第27話 長尾 弾正少弼 景虎

「これは何事だ。龍?」


「兄上、もうお戻りですか?」


 龍千代に兄上と呼ばれた人物。

 背の高さは俺以上又左未満。

 歳は三十前か?

 顔は中々のイケメンだ。

 体格もがっしりしている。


 この人が『長尾 景虎』か?


 そう言われれば素直に納得してしまうほどの威風を備えている。


 てか怖いよ。かなりお怒りのご様子。


 長尾家の人達が二人の間をおろおろしている。

 今まで全く動きを見せなかった面々があたふたしている姿は可笑しかった。


「説明しなさい。龍」


「はぁ、しょうがないわね」


 龍千代は両手を上げて降参のポーズを取り説明し始める。

 一時中断の雰囲気に長尾家の人達がお茶を持ってくる。

 あ、侍女も居たのか。

 お茶を持ってきたのは厳つい男供ではなく、部屋にいなかった侍女の面々だ。


 俺と又左は出された茶を飲み、まったりモード。


「うん、美味しい。どこの茶葉だろう?」


「いやぁ、喉が渇いていたのだ。助かった。ありがとう」


 市姫様とまつは龍千代と景虎?を見て動かない。


 あ、何か話してる。


「姫様。あそこをついてはいかがですか?」


「ダメよ、まつ。そこはかわされるわ」


「なら、ここならどうです?」


「そうね。いいわね」


 作戦会議ですか。

 まだやる気なんですね。

 でも向こうはそんな感じしないけどね?


「大体分かった」


「そう、なら再開ね」


「勝負は無しだ」


「む、何故かしら兄上?」


「龍。お前のわがままによその国の者を巻き込むな!」


「わがままなんて」 「わがままでなくてなんだ! 大体お前は昔から……… 」


 そこから長~い説教が始まった。


 手持ち無沙汰な俺と又左には茶菓子まで運ばれた。


「お、これはいけるな!」


「うん旨い。これ何処で買ったんですか?」


 俺は運ばれた茶菓子の事を聞いてみた。

 何でも越後で食べる餅の一つだとか。

 製法を聞いてみたが秘密だと言われた。


 残念だ。


 母様に作ってやりたかったのに。

 今度自分で材料を揃えて作るか?

