◆14-2
『無理に前線を広げるな! 押しとどめるだけでいい!』
「とは言われるが、辛いものがあるなこれは!」
波のように襲い掛かってくる屍人兵を食い止めながら、グァラの声にドロフェイがぼやく。戦神の神官達から祝福を受けた武器や鎧は、屍人兵の攻撃を受け止めてもびくともしない。更に本国から援軍としてやってきて、部隊ごとに配置された八柱神の神官が、祈りを捧げて光の網を築き、敵の足止めに成功しているが――数が多すぎる。
「ラーザリが掻き回してくれると有難いが、こうなってくると身動きがとれぬ! ――そらこい、ちょっとやそっとではこの守りは突破できんぞ!」
声を張り上げ、屍人兵を押しとどめるが、ドロフェイの顔には僅かに焦りがあった。己の主が、今たった一人で戦っているからだ。
敬愛する主を守ることすら出来ぬ自分にも腹が立つし、きっと、かの人は苦しんでいるであろうことも解るから、尚更今の状態がもどかしい。屍人兵の壁がなければ、単騎駆けをしてしまったかもしれない。勿論やったら義息子に盛大に嫌味を言われて怒られるだろうから、堪えるつもりではいるが。
膠着した戦場に苛立つドロフェイに、数多の屍人に紛れるように近づいてくる黒い神官衣。しかし躊躇わず、真っ先にその頭に槍斧を振った。
血と脳漿が飛び散り、祈刃を抱えた神官が事切れる。すぐに屍人兵と化すのは二度手間になるが、大軍の中で奇跡を使われるよりはずっとましだ。
「神官が紛れているぞ、気を付けろ! 優先的に――」
部下に命を飛ばそうとした瞬間、自分に近づいてくる黒い神官衣を目の端に止め、槍斧を伸ばそうとした。
しかし、それがまだ年端もいかぬ、十歳ほどの少女であることに気付き、一瞬ドロフェイの手が停まってしまった。
「……いかん」
そして幼い子供は、何の感慨も見せない顔で、手に持った水晶の刃を己の胸に向けて――貫いた。
少なくない血が飛び散る。命じられた通り、己の命を神の糧としようとした子供は、ぎゅっと瞑っていた目を見開いた。
顔中に祝詞を刻まれ、動かなかった顔が僅かな驚愕を見せる。
祈刃を掴んだ自分の手が、防具を着けた大きな手でしっかりと掴まれていたからだ。刃が、その掌に突き刺さっているにも関わらず。
――ドロフェイは一瞬前に、武器を放り捨て、馬から飛び降りて、子供の死を止めていた。傷口から真っ赤な血を流しても、顔色一つ変えずに。
我に返ったように子供が手を退こうとするが、逃さない。ぎちりと掌に力を込めて、刃を抜かせない。更に、敵味方お構いなく襲い掛かる屍人兵から庇うように、その小さな体を抱き上げた。
「隊長殿、何を!」
「いやあ、すまんな! いかん、これはいかん」
慌てたような部下達の声に詫びを返し、ドロフェイは呵々大笑して、自嘲にしては随分と明るい声で宣言した。
「どんな理由があろうと――子供は殺せんよ!」
……まだドロフェイが、貴族として身を立てていた頃の話だ。
当たり前のように同じぐらいの身分の妻を娶り、子供を成した。政略的な意味は勿論あったが、ドロフェイは妻を愛したし、子も愛した。
それが、子供が生まれてすぐの冬、流行り病でどちらも失った。内戦で、ドロフェイが忙しく戦場を渡り歩いている間に、あっさりと。
子供はすぐに死ぬ。これからいくらでも、沢山の幸せなことを得られる筈だったとしても、簡単に死ぬ。
だからこそ、守らねばならぬと本気で思った。相対した軍の中に、息子が生きていればこれぐらいの年だろうという少年に出会ってしまった時、どうしても殺すことが出来ず――悔し涙を流す子供を、己の子として引き取った。軍規違反も含めて、家からは勘当されたが、気にならなかった。
「無様に見えよう。愚かに見えよう。だが、こんな俺を――あの方は、ヴァシーリー王弟殿下は! それで構わぬと言って下さった!!」
未だ祈刃が手に突き刺さったまま、暴れる子供を掻き抱いて。もう片方の手で誰の物とも解らぬ槍斧を拾い上げ、思い切り振う。屍人兵の首を何本も飛ばし、尚も吼えた。
「俺の心を守って下さったあの方を、守らぬ道理があるものか!! 必ずや――ヴァシーリー殿下をお守りし、望みを叶える! それこそが騎士の誉ぞ!」
血風が閃く中、腕の中の幼子をぐいと覗き込み、はっきりと告げた。
「あの方は、お前の命も惜しんでくださる! 戦場で合い見えながらも、どれだけを殺すのではなく、どれだけを生かせるかを忘れ得ぬ方だ! あの方に仕える俺に出会った時点で、お前に死を選ぶ権利は無くなったと思えっ!」
子供は、虚ろな瞳をぱちぱちと瞬かせ――途方に暮れているようだった。この男が何を言っているのか、意味がさっぱり解らないのだろう。
何せ、彼女の上司である大神官曰く――すべては今日、終わるのだから。
×××
「神官の配置は完了しました。順次その命を神に捧げなさい。貴方がたの安寧は、アルード様が復活したその先にある」
朗々と語れば、沢山の神官が礼を取り、皆次々と跪き、祝詞を唱え、祈刃を心臓に突き刺す。躊躇いもなく、悲願を果たせると涙を零すものすら居た。
そんな敬虔かつ悍ましい光景の中に佇みながら、エリクの顔はいつになく、不安そうに歪んでいた。
