前夜
◆13-1
王都の外に広がる草原が、最後の戦いの舞台だった。
「恐らくは、これが決戦になりましょう」
ヴァシーリーの天幕の中には、コーシカとグァラだけが入り、地図を目の前にして最後の策を練っていた。
タラカーンを退けた今、フェルニゲシュの兵力はかなり削れている。だが、本命であるアグラーヤ率いる戦車部隊と、屍人兵は未だ健在だった。
「リントヴルムでは原因不明の疾病が広がっているらしい。猊下ならば浄化は出来るでしょうが、時間はかかるでしょう。……竜王の翼があれど、いつお戻りになられるか」
「屍人兵に、他に対抗できる手段は無いのか」
ヴァシーリーの問いに、得たりとばかりにグァラが頷く。
「神官達を総動員して、兵士達の武器全てに奇跡を付与しました。威力が上がるわけではありませんが、当てれば屍人兵の奇跡を祓うことが出来るでしょう」
「それは有難い」
「ですが、奇跡を齎した大神官がいる限り、屍人は減らないでしょう。ついては、ヴァシーリー様に、密偵をお借りしたい」
「――暗殺か」
僅かにヴァシーリーが眉を顰める。恐らく数多の神官と奇跡に守られた大神官を仕留めるのに、一番最適な人選だというのは解る。リェフは王に仕える暗殺団の残党を抑える為に、僅かに残った忠実な部下を率いて別行動をしている。……コーシカしか動かせない。
もう一つ、使うべき理由がある。その生い立ちから、コーシカには神の奇跡が非常に効き辛い。本人曰く、幼い頃から数多の祝詞を体に刻み込まれたせいで、干渉の余地が残っていないのだそうだ。故に傷を癒す為の奇跡すら、碌に効果を齎さない。だからこそ――神官を暗殺する為に最適な理由を備えている。
隣に控えている猫に視線を送ると、なんでもないことのように頷いたので、眉間に皺を寄せたまま是と返した。
「有難うございます。敵の陣容は、歩兵、騎兵、戦車兵に合わせて神官と屍人兵。全力ですよ、王都を背にしているから当たり前ですが。アグラーヤ王も、陣を敷いています」
「――そうか」
僅かな強張りを息で吐きだし、改めてグァラに向き直る。
「恐らく、アグラーヤは前線に出てくる。その時は私に任せてくれないか」
「王自ら……いえ、フェルニゲシュでは当然のことでしたか。個の強さでは確かに、貴方ぐらいしか抑える相手はいないでしょうが――勝てるのですか」
「勝たねばならん」
はっきりと言い切ると、覆面の上の目が僅かに見開かれた。
「これ以上、この国の者を徒に失うことも出来ん。アグラーヤを討った暁には、民達には皇国より出来る限りの慈悲を」
「……クレアチオネ猊下にも、私から口添え致しましょう」
頷き、グァラが地面に座っていた足を僅かに崩して身を乗り出す。
「伝令より、イェラキ殿の命で王都奪還まで竜人の兵は貸して頂けるそうです。タラカーン軍の者達も半数は我等に降り、兵の数だけでは決して劣りません。どうぞ、存分に戦いなさいませ。戦神ディアランの祈りは、貴方方には不要やもしれませんが」
「いや、有難く受け取ろう。必ずや勝利を掴む為に」
ほんのちょっと不満げに眉を顰めた、神嫌いの猫の背を軽く叩いてやり、ヴァシーリーは決意を込めて頷いた。
今だ心に燻る後悔を捻じ伏せて――決着を、つけると。
×××
戦の前夜。ヴァシーリーは天幕の間を縫い、妹の元へと向かった。
クレアチオネの為に用意された大きな天幕の中で、ミーリツァは寝泊まりしている。猊下の傍付である神官達が世話を焼いてくれており、ミーリツァ自身は恐縮しているようだ。
更に遠巻きには眉を顰める神官もいるようだが、クレアチオネの命令は絶対らしい。ヴァシーリーが天幕の中に入ることも、咎められなかった。
ミーリツァは――奥で一人、跪いて祈りを捧げていた。始源神の意匠を掲げる天幕で死女神に祈るのはどうなのかとも思うが、彼女にとっては大切な事なのだろう。止めるつもりは無かった。
