第三章 決戦 桶狭間

第35話 今川の襲来にて候

 今川が動いた!


 予想よりも三ヶ月も早い!


 何故、今なのか?


 いや、考えるだけ無駄だ。


 今考えるのは向かってくる今川軍三万をどう迎え撃つかという事だ。


「勝三郎。この事を知っているのは?」


「今ここに居る三人だけだ」


「直ぐに信光様と平手様に知らせよう。他にはまだ知らせるとまずい。騒ぎになって収拾するのに時間をかけてしまう」


「そうだな。いつもの部屋を用意する。用意出来しだい呼びに来る」


「分かった。小六は兵を纏めてくれ。騒ぎはおこすなよ!」


「分かったよ。任せておくれ」


「頼む」


 二人は直ぐに部屋を出て行った。

 俺は直ぐに出せる糧食や武具の数の把握に務める。

 まずは自陣の兵力を知らないといけない。


 話はそれからだ!


 まずは美濃斎藤家に当てた戦力を調べる。

 林佐渡を大将にした軍勢、その数五千。

 清洲の兵を中心に名古屋城の兵力を根こそぎ集めた戦力だ。


 内約は、清洲三千、名古屋二千だ。


 これのおかげで清洲と名古屋は手薄だったのだ。

 そして、その軍勢に佐久間を中心にした戦力三千が合流している。

 林と柴田を殺害して兵を吸収して合計八千。

 そして昨日、市姫様と信広様の千がこれに合流しようとしている。


 合計九千。


 その他の兵力を集めると万は越える。

 これなら斎藤家も進攻を躊躇するはずだ。

 斎藤家は問題ない。


 問題は今川だ。


 最前線の鳴海城は二千の兵力で守っている。

 兵糧と武具はたんまりある。

 一、二年は余裕で籠城できる。

 しかし、三万を相手にしてはどうだろうか?

 現実的に考えると三万の兵力に囲まれるプレッシャーに城の兵達は耐えられるだろうか?

 おそらく無理だろう。

 一人に対して十人以上で囲まれるのだ。

 その圧力に耐えられる訳がない。


 増援を送らないといけない!


 今清洲には解雇された馬廻りの兵千五百がいる。

 この兵力は津島から来ている。

 解雇された馬廻りを津島で雇い直したのだ。

 貴重な実戦経験者を雇わない手はない。

 それなりに銭が掛かったが必要経費と割り切った。


 それが役立った!


 この兵力を向かわせて途中で増援を加えれば二千にはなるだろう。

 鳴海とあわせて四千か。

 何とかなるだろうか?

 なるべく時間を稼いで斎藤家を追い払った味方と合流出来れば。


 ……無理だな。


 そもそも数が違う!

 となるとやはり『桶狭間の戦い』を再現するしかないか?

 しかし、今川方は兵を分散するだろうか。


 それが問題だ。


 三万の兵力を分散させて敵の本陣を叩く!


 言うは易しだな。


 はぁ、どうするか?


 時間はない。


 そうだ山口教継だ!


 彼がいた。


 彼から今川方の情報を得よう。


 よし、とにかく今川方の情報を得ることが大事だ。


 俺が考えを纏めた時、勝三郎が呼びに来た。


 さぁ、軍議だ!




「今川が動いたと?」


「左様です。信光様」


「兵はどのくらいじゃ?」


「道空殿の文には三万との事」


「「三万!?」」


 いつもの部屋に四人の男が集まっていた。


 清洲城代としての信光様。

 それを補佐する平手のじい様。

 そしてそれを補佐する俺とこれから兵を率いる勝三郎。


「急ぎ市に報せるとしよう」


「報せるのは構いませんが、市姫様には眼前の斎藤との戦に集中してもらうべきです」


「私も藤吉と同じ意見です」


「バカ者! 三万と一万じゃぞ。どちらを優先するかは一目瞭然であろうが!」


「平手、落ち着け。そんな事はこの二人も分かっている」


「分かっているのなら何故今川ではなく、斎藤を優先するのじゃ?」


 俺と勝三郎は顔を見合せ、打ち合わせ通りに話を進める。

 実はこの部屋に来る前に勝三郎とは打ち合わせ済みだ。


「平手様。まずは目前の脅威を払うべきです!」


「う、うむ。目前とな?」


「勝三郎の言う通りです。実際に尾張領内の近くまで来ている斎藤を優先すべきです」


「しかし、今川はどうする?」


「信光様。道空殿の報せではまだ今川方は駿河を出たばかりにて、多少の時間が有ります」


「時間か?」


 信光様と平手のじい様は考え込む。


 そこで俺は話を進める。


「まずは全力をもって斎藤方を追い払い、返す刀を持って今川方を追い払うのです!」


「しかし、斎藤方を追い払うのに時間がかかれば今川がやって来るではないか?」


「そこで鳴海の教継殿を使うのです!」


 勝三郎がどや顔を決める。


 いいぞ勝三郎!


