第32話 決起致し候

 準備は万端整った。


 後はその時が訪れるのを待つだけ。


 しかし、一つ大事な用事が有った。

 前田家にご訪問しないといけない。

 前田家に文を送っても相変わらず『荒子に来い』と書かれているだけ、一体前田家に何が起きているのか?


 俺は信広様に許しをもらって荒子に向かうことにした。


 供はいない。


 途中まで小六と一緒だったが小六には津島で小一と色々やってもらわないといけない。

 これが無駄にならなければ良いのだが、何かしら問題があるといけない。

 そして前田家、これが罠だったとしたらどうしよう?

 しかし蜂須賀党や商人連中の話ではそんな事はないと言っていた。

 とにかく荒子に行って前田家を説得する。

 これが今回のミッションだ。

 それに例の日も近づいている。

 あまり時間はない。



 荒子城か、城というより大きな屋敷だな。


 堀があるが空堀だ。

 水堀は川や湖等水源が近くにないと無理だ。

 いくら水源が豊富な尾張でも水堀はほとんどない。

 有るのは空堀だけ。

 そしていつもの冠木門だ。

 その冠木門の前に兵がいる。

 衛兵だろうか?


「止まれ。何者だ!」


「えっと、この書状を受け取った者です」


 俺は前田家の書状を渡す。


「しばし、しばしお待ちを」


 書状を受け取った兵は脇に有る小さな扉から中に入って行った。


 おお、そういえばそんな扉が有ったな!


 映画やドラマでお馴染みの門の中の小さな扉だ。

 城巡りや寺巡りで大きな門には必ずああいう扉が有った。

 こっちにもそういう扉が有ったんだ。


 待たされる事数分。


 兵はかなり慌てて戻ったのか息を切らせていた。


「ど、どうぞ。お入り、下さい」


 そう言うと冠木門が開かれた。


 おお、門の明け閉めを初めて見た。


 清洲も古渡もいつも開いていたからな。

 不用心だと思っていたが、人の出入りが激しい所の門は開けっ放しの方が楽なのだ。

 清洲と古渡は朝夕に門の開閉がされる。


 荒子はあまり人の出入りがないのか?


 そして、門の先に待ち構えていたのは槍の稽古に励む人達だった。

 五十人ほどの人達が一心不乱に槍を突いては引く動作を繰り返していた。

 ひたすら無言で突いている。


 その中にまつがいた!


