第26話 市姫と龍千代

『藤吉、我のものになれ!』


 なんて、一度でいいから言われてみたいセリフだ。

 ニュアンスは違うが同じ事を言われたと思って良いのだろうか?


「何故俺が越後に?」


「そなたを気に入った。それが理由だ。案ずるな私が兄者に話をつけよう」


 え、え~。


 そんな理由で良いのかよ。


「そんな理由で良いのかよ」


「そんな理由とはなんだ! 私を侮辱するのか?」


 おう、しまった。


 またやってしまった。


 しかも今回はヤバいことになりそうだ。


「いえいえ、そんなつもりは。ですが俺には国元に家族もおりますし」


「ふん、家族なら後で呼び寄せればよい。それよりも行くぞ」


「えーと、どちらに?」


「決まっている私が泊まっている宿だ」


「いや、だから俺は織田家の家臣でして」


「越後長尾家ならそなたに三百貫は出すぞ?」


「さ、三百貫!?」


「足りぬなら五百貫ではどうだ」


「五百~!!」


「むう、それ以上となるとさすがに私でも」


「ちょっ、ストップ、ストップ」


「すと、なんじゃ?」


 俺は両手を突き出し一旦会話を止める。


 この子おかしい。


 かなり強引だしぐいぐい来る。

 断ってるのにうむを言わせないし。

 三百貫に五百貫とか普通出てこない。


 この子まさか………


「あのもしかして、龍。君は……」


「おう藤吉。どうした、こんな往来で道に迷ったのか? しょうがない奴だな」


「そなた、誰だ?」


 おお、我が友又左衛門。正直助かった。


「すまん又左。それじゃこれで失礼して」


「待て藤吉」


 駄目かー。


 龍が俺の袖を持って離さない。


「藤吉。その男は誰だ」


「う、前田 又左衛門。織田家家臣です」


「おい藤吉。その子誰だ? 何でお前の袖を掴んでる」


「えーと、この子は龍と言って越後長尾家の人で」


「長尾? 長尾家の人間と何で一緒にいるんだ?」


「それはだな。その」


 駄目だ。


 龍は俺を離してくれないし又左に説明するのも面倒だし。


 ……どうしよう。


「兄上。それに藤吉殿。何故このような所に?」


 助かった、のか?


 まつ登場。


「まつ。実は」 「宿にいろと言ったはずだぞ。藤吉」


「はう!?」


 ぎゃー、何で市姫様も一緒なんだよ!


 いや、まつが市姫様と居るのはおかしくない。

 おかしいのはなんでこの場所にこの二人が居る!

 タイミングが良すぎるぞ!


「藤吉。誰だこの二人は?」


「藤吉殿。この人は誰ですか?」


「藤吉。説明しろ!」


 いーやー、誰か助けて。


 っておい又左。


 俺を置いて逃げるな。


「「「藤吉(殿)」」」


 何で俺がこんな目に遭うんだよ!



 俺は三人に詰め寄られて説明させられた。

 逃げだそうとした又左は俺とまつが捕まえて離さなかった。

 俺だけ残して逃げるなんて許さん。


「と言うわけで藤吉は長尾家の者になった。では行くぞ藤吉」


「待て待て、何でそうなる。藤吉は織田家の者だ。長尾家の者ではない」


「あ、あの~」


「「黙っていろ(なさい)」」


「はい」


 市姫様と龍の口論は平行線をたどっている。


 何でこんなことに?


「まつ、ちょっと」


「何ですか藤吉殿?」


「勝三郎達はどうしたんだ? 一緒じゃないのか?」


「えーと、その、置いてきました」


 勝三郎達に助けてを求めようと思った俺だが、それは出来なかった。

 将軍様との謁見が早く終わったので幕臣達との懇談の席をもうけられたが、市姫様は後を勝三郎に任せて抜け出したのだ。

 まつは市姫様と行動を供にして買い物をしようとここまで歩いて来たのだ。


 そこで俺達に出くわした。


「おい藤吉。どうすんだ、これ?」


「どうしたらいいと思う」


「知るか。でもお前。越後に行くのか?」


「何でそうなるんだ。尾張は俺の故郷で家族が居る。どうして越後くんだりまで行かなきゃならんのだ」


「藤吉殿は織田家を離れませんよね?」


「離れると言ったら、……俺は殺されると思う」


 そう俺は殺される、かもしれない。


 勝三郎や又左に殺される、かもしれない。


「心配するな。痛くしないでやるよ」


「兄上。冗談が過ぎます」


 この緊張感の中で流石だな又左。



「ならば勝負だ!」


「おう、望むところ!」


 お、何か決着したのか?


