◆11-2

 トビアウバの草原を、タラカーンの軍が進んでゆく。兵の差が倍ある故に、兵士の方にもどこか弛んだ空気が伝播していた。対する敵軍は、小さな塊に分かれてばらばらと進軍しているようだ。タラカーンは嘲りの笑みを浮かべた。

「足並みをそろえるのも一苦労か、所詮寄せ集めよ」

 馬の腹を蹴り、悠々と進む。

「全軍、ゆるりと前進せよ。決して隊列を崩すな。守りを固めれば負けることはない」

「将軍! 先発隊が突っ込んできます!」

 間髪入れぬ報告に僅かに眉を顰めるものの、馬に乗って駆けてくるその一団を見遣り、嘲るような笑みに戻った。

「――あれは、ヴァシーリーの近衛か。小賢しい」

 青い旗を靡かせ、駆けてくる騎馬部隊。その先頭で馬を駆る隊長であろう人影が――するりと、走ったままの馬の上に立ち上がった。

「な――」

 曲芸のようなその動きに、兵士達が一瞬あっけにとられた時、びん、と僅かな空気を裂く音がして――天に向かって一本の矢が飛んだ。

 甲高い鳥の鳴き声のような音が戦場に響く。最初に飛ばした矢は、鏑矢だったらしい。馬の上の者はその音が途切れぬ間に次の矢を番え、放つ。今度は三本同時に。

 矢は空を裂き、兵士達の鎧の隙間を縫うように突き刺さり、馬から叩き落とす。それに驚く間もなく――彼らの耳に先刻とは別の、奇妙な音が届く。

 馬の上に立つ男が、大きく息を吸い――天を見上げ唇を窄め、まるで狼の遠吠えのような声を発したのだ。朗々と戦場に響く声に呼応するように、部隊の者達も皆同じ声を上げている。

「なんだ、あいつらは――」

「狼狽えるな! 盾構え!」

 浮足立つタラカーン軍の兵士を隊長が鼓舞するが、その時には騎馬弓隊は既に側面に周っている。そのまま、二射、三射。前面に集中していた兵士達は横からの攻撃を受けてばたばたと倒れていく。

「おのれ――あのような寡兵に、負けてたまるか! こちらも矢を構えろ!」

「む、無理です、もう届きません!」

 盾から弓をもたもたと構え終えた頃には、部隊は離脱し、別の隊と合流している。

「くそ、小賢しい――貴様等、追うな! 我等はただ前進すれば良い!」

 隊長は声を荒げて浮足立つ部下を諌めるが、一部の者達は落ち着きを取り戻せなかった。彼らは、十数年前の内乱で負け、命だけは救われてタラカーンの旗下に入った者達であり――遊牧民の血を引く者達であった。

「あの鏑矢と、あの声は」

「ヴォルクの氏族の歌だ」

「生きているのか、彼らが」

 ヴォルクの氏族は、最後の最後までフェルニゲシュ王国に抵抗し、最終的には一族全て、年齢、性別問わずに撫で切りにされた。故に他の遊牧氏族達は皆弓を捨て、三等市民の屈辱に甘んじることになった。

「我等の歌を奪われることなく、馬の背に乗ることを許されているのか」

「王弟殿下の元ならば――」

 さわさわと動揺が広がっていく。タラカーンの元で虐げられている彼等にとって、駆け去っていくラーザリ達の背は僅かな希望となっていた。



 ×××



「流石だなラーザリ! 見事見事!」

 荒野を縫って駆けていく部隊に馬で並走しながら、ドロフェイは呵々と笑う。

「足の速さと弓の腕で、お前達に勝てる部隊などタラカーンの元にはおるまい! そしてお前の姿は、嘗ての遊牧の民の希望となろうぞ! 存分に掻き回せ!」

「――元より」

 足先に引っ掻けていた手綱を蹴り上げて手に取り、すとんと鞍に座り直したラーザリは、空の矢筒を捨てて馬に下げている新しいものを背負う。

 こちらも連合軍ではあるが、寄せ集めという意味では敵方も同じ――そう進言したのはグァラだった。彼は他国の兵の質にも精通しており、タラカーン旗下の者達には元奴隷身分の者達が大勢いること、決して国に忠誠を誓っているわけではないこと――もっと良い条件を出せばこちらへ転ぶ可能性があることを示唆した。その策の一環が、このラーザリの動きだ。彼自身、嘗て苦渋を舐めた己の血を誇れる戦いは悪くない。

