決戦

◆14-1

「伝令! 戦車部隊が動き始めました!」

「馬鹿な!」

「大将が突出するだと!?」

 早朝、本陣に飛び込んできた情報に、軍全体が揺れた。天幕に飛び込んできたコーシカは第一声を叫んだ後も足を止めず、ヴァシーリーの目の前で膝を折った。

「更に、飛び出した戦車が一両、馬では無く獅子に引かれています。シューラ様!」

 来るべき時が来た。了承の頷きを返し、ヴァシーリーは槍斧を掴んで立ち上がる。

「私が出る。馬を引け!」

「ヴァシーリー様、何を!」

 振り向かずに天幕を出ていくヴァシーリーを皆が追う。既にコーシカが馬番に触れを出していたのか、黒毛の名馬は待ちかねたように足踏みをしながら天幕の外に立っていた。

「猊下がお戻りになるまで、私がアグラーヤを抑える。皆は突出せず、屍人兵に耐えてくれ。全指揮はグァラ殿に」

 手短に告げるとひらりとスゥイーニに跨り、腹を蹴った。追随するようにコーシカも駆け出す。

「殿下ー!」

 ドロフェイの大声があっという間に遠くなる。無茶をしている自覚はあるが、止める気は無い。まだ明け方、兵が足並みを揃えるにはもう少し時間がかかる。そしてアグラーヤならば、躊躇いなく一騎でも敵陣に飛び込んでくるだろう、敵の悉くを切り捨てて。無駄な犠牲を出す前に止めるしかない。

 草原を駆ける。スゥイーニは風に乗る鳥のように、速さを増していく。

 やがて、広い草原の向こう側に、青い屋根の尖塔が見える。フェルニゲシュの王城だ。そしてそこから湧いて出るかのように、地平の先から土埃が上がっていた。

 荒地の悪路をものともせずに轍を刻む車輪。たった一騎で突出してくる戦車。引くのは二頭の獅子、アーゼとレルゼ。

 二頭の主は、手綱を持たない。まるで己の手足のように獅子達を操り、本人は悠々と戦車の椅子に腰かけている。その手には、王家の紋様が刻まれた銀の槍斧。

 未だ、その間に距離は広くあったが、姉弟は同時に声を上げていた。


「貸しを取り立てに来たぞ、シューラ!」

「借りを返しに参りました、姉上!」


 戦車は進む。彼女の周りに僅かながら追いついた騎兵達も、吠え声を上げる獅子に怯えて棹立ちになる。速度は全く落ちず、獲物をその眼に捕えたと言わんばかりに、真っ直ぐにヴァシーリーへ向かってくる。

 目を逸らさず見つめ返しながら、ヴァシーリーはそっと愛馬の首を撫でて囁く。

「すまんな、スゥイーニ。これより死地に入る。全てを擲つ覚悟を決めろ」

 愛馬は、今更何を言うのかと言いたげにぶるんと鼻を鳴らし、ますます速度を上げる。詫びる代わりにすっかり色の褪せた鬣を撫でてやり、その手で槍斧を手に取った。

「いざ――」

 獅子が吠える。大馬を餌と見たのか、口から涎を垂らしながら食いつこうと飛びかかってくる瞬間、思い切り馬の腹を蹴る。

 スゥイーニが、飛んだ。獅子よりも高く、速く。地に降り立つ瞬間、戦車の尖頭を両足の蹄で思い切り踏みつけた。当然戦車はつんのめり、ひび割れ、ひっくり返り――アグラーヤは既に飛び降りていた。ヴァシーリーも、馬からほぼ同時に。

 派手な音を立てて転がる車の残骸を弾き飛ばし、アーゼとレルゼが怒りの咆哮をあげてスゥイーニに噛みつく。対するスゥイーニも嘶きを上げて、足を振りかざし蹴りつけようとする。二頭の獅子に対し、全く臆さず一歩も退かない。

「良い馬だ。やはりお前に譲るのでは無かったな」

「私には勿体ない名馬です」

 その様子を悠々と眺めながら立ち上がる姉の軽口に、ヴァシーリーも表情を動かさずに答えた。互いに槍斧を構え、距離を取る。後続が戦場に辿り着くには、まだ時間がかかるだろう。

「己を矮小に見るのはお前の悪癖だ。折角私より背が伸びたのだから、胸ぐらい張っておけ、シューラ」

「……肝に銘じます」

 嗤う姉に、頭を下げる。こんな状況で、何故ここまで穏かに話せるのだろうか。そもそも、こんな風に姉と話すのも、久しぶりな気がする。思わず苦笑が漏れてしまい、アグラーヤがぱちりと一度目を瞬かせ――嗤った。