 もっと攻めろ!


「鳴海の? 山口教継か!」


「そうです信光様。今こそ教継殿の力を使う時です!」


 うん、勝三郎の方が俺が言うより説得力があるな!


 話は夕刻まで掛かったが何とか二人の了承を得ることが出来た。


 だが、問題は市姫様なんだよな?


 素直に言うことを聞いてくれるだろうか。


 そして俺と勝三郎はそれぞれ兵を率いて動く。

 勝三郎はかつての馬廻り千五百を、俺は小六含めた蜂須賀党三百。

 俺は市姫様の所に、勝三郎はとある場所に。


「勝三郎気を付けろよ?」


「そっちもな。藤吉」


「俺は市姫様に会ったら直ぐにそっちに向かう。準備をよろしく」


「分かった。こっちは任せろ。では!」


「おう。向こうで!」


 俺は勝三郎率いる軍勢を見送った。


 そして俺も出発する。


 向かうは市姫様の元。


「よし、行くぞ!」


「はい! あなた」


「その『あなた』呼びは止めないか小六?」


「もういい加減なれたでしょうに。それにこの戦いが終わったら晴れて夫婦」


「何で? 市姫様の許可は貰ってないだろう?」


「だってぇ。この戦いの一番手柄はあなたですもの。そのあなたが頼めば許可は」


「いや小六。それは死亡フラグだ。俺はまだ死にたくない」


「死亡、フラグ? なんなのそれ?」


「そ、それは忘れろ! 行くぞ。はいよー」


「あ、待ってー あなたー」



 俺の前途は ………多難だ。




 俺は小六と共に市姫様の居る犬山城を目指した。


 斎藤方の兵は犬山城の近くまで来ている。

 その数一万二千。

 当初の報告よりもさらに兵が増えている。


 何でそんなに増えてんだよ!


 小六から聞いた話だと最大で八千のはずなのにさらに四千も増えてやがる。


 もしかして、美濃の蝮さん本気出してる?


 確かに隣の国のトップがあたふたしてたらちょっかい掛けたくなるだろうけど、そんなに本気にならなくても良いじゃないか。

 そもそもここにはあなたの娘さんも居るんだよ。

 清洲を取り戻した時に信長の正室である『濃姫』も保護している。

 最悪彼女を使って休戦でも和睦でもしようと考えている。


 そう、最悪の場合はだ。


 俺が犬山城の近くまで来ると斎藤方の兵が見えた。

 馬上から見える斎藤方の兵は数えるのが億劫になるほどの人が見える。

 それを見て自分の後ろを振り返る。


 そこには小六と顔つきの悪い男達がいた。


 実際に自分が三百人を率いてみて分かるのは、三百人がとてつもなく多いと感じる事だ。

 向こうで暮らしていた時に仕事で部下を持った時は多くて四、五人だった。

 そんな俺がここでは三百人の人間を率いている。

 それを自覚した時、身震いがした。


 恐怖だ。


 浮野の戦いの時は、右筆で戦場を肌で感じたがその時は配下なんて居なかった。

 自分一人だった。

 だが今は三百人が俺の命令を待っている。

 クーデターの時は百人もいない人間を差配したが、その時は無我夢中だった。

 人を使っていると意識していなかった。

 自分は信広様の代わりをしていると思っていたからだ。


 そして今、改めて意識してしまった。


 俺はこれからこの三百人に『戦え、人を殺せ』と命令をしないといけない。

 果たしてそんな言葉を俺は言えるのだろうか?