「我等は西へ向かいます、貴方は先刻の部隊を――存分に」

「応さ! 溜まりに溜まった鬱憤、晴らさせて貰おうぞ! 続けぇーッ!!」

 珍しくほのかに微笑んで告げる義息子に笑い返し、打てば響くように駆け出すドロフェイの重騎兵は、足の速さではとてもラーザリ隊に敵わないが、馬にも鎧がつけられており、多少の矢玉はものともしない。盾を構える前の部隊に突撃し、一気に蹴散らす。

「よぉし、転身ッ! 引け引けー!」

 しかし、ある程度の手傷を与えるとすぐさま逃げ出す。そんな動きしかしてこないヴァシーリー軍に対し、タラカーン軍は焦れてくる。無論、大軍が小軍に勝つためにはむやみに動かず、粛々と相手を押し潰すのが定石であるのだが。

 ここで、地形が効いてくる。荒地のあちらこちらに、放置された巨人時代の遺跡が残っているこの平原は、ただまっすぐ進むだけの行為が意外と難しい。巨大な岩場を避ける為に、どうしても兵を分けねばならず――

『ラーザリ隊、そのまま南へ回れ。敵陣が一部崩れた、叩け』

「了承しました!」

 それを逃さず、高台で遠目の奇跡を部下に使わせているグァラが、その動きを逃さずに自らの声で伝令を飛ばす。倍の数の大軍を、少しずつ切り崩していく。

 だが――未だ大軍は、崩れなかった。



 ×××



「……まだだ。出来る限り兵を分けるな。動きが速い馬はヴァシーリーの近衛兵ばかりだ。主力の神官騎士どもは身軽に動けまい。ただゆっくりと進み、守れ」

 タラカーンは冷静に、敵の弱点を指摘していた。元は平民の身から、その戦才と腕っぷしだけで二十年かけ、大将軍の地位に上り詰めた実力は伊達では無い。

 事実、未だ戦力差は大きい。向こうが焦れて飛び込んで来れば充分、蹂躙できる。そして騎馬部隊の疲労を考えると、辛くなってくるのは向うだ。

「待てば、勝てる。時間は、我等の味方だ」

 タラカーンは酷薄な笑みを浮かべ、己の得物である槍斧を空へと掲げて見せる。その眼の端に、きらりと何かが輝き――

「――馬鹿な」

 思わず、タラカーンの声が漏れた。日の光を反射する何かが、空の雲を蹴散らすようにこちらに近づいてきて――ひとつがふたつ、四つ、八つとどんどん増えていく。それは巨大な翼を背に負った、鱗を纏う――

「竜人だと……!?」

 まっすぐにその鼻先を突きこんできた銀の鱗の竜――ククヴァヤは、大きく息を吸い――父譲りの炎を吐息とともに吐き出した。

 炎が地面を、空を撫でていき、悲鳴が上がる。間髪入れず飛び込んできた竜人の爪に、兵士が浚われ、地面に落とされる。

 この国で一番の腕利きと言われるタラカーンの軍であったが、竜人と戦ったことは碌にない。尚且つ、先日ツィスカ夫人が率いる部隊が竜人によって壊滅したことも聞き及んでいる彼等にとっては、恐怖が先に立った。炎に焼かれるのも、空から落とされるのも、騎士の死に方では無い。