「良い顔をするようになった。やはりお前は、追い詰めた方が良い顔をする」

 稽古の時からそうだったな。とやはり世間話をしながら姉王は、――不意に一歩踏み出した。

「ッ!」

 がいん、と鈍い音がして、槍斧同士がぶつかる。たった一歩で、間合いに踏み込まれた。相変わらず、太刀筋が全く読めない。

 巨大な槍斧を軽々と片手で回しながら、アグラーヤは嗤う。

「さて、退屈させるなよ? シューラ。初めて私から、一本取って見せるといい。もし取れたなら褒美として、玉座も、この首もくれてやる」

 本当に嬉しそうに――やっと願いが叶うと言いたげに。

「そのようなもの。……欲しがると、お思いですか」

「いいや?」

 絞り出すような弟の訴えに、あっさりと、姉は首を横に振る。

「欲しくなくても、くれてやるのさ」

 再び、剣戟が閃く。



 ×××



 槍斧はその形故、ありとあらゆる攻撃が出来る武器である。

 切る、突く、払う、割る、引っかける。馬上でも地上でも、攻撃にも防御にも使える。しかしその大きさから、余程の力が無ければ長時間扱えない。

 だが――フェルニゲシュ王家は古くから、この武器を選び使っていた。巨人の末裔たる体躯と膂力を持っていたが故に。

「そら、次だ――避けるなよ?」

 アグラーヤはまるで自分の手足の先のように、自在に長い槍斧の穂先を操る。振り下ろし、かち上げ、真っ直ぐに突き、突き、石突で払い、穂先と斧の背で相手の武器を絡め、弾き、また振り下ろす。全く緩急なく軽々と続けられる嵐のような連撃に、ヴァシーリーは只管受けに回る。

「っ、ぐ、ぅ……!」

 歯を噛み締めて悲鳴を殺す。一瞬でも気を抜けばあっという間に首を落とされる。幼い頃、刃を潰した練習用の槍斧で訓練していた時にすら、その恐怖が消えず、容赦の無い姉に完膚なきまで叩きのめされた。

 自分は臆病者だ。痛いのは怖いし、傷つけることも怖い。子供の頃は耐え切れず、何度も訓練の後に泣いていた。

 そんな自分を見て、姉は呆れたように嗤って――笑って。

「『怖がるな、シューラ。いずれは皆死ぬぞ?」』

「ッ!!」

 喉元にあわや突き立とうとした穂先を、自分の得物を引き寄せぎりぎりで逸らした。子供の頃と全く同じ顔と声と言葉で、アグラーヤは笑う――嗤う。

「よし、よし。良く避けた」

 慌てて間合いを広げた弟へ、いい子だ、と言いたげに嗤うそのさまは、幼い頃と変わらずに。ほんの僅かに浮かんだ寂寥を、唇を噛み締めて打ち消す。そんなものに心を遊ばせていたら、まさに死ぬのだから。

「さて、次はどうするか。打ち込んでみろ、初撃を譲ってやる」

 不意にだらりと武器を持った片手を下げて、ゆるりともう片方で手招く。反射的に踏み出しそうになる足を堪えて、両手でしっかりと槍斧を構え直す。迂闊に飛び込めば頭蓋をかち割られると良く知っている。

「――参ります」

「真面目な奴め」

 一言、告げた声に呆れたような返事が聞こえた時には、ヴァシーリーは姉の懐に飛び込んでいた。槍斧を放り棄てて。

「ほう!」

 感心したようなアグラーヤの声が耳元で聞こえる。同時に、躊躇いなく振り下ろされた相手の槍斧の柄をがっしりと捕まえた。懐まで飛び込んでしまえば、丈の長い武器は十全の力を発揮できない。ひとつの賭けだったが、ヴァシーリーは間に合った。

「ぅ、あああっ!!」

 腰を低く落とし、そのまま武器ごと背負い投げようとすると、躊躇いなくアグラーヤは槍斧から手を離した。それに合わせるように、ヴァシーリーも手を離す。当然、王家の槍斧は派手な音を立てて、地面を転がっていく。

 間髪入れず、体を反転させて、自分よりも矮躯の身体、首と片腕を抑えて組み伏せる。がしゃんと、鎧が荒地を叩く重い音が響いた。

「っは! 考えたな、シューラ!」

「貴女に勝つものはこれぐらいしか、ありませんので!」

 如何に武の術はアグラーヤが勝っていても、純粋な膂力と体格はどう足掻いてもヴァシーリーの方が上だ。思い切り体重をかければ、そうそう組み伏せから抜け出すことは叶わない。――アグラーヤでなければ。

「ふ、はは、あははははは!」

 喉を押さえられているにも関わらず、ぐいと体を仰け反らせ哄笑する。同時に腰を捻り上げ、ヴァシーリーの態勢が僅かに崩れたところを逃さず、脇腹に膝蹴りが叩きこまれた。

「っが……!」

 一瞬でも力が弛めば、その体は抜け出してしまい、素早く差し込まれた反撃の蹴りをこちらも転がって避ける。二人同時に立ち上がり、腰に佩いた剣に手をかけた。

「まだだ、シューラ。もう少し楽しませろ」

 すらりと幅広の剣を抜いて、姉は咎めるように嗤う。……もう既に自分の目的は彼女にばれているのだろうかと、ヴァシーリーは無駄な足掻きと知りつつも表情を動かすのを堪えた。 

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