 帰ったら春先までは戦もなかろう。

 それなら時間も取れるはず。

 食事の改善を進めてみるか。


「分かった。分かりました」


「そうか。ならばこの勝負は中止だ。いいな!」


「それは向こうに尋ねたらどうかしら?」


 どうやら話し合いは終わったみたいだ。


 二人がこちらにやって来る。


「まずは詫びさせてほしい。龍千代が迷惑をかけたみたいだ。すまんこの通りだ」


 おお、向こうから頭を下げさせてしまった。


「いや、こちらも熱くなってしまった。申し訳ない」


 市姫様も頭を下げる。


「そう言ってもらえると助かる。その方も助けてもらったのに迷惑をかけてすまなかった」


「いえいえ私は出しゃばっただけです。何もしていません」


 そうだ! 今回は俺は何もしていない。


 『無実だ! 濡れ衣だ! 横暴だ!』と面と向かって言いたいが止めて行う。


 実害はなかった。


 それで良いじゃないか。


「今回は我々が無理を言った。すまないがこの勝負はなかったことにして欲しいのだが、どうだろうか?」


 おお、向こうから折れてくれた。


 俺は歓迎ですよ市姫様。


「こちらに異存はない」


 よし、これで俺は織田家の家臣のままだ。


「と言う訳だ。いいな龍」


「はぁ、分かりました兄上」


 龍千代も折れてくれた。


 良かった。


「それではおいとましてよろしいか? その…… 」


「名は名乗らぬ方が宜しかろう。いずれ改めて表の場にて伺おう」


「そちらがよろしければ、そうさせて貰おう」


「うむ。こちらの方々に土産を持たせよ。私はこれで失礼する。では、いずれ」


「またお会いしましょう」


 景虎は私達に一礼して龍千代の側に寄って一言、二言声をかけて去っていった。


「兄上め。余計な事を」


 景虎が去った後、舌打ちするように言う龍千代。


「ではこれで失礼するぞ。龍千代殿」


 勝ち誇った顔で言う市姫様。

 あんまり煽らないで欲しい。

 また蒸し返されたらたまらない。


「待て。藤吉と少し話をさせろ。まだちゃんと礼を言っていない」


「礼など別に」


「櫛と簪の礼を言っていない」


 龍千代は少しだけ小さな声で恥ずかしそうに言った。


 別に良いのにしょうがないな。


「早くしろ藤吉」


 市姫様の許可は貰った。


 しかし、姫様。


 そんな恨めしそうな顔しないでください。


 可愛いですけどね。


「可愛いですけどね」


「な、何を言っている。早く行け」


 またやってしまった。


「はぁ、兄上が来る前に終わらせるつもりだったのに、残念だわ」


「そうですか」


「藤吉。私の側に来なさい。その方があなたの為よ」


 真剣な顔で俺の顔を覗きこむ龍千代。


 その真っ直ぐな瞳は俺を捕らえて離さない。


 近い、近い、近い。


 ほんの少しだけ俺が顔を近づけたらキスしてしまえるほどの近さだ。


 そして後ろから凄い視線を感じる。


 正直に言えば、このまま龍千代について行きたい自分がいる。

 これほど強く求められたは初めての経験だ。

 織田家での俺は巻き込まれた形で仕官した。

 もちろん仕官したのは自分の意思でだ。

 それを後悔したりはしない。


 でも龍千代は俺を欲しいと言ってくれた。


 こんな美少女、いや美人に求められて揺れない男はいないだろう。



 俺は龍千代の視線から顔を背ける。


 背けたその先に市姫様がいてまつがいて、おまけの又左がいる。

 市姫様は怒っているのか顔を真っ赤にしている。

 まつは両手を組んで心配そうにこっちを見ている。

 又左はニヤニヤとこっちを見ている。


 よし、又左は後で殴ろう。


 そして龍千代に顔を向ける。


 答えは決まっているのだ。


「お断りします。俺には帰る場所が、家族が待っていますから」


「前にも言ったが」


 俺は龍千代の口に指先を当てた。


「今の俺の家族はあそこにいます。裏切れません」


 龍千代に当てていた指先を離す。


「そうか。きっと後悔するぞ」


「それでも、いいです」


 俺は龍千代に頭を下げて家族の元に向かう。


 さあ、帰ろう。尾張に。


 ※※※※※※※


「行ったのか」


「ええ」


「振られたな」


「まだ、振られてません」


「強がりを」


「私は諦めない。必ず手に入れるわ」


「それほどの男か? そうは見えないが」


「政景兄上は私の瞳を直視出来ますか?」


「ふむ、今なら出来るな。まさか……」


「藤吉は私から眼をそらしませんでした。初めてです。そんな男は」


「いや、しかしだな」


「ふふ、藤吉。必ず私の物にしてみせるわ」



 さらなる闘志を燃やす『長尾 龍千代』こと『長尾 景虎』であった。


※※※※※



 『さあ尾張に帰ろう』じゃなかった。


 まだ朝廷工作が終わってませんでした。

 お使い山科卿に官位の受領の沙汰がないのか確かめないといけない。

 という訳で次の日も平手久秀らを中心に山科卿に会いに行ってます。


 そして当然俺は、お留守番だ。


「はい王手」


「ま、待った」


「これで三度めだぞ藤吉。次はないぞ」


「は、有り難き幸せ」


「うむ」


 暇な俺は龍千代と将棋を指している。


 何で龍千代が居るのか?