「まつ!」


 俺はまつに声を掛けるべく近づいたが、近くの稽古していた人達に槍を突き付けられて近寄れなかった。

 しかし俺の声に気づいたのか。

 まつが小走りに近寄ってくる。


「藤吉様!」


「何、藤吉、様だと?」


 すると槍を突き付けていた者達は一斉に槍を下ろして俺を解放した。


 まつに案内されて俺は荒子城の中にいた。

 正確には荒子屋敷の一室と言っていいだろう。

 目の前には小袖姿のまつと、その隣に座る男性がいた。


「その、藤吉様。父です」


「これは。拙者は木下 藤吉と申します。以後お見知りおきのほどを」


 俺は両手をついて深々と頭を下げる。


 しかし、向こうからの挨拶はない。


 頭を上げて良いのか和からなかったが、少しだけ頭を上げてちらりと見てみると、怖~い顔をした人が睨んでいた。


 父と呼ばれた人が俺を睨んでいる。


 俺は頭を上げきる事も出来ずただ頭を下げている。


 困った。


 何で俺は睨まれているんだ。


 俺が頭を下げて少しした後戸が開かれた。


 俺は頭をひねり戸が開いた方を向くと、年配の女性が茶請けを持って入ってきた。

 そして、俺を見ると口に手を当て少し驚いた顔を見せると茶請けを下ろし、つかつかとまつ達の方に歩いていく。


「いつまで客人に頭を下げさせるですか!」


「うひ!いや、その、お前」


「言い訳無用! 外に出ていなさい!」


「ひゃ。すまん、俺が悪かった。だから機嫌を直せ。な」


「で、て、い、き、な、さ、い」


「分かった! 出ていきます」


「呼ばれるまで外で待機! 良いですね!」


「は、はいー!」


 一連のやり取りの後に父と呼ばれた人は直ぐ様部屋を出ていった。


「ごほん。失礼致しました。顔をおあげくださいませ」


 俺は言われるがまま顔を上げる。


 そこにはまつが年を取ったらこうなるんだろうなと思わせる人がいた。


「あの、藤吉様。は、母です」


「まつの義母、妙と申します。藤吉殿。夫利春の無礼、申し訳ございません」


 そういうと今度は妙さんが頭を深々と下げた。


「あ、いえ。私は何とも思っておりませぬ。顔をおあげください」


「そうですか。では」


 妙さんはそういうと躊躇せずに顔を上げる。


「はぁ~、母上」


 少し呆れた声を出すまつ。


 珍しいなまつのこんな態度。


「まつ。いい婿を見つけましたね。でかしました」


 そう言って妙さんは両手を合わせて嬉しそうに答えた。


「あの、婿と言うのは?」


「文に書いてませんでしたか?」


 文に書いて?


「いえ、ただ『荒子に来い』とのみ」


「まあ、あの人はまったく! ですが、まあいいでしょう。藤吉殿。吉日を選んで婚儀を行いましょう。早い方がよろしいでしょうから準備は進めていたのです。中々藤吉殿が来られないので心配していたのですが、こうしてこの前田家に参って頂いたのです。準備が無駄にならくて良かったです。そうそう又左衛門は自分に何か有ったらあなたにまつをよろしくと申しておりますので、藤吉殿には前田家に養子に来てもらいます。『前田 藤吉』うん、悪くない響きです。あ、後で息子達を紹介致しますわ。息子達は藤吉殿の事を今か、今かと待っていましたからきっと藤吉殿の事を気に入ってくださいますわ。でももし藤吉殿が息子達を気に入らなかったら言ってくださいまし。私が息子達を教育し直しますので安心してください。あら、いやだ。私ったらお茶も出さずにお話ばかりですみませんね。こちら粗茶ですがどうぞ」


 思わずぽかーんとなってしまった。


 そして勧められるまま茶を飲む。


「あ、美味しい」


「あら、お気に召して頂けましたか?この茶葉は津島に出入りしている者から譲って貰った物なのですが、中々手に入らない茶葉ですのよ。あ、そちらの」


「母上!」


「なんです。まつ」


「その、藤吉殿と話を」


「あらあら、まあまあ。私としたことが気も効かせず。ではまた後でお会いしましょう。藤吉殿失礼致します」


「あの、母上」


「いきなり押し倒したりしたらダメよ。でも、口吸いくらいはしなさいね」


「母上!」


「では、藤吉殿」


 妙さんは嵐のような人だった。


「申し訳ありません」


「いや、まつが謝ることはないよ。それより………」


「その、婿云々は母上の早とちりですので。そ、その。私は又左衛門様を……」


 そうだよな。まつは又左一筋だよな?


 そして何となく分かった。


 どういう流れでこうなっているのか分からないが、ただ一つ分かる事が有る。


 又左だ! あいつしかいない!


 又左め~~!


 俺はこの後前田家の面々と顔を合わせた。


 父親の利春殿は仏頂面をしていたが妙さんが利春殿の頭を叩いて挨拶をしてもらった。

 なるほど、まつは妙さんを見て育ったんだな。

 それとまつの義兄『前田 安勝』殿を紹介された。

 

 あれ?長男で嫡男の利久はどこに……



 そして話は俺とまつの婚儀の話になったのだが………


 俺は婚儀は市姫様の承諾がないと出来ないと言って説得した。

 しかし、多少でも強引に婚儀を進めようとする妙さんとまつを嫁にやりたくない父利春殿で大論争。

 妻に頭の上がらない利春殿は主命という大義名分を盾に妙さんの前に立ちはだかった。


 がんばれ利春殿!