戦場からほど近い高台の上。エリクが立つその地面には、王都の大聖堂に勝るとも劣らぬ複雑な陣が二重に刻み込まれていた。外側の円は屍人兵の奇跡。内側は、今まさにエリク自身が発現させようとしている奇跡の為のものだ。
陣を刻む黒い文字は、既に数多の血が流れ込んだ証。殆どが結晶化しており、時たま心臓のようにどくりと弛み、蠢く。見下ろす戦場で命が散る度に、この陣は糧を得ていく。この戦場で死ぬ命全てが、贄なのだ。
小さく祝詞を唱え、陣の安定に神経を使いながらも、エリクの目は戦場に向けられている。
沢山の部隊がぶつかり合う中、ぽかりと一部だけ空いた場所。そこで、二つの青がぶつかり合っている。
あそこで、愛しい相手が一騎打ちを行っている。眉間に寄る皺には、悋気の他にどこか怯えが混じっていた。
「――いいえ。あの方は私に、好きにせよと、仰って下さった。ならば私は、あの方の望むままに、世界を壊しましょう。あの方の何もかも、あの男に与えてたまるものか――」
ぎり、と歯を食いしばった時、護衛に残っていた神官の一人、その体がぐらりと傾いだ。
「――ッ!」
次の瞬間。不意に黒い水晶の壁が地面から立ち上がり、エリクに飛んできた刃を弾いた。
「やっぱ高位の神官相手に、不意打ちは無理か。くそ」
「――やはり、お前が来ますか、
「失礼な名前で呼ぶんじゃねぇよ」
どさりと倒れる神官達を踏みつけて、外套を翻す細身の身体。僅かに見える肌に刻まれた祝詞の古傷。師匠譲りの大型の鎌を二本携えたコーシカの金色の目には、明確な苛立ちが浮かんでいた。一刻も早く、役目を果たさねばならないし、そんな悪口で呼ばれていた昔の事など思い出したくも無かったからだろう。
対するエリクも、先刻とは別の侮蔑を視線に込めている。お互い、特定の相手の前以外では、己の感情を出す手合いでは無い筈なのに。
「戦場の様相を見ただけで、奇跡の要がこちらであると気づいたのでしょう? それだけ神官としての才がありながら、奇跡を発現出来ず、贄にしかなれなかった愚者。溢者、お似合いではありませんか」
「お生憎様、贄にはならなかったし、神官にもならなくて心底良かったと思ってるよ、俺は」
そう言いながら、コーシカは改めて鎖に繋がれた刃を構える。僅かに残った神官達が一斉に構えるが、それをエリクが制した。
「お前達の奇跡はこれに通用しません。子供の頃から、あの男が手ずから仕込んでいましたからね」
孤児と実子、神官と密偵、様々に対照的なこの二人の唯一の共通点。嘗てこの王都のアルード神殿にその身を置いて――大神官パウークに、好き勝手に人生を弄ばれたということ。一人は理不尽に命を奪われかけ、一人は理不尽に尊厳を奪われた。
奪われながらも、生きる為の指針を得られた二人の子供は、明確な敵意を込めて相手を睨む。相手の存在を認めることが、自分を――否、自分の主を否定することに繋がるからだ。それは死ぬよりも、辱められるよりも、我慢ならない。正反対でありながら、その思いはとても、良く似ていた。
「そういや、あの糞爺は死んだのかい?」
本来大神官が座する位置に孫の彼がいたのだから、当然の推測であり、エリクも隠すことなく頷いた。
「ええ、私が殺しました」
「そりゃあいい知らせだ。お礼を言ってもいいくらいだぜ」
「生憎、必要ありませんのでお断りします。――崩れろ」
たん、とエリクが爪先を祭壇に叩きつけただけで、空間に黒い稲妻のような皹が入った。祝詞どころか一言だけで、奇跡を発現させたのだ。咄嗟に躱したコーシカの傍にいた神官の腹が、亀裂に引き裂かれて絶命する。
「勿体ねぇなぁ! 一応神官って貴重なモンじゃなかったっけ!?」
コーシカは躊躇わず鎖を手繰り、刃を投げるが、全て中空で黒い水晶に撃ち落とされる。高位の神官ならば常に祈る奇跡、黒壁の発現だ。
「お前を殺しきるのは難しいかもしれませんが、お前を凌ぐだけの糧は充分こちらに有ります。大人しく其処で、主が殺されるのを見ているといい」
「冗談……!」
金色の瞳に、怒りが灯った。
コーシカは逸る心を必死に抑えていた。
常に冷静に、世界を俯瞰せよ。それが師匠に嫌と言うほど叩きこまれた密偵の教えだ。我等は主の使う道具であり、それ以上でもそれ以下でも無いのだからと。
だが、目の前の男の簡単な挑発だけで、踏み込む足に力が入る。こんな奴をとっとと片付けて主の傍に行きたいのに、防御を抜くことが出来ない。負けずとも、このままここで足止めされる。――それは、駄目だ。
だって、あの人に、アグラーヤは殺せない。
確信を持って奥歯を噛み締めるコーシカに対し、エリクの口元が歪む。妻によく似た、嗤いの形に。
「それに、もう充分です。最早屍人兵も必要ない」
「――まさか」
嫌な予感に気付いて、コーシカが刃を投げるも、弾かれる。気づけば周りの神官達は、全てが己の身に祈刃を立てて事切れている。そしてエリクも、己の祈刃を振りかざし。
「あの方を神には渡さない! ――崩壊神アルード!! 全ての信徒の血肉と魂を持って、我が元へ顕現なされませ!!」
全く躊躇いなく、己の胸に向かって黒水晶の祈刃を突き立てた。
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