 市姫様と龍は互いに顔を近づけて睨み会っている。


「勝負の方法は?」


「ふ、そちらの好きにしろ。この織田市。逃げも隠れもせん」


「よかろう。ならば長尾家名物の」


 長尾家名物? なんだそれ?


「将棋盤で勝負だ!」


「ふ、良いだろう。それで場所は何処だ」


「我が長尾家の宿だ。特別な奴がある」


「よし行くぞ! まつ、又左衛門」


「はい」 「俺もかよ」


 嬉々として市姫様に付いて行くまつとしぶしぶ付いて行く又左。


 俺は何故か龍に手を取られて連れて行かれる。



 そして宿に着いた。


 宿の中には長尾家の面々がいたが龍が手をあげると頭を垂れて礼をとる。

 その後俺達の後ろを付いて来る。

 凄いプレッシャーがするんですけど。


 それにしてもやっぱりこの子はそうなのか?


 この堂々とした態度。

 長尾家の面々の服従ぶり。

 そして市姫様の事を話しても驚いた様子もない。


 龍、君はまさか……



 しばらく宿の中を歩いた後、ある一室の前で止まる。


「これが長尾家自慢の将棋盤だ!」


 龍が自信満々に言い放つと長尾家の者が戸を開け放つ。


 するとそこには部屋のほとんどを埋め尽くす一つのジオラマが有った。


 これが将棋盤!?


 俺はあまりの大きさにその場で固まってしまった。



 なんだこれは?


 俺は部屋に置かれている大型ジオラマを見て動けなかった。

 その大きさに、そのリアルさに。

 とにかく大きい。

 ジオラマが置かれている部屋は本来は宴会等を行う部屋ではなかろうか?

 その部屋の大部分をジオラマが埋めている。

 そして、そのジオラマに使われている素材も凄い。

 土台は土を固めたもの、その土に上から砂をかけて川に見立てている。

 山の出っ張りには小さな石を幾重にも重ねている。

 木々も本物を使っている。

 どんな木を使っているのかわからないが遠目からはちゃんと木に見える。


 戦国の世にこんなジオラマが有ったなんて!


 しかし俺の感動をよそに勝負の準備をする周りの人達。


「これを使うのか?」


「そうだ。この特大盤の上に駒を置く。用意しろ」


 龍千代の号令の元、長尾家の面々が無言で動き出す。


 黙々と準備する長尾家の人達。

 慣れているのか流れ作業で駒を置いていく。


 てか、駒でか!


 一つの駒がデカイ。

 お握りサイズのデカさだ。

 それに数が多い。

 俺が知っている将棋の駒の数を越えている。


 え~と百、いやもっと有るぞ!


 だが驚いているのは俺一人。

 市姫様達は驚くこともなく当たり前のようにセッティングを待っている。

 いや、市姫様と犬千代は作戦を練っているし、又左は欠伸している。


「どう見ますか。姫様」


「ふん、こんな大きいだけの物で私を驚かそうとは底が透けて見える。そうは思わないか、まつ」


「そうですね。ただ大きいだけですね」


「そうだろう、大きいだけだ」


「どうでもいいけどまだかよ」


 違った。


 長尾家をディスってるだけだ。


 余裕有るなこの三人。


 そんなに長い時間待つこともなくセッティングは終わった。


「では、勝負の取り決めをしようか?」


「良いだろう」


 勝負は長尾家特製将棋盤での一発勝負。


 待ち時間は十秒の早指し。

 取った駒は使えない。

 三つの王将の内二つを取ったら勝ちだ。


 王将三つも有るの?


 それに陣地の概念もない。

 駒が成るには相手の駒を取った時に成れるそうだ。

 ますます現代将棋と違っている。

 昔はこんな将棋が有ったのか?


 そして勝った方が俺を所有できる。


 俺は物か、賞品か!


