◆4-2

「全く、何たる不敬か! いくら貴族長の娘と言えど許されるものではないぞ!」

 ヴァシーリーは黙して語らなかったが、山から下りても輿の中から顔すら見せない娘の不敬さに、当然ながらドロフェイは烈火の如く怒り狂った。普段ならばそれを宥める役になるラーザリも、不機嫌な顔を隠さない。

「いくら貴族長が、殿下に対して思うことがあったとしても、そして彼女が世間知らずの淑女としても限度があります。正式に抗議をするべきでは?」

 部下達がここまで言ってくれるのは有難いが、迂闊に強権を振りかざせば彼女の父――スリーゼニ卿へと報告が行くだろう。娘自身にその気は無くとも、その部下は目を光らせている。

「ゾーヤ殿は十の頃から修道院にはいり、以降俗世とはかかわりない生活を送っていたそうだ。ご家族以外に会うこともほぼ無かったそうだし、私にあまり良い印象を持っていないのだろう。ただ……他国に嫁ぐというのに、あの振る舞いは確かに褒められたものではないな」

「そうでしょう! やはり貴族長に訴えるべきです!」

「しかし、コーシカは既に王都に向かっていますし、他の伝令では時間がかかりすぎますね」

「ラーザリ、お前は俺の味方はせんのか!」

「貴方ではなく王弟殿下の味方でありますので」

「うむ、ならば良し!」

 息巻くドロフェイをラーザリが往なす声を聴きながら、ヴァシーリーは考える。地位だけならば他国の王家に嫁ぐのに十分ではあるが、あまりにも人となりがお粗末過ぎる。まさか、姉王はリントヴルムとの開戦をも望んでいるのか? ……それにしては迂遠に過ぎるし、する理由が見つからない。

 馬の背に揺られたまま、ヴァシーリーは背後に問いかけようとして、その温もりが無いことに気付く。あの猫に自分は頼りすぎているな、と自戒して、改めて視線を前に向けた。

 アブンテから北、マズルカから西。あまり整備されていない街道を辿った先に、岩肌に沿って建てられた防壁がある。リントヴルムとの国境であった。

「――殿下! あれを!」

 鋭いラーザリの声が響いた時には、ヴァシーリーも気付いていた。視界の先、山岳の間に建てられたリントヴルムの砦。その上に、多量の鳥――否、竜人が飛び交っているのが見えた。

「竜人の襲撃か! ドロフェイ、輿を護れ! ラーザリ隊は前へ、弓構え、撃つな!」

「「御意!!」」

 あっという間に臨戦態勢を取った部下達を率い、ヴァシーリーは思い切り馬の腹を蹴った。


 ×××


 天を割いて、翼が風を切る音がする。

「槍兵構え!」

 鋭い命令に、城壁の上に陣取っていたリントヴルム兵が一斉に槍を構える。その中に真っ直ぐ突っ込んでくるのは、背の翼を閃かせた竜の末裔。

 槍衾にも躊躇わずに向かってくるその姿に、兵士達が冷や汗を堪えて立つ、その時。

「開けッ!」

 号令に、人垣の一部が割れる。今まさに一頭の竜人が飛び込もうとしていた列から、飛び出して来た赤い鎧の騎士。並の兵士が持つものよりも二倍は太い穂先が、竜人の胸を貫いた。

 勢いのまま串刺しになった体を、後ろへ退く形で受け止め、思い切り槍を振う。討ち取った竜人の体が外壁へ落ちていく様に、兵士達は歓声を上げた。

「お見事にございます!」

「流石ツィスカ様!」

「油断せず! 第二陣が来ます!」

 色めき立つ部下達を、涼やかだが厳しい声で遮り、赤い鎧の女性――ツィスカは再び槍を構える。竜人の攻撃は鋭く強力だが、散発的だ。個々の武勇を重んじる為、編隊を組むことはない。守りを厚くして、突出したものを仕留めれば、凌げる。

 だが――ツィスカの表情は未だ晴れない。油断なくその瞳は空を見上げ、不倶戴天の仇を睨み付けている。やがて――金陽が陰った。

「ツィスカ様、来ました! 銀の竜です!」

「総員、盾構え!」

 見張りからの悲鳴のような声に、全員に向かって命令を飛ばす。兵士達は一斉に武器を捨て、盾をまるで傘のように構えてしゃがむ。

 陽の光を弾く銀の鱗。並の竜人の三倍はある広げられた翼。まさに神話における、世界の血肉である竜の顕現。その巨大な口は人の首を噛み千切れる程に大きく広げられ――喉の奥にきらめきを見せる。

 そして――炎が降ってきた。

「うわあああっ!」

「た、耐えろおおおお!」

 竜人の口から炎の吐息が吐き出される。時間にして僅か数秒。しかし直撃した兵士達は、体中から煙を上げて焼け焦げる。救護兵たちが水を持ってきてぶちまけるが、とても間に合わない。一気に士気の下がった部下達に唇を噛み締め、ツィスカはきっと天を睨み付けた。

 宙に浮かぶ体躯は巨大であり、銀の鱗には数多の傷跡が刻まれていた。しかし今の奴の鱗には弓矢のひとつも通らない。古傷は、幼い頃から戦場に出ていた証なのだろう。

 竜人の社会は完全に実力で序列が決まる。長に挑み、負けを認めさせることによって代替わりするのだ。そしてこの三百年、かの銀竜がその地位から退いたことは一度もないという。

 ちりちりと口端から炎を漏らしながら、揶揄すら籠った低く響く声がツィスカの耳に――否、戦場全体へと届いた。

「神人の女よ、いつもの馬で駆ける様はどうした。こんな地べたの岩場に這いつくばって、無様な事よ」

 不安そうに見てくる兵士の視線を受け止め、ツィスカは表情を動かさないまま空へ向かって声を上げた。

「挑発は無用です。これ以上この国の空を侵すことを許すわけにいきません」

「勇ましさだけは買ってやるが、鷲獅子が居なければ何も出来ぬ者は下がっていろ。貴様は――」

 響く言葉にツィスカが唇を噛み締めた時、竜の王はふと首を巡らした。伝令らしき小龍が銀の王へと近づき、銀竜も何やら反応を返す。そして――日を陰らせるほどの大きな翼を広げて、ぐるりと旋回し、去っていく。

「勝負は預けたぞ、神人の女。既に我等の望みは達成された」

「何を――」

 声を遮るように、竜の咆哮が天を劈く。それに呼応するように沢山の竜人が一斉に声をあげ、次々と空高く舞っていく。引いていく竜人を部下達が呆然と見送る中、ツィスカは素早く辺りを見回し――草原を蹴立てて近づいてくる騎馬部隊を見つけた。

「あれは……ヴァシーリー殿の軍か!」

 閃く青い旗を見て、初めてツィスカの顔が綻んだ。しかしそれは一瞬で、すぐに鋭い声で部下に向かって告げる。

「――開門しなさい! 我がリントヴルムに迎え入れる姫君が参られました!」

 ツィスカの声に、部下達が一斉に歓声を上げた。


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