第31話 織田 三郎五郎 信広

『織田 三郎五郎 信広』


 庶子では有るが織田信秀の長男であった。


 彼は第二次小豆坂の合戦に参加、その後三河安祥城の城主になり二度の今川家の侵攻を受ける。

 二度目の侵攻の時に生け捕りにあい『松平 竹千代』と人質交換をされて尾張に帰って来た。


 俺の記憶とこの世界の信広は同じのようだ。

 その後、こっちの信広は古渡城を与えられた。

 この辺は俺の記憶にはない。

 それに古渡城は確か廃城になっていたはずだ。

 俺が知っている信広は信長の兄弟をまとめて一門筆頭のようになっていた。

 そして長島一向一揆の戦いで亡くなっている。

 おまけとして信長に謀叛しているが直接戦ったかどうか諸説あるらしい。


 だが、こっちの信広は信長に謀叛をしていない。

 それどころか積極的に市姫様に協力している。

 先の浮野の戦いでも信光様の軍勢に兵を出している。

 自身は清洲で城代を勤めていた。

 頼りになるお兄さんだ。


 俺は道空殿に信広様と連絡を取ってもらった。

 俺は信広様を何度か見たことは有るが、直接面識が有るわけではない。

 まして今の俺は無職だ。

 そんな人物が一城の主においそれと出会えない。

 そこで道空殿に俺が勝三郎の指示で動いている事にしてもらった。


 勝三郎には悪いが俺と勝三郎では信用度が違う。

 それに勝三郎なら事後承諾でも許してくれるだろう。

 察しのいい勝三郎だから分かってくれるはずだ。


 二日ほどして向こうから会いたいとの連絡が来た。


 俺は小六と一緒に古渡まで出向く事にした。

 小一と寧々はお留守番だ。

 小一には俺に代わってやっておいてもらいたい事がある。



 一日かけて古渡城に着いた。


 ゆっくり向かったのには訳がある。

 この辺りの地形を把握する為だ。


 しかしこの古渡の城はお粗末だな。


 堀と物見櫓が有るが門は冠木門かぶきもんだ。

 まあ、大体どこの城も門は冠木門か。

 それに城と言っても天守閣が有るわけじゃない。

 御殿と呼ばれる屋敷が本丸扱いだ。

 屋敷の回りを掘って空堀とし堀った土で土塁を築き板塀で囲み櫓を立てる。


 これが普通の城だ。


 古渡城は普通の城だった。


 そしてさして広くない部屋で俺と小六は織田信広に対面した。

 見た限りだと信広は三十過ぎ。

 顔はまあまあ良いな。

 少し目付きがきつい。

 中肉中背だ。

 太過ぎず痩せすぎず。


 ただ、信広の顔に笑顔はない。


 俺は道空殿に信広に当てた手紙には『信行の謀叛許すまじ』と書いた。

 俺が許すまじと言っている訳じゃない。

 勝三郎が言っているんだ。

 俺は動けない勝三郎の代わりに信広と会うのだ。


「お前達が、勝三郎の使者か?」


「はっ」


 俺は一礼する。


「勝三郎の話は分かる。分かるが信行は叔父の代わりをしているに過ぎない。私が動く理由にはならない」


 信広の言は分かる。


 だが、何としても信広に動いてもらわないといけない。


「発言をお許し願えましょうか?」


「その方、名は?」


「木下 藤吉と申します。こちらは蜂須賀小六です」


 小六は俺の後ろに控えている。


「木下? 確か市の右筆にそのよう名があったな」


「わたくしがそうです」


「おう、お主がそうか! 市が珍しく人を誉めていたので覚えておる。そうか、お主がな」


 お、これは好感触。


 市姫様グッジョブです。


「信広様。信行様、いえ信行は奇妙丸様を人質に尾張の国を壟断しております。何とぞ我らにお力を。伏してお頼み申します」


 俺は両手を前に着き頭を下げる。


「信行がそのような事をするであろうか? 私には信じられん」


 あれ? 信広は信行を信じているのか。


 俺は頭を上げて反論する。


「信行はすでに事を成しています。それに彼は勝手に関所を作っています。これは国の織田家の政策に反します」


「う、うむむ」


 少し考えているな?


 ここは畳み掛けよう。


「このまま信行が尾張を治めても尾張の民の生活は良くなりません。逆に苦しくなるでしょう。早くとも三月後にはそれをお分かり頂けるでしょう」


「三月とな? 何故はっきりとそのように言える!」


「事実を申し上げております。必ず三月後にはそうなります」


「道空の文にも同様の事が書かれていたな。詳しく述べてみよ」


 信広は真剣な眼で俺を見ている。


 しかし、道空さんは道空さんで手紙書いていたのね?


 俺は簡単に分かりやすく説明した。


 関所を作る。

 今まで自由に行き来出来たのが出来なくなる。

 物も人も銭も時間も失われる。

 そんな場所に人は集まるのか?

