◆8-2

 皇都へは三頭引きの立派な馬車で向かった。神官専用であろう一際白く豪奢な馬車に、ヴァシーリーは妹の手を引いて乗り込む。

 向かい側には護衛であろう、兜までしっかり身に着けた大柄の騎士を二人両脇に控えさせたグァラが座る。魔除けの覆面を着けたまま、ゆっくりと語り出した。

「先日、フェルニゲシュより使者がやってきました。――転移の奇跡を使い、堂々と城の前庭に。流石の崩壊神の神官と言えど、結界に守られた城内に入ることは出来なかったようですが」

 恐れていたことが既に起きていて、ヴァシーリーは思わず天を仰いだ。

「それは――宣戦布告に、相違無いだろうか」

「如何にも。『我等を邪なるものと追い遣った欺瞞なる八柱の信徒、一切を鏖殺する』と。言い終えた後、神官はその場で自害して果て――直ぐに屍人となって甦りました。無論、中には護衛神官も沢山詰めておりましたので、すぐさま昇華させましたが」

「……大変な無礼を。如何お詫びしてよいか」

 言いながら、ヴァシーリーは内心頭を抱える。姉王は、本気だ。

 純粋な国力の差なら、例え隣国の力を借りてもフェルニゲシュは皇国に敵うまい。だが――屍人兵を使えば、その兵力差は埋められると考えているのだろうか。

 実際は、違うだろう。自分もコーシカから聞いただけの知識しかないが、屍人の奇跡はその贄として、屍人になる前の人間の命を使うことが出来るという。つまり、代償が要らぬ奇跡として、奇跡を維持する神官さえいれば永遠なる施行が可能なのだ。

 だが前述のとおり、皇国の神官は崩壊神の奇跡を退ける奇跡を顕現できる。創造神イヴヌスの神官は、悪しき神の力をこの世界から切り離す光の剣を生み出すという。しかも、八柱神は贄を求めない。神官が使い潰されることも無いのだ。

 国境近くで争うならまだしも、兵を進めていけば間違いなくこの憑代達と矛を交えることになる。そうすれば、屍人兵など何の役にも立たなくなる――どうあがいてもこの戦争には、負けしかない筈なのだ。

 ヴァシーリーの苦悩を、僅かに握られた妹と繋いだ手が抑えてくれる。そっと握り返して前を見ると、グァラはまた目を細めて笑っていた。

「お気になさらず。しかし、嘗ての邪法すら復活させるということは、現フェルニゲシュ王の本気が伺えます。王弟殿にお伺いしますが、この戦――最終的に負けるのはそちら側だ。フェルニゲシュ王はその事、承知の上なのでしょうか」

 グァラの事実を確かめるように告げる声は穏やかだったが、その視線には隠し切れない非難が混じっている。当然だ、目の前にいるのは侵略者と血を分けた亡命者、厄介者でしかない。僅かに臆したように身を竦める妹の手を確りと握りしめてやり、まっすぐにグァラの方を見て答えた。

「恐らくは。故に此度は、僭越ではあるが猊下に願いがあり、こちらへ足を運ばせて頂いた」

「ほう?」

 目を細めたグァラと、僅かに身じろぐ護衛騎士達を視界に収めたまま、ヴァシーリーはあくまで冷徹に聞こえる声で宣誓を告げた。

「望みは二つ。我が妹の亡命と、フェルニゲシュとの戦に置いて、兵をお借りしたい。必ずや、現王の首級を上げ、私が次王の座を継ぐために」

 もう後戻りは出来ないのだと、僅かに息を飲んで震える妹の背をそっと支えてやりながら。

 馬車の中に沈黙が落ち、車輪が泥を撥ねる音だけが暫く続き。

「く――ふ、はっはっはっはっは!!」

 呵々大笑。そう言うに相応しい快活な笑い声が馬車の中に響いた。護衛騎士が驚いたように、挟んだ主を見遣る。

「ふふ、っく、ゲホッ。ああ、失敬。生憎、私の喉は貧弱でね。これを着けていなければ、碌に呼吸も出来ない」

「噂には、聞いております」

「だが、この姿が礼を失するのは百も承知。故に少し、お待ちを」

 息を整えるように何度も大きく吐き、護衛騎士が背を撫でるのをやんわりと押さえて、改めてグァラは覆面に手を伸ばし――襟を広げるようにぐいと引き下ろした。

「六位様!」

「少しならば、大丈夫です。改めてご無礼を、ヴァシーリー・ドゥヴァ・フェルニゲシュ様。第一位にして猊下、クレアチオネ・プリーモ・アッソルタメンテ・カラドリウスの神託に従い、貴方を歓迎しましょう。――ごほっ」

