◆6-4

 ミーリツァは散々泣いて、自分の分の蜂蜜湯を全部飲み干して、そのまま眠ってしまった。疲れもあるだろうし、起きる気配はない。そっと火の傍に寝かせてやり、起きないことを確かめてからヴァシーリーは声を潜めてコーシカに問う。

「……腕は無事か?」

「え? ああ、大丈夫ですよぅ、武器は振るえますからご心配なく」

 あの高さから落ちて、兄妹二人分の重みを支えたのだ、腕の腱など使い物にならなくなってもおかしくない。へらりと笑って、予備の鎌を振って見せながらコーシカは躱すが、その意味も理由も長い付き合いのヴァシーリーは理解できる。

「なるほど、無理をすれば振るえるといったところか。見せろ、出来る限り治療する」

「……もぉー」

 全て見抜かれたことが不満なのか、頬は膨れさせつつ朱が乗っている。無言で手を差し出すと、渋々といった体で腕を差し出された。幸い、酷い傷は無かったが、腕を押えると僅かに身じろぐ。やはり腱を痛めたのだろう。

 冷やすのが一番なのだが、生憎水はあまり無い。腕を丁寧に抑え、反応のあった場所をなるべく動かさないよう包帯を巻く。訓練でも怪我は日常茶飯事なので、ヴァシーリーの手際は非常に良いものだった。

「主に治療させる従者ってどうなんですかぁ」

「私のやりたい事を叶えたのだから何も問題あるまい」

 軽口を叩きつつ、治療を終える。自分達のせいでコーシカが怪我をしたと聞いたらミーリツァは頑として聞かず、疲労に構わず治癒の奇跡を使うことは間違いない。それが解っているので、ヴァシーリーは彼女が眠るまで口に出さなかったし、コーシカも手早く衣服を直して包帯を隠した。

 改めて火に向かい、妹を起こさないよう小さな声で現在の状況を確認を確認し始める。

「……最初に神殿を襲った者達の正体は解るか?」

「恐らく、師匠の古巣――王家付きの暗殺者です。あの蟷螂野郎の話を信じるのは業腹ですが、少なくとも王からの勅命であることは間違いないかと」

 従者の言葉に、改めてヴァシーリーは考え込む。

「……神殿の者達が殺されたのは、本当に改宗を拒否したからなのか? とてもそうは思えん。何より、主神を崇めよというのならまだしも、その子である従属神の信仰すら否定する理由が解らない」

「まぁ神の教えなんざ、神官長が好き勝手に決めて使うもんですしぃ」

 さらりと神殿に対して毒を吐きながら、ミーリツァが眠っていることを視線で改めて確認し、コーシカは膝で主の傍に近づくと、耳の傍でそっと囁いた。

「ただ、ご推察通り、本当の理由は別にありますよ。奇跡の燃料として使ったんです。あの蟷螂野郎を部下ごと、神殿内に転移させる為に。勿論、屍人兵の運用も試すの兼ねてると思いますが」

「奇跡を使う為に、神殿内の神官全ての命を使ったと? 私と、ミーリツァを殺す為にか?」

 俄かには信じられず、ヴァシーリーは眉間に皺を寄せた。間違いなく、自分もミーリツァも、この国での地位自体は非常に危ういものだ。こんな大がかりな事を、多大な犠牲を払ってするだけの理由があるのだろうか。

 コーシカの方はあっさりと、事実から推察できることだけを述べてくる。

「本命はそっちだと思いますよ。しかも、メインはシューラ様で。わざわざ俺達が帰り道の、アブンテが見える道のりで最初の襲撃を始めれば、狼煙が上がってシューラ様が釣れることも想定の内だったわけです」

「だが……私はともかく、ミーリャを餌のように使ったのは、信じられん。あの方は私が邪魔だったとしても、ミーリャのことは常に気にかけていた筈だ」

 自分が狙われるのならばまだ解る。だが、妹は――何も知らず、ただ無邪気に姉と兄を慕い、神に祈りを捧げていただけだ。姉自身もずっと、ミーリツァを可愛がってきた筈。何故このような暴挙に出たのか、全く解らない。

 ――どろりと濁った青の瞳を思い出す。深淵を覗き込まねば、姉の心の内など解らないのだろうか。

 思考の海に沈みかけたヴァシーリーを、コーシカの声が掬い上げた。

「そう思いたい、ですけどねぇ。まあ今はこれからの事を考えましょう。……シューラ様は、これから、どうしたいですか?」

 これから、どうするか。……本隊と合流すればバガモル等に遅れは取らないだろうが、迂闊に逆らえば彼等も反逆者の仲間入りだ。出来れば生きる為に姉側に降って欲しいが、難しいだろう。

 王都に戻って姉王に直接問い質すのも、現実的ではない。直属の近衛と王都に居るリェフ以外に、味方などいないだろう。そのことを指摘すると、一番忠実な従者も頷いた。

「ええ、恐らくドロフェイ様達ももう異変には気付いてるでしょうし、最悪蟷螂野郎と戦いになってるかもしれません。主のことをほっといて降伏します、なんてあの熱血隊長と陰険副隊長が言うわけありませんし」

「できれば、恭順してでも無事でいて欲しいが……。今は調査も危険すぎる。亡命するとしても、リントヴルムは難しいだろう。……イオニアスの婚姻も急いだのもこのためか?」

「流石に穿ちすぎじゃないですかね。逆にリントヴルム王でしたら、亡命したシューラ様を担ぎ上げるぐらいはしてくれるかもしれません。生憎、ここから向かうには難しいでしょうけどねぇ」

 コーシカ曰く、完全にアブンテを挟んで皇国側に近づいてしまったので、リントヴルムとの国境は遠すぎる。それにヴァシーリー自身、イオニアスとツィスカに更に心労を増やすのも出来れば避けたい。

 息を吐いて、天井を仰ぐ。穴倉の中、空は見えない。薄暗い中で、また、姉の瞳を思い出した。


『約束しよう、シューラ』


「……姉上は。私に対する貸しを、取返しにきたのかもしれない」

「シューラ様、……その貸しって――、一体何なんです?」

「――……」

 一瞬言葉に詰まったのは、言っては駄目なことを聞かれたからではない。……自分が、言いたくないことだったからだ。コーシカもその辺りを主の表情で気づいたらしく、すみません、と俯きながらも続けた。

「多分、父王様が亡くなった時の、話だと思うんですけども」

「……鋭いな」

「あの時、俺、お使いでリントヴルムに行ってましたから」

 少しずつリェフから命じられ、密偵としての腕を磨くのを兼ねて、ヴァシーリーの私的な手紙をアブンテや他国へ届けるのは、まだ幼いコーシカの役目だった。あの日もいつも通り、行って戻ってきた時には既にアグラーヤが王位に就いていた。

 それを知って、旅の汚れも気にせずコーシカはすぐに離宮に戻り、命を狙われかねないヴァシーリーを守る任に着いた。勿論、互いにまだ未熟な身であったから、リェフの教えに従って二人で震えていることしかできなかったけれど。

「教えて、貰えますか?」

「……本当ならば、もっと早くに言うべきだったな。すまない」

「いえ。俺も貴方も、あの時はそれどころじゃなかったですし」

「ああ。……あの日――珍しく雨が降っていてな。夜になっても止まなかった。リェフもあの時、父上の命で王都を離れていた。心細くて、中々寝付けなかった――」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る