◆14-3
「――拙い」
遠見の奇跡で、戦場を見下ろしていたグァラは気付いた。戦場中に散っていたアルードの神官達が、少しずつ数を減らしていく。危険性を知っている味方が優先的に叩いていくのは当然だし、屍人兵も着実に減っていっているのだが――反比例するように、戦場に充満していく崩壊神の気配が、どんどん強くなっているのが解る。
「神官達は、ただの贄だ!」
全ての神官の血肉を使い切って、大きな奇跡が顕現する。即ち――そう思った瞬間――戦場の向こう側で、空が裂けた。
それはまるで、この空全体を無造作に持ち上げて叩きつけたかのように。稲妻よりも早く、不意に、数多に、皹が入る。起点は、戦場の中で命を絶った、神官達すべて。
人が、割れる。地面が、空が、軋む。砕ける。皹は理不尽な崩壊となり、その場にいたものを無造作に飲み込み砕く。地上の兵士も敵味方問わず飲み込まれ、義勇兵の竜人達すらその巨大な体を引き裂かれていく。
考えるよりも先に、グァラは喉を覆う覆面を引き剥がした。
始源神による枷を外し、戦神の権能を覚醒させる。大きく息を吸い、全兵士に直接告げる為の「声」を張り上げた。
『全員撤退――ッ!!』
過たず戦場中に届いた声に、兵がゆっくりとだが引き始めたのを見て安堵した、同時。
グァラの喉が、僅かに軋む。仰け反った喉が、透明な水晶のように硬質化し、げほりと僅かな呼気を漏らして――完全に呼吸が停止した。
「っ、カ、ひ……!」
カラドリウスの神官達は、神々の憑代と呼ばれている。だが人間の体は、本来ならば神の力に耐えられるものではない。どれだけ素質があるものでも、最終的にはゾーヤのように、神に飲み込まれてしまう。
邪神と呼ばれる者達は、その魂を食らって器を砕くが、八柱神は決してそのようなことは起こさない。ただ――神の器となったものは、形を保ったまま、神に成り果てるだけなのだ。どちらがましなのか、グァラにも解らない。クレアチオネならば、唾を吐いてどっちも糞だと言い切るだろう。
グァラの一番弱い、補わねばならぬ部分、喉から肺が、完全に神に成り果てようとしている。呼吸など必要ない、ただの荘厳なる物質と化していく。
「……、……ッ!!」
体が少しずつ、自分では無いものに満たされていく。喉は動かない。委ねてしまえば、息を吸う必要が無くなるからだ。
所詮人間は神の奴隷に過ぎず、その指先一つで生まれまた滅ぼされるもの。カラドリウスの神官達がまず最初に覚える祝詞だ――解っている、解っているのに――
「ッ、ヒ、は!」
不意に、呼吸が楽になる。――始源神の祝詞が刻み込まれた覆面が、いつの間にか顔を覆っていた。神と神の力がぶつかり合い、より高位の存在である始原神の権能によって、体が元に戻っていく。
「ぐ、っひ、げぇほっ!! がハァ!!」
ようやっと戻ってきた呼吸に咳き込み、蹲って嘔吐く。安堵を堪え、眉間に皺を思い切り寄せながら、忌々しげに呟いた。
「……結局、お前に、頼る羽目になる」
四つ這いになったグァラの目の前に、すとんと降りる白い少女の背に向けて。
「弱いガキが吠えるなよ。無理するからだ、後は僕がやる」
竜の起こす風に乗って、戦場に始源神の爪先が降り立った。
クレアチオネはいつも通り、不機嫌この上ないと言う顔で戦場を睥睨する。黒い皹が広がり蹂躙されていく世界へと、まっすぐ指を伸ばし、少女に不似合いな朗々とした低い声で宣言した。
「――地上にお前の居場所は無い! 妻が起こしに来るまで大人しく眠っていろ、崩壊神アルード!!」
