◆7-2

 ぱち、と炎の中の薪が爆ぜる。

「――それが、貸し、ですか」

 呆然と呟いたコーシカに、ヴァシーリーはゆっくりと頷いた。

「……すぐに取り立てられるものだと、思っていた。場所は離宮だ、私が父上を殺したと発表すれば、姉上は何も問題なく王位に就くことができた。だが――あの人は、父上を殺したのは不届きなる賊であるとして、大規模な粛清を行った」

 炎を見詰めたまま、ヴァシーリーは言葉を続ける。

「言おうと、したのだ。戴冠の儀の際、王弟の地位を与えられる時に。だがそれは――他ならぬ、姉上が遮った。王弟として務めを粛々と果たせと。だからこれは、あの方が私に与えた、罰なのだと思った」

 片手で顔を抑えて俯く主に、慌てたような従者の声が届く。

「罰って……あの人は、それを望んだんじゃないですか。父親に胸糞悪いことをされた復讐を代わりにシューラ様がしてくれたんですから、感謝されてもいいぐらいでは?」

 思わず、と言った風に矢継ぎ早に告げてくるコーシカに、ヴァシーリーは目を瞬かせてから苦笑した。

「そうも、いくまい。どんな理由があろうと、私は父を殺した簒奪者だ。今の状況は、却って似合いなのかもしれない。結局私は――父上や姉上と同じ、命を奪うことに何の躊躇いもない者なのだから」

「っシューラ様――」

 コーシカがほんの少し迷いを見せて、それでも主の名を呼んだその時。

『これ、ホンモノの兄妹じゃないんだ? まあ確かに、巨人の血は引いて無さそうだけど』

「「!!」」

 不意に、今まで何の気配も無かった部屋の中に、もう一つの声が響く。コーシカが驚愕して武器を構えるが、ヴァシーリーにはこういう状況に一度覚えがあった。

「……始源神の神官か」

『うん。ちょっと起きてる隙に、あの女、動き始めたんだな。まあ遅かれ早かれ来るとは思ってたけど』

 思った通り。焚火の向こう側、眠りこけているミーリツァの枕元。両膝を抱えてしゃがんでいる、真白い少女がいた。

「シューラ様、こいつは……」

「ああ、マズルカで奴隷売買の情報を知らせたのは彼女だ」

 端的に説明すると、コーシカの視線は一層鋭くなる。猫にとっては、狼藉者の接近を一度ならず二度までも許してしまったので、憤懣やる方ないところであるらしい。対する白い少女は、静謐な顔をつまらなそうに顰めるだけに留めていた。

『いきるなよ、そこの飼い猫。こっちだって何も干渉できないんだから、会話位好きにさせろよ。それよりさ、血の繋がってないイモウトをなんで守ってるんだ?』

 自分の膝に肘を着き、つまらなそうに呟く白い少女の訝しげな問いに、ヴァシーリーも眉を顰めた。

「……どういう意味だ?」

『だって、血の繋がらないキョウダイなんて、邪魔者でしかないだろ?』

 ごく自然に、常識のように言われてヴァシーリーも鼻白むが、彼女の表情は全く揺らがない。彼女にとっては当然のことであり、ヴァシーリーの行動が本当に不可解なのかもしれないと、何となく理解してしまった。眠ったままの妹に自然に視線を動かし、ヴァシーリーははっきりと告げる。

「血が繋がっていようがいまいが、ミーリツァは私の妹だ。それに、この子を護り、どうか幸せになって欲しいと望むのは、妹だからでは無い。この子が優しい、良い子だからだ。そもそも、同じ父の元、同じ母の腹から生まれても、理解し合えるとは限らないだろう」

 言ってから、これは姉に対する責任を放棄しているように聞こえるか、と少し自己嫌悪する。しかし、対する少女は何故かほんの少し、虚を突かれたような顔をして、『ふうん。そっか』と言っただけだった。

 コーシカの警戒が密になる中、ひょいと少女は立ち上がり、くるりとその場で回る。白絹の裾と白い髪が綺麗に広がった。

『うん、わかった。お前やっぱりちょっと面白いから、うちに亡命してきなよ。国境近くの宿場町、ユレーネってとこがあるから、そこに迎えを送っとく』

「――何を。やはり、貴女は」

 唐突な提案に、二人同時に驚く。しかし同時に、ヴァシーリーの中で情報が繋がって一つになった。

 真白い皇国の少女に、高位の神官による奇跡の顕現、そして提案の内容。それら全てが出来る存在は、恐らくこの大陸に一人しかいない。

『こう見えても僕だって、戦争なんてやりたくないんだよ面倒臭いし。でもあいつはやる気らしいから、お前にもやらせてやる。兵さえ与えれば、お前、戦線に立ってくれるだろ?』

「……では、ひとつだけ問いたい。……貴殿の名は?」

 はっきりと告げた言葉に、少女は初めて笑顔を見せた。ヴァシーリー達を、どころか、世界全てを嘲るような笑みは、アグラーヤに少し似ていると思った。

『クレアチオネ・プリーモ・アッソルタメンテ・カラドリウス。カラドリウス神聖皇国の現皇帝にして、始源神イヴヌスの憑代さ。解ったらとっとと山を越えて、亡命してきな、ヴァシーリー・ドゥヴァ・フェルニゲシュ』