 そんな考えをしていると小六が俺の隣にやって来る。


「何考えてんだい? もしかして、ブルってるのかい」


「そうだと言ったら?」


「うふふ、藤吉も人の子だねぇ。安心したよ」


「俺は人の子だよ。鬼でも妖でもない」


「そうじゃないよ。あの人数を見て喜んでたら、それは人じゃないよ」


「喜んでそうな奴に心当たりがあるな」


「又左衛門かい? あれと藤吉は違うよ。藤吉は怖さを知った。それなら生き残れるよ」


「怖さを知るから生き残れるのか?」


「怖さを知らないバカは早死にする。戦の常識だよ」


「そうか。なら俺は生き残れるのか?」


「さあ? でも藤吉は死なないよ。 なんせあたし達が付いてるからねえ。そうだろう、お前ら!」


「「「「おう!」」」」


「なんか泣けてきたよ」


「大将が簡単に泣くんじゃないよ。さあ、姫さんの所に行こうかねえ」


「ああ、そうだな!」


 小六に元気づけられた俺は犬山城に入城した。



 俺が犬山城に着いた事は直ぐに市姫様達に伝わった。


 そして、城内のある一室に案内された。


「藤吉!?」


「よう、又左衛門君!」


 その部屋には又左が一人寝転がって居た。


 俺が部屋に入ると又左は寝転がるのをやめて、上体を起こして胡座をかいた。


「姫様はここに来られるのか?」


「ああ、軍議の後にな」


「軍議の後? お前は何をしている?」


「お留守番だよ。俺が居てもしょうがないからな。それより何でお前がここに来るんだ? 勝三郎はどうした。 一緒じゃないのか?」


「ああ、それは姫様が来られてから言うよ。どうせ姫様からも聞かれるしな」


「うん、まあそうだな」


 俺は又左から軟禁されて居た時の話を聞いたり、そうかと言えば逆に又左は軟禁される間に俺が何をしていたのか聞き返したりした。

 なんせ、信行が死んでその翌日には又左達は増援として清洲を出てしまったのでゆっくりと話をする機会がなかったのだ。


「そうか。大変だったな藤吉」


「ああ、大変だったよ。お前実家に当てた文に何て書いたんだ!」


「うん? さて何と書いたか。 ……思い出せん」


「お、ま、え、なあ~~」


「まあまあ落ち着け。そら待ち人が来たぞ」


 俺が又左をもう一度殴ろうとした時、戸が開かれた。


「何をしている藤吉、又左衛門」


「いやこれは久しぶりに会ったので旧交を暖めていたのであってですね」


「ふふふ、相変わらず仲が良いですね。二人とも」


 部屋にやって来たのは甲冑姿の信広様と市姫様だ。


「清洲からの使者と聞いて来たが、何か有ったのか?」


「はい、お伝えしたき事がございます」


 俺の真剣な顔を見たのか。二人とも顔つきを変える。

 そして市姫様と信広様が上座に座り、俺は今川の来襲を伝えた。


「今川が動いたのか! この状況でか?」


「それは誠なのですか? 藤吉」


「今川か~、腕が鳴るのう。藤吉、直ぐに鳴海に向かおう。何、俺に任せておけ。今川の二千や三千」


「三万だ」


「「「三万!?」」」


 うん、やっぱりそういう反応するよな。


「三万の軍勢だと!」


「い、いや~~、三万はちょっと多いな~」


「三万。目の前には斎藤の一万が居るのに、どうしたら?」


 三者三様の反応で返される。

 その反応は俺にとって予想済みだ。

 そして俺は三人に清洲で話した策を伝える。


「それは、確かにそれならば。いやしかし、ぐむ」


「おい、俺を連れて行かないのか? そんな美味しい役目は俺のもんだろうが!」


「……………」


 信広様は考え込み、又左は俺に詰め寄る。


 そして市姫様は無言で俺を見ていた。


「藤吉」


「はい」


「それしかないのですか?」


「信光様と平手様、それに勝三郎も了承しています」


「任せて良いのだな」


「出来れば斎藤方を早く追っ払って頂ければ、何とか?」


 市姫様は天井を見上げた。


 そして、強い意思を感じさせる瞳で俺を見る。


「分かった。お前と勝三郎に任せる」


「市!」


「兄上。私は決めました」


「しかしだな!」


「……兄上」


 市姫様の瞳が今度は信広様を捉える。


「はぁ、分かった。陣代である市の判断に従おう。まったく、信長に似てきたな。お前は?」


「当然です」


 市姫様が良い笑顔で信広を見ている。

 そして、胸を張る姿は久しぶりだ。

 だが、鎧姿なので大変結構とは言えないな。


 ………残念だ。


 俺は伝える事は伝えたのでさっさと犬山城を後にするつもりだったのだが、市姫様に止められた。


「少しくらいは休んでいきなさい」


「いや、しかし時間が」


「休みなさい!」


「……はい」


 結局、犬山城で一泊する事になった。


 俺は小六達に先に動くように伝えた。

 小六は俺の護衛の為に五十人ほど残して先に発って行った。

 少しだけ申し訳なかったが、小六は『気にしないで休みな』と言ってくれた。


 そして俺は寝所で一人寝ていたのだが、そこに侵入者がやって来た。



 その侵入者は『市姫』様だった!

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