トビアウバの戦い
◆11-1
ヴァシーリー達がスチュムパリデスへ向かった数日後に、タラカーンの元にもアブンテの戦の知らせが届いていた。
「バガモルがやられただと?」
「は、はい。皇国軍の強さは圧倒的で」
「戯け。屍人兵などに頼るからそんなことになる。皇国の神官は我が国よりも圧倒的に数が多すぎる」
怯えつつも報告する部下を心底蔑むように言い捨てながら、タラカーンの顔には笑みが浮かんでいた。
「これで大神官の勢力は大いに削がれた。孫を嫁がせて盤石になったつもりだろうが、いい気味だ。――では、あの慈悲深き王弟殿下にして反逆者の首は、このタラカーンが取らせて貰おう」
酷薄な笑みを浮かべ、己の槍斧を掴み立ち上がる大将軍に、別の部下が近づき、話しかける。
「将軍、リントヴルムのイオニアス王子より、ツィスカ様へ親書が届いております」
「チッ、またか。我が妻は卑劣なる竜人によって怪我を負い、未だ起き上がれぬとでも伝えておけ」
視線すら動かすことなく、タラカーンは天幕を出る。其処には既に――万を超える兵が詰めかけていた。傭兵、流民、元奴隷等、数年前より片端からかき集めたタラカーンの私兵であった。
「聞け、三等市民共!」
タラカーンの声と同時に、彼らを囲む正規兵がだん、と槍斧の柄で地面を突く。がやがやと騒いでいた場があっという間に静まり返った。
「世が世なら奴隷としてしか扱われぬ貴様等を、拾った恩を返してもらうぞ。敵は皇国、そしてそれに降った愚かなるヴァシーリーだ!」
また、ざわりと人垣がざわめく。王弟殿下が、とひそりと呟いた声がタラカーンの耳に届き、ぴくりと眉を顰める。
隣の部下に向かって顎をしゃくる。部下は顔色一つ変えずに進み出て、隣の者と喋っていた一人を引き摺り出した。
「も、申し――ぐぅ」
言い訳をする前に、槍斧がぐさりと兵士の背中に刺さる。どさりと倒れ、呻き、動かない。
「あの男に敬称を付ける必要は無い。言った者は反逆と見なす」
本当に今刺された男が言っていたかどうか、確かめる必要は無い。己の兵士は自分の持ち物であり、使えぬものは捨てて良いと本気でタラカーンは思っていた。一人切り捨てればこの通り、他の者は言う事を聞くのだから。
「フェルニゲシュを侵略し、アグラーヤ王を滅さんとする不届き者共を悉く殺し尽くせ! それが貴様等の生きる唯一の道と心せよ!」
×××
色よい返事ではない手紙を、イオニアスは苛立ちのままに握り潰した。
「……やはり、ツィスカが竜人に連れ去られたという噂は誠なのか……」
今やリントヴルムの上層部で、彼女の身を案じているのは、イオニアスだけだった。民達の人気は高くとも、父親を含め城の者達は皆、ツィスカの身代など誰も心配していない。寧ろ役目を果たせなかった彼女を責める声の方が多い。
昔からそうだった。妹の努力も、才も、女というだけで軽んじられる。それが不憫で、ずっと妹を庇ってきた。軍に参加したいと彼女が言った時、父は一笑に伏したが、彼女の槍の腕を良く知っているからこそ推挙した。だが、そうしたのが間違いだった? 戦場に出たからこそ、竜人に狙われたのでは?