「……、兄様? 申し訳ありません、気づかずに」
「気にするな、邪魔をする気は無かった。祈りを捧げてくれていたのか」
ふと顔を上げた妹が慌てて居住まいを正そうとするので、手を翳して抑えた。
「はい……、いいえ。ごめんなさい、兄様。兄様の勝利と……姉様の、無事を、祈っておりました」
「……」
妹の切実な祈りに、ヴァシーリーは何も答えを返せなかった。ほんの僅か瞳を潤ませながら、ミーリツァは声を抑えてひそりと囁く。
「兄様。あの……いえ。解っております、最早避けられないことは。ですが、ですが、姉様は……」
「解っている。お前も、姉上にお会いしたいのだろう?」
「……はい」
我儘を言っているのは承知の上だろう。だが、それでも諦めきれないのだ。こんなところばかり、自分と妹はよく似ている、とヴァシーリーは苦笑した。
「私も同じだ、ミーリャ」
「兄様……」
「私も、色々と考え、悩みもしたが。結局答えは姉上の中にしかない。答えてくれるかは、解らないが」
「ええ、ええ。覚悟しておりますもの、戦が始まった時から」
ぎゅっと神官衣の裾を掴み、泣くのを堪えているような妹の小さな体を、しっかりと抱きしめる。
「私は、お前を泣かせてばかりだな」
「何を仰いますの。兄様がいなかったらわたくしは、姉様に何も言えないままラヴィラさまに導かれておりましたわ。どうか――どうか、ご武運を。そして、無事にお戻りくださいませ」
「ああ――ありがとう、ミーリツァ。必ず、帰ろう」
小さな腕が背に周ってくる感触に、ヴァシーリーの方が泣きたくなるのを堪えて腕の力を強めた。
×××
そのまま暫く、彼女が寝静まるまで傍についたまま、夜更けに外に出た。戦までの時間は、あと僅かだ。
「シューラ様」
後ろから聞こえる声に振り向かず、自分の天幕に向かいながら告げる。
「コーシカ。明日は頼むぞ」
「仰せのままに。……必ず、役目を果たします」
態と仰々しく、おどけたように頭を下げる忠実なる猫の声を聴いても、ヴァシーリーの眉間の皺が取れない。……一番辛い戦場に、最も信頼できる部下を送らねばならない。
「お前にも、辛い役目ばかり与えているな」
自責も筋違いだと解っているが、言わずにいられなかった。後ろで苦笑する気配がした。
「言ったでしょう、貴方が望むことを俺はしたいんです。使って下さい、好きなだけ。もし褒美をもらえるっていうんなら――」
ひょい、という足取りでコーシカが目の前に回り込む。いつも通り、またふざけて口付けのひとつでも、と言うのかと思ったが、違った。
「死なないでください、シューラ様」
きっぱりと言い切られた言葉に、一瞬息が止まった。
「絶対。あなたの死に顔なんて、絶対、絶対、見たくありません」
満面の笑みでそんなことを言われて。ずっと引っ掛かっていた最後の躊躇いが、すとんと落ちた気がした。
「ならば――命じよう。コーシカ」
「はい」
居住まいを正す猫の前に一歩進み出て、告げる。
「お前も、絶対に死ぬな。何が起ころうと必ず、私のところへ帰って来い」
「……難しいこと言いますねぇ、もう」
「私にも同じことを課しただろうが」
「解りました、お約束します」
困ったように目を瞬かせ、むぐむぐと口の端を動かしてから、仕方ないなと言いたげに猫は笑った。ヴァシーリーも苦笑して、踵を返す。
叶えられるかどうかも解らない、ただの気休めのような願いと命令だったけれど、二人にはそれで充分だった。
「あーあ、やっぱり戦の前に口付けのひとつも貰えません? 気合が違うんですよ気合が」
「却下だ」
「ちぇー」
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