 集まる訳がない。

 おそらく次々と関所は作られて行く。

 短期的に関所からの収入が入るが長期的に見るとその収入は先細る。

 まして隣国の美濃は国内の関所をほとんど廃止している。

 このままだと尾張から美濃に人と物が移ってしまう。

 そして尾張の経済は銭の流れは停滞してしまう。

 銭の力で台頭して来た織田家は銭が回らなければ力を失うのだ。


 と噛み砕いて説明したがどうだろうか?


 信広はうんうん頷きながら聞いていたが、顔は分かっていない顔だった。

 回りの家臣達もちんぷんかんぷんな感じだ。


 小六は理解している。


 彼女は蜂須賀党を率いて材木業を営んでいたので、銭の使い方をよく知っている。


 しかし、武士は違う。


 武士は奪うだけだ。


 民を守る訳ではない。

 民が差し出す税を守っているのだ。

 だから、税がどうのこうの、経済がどうのこうの言っても分からない。

 目先の事しか考えていないのだ。

 先の事を考えているなら戦国の世はとっくの昔に終わっている。

 普通の武士には理解出来ないだろう。


 正直困った。やり方を間違えた。


 ついつい熱が入って話をしてしまった。


 もっと簡単に直接的な言い方にしよう。


「つまりですね。民からの税が減ったり商人が来なくなったりするんですよ」


 これなら分かるかな?


「何、税が減るのか?」


「商人が来なくなるだと。どうしてだ?」


 家臣達は分かってくれたのかな。


 騒ぎだした。


 しかし、肝心の信広は眼を閉じて考えこんでいるようだ。


「信広様?」


「三月後だ」


 信広様は眼を見開き俺を見る。


「は?」


「三月後にその方が言った通りならば、我は立とう」


「おお、ありが」


「ただし、三月後にそうならなかったらその方を信行に突き出す。よいな」


「ははー」


 条件付きで何とかなった。


 三月後に信広の協力を得られるがその間も準備しないといけない。


 三月後、年が代わる。


 弘治四年がやって来て直ぐに永緑元年になる。


 そして、遅くともその六ヶ月後には今川がやって来るのだ。



 弘治三年が明けて、弘治四年を迎えた。


 この年、元号が永緑に変わる。


 後奈良ごなら天皇が亡くなり正親町おおぎまち天皇が即位して改元される予定だ。


 実は俺達が上洛した時には既に後奈良天皇は亡くなっていたのだ。

 この時に上洛していた長尾景虎と織田市の寄進によって正親町天皇の即位の目処が立った。

 その為景虎には弾正少弼の位と織田奇妙丸に尾張守の位が与えられた。

 こういう言い方はよくないが織田家にとってとても幸運だったと言えよう。

 そして本来天皇即位の資金を用立てた大名は、その恩恵を受けれない事になる。


 その大名の名は『毛利 元就もとなり』だ。


 謀神とも謀聖とも呼ばれる中国地方の覇者だ。

 歴史好きの俺にとっては是非会ってみたい武将の一人だ!


 後、敵に回したくない相手だ。


 今回の即位資金の件はまったくの偶然だ。

 これで恨まれたくはないが多分大丈夫だろう。

 なんせ史実では正親町天皇は三年も即位出来なかったのだ。

 その間誰も即位に資金を出していない、と思う。

 実際は色々と動いて資金を集めたのだろうが、俺も詳しいことは知らない。


 だから、大丈夫だ。


 ……多分。


 年が変わっても俺は古渡城にいた。


 正確にはあの交渉から俺は古渡城に留め置かれていた。

 俺に逃げ出されては困るからだ。

 古渡城にいる間は客将扱いだ。

 贅沢は出来ないがそれなりに遇されていた。


 体のいい軟禁である。


 この軟禁されている間も俺はせっせと文を書いていた。

 平手、佐久間、前田、池田等の市姫派の家臣達にだ。

 当然俺の名前じゃない。

 勝三郎と平手のじい様と次いでに利久の名前で出しておいた。

  俺はそこまで有名じゃないからな。


『信広様を大将に決起する準備を進めている』と文にしたためる。

 平手と池田は当主不在だが動いてくれそうだ。

 佐久間からは当主である『佐久間 右衛門尉うえもんい 信盛のぶもり』から直接書状をもらった。

 同じく佐久間盛重からも送られた。


 問題は前田家だ。


 まつが居るにも関わらず文には色好い返事が来ない。

 ただ『荒子に来い』と書かれているだけだ。


 前田家に、まつに何か有ったのか?


 文を届けたのは蜂須賀党と堀田家の商人だ。

 当然文を受け取ったのも彼らだ。

 俺は彼らに質問したが、前田家に監視がついているわけではないようだ。

 なら何故だ?

 考えてもしかなたい。

 軟禁が解かれたら一度前田家に向かうことにしよう。


 一方留守を任せた小一からも文が届いている。

 小一は読み書きを習って少ししか経っていないが上達が速い。

 本当に小一は優秀だ。

 それを証明するように俺が頼んでいた事を着実に実行してくれた。

 出来た弟だよ、小一。



 そして、年明けから一月が経とうとしていた。


「約束の三月だな」


「左様ですな」


 俺の前に信広がいる。


 今日は約束の日だ。

 三月前よりも人と物の出入りが少なければ税は減る。

 正月が明ければ確かめるのは簡単だ。


 さあ、返事を貰おうか?