 しかしそこは今まで前田家を差配してきた妙さん。

 利春殿の弱みを使って攻める。

 両者譲らずその日は泊まっていく事になった。


 もちろん一人で寝たよ!


 そして朝目覚めるとここに何しに来たのか思い出した。


 そうだよ、俺は前田家を味方に引き入れる為に来たんだよ!


 何て無駄な日を過ごしたんだ!


 しかし、この日も無駄な時間を過ごす事になった。

 利春殿と妙さんの話は平行線で、俺が口をはさむ余地はなかった。

 しょうがないので安勝殿に話を通す。

 安勝殿はまつから話を聞いていたので準備は出来ていると答えてくれた。

 準備は出来ていたのだがまつが持っていた又左の文が問題だった。

 又左はまつに『自分に何かあったらこの文を家族に渡せ』とその文を預けていた。

 父利春と母妙に会った時に思い出したまつはその文を二人に渡した。


 そしてこの騒動である。


 安勝殿は弟らしいと笑っていたが俺としてはいい迷惑である。


 しかし、まつは又左と婚姻したいと思っているし、又左もその気だった筈だ。

 だが、又左がぐずぐずしていてその話がのびのびになっていた。

 ここは良い機会だからとっとと外堀を埋めてしまおう。

 これであいつのプレイボーイ生活もピリオド、ざまぁ~みろだ!


 では、早速まつと話そう。


 そう思った矢先、その知らせがやって来る。


 俺が待っていた待望の知らせが!


 屋敷に駆け込んで来たのは蜂須賀党の者だ。


 俺も見知っている彼からの報告には。


「斎藤山城守が動きました!」




 弘治四年 三月某日


『斎藤山城守動く!』


 これを俺は待っていた。


 ごく自然に兵を集めて疑われないようにする為には、外敵が攻めて来るのが理想的だ。

 尾張を攻めて来るのは実質二勢力しかいない。

 美濃斎藤と駿河今川だ。

 ではどちらに攻めて貰えるのが良いのか?


 駿河今川は駄目だ!


 史実同様に最大兵力で攻められてはクーデターを起こす所ではない。

 三万の大軍を相手など出来ない。


 一方で美濃斎藤はどうか?


 こちらが狙い目だ。

 最大動員数は約二万。

 そして周りは敵だらけで兵力を集中出来ない。

 せいぜい出せて一万未満だ。

 これは小六に聞いて確かめさせたから間違いない。


 そこで小六と小一、蜂須賀党と津島商人を使いました。


 斎藤家の家臣達に『尾張は統一されたばかり、そこに陣代や後見人が軟禁されている』という織田家のシークレット情報を少しずつ流したのだ。

 噂の流し方はそれぞれに任せた。

 とにかく今川家よりも早く斎藤家に動いて欲しかった。


 津島の堀田家に厄介になっていた時にさんざん考えた策だ。


 期限は年明けの三月まで。


 今川は田植えを終えて早くとも六月には侵攻して来る。

 これはほぼ間違いない。

 今川家ほどの大大名の戦仕度はかなり時間が掛かるようで、その情報はほぼ筒抜けのようだ。

 年明けから準備をしている事が道空殿の報告で分かった。

 今川家の動きは掴めていた。

 後は斎藤家を動かす方法を考える。


 今川が攻めて来る前に斎藤家を動かす策。


 発案は小六、それに修正案を出したのが俺だ。

 そして小六から斎藤家に関する有力情報が出てきた。

 小六は斎藤家が近々割れると言った。


「斎藤山城は、息子義龍と上手くいっていない。もしかしたら、もしかするかも?」


「なるほど、それは使えるかもしれない」


 史実においては既に斎藤山城は死んでいる。

 義龍による謀叛でだ。

 しかし、こっちの斎藤山城はまだまだ現役だ。

 だがちゃんと火種は残っていたようだ。


 その火種に火を点ける!


