう。ならば今川が尾張を取ると、当然友野もこの尾張の商人を束ねる事になるのではないかと?」


「それは、……そうでしょうな」


「であれば、友野は加藤家にとって商売敵と言えますな」


「それは無論の事。何が言いたいのですかな?」


「友野は今川の御用聞き。その友野にとって既存の尾張の商人は邪魔でしょう。私なら………」


「私なら、何です?」


「皆まで言わなくても分かりましょう」


 ここまで言って分からない筈がない。


 順盛は黙りこみ、考えこんでいる。


『おい、藤吉。どういう事だ』


 小声で話かける勝三郎に俺は答えた。


『つまり、加藤家も堀田家と同じになるという事だ』


『そうなのか?』


『そうだよ』


 勝三郎はいまいち分かっていないようだ。

 まあ、武士の考え方なら簡単に切った張ったすればいいからな。

 商売人の争いなんて理解出来ないのかもしれない。


「木下殿は我らが堀田と同じになると言いたいのですかな?」


 ほら、もうわかってる。


「加藤家は熱田の豪商です。どうなるかなど……」


「……そうでしたな。どうやらそれを失念しておりました。今回の事で堀田家に勝てると思い、周りを見るのを疎かにしていたようですな」


「で、あるならば」


「仕方ありませんな。どうやら織田家に張るしかないようですな」


 よっしゃー!


 熱田の豪商加藤順盛は俺達織田家に合力する事を約束してくれた。

 もちろん、ちゃんと証文を書いて貰った。

 これで加藤家は俺達と一蓮托生だ。


「して、合力するにして兵だけとはいきますまい。我らに何を用意せよと」


 さすがに名の有る豪商は話が早い。


 俺はさっそく『それ』を用意してもらえるように頼む。


「これを用意すればよろしいので?」


 順盛は多少呆れていたが直ぐに用意すると約束してくれた。


 良し! これで第一段階はクリアだ!



「すまんな藤吉」


「いやいや、勝三郎が根気よく話してくれたから上手くいったんだ。俺の手柄じゃないよ」


 実際の所、俺一人だと順盛は俺と会ってくれなかっただろう。

 勝三郎の近習筆頭という立場があったからこその成果だ。

 俺は所詮農民からの成り上がりでしかない。

 市姫様や信広様の後ろ楯を得ているがそれだけでしかない。

 これから俺が上に行く為には味方を多く得ないといけない。

 そして、その味方が上に居てくれると助かる。

 まずは池田勝三郎を上に上げる。

 俺が困った時に助けてもらわないといけない。


「これは借りになるかな?」


「今は織田家存亡の時だ。借りなんて気にしないでくれ」(嘘です。気にしてください)


「そうだな。この危機を乗りきったその時に返すとしよう」


「ええ、ぜひ」(良し!)


「お二方。明日には用意が調います」


 俺と勝三郎が話をしていると順盛が話掛けて来た。


「それでは船を使って鳴海に運んでください」


「私の名を使ってくれ」


「分かりました。池田様の名で手配しましょう」


「そうしてくれ。俺達は直ぐに発つ。荷の件くれぐれも頼む」


「お任せくだされ」


 順盛は不安に満ちた目をしていた。


 商売敵である堀田家よりも駿河の友野の方を相手にするのはやはり嫌なようだ。

 実際、この頃友野二郎衛門は今川から様々な特権を与えられている。

 もし、尾張が今川の支配下に入ると尾張の商人は友野の支配下に入るだろう。

 例えるなら堀田家と加藤家は尾張で有名なデパートないしスーパーのようなもの。

 一方友野家は駿河遠江三河の三国で店を出している大手スーパーか、卸業者だ。資本金が違う上に統治者の庇護がある。

 友野が尾張に入れば堀田や加藤は今以上の商いが出来ない可能性が高いのだ。

 そうなると最悪の場合は店を畳まないといけない。

 それは商売人として看過できないだろう。


 俺だって嫌だ。


 であるならば、加藤家は是が非でも織田家に勝ってもらわねばならない。

 そこに俺達は付け込むのだ。

 要求した品は用意してもらった。

 後は俺達がそれを上手く使わないといけない。


 俺達は一路鳴海城に向かった。



 鳴海城には半日近くかけて来た。


 俺達が連れてきた兵力は約二千。


 勝三郎の千五百と俺の五十、そして熱田で五百を加えた。


 そして俺達を出迎えた山口親子は俺達に深々と頭を下げている。


「左馬助殿。どうか頭をお上げください」


「申し訳のしようもなく。この通りにて」


 正直、こんな対応をされるとは思っていなかった。


 何とか頭を上げてもらって城内で話をする事になった。


 そこで『山口 左馬助さまのすけ 教継のりつぐ』とその息子『山口 教吉のりよし』は事情を説明してくれた。


 まず、今回の今川侵攻の話を山口親子は知らなかったそうだ。

 侵攻前の直前のやり取りの中にも侵攻の事は知らされなかった。

 それが三日前の書状にて今川侵攻と道案内の要請を受けたという。

 実際の書状も見せてもらった。

 そして、山口親子は俺達が鳴海に来るまでは今川に合力しようと思っていたそうだ。


「斎藤が国境を侵しており、織田家は我らを見捨てるのではと思っておりもうした。しかし、実際はこうして兵を差し向けてくださいました。織田家に大恩を受けながらこのような………」


 これは危なかった。


 もし、ぐずぐずして兵を出していなかったら鳴海は今川の物になっていたかもしれない。


 しかし、そうはならなかった。


 これはツキがこちらに有る!


 ならばそのツキを逃さないようにしないといけない。


 俺はさっそく山口親子に策を説明する。


「何と大胆な!」 「このような策は?」


「これはあくまでも足止めの為です。どうでしょうか?」


「どれ程の時を稼げばよろしいか?」


「十日、いや五日は欲しい」


「五日ならば何とかなるやもしれませぬ」


 山口教継は不敵に笑った。


「なるべく時を稼ぎ援軍を待ちます。これが基本方針です」


「あい分かった! お任せあれ!」


 俺達はお互いに顔を見合わせ頷き合う。

 鳴海城は直ぐに籠城の準備を始める。

 俺と勝三郎は十騎ほど率いてこの地域の地形を見て回る事にした。


 俺は鳴海に来てからも思っていたが、あっちとこっちでは地形が微妙に違っていた。

 あっちで見てきた古戦場跡地の知識はここでは役に立たない。

 俺は慎重に周辺を見て周りの小さな脇道も見逃すまいと神経を尖らせていた。


 休む暇もなく見て周り、そして地図を書いていく。

 そしてそれを勝三郎、山口親子と見ながら見落としがないかチェックする。


 とにかく時間がない!


 今川の侵攻を知ったのがほぼ四日前だ。

 駿河からこの尾張の国境までは約六日、もしくは八日はかかる。


 そして情報にはタイムラグが生じる。


 そう、もしかしたら今日か明日には今川が現れる可能性があるのだ。

 鳴海城の籠城の準備事態は半日も掛からず終わった。

 元々、武具や兵糧は溜め込まれていたのだ。

 後は兵を集めるだけですんだ。

 そして山口親子は気の利いていることに斥候を放っていた。


 斥候の報告を聞いて俺達は気が抜けた。


 今川勢は大高城はおろか、沓掛城にすらたどり着いていなかった。


 更に一日が過ぎたがまだ来ない?


 そして、熱田から今川勢が何処に居るのか報告が来た。

 どうやら加藤家も気になっていたようで調べていたらしい。


 その報告によると今川勢は………


 岡崎で酒宴を開いているとの報告だった。




 ……バカなの、義元?

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