 すぐに声は掠れ、咳が漏れる。本当に、喉が弱いらしい。護衛騎士が慌てて覆面をつけ直し、今度はグァラも大人しく従った。ひゅうひゅうと鳴る喉は本当に苦しそうで、ミーリツァも心配そうに眉を顰めている。

「げほ、ヒュ、ェホッ。――失敬、お見苦しいところをお見せしました」

「いえ。貴殿の誠意、確かに承った」

 僅かに額に汗を浮かべた、グァラの目が細まった。自然と笑ったのだろう、口元が見えなくても解った。どうやら彼は、ヴァシーリーの話を聞くに値すると了承してくれたらしい。

「では、ヴァシーリー様。血を流す矢面に立って頂けると?」

「戦になれば必ずや、カラドリウスが勝ちましょう。だが――決してこちらの国も、無傷では収まりますまい」

 事実を告げると、得たりとばかりに深くグァラは頷く。

「然り、然り。我等が八位の大神官共も、真っ二つ、いや三つかな、割れておりましてね。二位、四位は好戦派、七位、八位は非戦派、三位と五位は中立。全ては第一位、猊下の意見にかかっているわけです」

「失礼ながら、貴殿は?」

「曲がりなりにも戦神の憑代、何があろうと俺は戦場に立たねばなりません。選択の余地など無いのですよ」

 いつの間にか、グァラの喋り方が随分と崩れている。これが彼の素なのか、はたまた交渉相手に見せる格好なのかは解らないが。少なくとも彼自身に、ヴァシーリーの要求を聞く利点があり、恐らくクレアチオネもその辺りを汲んで彼を迎えとして選んだのかもしれない。

「神の憑代と言えば聞こえはいいが、所詮皆、己の利益を希求するのみ。国土を荒らされないのなら、貴方を擁立することは決して悪い手ではない」

 暗に兄にだけ血を流せと言っている彼の言葉に、ミーリツァが反論するようにぎゅうぎゅうとヴァシーリーの手を握っているが、事実なので軽く叩いて宥める。利害が一致しているのならば、力を借りるのは決して不可能では無いのだから。

 ヴァシーリーの揺るがない表情を見て、グァラはもう一度両目を細める笑いを見せた。

「これより皇都では、全ての憑代が集まる神託の席が設けられます。是非そこで、貴殿の有用性を主張して頂きたい。あのチ――否、猊下が了承なされれば、貴殿の望みは叶えられましょう」



 ×××



 カラドリウス皇国の政治的な重要事項は全て神殿で決定される。

 曲がりなりにも政教分離を行っているフェルニゲシュに対し、カラドリウスは完全に宗教国家だ。八柱神の神官、憑代と呼ばれる者達が、それぞれの神殿の長として立ち、国家を運営している。

 その神官の選出も、全て猊下――始源神の憑代が受け取る御告げからだった。その託宣が下されると国内のどこかに、神紋を体に刻まれた者が現れる。何歳であろうとその時点で神殿へと召し上げられ、国の重役に着く。長となっている間は時の流れを止めることが出来ると言われており、事実クレアチオネ猊下などは在位五十年ほど、その姿を違えていないという。

 随分と危うい仕組みに思えるが、それでフェルニゲシュよりもずっと長く、千年を超える歴史を紡いできたことを考えれば、理に叶ったやり方なのかもしれない。巨大な神殿の真ん中に位置する、八角形の屋根を持つの聖堂へ通されたヴァシーリーはそう思う。

 広い部屋の中、すり鉢状の中心に立たされるヴァシーリーの周りをぐるりと囲むように席が八つ設けられており、天蓋に包まれた一際立派な椅子以外には、既に他の憑代達が全員座していた。