 義龍に対する工作は小六に一任した。

 どうやら旧知の仲らしく直接話が出来るらしい。

 しかし義龍の工作は出来たら良いな程度の物だ。

 期待はしていない。

 小六もあまり自信がないと言っていた。


 この斎藤山城の出兵が義龍にどう影響するか分からないが、まずはこちらの予想通りに動いているようだ。


 そして、予想外な事も起きていた。


「斎藤方の兵は一万を超えています」


 な、それは本当か?


 これはヤバいのでは?


 しかし後には引けない。


 俺は荒子から古渡に急いで戻る。


 古渡城では清洲からの出兵依頼が出されていた。

 おそらく同様の知らせが尾張中に出されているはずだ。

 これで大手を振って兵を動かせる。

 ちなみに信広様の軍勢は清洲の防衛を任される事になった。

 信行が兵を連れて出ている隙に清洲を乗っ取るのがこの策の胆だ。


 清洲の人質を解放出来れば後はこっちの物だ。


 津島から小六率いる援軍と合流してそのまま信行勢を追いかけて後ろから不意討ち。

 平手と池田、佐久間と前田の裏切りは約束されているので勝利は疑いようもない ……はずだ。

 その後は全力で斎藤家を迎え撃つ。

 一月ほど粘れば田植えの時期だ。

 斎藤家は戻らざるをえない。

 最悪、城の一つ二つは持っていかれても仕方ない。

 まずは織田家を一つにするのが急務だ。


 今川と戦う為に必要な事だ。



 俺は信広様と供に清洲に向かった。


 信広様とはあの賭けから親しくなった。


 信広様は酒はあまり飲まないようで茶の相手をさせられる事に、そこで織田家の兄弟間の愚痴を聞かされた。


「我は織田家の長子であったから、何かと弟や妹の世話をやらされた」


「それは大変ですね。私も弟や妹がいましたから分かります(相手をしたことはないけどね)」


「そうか! お主もそうか」


「はい(全然相手をしたことはないけどね)」


「ふぅ、信行は小さい頃から母にベッタリでな。いや、母土田御前が信行にベッタリであったな」


「それはまた」


「そしてまた可愛くないのだ信行は。何かにつけては自分は正室の子だと言ってな。我の事は兄弟と認めんと言って拒絶されたのだ」


「そうなのですか?」


「ああ、我は信行の事は好きではない。しかし、信長は違ったな」


「どう違いますか?」


「信長も生意気であったが、筋は通していたな。公では君と臣ではあったが、私事では兄弟であったよ」


「そうですか。仲がよろしかったのですか?」


「いや、仲が良かった訳ではないな。まあ、信行よりはましだったというだけよ。しかし、信長の、あいつの話は面白かった。尾張を自分の物にするにはどうしたら良いかと熱く語っておったよ」


 信長が熱く語っているのを信広はうんうんと頷きながら聞いていたようだ。


「信長が死んで市が陣代になった時は驚いたが。もっと驚いたのは尾張を統一してしまった事だ。まさか市がやってしまうとはな。驚きもしたが同時に笑いもした。信長の見る目の正しさよとな」


 信広様は嬉しそうに話してくれた。


 そして今も清洲に向かう先で信広様と語っている。


「信長が信行では駄目だと言った訳が今回の事で分かった。やはり信長は正しかったのだ。信行に任せては尾張はおしまいよ」


 誠にその通りです。


「藤吉よ。共に市を救い。信行を討とうぞ!」


「はい。私も微力を尽くします」


 決意を新たに清洲に向かう。


 待っていてください市姫様。


 今、お助けしますよ!


 そして清洲に着いた俺達を待っていたのは……



 清洲に残っていた『織田 信行』であった。


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