「あれを」


 信広は家臣の一人に返答をさせるようだ。


「は、ではこれを」


 家臣は信広の前に書状を持っていく。


 あ、信広が直接言うのね?


「ふむ、確かに人が少なくなっているな」


 よし、そうだろう、そうだろう。


「商人も例年に比べれば減っております。市も活気が有りませぬ」


 家臣が付け加える。


 当然だ。


「藤吉。その方の言う通りであった。信行の行いは織田家を弱らせる。これでは今川、斎藤に遅れを取ろう」


「では?」


「うむ、約定通り我は立とう! そして信行を討つ」


 よっしゃー!


「お力添え、感謝いたします」


 俺は両手をついて頭を下げる。


 思わず笑みがこぼれた。


 そして、さらに幸運な出来事が有った。


 朝廷の使者がやって来たのだ。


 朝廷の使者は織田家に尾張守の授与をしにやって来たのだ。

 しかし、これを信行側は把握していなかった。

 当然だ。俺達は守護職就任と尾張守の授与を報告していない。


 これには信行達もてんやわんやの大騒ぎ。


 さらにまずい事に、いざ尾張守の授与の段になってから奇妙丸様ではなく信行が尾張守を受けようとしたのだ。

 尾張守を受けるのはあくまでも織田家当主の奇妙丸様だ。

 元服前では有るが陣代である市姫様と後見人である信光様の介添えが有れば問題ないとして、朝廷とは話をつけていたのだ。


 それを信行はぶち壊した。


『自分が織田家当主である』と言い張って奇妙丸を出さなかったのだ。

 朝廷側は困惑。

 信行側は朝廷の使者に詰め寄る。

 本来ならこんな無礼は許されないだろうが、ここは京の都ではない。

 もはや権威が守ってくれる場所ではないのだ。


 しかし、朝廷側もそこは海千山千の使者殿だ。

 気分が優れないと席を外してそのまま逃走。

 現在は津島に逗留している。


 この話は即座に尾張中に噂が広まった。


 たとえ関所を設けて人の出入りを監視しても噂を止める事は出来ない。

 なんせ噂を広めているのは朝廷の使者その人なのだから。


「いや~文をもらった時は驚いたが実際にあのような目にあうとは思いもせなんだ」


「ご面倒をお掛けしました。山科様にはご苦労をお掛け致し誠に申し訳なく」


「いやいや、大変面白い物を拝見させてもらいました。ほほほ」


 朝廷の使者は『山科 言継』様だ。


 俺が動けないうちに朝廷の使者が尾張に来ては大変と思い道空殿と小一、寧々に対応を任せたのだ。


 山科卿が年越し後に来ることは分かっていた。

 年内は即位や元号の改元やらで時間が取れなかったのだ。

 それに年明けも忙しく二月に入ってようやく尾張に来られた。

 そして、信行の事を文で知らせたのだが山科卿は『それも一興』とわざわざやって来てこの騒動だ。


「何、織田弾正なる御仁を直接見たくての?」


「如何でしたか?」


 道空は茶を薦めながら尋ねた。


「ふむ、一言で言えば。あれは病んでおるな」


「病ですか。 そのような話は聞いておりませぬが?」


「心の病よ」


 これは後になって道空殿から聞いた話だ。


 今の俺は古渡で決起の準備をしていた。


 信行は朝廷の使者を怒らせたと民は騒いでいる。

 同時に清洲城付近の城や街には商人が寄り付かなくなりますます民は困惑していた。

 そしてそれは尾張内に噂を呼んだ。


『弾正様(信行)が関所を作って物も人も来んようになった』


『市で売られる物が少のうなった』


『商人も居らんようになった。どうなるんじゃこの尾張は?』


 信行に対する不満は少しずつ増えて行った。


 そして、更なる朗報が舞い降りた。


 織田家馬廻衆の半数近くが罷免されたのだ。

 理由は資金不足だ。

 今まで織田家は資金繰りを津島や熱田の商人に頼って来た。

 しかし、この資金を貸し付けていた津島と熱田の商人が銭を貸し渋りしたのだ。


 理由は守護不入の撤回である。


 守護不入は商人達の自由商売の権利の保証である。

 商売に関して領主は口出ししない、権力を行使しないという約束事だ。

 これは信長が津島と熱田の商人に直接言及している。

 そしてこの守護不入により津島と熱田の商人は更なる発展を遂げていた。


 しかし、信行は守護不入を撤回した。


 これは商人達にケンカを売っているようなものだ。

 いくら織田家が津島や熱田を保護していても、その発展を妨げては意味がない。


 商人達は信行を認めないと決めたようだ。


 今の信行はクーデターを起こした時の明敏さを感じない。

 どこかちぐはぐな感じだ。

 しかしこれで信行はほぼ終わりだ。

 後は兵を上げる口実が有ればいい。


 いや、口実は有る。


 だが、まだ兵を上げるタイミングじゃない。


 まだ、その時じゃない!

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