「……頼む、ツィスカ。無事でいてくれ」
イオニアスはこの国では非常に珍しい、性別を問わず、分け隔てなく振舞う男だった。幼い頃、妹を生んだばかりの母に、上に立つ者ならば、そうしなければなりませんよと教えられて以来、ずっとそうしてきた。だから父から何を言われても妹を大切にし、彼女のやることを褒め、護って来た。……それが、彼女に道ならぬ思いを抱かせてしまったということには、ついぞ気づいていなかったが。
「い、イオニアスさま……!」
妻の声で、イオニアスは思考の渦から抜け出した。心の中で暴れる激しい感情にしっかりと蓋をし、笑顔を見せる。
「すまないな、ゾーヤ。どうした?」
「あ、ええと……お、お食事の、お時間なので」
「もうそんな時間か。ありがとう」
「い、いえ」
隣国から嫁いできたこの妻のことも、イオニアスは彼なりにとても大切にしていた。この国の重鎮の中でも、ここまで妻に対する好意を隠さないのは珍しいだろう。女だから、他国の者だからという理由だけで蔑む事などとても出来ないし、どこか怯えた風に中々部屋から出てこない彼女のことを不憫だと思い、何くれとなく気をかけていた。
己の役目も、勿論ちゃんと理解している。この国の王子として血を繋げること。だがたとえ政略の為の婚姻といえど、妻の事は大切にしたかった。狂おしい愛情は持つことが出来なくとも、心地良く優しい思いで、慈しんでやりたかった。
……その優しさこそが、たったひとつの強い想いを求める妻の心を追い詰めていることにも、やはり気づくことはなかった。
×××
タラカーンの軍一万と、ヴァシーリー率いる皇国連合軍五千は、トビアウバの草原で相対することになった。嘗ては遊牧民達が闊歩していたが、今はタラカーンの領地となっている。
兵差はあるが、相手の陣に屍人兵は確認できない、というコーシカの報告を、天幕の中で絨毯に座してヴァシーリーとグァラは聞いた。
「大将軍と大神官が反目してるのは知ってましたが、徹底してるみたいですねぇ。まあ、それでも兵差は二倍ですけども」
「屍人兵が居ないだけでありがたい。クレアチオネ猊下がおらずとも、まずはここで勝ち、王都に駆け上がらねばならない。……グァラ殿、すまなかったな」
隣で思い切り眉間に皺を寄せている、覆面の軍師に詫びる。クレアチオネがリントヴルムへ向かうと聞いて、一番反対したのは彼だった。
「……解っておりますとも、竜人王の誘いに乗らねばならぬことは。しかし、フェルニゲシュ王都に辿り着くまで、猊下を消耗させ遠ざけるのが彼奴等の目的でしょう。……既に王都でも神降ろしの準備が進められているかもしれません」
解っていても相手に乗ることしか出来ないのが、彼にとって不満なのだろう。低く不機嫌な声で尚も怨嗟が漏れる。
「崩壊神が顕現すれば、この国どころでは無い、大陸全土に余波が及ぶでしょう。そして顕現してしまえば、猊下と相討ちにならねば封じられません。……それが神話に於ける理にありますれば」
「……申し訳ないと思っている。だが……根拠は乏しいが、私には――姉上が神の顕現に同意しているとは、とても思えない」
素直に思考を伝えると、訝しげな眼で見られた。明確な反論が出来ないのが何とも情けないが、傍に座っている猫の温もりに押されて、言葉を続ける。
「先日、猊下から伺ったが。崩壊神とその眷属は、降臨の際に憑代が同意しなければ神降ろしは成立出来ないそうだな」
「……はい。神の力を得ようと足掻く者にしか力を与えない、とも伝えられています」
グァラの説明に、ヴァシーリーは深く頷く。
「ならば、姉上が――アグラーヤが、己の身を神に明け渡すというのは、やはり考え難い。あの方はあくまで己の意志で、この戦を起こした。恐らくは――私を引き摺り出す為に」
「ヴァシーリー様、それはどういう――」