「――初めに申しあげよう、フェルニゲシュの王弟よ。あくまでこの席は、クレアチオネ・プリーモ・アッソルタメンテ・カラドリウス猊下が望まれたからであり、我等の問いに嘘偽りなく答えられるよう」

 真っ先に口を開いたのは、秩序神の神印を下げたまだ年若い神官だった。名前は事前にグァラに教えて貰っている。序列第八位、オルディネ・オッターヴォ・カラドリウス。神官として召し上げられた時点で、家名を捨て国名を名乗るのが通例なのだそうだ。法令書を片手に堂々と意見する姿は様になっているが、虚勢にも見えた。ヴァシーリーもただ頷きを返すと、仮想敵国からの亡命者として態度が不快なのか、眉を顰めて尚も告げる。

「我等はそもそも、フェルニゲシュの宣戦布告について懐疑的である。ここ数年の冷害により、そちらの国も少なくない被害を得ている筈だ。今の状況で国同士の戦争が行えるとはとても思えない」

「同感です。同盟国のリントヴルムも、竜人との戦いでこちらに兵を出すことは難しいでしょう。少なくとも今すぐ、戦端が開かれるとはとても思えません」

 オルディネの険のある声に同調するのは、やはり年若い少女に見える智慧女神の神官、第七位、サジェッサ・セッティモ・カラドリウス。情報と知識を司る彼女から見れば、無謀な戦争をしかけているようにしか見えないのだろう。

「手ぬるいぞ、貴殿ら。いっそこちらから兵を出せば良い。邪神を奉じ、血を徒に流し続ける国を粛清できる良い機会ではないか」

「ソーレ様、それはあまりに短絡的です。まずはフェルニゲシュの調査を、そして彼の話を聞いてからでも遅くはありません」

 声を荒げた金陽神の神官、第二位ソーレ・セコンド・カラドリウスは好戦派であり、銀月女神の神官、第三位メィセ・テルツォ・カラドリウスの言葉を聞く様子は無い。

「ソーレ様に賛同致します。我等が神殿を悍ましい邪神の血で汚したものたちに慈悲など要りますまい」

「戦争はいけません! 徒に民の血を流せば我等は邪神の徒と同じではありませんか!」

 喧々囂々、どうにもヴァシーリーを捨て置いて話が進んでいる上、恐らくクレアチオネの座っている御簾の中の椅子には、確かに気配があるのだが全く喋る様子が無い。自分が喋っても火に油か、と辺りを見回していると、

「静粛に。――クレアチオネ様の御前です」

 天蓋つきの椅子に寄り添うように立っていた妖艶な女性、第五位ビスティア・クイント・カラドリウスが静かに、だが響く声で告げると、一旦それぞれ静まったので、改めてヴァシーリーは一歩前に出る。

「先刻、ご紹介に預かったヴァシーリー・ドゥヴァ・フェルニゲシュと申します。貴殿らの不安は逐一最もであり、故に私から提案したい議がございます」

「提案と? 一体何を」

「貴方の首をフェルニゲシュに差し出して許しでも乞えと?」

 オルディネの明確な揶揄に、ヴァシーリーは冷静に首を横に振って答える。

「恐れながら。――私の命を捧げても、現王アグラーヤは止まりますまい」

 はっきりと告げた事実に、沈黙が落ちる。改めて、ソーレが口を開いた。

「……貴殿は、現フェルニゲシュ王が戦を始めた理由を把握しているか?」

「残念ながら、あの方の深淵を覗くことは出来ません。だが、一度火蓋を切って落とした以上、アグラーヤは相手か自分が滅ぶまで歩みを止めようとしないでしょう。その間どれだけの都市が灰燼と化し、どれだけの人々が死んでも構わずに」