「う、うわあああ!!」

「馬鹿者、逃げるな――ぎゃああ!」

 特に馬に乗っている者は、背が高く見えるので片端から目印となって捕まる。つまり、将が先に落とされていくのだ。見る見るうちに、歩兵たちは瓦解していく。

『――好機。ヴァシーリー旗下、前へ』

 そしてその揺らぎを見逃すグァラではない。己の精鋭である騎士部隊を付けた彼への伝令は、過たず届けられた。

「――突撃!」

 命令は一つ。鬨の声と共に、ヴァシーリーは愛馬と共に駆け出した。



 ×××



 硬い地を踏みしめ、スゥイーニが走る。

 久々の主との走りに、血が滾っているのだろう。あっという間に、崩れ始めている前線部隊に突入した。

「――ふっ!」

 僅かな呼気を吐き、体を足だけで支え、両腕で槍斧を構えて思い切りかちあげる。一人の兵士が斧に突き刺さったまま、掬い上げられ宙に舞った。間髪入れず、大声で叫ぶ。

「退け! 逃げるのならば命までは取らん! この国を正したいのならば、我が旗下に加われ! どちらも選ばぬのならば――容赦はせん!」

 それだけ言い捨てて、後は顧みぬ。馬の腹を蹴り、只管に前へ。呆然とそれを見送る兵士達が、後続の騎士達に蹂躙されていく。

 何より、先刻のラーザリの姿を見て、迷いが生じていた嘗ての遊牧民達にこの言葉は効いた。虐げられたまま死ぬよりも、誇りを持って死にたいと望む彼等は、自分達を縛る手の武器を地面に放り棄て、弓兵の弓矢を奪い取って敵の戦線に加わり始めた。

「王弟殿下の旗下へ!」

「命を惜しんだ我等の誇りを、再び得る時は今ぞ!」

「おのれ、裏切り者どもが……!」

 あちこちで乱戦が起こる中、コーシカが走る。人の間を抜け、頭や背を踏み越え、主を導く為に。

「シューラ様!」

 剣戟を切り裂く声。僅かな音だけで、馬の尻に着地する気配。振り向くことなく、ヴァシーリーは叫ぶ。

「何処だ!?」

「北西へまっすぐに!」

 忠実な猫を慰労する暇はない。混乱が収まればこちらが不利になるだけだ。

「露払いは任せる! ――行け!!」

「承りましたぁッ!」

 打てば響く返事を返し、コーシカが再び走る。行きがけの駄賃で、向かってきた近衛騎士の一人を鎌で叩き落としながら。

「おのれ、反逆者め……! アグラーヤ陛下に逆らうというのか!」

 突きかかってくる騎士の槍を自分の得物で叩き、態勢を崩したところを馬の背から蹴り落とす。脇から突きかかってきたもう一騎へ再び槍斧を振り下ろし、脳天をかち割った。

 動揺は無い。王家を護る者達から見れば、自分は只の簒奪者に過ぎない。道半ばで倒れようと、最後まで走ろうと、その身に汚名が刻まれるだろう。

「……だからどうした」

 血塗られた槍斧を振い、ぼそりと呟いた筈のヴァシーリーの声は、騒がしい戦場では聞こえなかっただろう。

 一度駆け出した馬の背から降りるつもりはない。己が正しいのか、間違っているのか、それは解らないけれど――止まることだけは、出来ない。

 再び馬の腹を蹴る。地を薙ぎ、兵士達の数を減らす。大地が血を吸っていくのを見届けながら、死体を蹄で踏みしめて進んでいく。

 近衛たちの疲労は無視できなくなっているだろうし、空の竜人達も弓矢によって数を減らしかけている。兵力差はまだ歴然としている、時間をかける余裕は無い。

 視界の先に見えた敵の本陣に飛び込んでいく猫の背に、全く自分には得難い部下であると改めて納得し、ほんの少しだけ緩んだ自分の頬を引き締め直す。騎士たちに囲まれた、豪奢な鎧の大将軍に会いまみえる為に。



 ×××



 タラカーンは、元は貴族位どころか、平民でも無かった。

 奴隷身分。遊牧民や、移民、流民の類に、与えられるどころか、烙印として押されるもの。

 元から何もなく、また奪われる身であった故に、奪うことを選んだ。それは当然だったし、必然だったと彼自身は思っている。

 腹が減ったら飯を奪う。金を奪う。武器を奪う。そうやって生きて来た。

 人として扱われたくば、場所を奪う。立場を奪う。冠位を奪う。そうやって伸し上がった。

 下位貴族の家に押し入り、娘を襲って親を脅し、養子となった。その頃はまだ内乱も多く、騎士として戦場に参加することも出来た。

 後は、得意分野だ。只管に相手を血祭りに上げ、奪う。渡りに船だったのは、王が、当時姫であったアグラーヤに殺され、地位を奪われたこと。真っ先に恭順を示し、忠実なる部下であることを彼女に訴えた。