旅を続ける内に確信になっていたことをぽろりと口から漏らすと、グァラが首を傾げて問うた。間にコーシカが入ろうとしたその時、
「殿下ぁあああ―――!!! どちらですか―――!!」
天幕の外から響いて来た、すっかり元気になったドロフェイの大声に、出鼻を挫かれた。一つ息を吐いて、全員立ち上がる。
「こっちだ、ドロフェイ。どうした?」
「おお、殿下! お連れしましたぞ、どうぞこ奴をお使いください!」
ドロフェイが連れて来たのは、かなり体躯の立派な一頭の馬だった。鬣はやや薄汚れていたが、その力強さと目の輝きは、忘れるものではない。
「――スゥイーニ! 無事であったか!」
アブンテで逸れた、ヴァシーリーの愛馬であった。駆け寄った主に、ぶるぶると鼻を鳴らしながら、顔を乱暴に擦り付けてくる。
「この気性の荒さです、アブンテで保護したはいいものの、誰も背に乗せようとしませなんだ。しかし食用にするなどとても出来ず、皆で世話をしていたのです。殿下に再会できて、こいつも感無量でしょう!」
「ありがとう。世話になったな」
「勿体なきお言葉!」
頭を下げるドロフェイを労い、そっとスゥイーニの顎を撫でてやる。
「……スゥイーニ。お前にも、苦労を掛けた。また私を乗せてくれるか」
名馬は答えるようにひとつ嘶き、またぐいと顔を押し付けてくる。笑って鬣を撫でてやっていると、何故かコーシカが不満そうな顔をしている。
「俺だって足の速さなら負けませんしぃ……」
「どこを張り合っているんだお前は」
何故か不機嫌になっているコーシカの頭を、ぽんと叩いてやると、本物の猫のようにぐりぐりと頭を押し付けてきた。どうも、役に立つ部下、という点で譲れないものがあるらしい。一つ溜息を吐き、少しだけ乱暴に黒髪の頭を撫でてやった。
「まずは一戦。ここを乗り切らねば話にならない。姉上に必ずや、この槍斧を届かせるために。……コーシカ、戦場にて私の目を任せる。イェラキ王との約定の為、タラカーンは殺さずに捕らえねばならん」
「……任されましたっ!!」
ぱちりと目を瞬かせ、すぐににんまり笑って猫が飛びついてくる。不敬だぞ! とドロフェイに怒られて笑ったまま逃げたが。
×××
改めて、隊長達を全て揃えてから、グァラが献策を開始した。
「ここは荒地と言えど、過去の遺跡の残骸が多い地です。巨人が建てたとされる御柱でしたか、利用しない手はありません」
グァラの策は、隊を細かく分けて、敵陣を二つ以上の部隊で挟撃し、少しずつ削り出すこと。圧倒的に兵力差がある為、そうしなければ勝ちの目がないのだ。
「大軍である故に、タラカーンの軍は中々動きますまい。こちらから突いて飛び出させるしかありません」
「隊ごとの連絡は如何とする? この戦場は広いぞ、伝令では間に合うまい」
ドロフェイに指摘されたグァラは、こほんと小さく咳をして。
『この奇跡を使います』
その場にいる全員の頭の中に響いた声に、あちこちで驚きの声が上がった。神官騎士たちは慣れているようで、深々と頭を下げるだけだ。
『戦神ディアランより賜った号令の奇跡です。この高台の陣より、伝令は私が全て承ります』
「これだけの奇跡を――戦中ずっと使い続けられるのか?」
「ご心配なく。ここぞという時にしか使いませんよ、皆様には慣れて頂くと同時に――私の指示に絶対に従って頂きます。そうしなければ、勝てません」
はっきりと言い切った不遜な言葉を、誰よりも先に、ヴァシーリーが肯定した。
「無論だ。この軍の軍師は貴殿だ、貴殿の命令は軍を預かる私の命令に同じ。ドロフェイ、ラーザリ、部下達にもグァラ殿に従うよう徹底しろ」
「「はっ!!」」
躊躇わない主従の肯定に、グァラは一瞬目を瞬かせ――覆面の上で目を細めて笑った。
「……有難いですね。では、戦神の憑代として、全力を尽くさせて頂きましょう」
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