◆6-3
「さて、そろそろ観念して頂きましょうか。いい加減――」
「いち、にの、さぁんっ!」
不意に上げたコーシカの大声に、バガモル達が虚を突かれた瞬間。ヴァシーリーは躊躇いなく踵を返し、妹の体をしっかりと抱きしめて走り出す。当然後に続いたコーシカが、刃を投げ、大きな窓硝子をぶち割った。ヴァシーリーは一瞬でも歩を止めず、窓枠を思い切り踏むと、崖へ飛び込むように飛んだ。
「な、ぁ――!? 馬鹿な!?」
バガモルの驚愕の叫びがあっという間に遠くなる。風が吹く。谷底から真っ直ぐ、まるで落ちていくものを切り裂くように。
「ぐ、ぅ……!」
浮遊感の後、見る見るうちに落ちていく恐怖に耐え、妹を抱えたまま空を見上げる。其処には同じように飛び出して来た、従者がいて――
「シューラ様ッ!」
「っ、おお!」
伸ばされた手をしっかりとつかんだ瞬間、ぐん、と体が引っ張られる。片手で妹の体をしっかりと支え、全体重がコーシカの腕に集中する。
「っぐ、ゥ!」
堪らずコーシカの口からも悲鳴が漏れるが、手は離さない。もう片方は鎖を巻き付けて握り締めており、刃は崖の壁面に生えた木に突き刺さっていた。
まるで鞭の先のように三人の体はしなり、ぐうんと浮き上がって――耐え切れず、コーシカが鎖から手を離す。
そして三人は、谷底の川へと放り投げられた。冬に近づく谷の水は身を切るように冷たく、ヴァシーリーは、妹の顔だけでもどうにか水面の上に担ぎ上げる。
重い鎧を出来る限り外すが、谷川の流れは兄妹を躊躇いなく飲み込もうとする。翻弄されながら伸ばした手が、掴まれた。
「シューラ様、こちらへ……!」
ぐいと体が引っ張られる。目を開けると、コーシカがもう一本の鎌を岸の樹木に引っかけていた。後はヴァシーリーの膂力で、鎖を掴んでコーシカの体の方を支え上げる。泳ぐことは難しいが、どうにか川底に足がつけば、狭い岸まで辿り着くことが出来た。
「はっ、は……!」
「か、は、ふぅ……っ」
重くなった体をどさりと同時に川辺に横たえ、息を整える。無理やりの無茶に違いなかったが、どうにか生き残ることが出来た。
「は、ぁ……、ミーリャ!」
「ぅ……っ、ぁ」
ずっと抱きかかえたままの妹を軽く揺らすと、幸い落ちる最中に気を失い、逆にあまり水を飲まなかったようだ。弱弱しく、それでも兄の体に縋りついてくる妹を慰めるように抱きしめると、先にコーシカが立ち上がった。疲労があるのは同じだろうに、おくびにも出さず。
「すいません、シューラ様。日があるうちに、移動します」
「ああ、解っている。どちらへ行く?」
「皇国との国境ぎりぎりに、密偵が使ってる蛇の家があります。まずはそちらへ」
×××
一見獣しか入り込まないような、古びた洞窟にしか見えないその奥に、隠れ家があった。
他国に忍び込んで様々な情報を集める者達が使う為、変装用の服や、予備の武具、保存食、暖を取る為の薪もある。
中の安全を確認し、火を起こしたところで、漸くミーリツァも目を覚ました。
「……ここは……?」
「ミーリャ、目が覚めたか」
「とりあえず、着替えた方が良いですよ。良ければお手伝いしますけどぅ?」
「い、いいえ、大丈夫ですわ。身支度はいつも一人でしていますもの」
「了解でぇす。それじゃそっちの衝立で」
戸惑いつつも状況を理解したらしいミーリツァに対し、あくまで二人とも何事も無かったように振る舞った。お互い言いたいことも聞きたいことも山ほどあるが、今は腰を落ち着ける方が大事だ。湯が沸いた時には、全員着替えを終えていた。
「火の傍に来い、ミーリャ。体が冷えているだろう。……ほら」
近づきつつも、俯いている妹の姿に察し、手を差し伸べてやると、少しだけ迷い、それでも兄の胡坐をかいた膝の上に、ぽすりと横座りで落ち着いた。腰に手を回すと、幼子のように素直に体を預けてくる。そんな妹に向けて、コーシカが笑ってカップを差し出した。
「はい、蜂蜜湯ですよぅ。あったまるし疲れも取れるから、お勧めです」
「あ……ありがとうコーシカ。いただきますわ」
言いつつも、木のカップを両手で抱えたまま、その水面をぼんやりと見ている。いたたまれないその姿に、ヴァシーリーはそっと背を撫で続けてやることしか出来なかった。
ぱちり、と薪が弾け。ぽつ、とミーリツァが囁いた。
「……兄様」
「ああ。何だ?」
「……姉様が……神殿を……いいえ、わたくしを……」
縮こまっていく体を宥めるように、抱き寄せてやる。あやすようにゆらゆらと、膝を揺らす。幼い頃から良くやってやったあやし方にほんの少しだけ安堵を得たのか、震える声で言葉を続けた。
「姉様が、わたくしを、殺そうとしたの、は……わ、わたくしが、父様の子供では、無いからですの……?」
ほんの僅か、ヴァシーリーもコーシカも息を飲んだ。言葉では告げられていない、知る必要のないこと。だが口さがないものはどこにでもいるし、彼女自身も王族の色を纏えていないと知った時から、少なからず考えていたことなのだろう。
「わ、わたくしが、ちがうから、姉様の妹じゃ、ないから、だから……」
膝上でどんどん縮こまっていく、小さな体は震えている。堪らずヴァシーリーは、両腕に力を込める。彼女を、守るように。
「……それは違うぞ、ミーリャ。姉上のお心は、私にも解らない。だが、そんな理由では無い、絶対に」
「兄様……」
「お前は姉上と、私の妹だ。それだけは、間違いない。誇れ、ミーリツァ」
「ふ、ぅ、ううぅ……!」
彼女自身も、理解しているのだろう。兄の言葉がただの慰めに過ぎないという事は。それでも、共に暮らした神殿の者達を理不尽に殺され、神に縋ることすら許されなくなった少女にとっての寄る辺は、もう血筋にしかなかった。
「兄様、にいさま、にいさまぁあ……! ふぅう、ぅええ、あああああ!」
泣きじゃくる妹をしっかりと抱きしめて、ただ頭を撫でることしか出来なかった。
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