クレアチオネの指が天を指した瞬間、数多の黒い皹を縫いとめるように、天から降り注ぐ光の雨が剣となり、槍となり――地上に落ちた。
×××
あっという間に縫いとめられていく世界を見ながら、エリクは血を吐き、歯噛みした。
「――もう来たか!!」
悔しそうに吐き捨てる。その心臓は刃に貫かれ、既に停止しているにも関わらず。
否、既に彼の体はその半分以上が黒い水晶に覆われていた。更にその体にも皹が入り始めている。
「人のふりをし続ける抜け殻の神め……! 崩壊神アルードよ、我が全てを捧げます、どうかこの地に降臨を――!」
際限なく広がる、地面を、空を砕く皹。だがそれは広がるごとに、まるで針で縫い合わされるように光の槍が突き刺していく。世界に崩壊を齎す奇跡と、その綻びを編み上げ直す奇跡の鼬ごっこ。光の槍が自分がいる場所にも次々と雨のように降ってくるのを見咎め、自分の手で祈刃を更に捻り、体の皹を開く。
最早その手に躊躇いは無く、望むことは一つしかなかった。
――あの方の望むとおり、世界のすべてが壊れてしまえばいい!
光の槍が飛んでくる。だが、間に合う。己の奥から何かが、這いずり出してくる気配に気づき、血みどろの唇が笑みに変わる。
「ああ、ここにおわすのですか、神よ。どうかあの方だけは、お見逃し下さいますよう。全てを壊した世界をあの方に捧げねば」
「――寝言言ってんじゃねぇよ」
そしてエリクは戦場に関してはどうしようもなく素人であり――一瞬の隙が命取りになることを肌で理解していなかった。
ちゃ、と僅かな金属音がしたと思った瞬間。
「っぎ……!?」
細い鎖が首に食い込み、祝詞が途切れた。至近距離で、皹の直撃を食らった筈のコーシカが、得物の鎖でエリクの首を締め上げていた。その体には、確かに皹に寄る傷が多数できていたが、その力は緩まない。
「あんたの爺に感謝してやりますよぅ……あれのおかげで、カミサマの降臨すら耐えきれるなんてさぁ!」
「が、っ、ぎ、さ、ぁ……!!」
がりがりと己の手指で首を掻きむしり暴れる体を後ろから抑え、コーシカは鎖の先についた刃を力いっぱい、エリクの首に押し付けるが、斬れない。既にそこは黒い結晶となり、人の刃を受け付けない。――神を傷つけられるのは神だけだ。
そして今まさに――始源神イヴヌスの力が、降ってくる。滅する為ではなく、封じる為の数多の光槍。
一滴の慈悲もなく、降り注ぐ光の槍は、沢山の命が染みこんだ陣を削り取り、神が這い出そうとした穴――エリクの体を、コーシカごと数多の槍で貫いた。
恐怖では無く、どうしようもない怒りと無念の籠った彼の最期の言葉は、
「あ、ぐらーや、さまぁ……! もう、しわけ、」
口の中を光で貫かれて、そのまま止まった。
二人の体が穴だらけになり、どさりと倒れ――動いているものは誰も居なくなった。
エリクの体は、光の槍によって縫い付けられるように全ての皹を塞がれ、栗のいがのように成り果てた。その横に倒れ伏していた、コーシカの身体も同じようで――ぼろりと、刺さっていた槍が崩れて抜ける。
「……っ、ぅ、ぁ」
ぴくりと、ぼろぼろになった体が震え、ゆっくりと起き上がる。
「い、ぎ……っ、やっぱ、カミサマ、なんて、ろくなもんじゃねぇ……」
全身に痛みが走るのを堪え、立ち上がる。槍が刺さった部分に傷口は無く、代わりのように透き通った水晶に変わっていた。だが、致命傷では無い。崩壊神の祝詞を刻まれた体は、かの神の力に耐え抜き――また完全なる眷族でもないが故に、始原神の奇跡にも耐え抜いた。
不快そうに体をごしごし擦りながら、コーシカは最早エリクであったものを見向きもせずに歩き出す。
「急がないと……、シューラ様」