「そんな馬鹿な話があるか! 貴様らはこの豊かな皇国を奪いたいだけだろう!」

 最もなオルディネの荒げた声に、ヴァシーリーは乗らない。

「貴族や将軍の中には、そのような思いを持つ者はいるかもしれません。ですが、アグラーヤの目的は違います。……何度進言しても、改めることなく民を苦しませてきました」

 拳を握り締める。声を震えさせるな。既に覚悟は決めた。進まなければならない。そうだ――


『貸しにしよう、シューラ』


 借りを返す、時が来たのだ。どれだけ泣いて拒否しても、許されぬ時が。

 真っ直ぐに、天幕の中を見据えて告げる。言うべきは周りの神官ではない、この場を用意したクレアチオネだ。

「故に、私に力をお貸し願いたい。現王、アグラーヤを廃し、このヴァシーリーがフェルニゲシュの玉座につくために」

 一瞬の沈黙の後、揶揄する忍び笑いが床に転がった。

「フン、成程それが狙いか。貴殿をそのまま、引き渡しても良いのだぞ。施しが欲しいのなら、食料を振る舞ってやっても構わない」

「オルディネ、それはあまりにも不敬です。弁えなさい」

「サジェッサ様はお黙り頂きたい。これは我が国の威信を――」

『話が進まないんで、先に情報だけお伝えしてもいいですかぁ? シューラ様』

 ざわつく輪の中から不意に、どこか間延びした声が聞こえて、こんな状況にも関わらずヴァシーリーは苦笑してしまった。全くもって、――自分の猫は、腕が良い。

「――何者か! グァラ殿、警備は何をしていた!」

「失礼。私の従者が有益な情報を持ってきたようです。――御目通りを願っても構いますまいか?」

 なんと無礼な、とオルディネがまた声を荒げる中、ビスティアがそっと天幕の傍へ耳を傾ける。しばしの沈黙の後、向き直った彼女は静かに告げた。

「……良いでしょう。この場に姿を現すことを、猊下はお許しになります」

「感謝を。コーシカ、出てこい」

「はいはい、っとぉ」

 神官達が不満げな顔を隠さないままそれでも口を閉じたので、猫の名を呼ぶ。僅かに空気が揺れて、すぐにヴァシーリーの傍には、膝を着いたコーシカがいた。衣服はかなり草臥れているようだが、飄々とした気配は全く揺らがず、緊張も何も無い。この国に来てからずっと背中に入っていた力が自然と抜けた気がして、ヴァシーリーも気付かれないようそっと息を吐いた。

「いやぁ別に、警備の人達を責めないであげてくださいねぇ。ただ、見張る時は遠見の奇跡だけじゃなくて、自分の目で見ることも大事ですよぅ。誤魔化しようなんて色々あるんですからぁ」

 事実である。コーシカが纏っている外套には、この国に侵入する際にいつも使っている、奇跡を忌避する文言が刻まれている。神官の奇跡に慣れきっているが故の盲点だろう。無論、コーシカの潜入調査の腕が優れていることも間違いないだろうが。

「グァラ! 失態であるぞ!」

「申し訳ありません、ソーレ様。処分は如何様にも」

 ただ、今回は警備を司っているグァラが手引きをした部分もあるようだ。しれっとした顔で頭を下げる様に笑いを堪えつつ、貴人に対する礼を解かないコーシカに視線を移して促す。一つ頷き、猫は真剣な声音で告げた。

「申し上げます。現在、アブンテにて、ヴァシーリー王弟殿下の近衛兵が中心となり、反乱を起こし籠城しています。兵士のほか、重税に反抗した民達も皆、王弟殿下が立って頂くことを望み、続々とアブンテに集まっております」

 神官達が、驚きの声を上げる。ヴァシーリーも内心驚いたが、顔には出さず、改めて周りを見回し宣言した。

「故に、恐れながら兵をお貸しいただきたい。我が近衛を取り戻せば、後は我等を常に矢面に立たせていただければ、この国の民を無闇に失うことはありますまい」

「……信用できるとお思いか? そのまま兵士を連れてフェルニゲシュに戻るだけのことでしょう」

 忌々しげに口元を歪めるオルディネに対し、ただ真っ直ぐにヴァシーリーは告げる。

「それをすれば、いよいよ私は姉王に首を斬られるでしょう。我が国で虐げられている数多の民達を救う為にも、カラドリウス皇国の威信をかけて頂きたい。それでも私が信用できないと仰るのならば――我が妹を人質としてこの国へ置いていきましょう」

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