「ふふ、待っていろ藤吉。直ぐにお前は私の物だ」


「ふん、藤吉は織田家の物だ。直ぐに泣きを見せてやるぞ!」


 どちらもやる気十分だ。


 俺? 俺は座布団のような物を三枚ほど重ねた上に座っている。

 逃げ出せないように後ろに長尾家の人達が居る。

 救いなのは隣に又左が居ることだ。

 まつは市姫様の隣で駒を動かすのを手伝っている。


 先手は龍千代だ。


「行くぞ!」


 後手、市姫様。


「かかってこい」


 何でこんなことになったんだろう?


 駒が大きい上に自分の好きに駒を置いているこの将棋。

 本当に将棋と言えるのか分からないが、中央を固めた市姫様に対して両翼を伸ばした龍千代の駒と駒がぶつかり合う。


 序盤はどちらも様子見…… なんてしなかった。


 まず龍千代の右翼が市姫様の左側に回り込む。

 これに対して市姫様は中央突破を謀るべく駒を前進させていく。

 これはまさに一種の戦場となって見える気がする。

 この巨大ジオラマのせいだな。


 そうかこれはこの時代の戦場シュミレーションゲームだ。


「なぁ又左。どっちが勝ってる?」


「そうだな。どっちも優勢だし。どっちも苦戦するな」


「なんだそりゃ?」


「相手の子、龍千代だっけ。多分王を二つ分けてる。どっちかを潰せば姫様の勝ちだが一方を攻めながら一方を守るは難しい。だが両翼に上手く挟まれると姫様の勝ちはない」


「何言ってるのか。俺には分からん」


「お前には難しすぎるか」


 言っていることがまるで分からん。


 ただ見ているとこの勝負は短期決戦だ。


 どちらも勝負を急いでいる。


 それにどちらも短気そうに見えるしな。


 でも俺が聞きたかったのは市姫様は勝てるのかと聞きたかったのだ。


「お、そうきたか」


「これは駄目か。ならこれで」


 二人は勝負に集中している。

 見ている俺は何も出来ない。

 市姫様を応援したいが、集中の邪魔になるだろうから出来ない。


 非常にもどかしい。


 序盤の位置取りが終わると今度は駒の取り合いだ。

 龍千代の右翼は市姫様の分厚い中央を分断するように激しく攻撃し始める。

 これに対して市姫様は龍千代の薄い中央を攻めて左翼を飲み込み始める。


「やるわね。尾張の小娘」


「長尾家の女はこの程度?」


「ふん、この勝負は私の負けはない!」


「藤吉は渡さない。あれは私の物だ!」


 ぶつかり合う二人。


 次第に罵りあうようになる。


「そんなに大事なら首に縄でもかけてなさいよ」


「越後の山奥ではそうするのか?」


「尾張の成り上がりの癖に」


「それはそちらも同じだろう」


「こっちは代々守護代よ。そっちは守護代の下の下でしょ」


「ぐ、なら何でその家臣を欲しがる?」


「私は人を見る目に自信が有るのよ。藤吉はあなた達には勿体ないわ」


「藤吉は私が見つけたのだ。それに恩もある。横取りさせぬ」


 何か、聞いてて恥ずかしいんですけど。


「愛されてるな藤吉」


「代わってやろうか又左?」


「俺は追いかけるのがいい。追いかけられるのはごめんだ」


「ああ、かや殿のことか?」


「あれは違う!」


 俺達も余裕があるな。


 しかし長尾家の人達は本当に寡黙だな。

 ここに来てから話している姿を見かけない。

 話掛けたら答えてくれるかな?


「ふははは。これでどうだ!」


 龍千代の放った手が市姫様の王将の一つを取った。


「ふん、がら空きよ」


 市姫様も負けずと取り返す。


 これはどっちが有利かな?


 僅かだけど先手の龍千代の方が優勢かな。

 互いに王将を一つづつ取り合うと更に激しく駒を取り合う。

 既に三分の一近くの駒がなくなっている。


「私の勝ちよ!」


「いいや、私の勝ちだ!」


 そして互いに王将に王手をかけたその時。


「何をしているか━━━━!!」


 大音量と共に閉じられた戸が勢いよく開かれる。


 そこには又左に負けないほど大きい男が仁王立ちしていた。


「兄上」


 龍千代に兄上と呼ばれた人物。


 この人がもしかして『長尾 景虎』なのか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る