小さく名前を呟くと、冷え切って固まったような体が、上手く動かせる気がした。
辺りを見回すと、奇跡の陣には数多の光槍が突き刺さり使い物にならなくなっている。最早屍人兵もこれ以上増えることはない。
後はただひとつ、この戦争を終わらせること。それこそが、コーシカの主の望み。
「今、いきますから」
生きることを命じられた猫は、滅びを命じられた男を顧みることなく、普段より動きの鈍い自分の体を罵りながらも、真っ直ぐに駆け出した。ただ、主の元へと。
×××
――全く、困ったことをしてくれたものだと、クレアチオネであったものは考える。
やけに世界が騒がしいと思ったら、嘗て奴隷として作り上げた生き物たちが、どうも自分達を呼び寄せているらしい。己とその眷属ならまだ良いのだが、アルードとその子供は拙い。彼らは滅びの理に生まれ、また封じられる役目を背負ったもの。何も壊すことの出来ぬ始源神が作り出した、理を破壊するものだ。制御の利かないところで呼び起されるのは、非常に困る。
シブカは甘えたの駄々っ子で、母がいないと文句を言って、嘆きのままに腹を満たそうとした。しっかりと押さえこんだので、このまま時が来るまで眠っていればいい。
もっと厄介なのはアルードだ。本来、全てに飽きて起きるつもりが微塵も無いくせに、耳が良くて、少しでも興味を持てば手指を伸ばしてくる。おかげでこの様だ。本命には振られたと笑っていたようだが、怪しいものだ。
幸い、あれが出てくるほど大きな穴になる前に塞ぐことができた。このまま世界を修復しよう。荒地を緑に、空を青に、命を作り直して――
「――クレアチオネ様!!」
不意に。名を呼ばれて、彼女は自分がクレアチオネだったことを思い出した。その瞬間、体に満ち満ちていた神気がふっと消え去り、体が傾ぐ。
「しっかりしてくださいまし! 大丈夫ですの!?」
目を何度も瞬かせる。どうやら自分は倒れていて、泣きそうな少女の膝の上に抱き込まれているようだ。……死女神の眷属。お人好しの、フェルニゲシュの末姫。
「……ミーリツァ?」
「ああ、良かった……! あれだけの奇跡をお祈りしたのですもの、体調を崩されて当然ですわ。どうぞ休んでくださいまし……」
「……お前らとは違うんだ。別に体は、なんてことないよ」
事実、体にはもう欠片の倦怠感も無い。ただ――酷く嫌な違和感が残っているだけだ。
クレアチオネの器は非常に優秀だ。神の力を十全に満たし、その器が砕けることは無い。故に、神が完全に顕現しても、己の意識が消えることもない。ただ、そのまま自分でなくなるだけで。
視線をもう一度、覗き込んでくる少女に合わせる。ミーリツァは心底安堵したように、小さな手でクレアチオネの頭をそっと撫でて来た。
誕生と同時に憑代として選ばれたクレアチオネは、そんなことを他者にされた記憶が無くて、どう反応していいか解らない。ただ、じわじわと温もりが、先刻まで神となっていた体に伝わっていく。……どうやら、始源神は完全に眠りについたらしい。
「くそ。……借りが出来たな」
「え? わたくし、何もしておりませんわ。クレアチオネ様がお戻りになったと聞いて、お出迎えにきただけですもの」
「うるさいな。借りって言ったら借りなんだよ。……お前の行きたい場所に連れて行ってやる」
「え……」
驚きと、瞳の奥にほんの僅か期待を込める現金な少女に、クレアチオネは苦く笑い。
「夢見に乗せてやる。会いたいんだろ、あの女に」
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