 簡単だ。


 俺達が泊まっている宿を向こうに知られてしまったからだ。

 まさか昨日の今日でこちらに来るとは思ってなかった。


『藤吉。遊びに来たぞ』


 これが龍千代の挨拶だった。


『な、なんでここにいる!』


『心配するな。昨日のようなことはしない。暇だから遊びに来た。ただそれだけだ』


 応対した市姫様にそう言うと俺の元にやって来て。


『どうせ暇なのだろう。今日はこれを持ってきた。一つ指そうではないか?』


 龍千代の手には将棋盤が有った。

 俺がよく知る現代将棋と同じやつだ。

 若干駒の名前が違うようだが駒の動きは同じだ。

 指していけばその内慣れるだろう。


『本当の本当に、勝負ではないのだな?』


『兄上に止められたからな。勝負はしない。誘うのは止めないがな』


『何!?』


『無理矢理はしない。話すだけだ。それぐらいは良いだろう?』


『話すだけだな?』


『話すだけだ』


 市姫様は俺を見た。


 俺は頷く。


『………話すだけだぞ。それ以上は無しだ』


『分かった。私の信じる神に誓おう』


 こうして俺は龍千代と将棋を指している。


 部屋には俺と龍千代、それに市姫様とまつがいる。

 勝三郎は別の部屋で龍千代の連れと話をしている。

 又左と成政は久秀のお供だ。

 ちなみに市姫様とまつは俺達から一定の距離を離れて将棋を指している。

 しかし耳は俺達の方に向けているようだ。


「のう、藤吉?」


「何ですか龍千代さん?」


 結局俺は龍千代を呼び捨てに出来なかった。

 龍千代も長尾家に来てからでいいと言ったので、さん付けだ。


「そなた弱いな」


「強いと思いましたか?」


「いや、ここまで弱いとは思わなかった」


「それはどうも」


「褒めてはおらんぞ」


 俺は龍千代と既に五回勝負して五回とも負けた。

 それも清々しいほどの負けっぷりだ。

 俺は将棋をしたことあるが、織田家の中での実力は下から数えた方が早い。


 それにしても龍千代は強い。

 それに絶対に手を抜かないのだ。

 そして速攻で勝負を決めに来る。


 勝負事は相手の性格を知る事が出来る。

 龍千代はとにかく速さを重視している。

 そしてミスを見逃さない。


 実に嫌な相手だ。


 早指しで常に先手先手と攻めたて、相手に攻撃させずに完封してしまう。

 これは実戦でも同じかも知れない。

 長尾景虎の妹だからな。

 実戦を経験していてもおかしくない。

 こうして京に付いてくるくらいの行動力を持っているのだ。

 戦に付いて行って部隊を率いたことも有るのかも知れない。


「ところで藤吉」


「何ですか龍千代さん。部下になれなんて言われても、答えは変わりませんよ」


「ふん、少しは考えてもよかろう。しかしこれは別の話だ」


「別の話?」


 俺は将棋盤から眼を離し龍千代の顔を見る。

 龍千代が真剣な顔をして俺を見つめる。


 近い、近い、近い。


「我が長尾家と武田が戦ったのを知っておるか?」


「知ってます。何回か殺り合ってるんでしょ」


「今年も夏場に殺り合った」


 夏場か?


 ちょうどその頃は美濃井ノ口に行って米を調達して岩倉織田家を滅ぼした時だな。


 あれは綱渡りだったからな。


 二度とやりたくない。


「それが何か?」


「その時に戦の調停に今川がやって来たのだ。その数三万だ」


「三万!? 今川のほぼ全軍ですかね?」


 山口教継の書状から今川の動きは分かっていた。

 だから今川が全軍を動かした隙に岩倉を攻めたのだ。


「その時私は義元に会った」


 何! 龍千代はその戦に同行していたのか。


「どんな人でした?」


 俄然興味が湧いてきた。


今川いまがわ 治部大輔じぶのだゆう義元よしもと


 海道一の弓取りと言われる戦上手。

 そして女戦国大名だ。

 歳は四十ぐらい。


 子供は一男二女。


 性格は穏和で気配りの人と噂されている。

 実際、教継の書状にも同じ事が書かれていた。

 これは情報の裏取りのチャンスだ。


「教えて欲しければ」 「部下になれは無しですよ」


「少しくらい聞いてくれても……」


 そう言うと駒を持って盤にグリグリと押し付ける。

 可愛い仕草だが、駒が盤に傷をつけている。

 だが最初から話すつもりだったのだろう。

 ぽつぽつと話してくれた。


「若い女だった」


「若い?」


「歳は私と同じくらい。背は私より低いな。なんとも弱そうな女だった」


 若くて、弱そう?


 いやいやそれはおかしいだろう。

 だって教継の書状にはと言うより、世間の話では義元の歳は四十ぐらいだ。

 龍千代は二十歳前だぞ! 義元が二十歳ぐらいなんておかしいじゃないか。


 どうなってるんだ?


「そいつは別れ間際にの『来年は尾張を手に入れるわ』と言ったのだ」


 な、何ですと!


「それは本当ですか?」


「来年には今川三万が尾張に来るのだ。絶対に勝てん。だから藤吉。私と一緒に越後に来い、な!」


 龍千代が更に近寄る。

 龍千代の眼は嘘を言っている眼ではない。

 これは本当の事だろう。

 しかし、今は弘治三年で桶狭間が確か永禄三年だ。

 来年天皇陛下が亡くなって年号が変わって永禄になるから後三年は大丈夫だと思ったのに、来年には今川が攻めてくるのか?


 これはちょっと誤算だ。


 本当ならこの三年間で国内体制を万全に整えて桶狭間を迎えようと思っていたのに。


 ………どうしたらいいんだ。


 結局、龍千代には断りをいれて帰ってもらった。


 少し寂しそうにして帰って行く彼女を見て可哀想に思えた。

 市姫様にはまだこの話はしていない。

 小声で話していたので聞こえていないはずだ。


 現に今も。


「何を仲良く話していたのかな? 藤吉」


 今話しても市姫様は信じてくれないだろう。

 嘘だ、妄言だと言われるに違いない。

 帰ってから話そう。

 それがいい。


 そしてこの日の平手久秀の報告は吉報だった。

 吉日を選んで織田家に尾張守を授けるそうだ。

 ただ、その吉日まで俺達は京に滞在できないので官位受領は尾張で行われる事になった。

 尾張までの旅費等一切合切はもちろん織田家の負担だ。


 今回の上洛は成功だ。


 尾張守護を幕府に認めさせ、しかも官位まで貰えたし、長尾家とも面識を得ることが出来た。

 それに少しだが長尾景虎とも会えた。

 それに未確認情報だが今川侵攻の話も聞けた。


 これ以上ない成果だ。


 そして意気揚々と俺達は尾張に帰った。


 龍千代とは別れの挨拶はしていないが文を宿に届けてもらった。

 文には『家臣にはなれませんが、友達ならなれます。これからもよろしくお願いします』と書いた。

 返事は津島の堀田家にと書いておいた。

 直接家に届けられたら家の女達が誤解するからな。

 これ以上の厄介事はごめんだ。


 京を発って数日、無事に尾張に帰ることが出来た。


 だが、尾張で俺達を待っていたのは。



 クーデターを起こした織田信行が支配する尾張だった。

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