『許す。お前が望むがままに振舞えるだけの席を与えてやろう』

 ほくそ笑みながら、その許しを受けた。何れは彼女の据わるその玉座すら、奪ってやろうと本気で思いながら。残念ながら夫の地位は、先んじた大神官に奪われてしまったが、祖父も孫もいずれ殺してしまえば問題はあるまい。

 そうやって生きて来たことに後悔などあるわけがない。今この場に立って思うのは、納得がいかぬという憤りだけだ。

「あの羽虫どもが……!」

 けちの付きはじめはあの竜人どもだ。ただの化け物の分際で、人間と張り合ってくるなど片腹痛い。大人しくリントヴルムとやりあっていればいいものを。

 そうか、リントヴルムの女など娶るからこんな目にあったのだろう。頭の足りない竜人どもが、仇の女を追いかけてきたに違いない。死んだ後も迷惑をかける、なんて厄介な女だと歯噛みをする。

 だが、このまま終わるなど有り得ない。奪われたのならば奪い返せばいいだけの話だ。あの王弟の首を手土産に、大神官や貴族共よりも更に上の地位を頂いてやる。いっそあの糞生意気な女も殺してしまえば――

「タラカーン将軍! どうかご命令を!」

 部下共が五月蠅い。こういう時に動くのが部下の役目だろうが。

「また竜人が来ます! このままでは!」

 ああ、煩わしい。全員、この王家より賜った銀の槍斧の錆にしてやろうか。

「お逃げください、王弟殿下が――」

「五月蠅い!」

 駆け寄ってきた部下を一刀で切り裂いた。今一番聞きたくない相手の名だ。

 アグラーヤにお情けで生かされているだけの王弟。バガモルを使い、廃せたと思ったのに、皇国を味方につけて現れるなど、癇に障ることをまたやってきた。

 自分がどれだけ望んでも手に入れられないものを、生まれた時から持っていて手放そうともしない、あの男が心底気に食わない!

「貴様だけは! この手で! 殺す!!」

 馬の腹を蹴る。向かってくる青鎧。靡く同じ色の髪。その色すらも、持たざる者にとっては屈辱だ。血だけは、どんなに望んでも手に入れられるものではないからだ。

 羨ましい。妬ましい。奪えないのならばここで潰えろ!

「――あんたにしては脇が甘い」

 何か声が近くで聞こえた、と思った瞬間、片腕を引き上げられた。

「な――ッ」

 武器は手放さなかったが、大きく身を崩す。馬の鼻先が近づく寸前、真っ直ぐにこちらを見据えてくる青い瞳を見た。

「ああ、糞、寄越せ――」

 伸ばしたもう片方の腕が、銀の槍斧で切り飛ばされた。ぐらりと身が傾ぎ、何故動かせないのか武器を持った腕を見遣ると、鎖で縛り付けられたその先に――黒髪の斥候が見えた。

 こんな忠実な部下も、自分は手に入れられなかった。

「寄越せ……!」

 両腕はもう動かない。叫ぶしかなかった。



 ×××



 丸一日かかったトビアウバの合戦は、こうして終了した。

 フェルニゲシュ軍大将、タラカーンは捕縛され、リェフが彼の屋敷から見つけて来た奴隷売買の証拠を持って、竜人達へと引き渡された。後は竜人の王が、追って裁きを下すだろう。

 敵兵は半分が逃げ去り、半分が連合軍へと恭順を示した。特に元遊牧民の者達が多く、ラーザリが幼い頃を知っている者が僅かながらおり、泣いて伏すのを本人が戸惑いつつ諌めていた。ドロフェイは義息子の背を叩いていつも通り豪快に笑っていた。

 此方の犠牲もあったが、充分に兵の補充は出来た。この国で一番の兵力を持つ大翔軍を退けたのも大きい。

 タラカーンの領地を越えれば、王都は目の前だった。

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