 ×××



 磨かれた青い床を踏み、宮殿の廊下を大股で歩きながら、アグラーヤはいっそ愉快そうに嗤った。

「では、我が弟妹だけでなく、王弟旗下の部隊にまで逃げられた、ということか」

「も、申し訳ありません、陛下……部下の処分は如何様にも」

「必要はない。動ける兵士はこれからいくらでも必要だからな。散り逃げるなら捨て置け、噛みついてくるのなら――噛み潰し返せ」

「ははっ!」

 深淵の青瞳に睨まれ、血の気を僅かに引かせたタラカーンが踵を返すのを見送り、アグラーヤは貴族長スリーゼニ、そしてエリクを連れて地下への階段を降りる。

 捕虜を収容する為の牢獄、その一番奥の部屋。古びた粗末な椅子がひとつ据えられており、その上に拘束されているのは、ヴァシーリーの腹心であるリェフだった。あちらこちらに傷を負っているものの、不敵な笑顔は絶やしておらず、拷問官達の神経を逆撫でしているようにも見えた。

「陛下、申し訳ありません。どれだけ痛めつけても口を割らず――」

 拷問官の一人が口を開いた瞬間、アグラーヤは杖のようについていた槍斧を、無造作に振るった。

「がぎっ」

 嫌な不協和音のような声が響き、拷問官の口から上が飛んだ。どさりと倒れる残りの体から、どろどろと血が溢れて石畳を滑っていく。他の拷問官と、貴族長が恐れおののく悲鳴をあげ、神官の青年は恍惚とした体で、静かに祈刃を握り締めて祈りを捧げた。

 アグラーヤは部下達は愚か自分が作った死体にすら気を払わず、笑顔のままで生き残った拷問官へ告げる。

「尋問は私がする、と言っておいた筈だが。困った奴だ」

「た、大変申し訳ございません……!」

 僅かに首を傾げ、頬に散った血に構わずに微笑むアグラーヤに、拷問官たちは次々と膝をついて許しを乞うた。そちらを最早一瞥もせず、この国の王はリェフの前に立つ。

「おお、これはこれは陛下、暫くぶりでございます。何分、このような姿故、礼を失することをお許しください」

「ああ、許す」

 全く臆さずいつもの調子を崩さないリェフに対し、エリクが運んできた比較的立派な椅子に腰かけ、アグラーヤは悠々と足を組んで問うた。

「久しいな、リェフよ。お前が父上に任を解かれて以来か」

「ええ、正しく。大変お美しゅうなられましたな。どうぞ、不義理をお許しください。何分、宮殿に入ることすら禁じられていたもので」

「そうか、そうか。私が王位に就いた時に、それは撤回した筈だが?」

「これは失敬をば、昨今は王弟殿下と未熟な弟子を仕込むのに忙しくしておりましてな」

 王弟の話題が出て、周りの者達が僅かに息を詰める。アグラーヤは深く椅子に腰かけたまま、笑みを絶やしていない。

「そうか、そうか。時に、我が愚弟は先日、王家に弓を引き反逆者となったそうだ。師匠のお前も、それに加担していたか?」

 本題に入ったにも関わらず、リェフもやはり笑顔を絶やさない。

「滅相もございません。そも、あの王弟殿下がそんな大それたことが出来ると本気でお思いでいらっしゃいますか? 気性の荒い馬に上手く乗れぬたび、べぇべぇと泣いていた頃と何も変わりますまい」

「スゥイーニか、あれは良い馬だ。あいつには勿体ない」

「ええ、全くです」

 互いに笑顔のまま、二人は言葉を交わす。周りの者達があまりの不敬さに慄き、次はリェフの首が横に割られるのだろうと思っていたが、空気を燻らすような笑い声がそれを遮った。

「ふ、ふ、ふふふ。相変わらずだな、お前も。そうだな、あまり長く話すのも面倒だ、端的に行こう」

 実に楽しそうに、体を丸めてアグラーヤは嗤う。まるで親しい親戚と話しているかのように、肘掛に肘をつき、頬を預けて命じた。

「――私に従え、リェフ。嘗ての腕を、我が元で振るうことを許す」

 スリーゼニだけでなく、エリクも息を飲んだ。この男は嘗て、国の暗部を司る暗殺者を率いていた者であり、その腕は確かに高い。だが、前王の妻とアグラーヤの略取事件が起こった際、それを止められなかったとして職を辞された。

 だが、今回、宗教統制の命が下り、王弟の反乱が伝えられた瞬間、この男は嘗ての部下達――現在王家に仕えている影の者の悉くを殺した。アブンテでの任務を終え、帰路についていた者達も含めてだ。結果、この国の諜報にかなりの打撃を受けてしまった。

 そんな男を味方に加える等、愚行にも見えるが、彼の実力はそれを補って余りある。部屋の中の者達の視線が一斉に注がれ――リェフは髭の下の口元をにこりと持ち上げ。

「非常に魅力的なお誘いではありますが――お断りいたします」

 沈黙が部屋を支配する。間髪入れず提案を拒否したリェフに、エリクの目の方が鋭くなるが、一層アグラーヤは面白そうに身を乗り出した。

「ほう? では、何故と聞こう。お前にとって我が愚弟は、その信を預けるに値する王となれるか?」

「僭越ながら、陛下。残念ながら、それは難しいやもしれませんな」

 あっさりと己の主を腐したリェフに、ほんの少し驚いたようにアグラーヤは瞳を瞬かせた。意外だ、と言いたげに。

「おや。てっきり私を廃し、あれを王にのし上げるのがお前の目的かと思っていたのだが」

「いやいや、まさか。あのお方にそこまでの胆力はありますまい。あれだけの戦場の才をお持ちになりながら、己の手で殺した者の名前を全て覚えておくような、慈悲深きお方なのですから」

 慈悲深き、を揶揄と捉えて、部屋の者達が密かに笑う。だが、アグラーヤは黙ったまま、次の言葉を待っている。

「貴女様のやり方に異を唱えたくとも、代替案が出せる頭も無い。全くもって、王には向かぬお方でございます。――ですが」

 そこでリェフは言葉を切り、真っ直ぐにアグラーヤの深淵を覗き込んだ。

「我が主は、非常に、諦めの悪い方なのでございます」

 その言葉に、ふと、アグラーヤの顔に常に張り付いている笑みが消えた。リェフは笑顔のまま、まるで舞台俳優のように、朗々と告げる。

「諦めないのではなく、非常に諦めが悪いのでございます。迷いが躊躇いを生むことなく、その身を動かすことは出来るのに、その心にはより良い選択を選ぶための思考が常にある。あの暴れ馬に何度蹴飛ばされ泣きじゃくろうと、餌を運び、手入れをしてやり、愛馬として跨るようになられた。上に戴く方として実に好ましいですな」

「ほう。私はそれに及ばぬか」

「無論にございます。何故ならば」

 そこで言葉を切り、リェフは不敵な笑みを苦笑に変えて呟いた。

「私も、貴女様も、既に諦めてしまった者でありますれば」

 アグラーヤは無言だった。一度瞳を閉じ、立ち上がる。その手に愛用の槍斧を持ったまま。狭い部屋にも関わらず、無造作に振り上げられたその刃に、一瞬先の惨劇を想像して皆目を逸らし――

 がつん、と刃が床を叩いた。

 同時に、ばらりと麻紐がその床に散る。無骨な槍斧だけで、見事にリェフの拘束だけを切り落としていたのだ。

「……許す。あれがどこまで諦めずにいけるのか、お守を続けてやるといい」

「有難き幸せに存じます、陛下」

「陛下、何を! ひっ」

 慌てた声をあげたスリーゼニの首元に槍斧が突きつけられる。そちらを一瞥もせず、アグラーヤは再び笑顔を浮かべ、その場に跪いたリェフに向かって告げた。

「あれの元に戻った時は、伝えよ」

「はっ。何なりと」

「貸しを返して貰う時がきた、と」

 口の両端が引き上がる。虚ろな瞳の奥に炎が僅かに灯る。本当に、嬉しそうに、血の玉座に座る王は嗤っていた。

「承知致しました、陛下。どうぞ御身大切に」

 頭を下げて悠々と部屋を出ていくリェフを、一同は呆然と見送った。漸く我を取り戻したスリーゼニが叫ぶ。

「よろしいのですか、陛下!?」

「不満か? ならば、お前は追うと良い」

「は――、有難く! 誰か! 誰かいないか!」

 許しを得たと息巻く貴族長に肩を竦め、槍斧の血を振う。そっと手を伸ばすエリクにそれを預け、アグラーヤは未だ上機嫌に嗤っていた。

「ああ、そうか、そうだな、シューラ。お前は昔から、ずっと」

 どこか懐かしそうな声で呟くそれを、聞いていたのはエリクだけだった。

「……アグラーヤ様」

 思わず出た声は不満を隠せていなくて、くつくつとアグラーヤはまた嗤う。

「ん? ふ、ふふふ。拗ねるな、エリク」

「そのような、」

 慌てて言葉を連ねようとする夫の口を、顔の血を拭った指先でそっと撫でる。言葉を止めたのを褒めるように、次は頬を撫でてやりながら、アグラーヤはひそりと唇が触れ合うぐらいの位置で告げた。

「許せよ。私にとってあれは――そうだな。いずれ必ず追いつかれる死のようなものだ。それを退けられるか、飲み込まれるかはあれ次第だがな」

 熱の籠ったアグラーヤの声に、いよいよエリクは不快そうに眉を顰め、頬に添えられた手を両手で取って口付ける。

「必ず……必ずや、アグラーヤ様を護って見せます」

 神でなく己の絶対者に祈りを捧げた神官に、アグラーヤはずっと満足げに嗤っていた。

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