リントヴルムへ

◆4-1

 コバルニィの処遇については、結局王都へ任せることになった。途中で握り潰される可能性も鑑み、直接コーシカがリェフへ届け、アグラーヤへ上奏するつもりだ。

 どれだけ効果があるかは読めない。リェフは先々代から王家に仕えている実力と信頼の持ち主だ、無視されることはないとは期待しているが。タラカーンは恐らく切り捨てに動くだろうし、これでますます恨みを買ったのは間違いないだろう。ほとぼりを冷ます意味でも、国外へ出るのは正しいかもしれない。

 囚われていた子供達は解放され、親元に戻れる者は戻したが、身寄りがない者は神殿に預けるしかなかった。その神殿の長の匙加減ひとつで彼らの運命が決まってしまう。それでも、他に生きる術は物盗りか乞食ぐらいしか無いのが、この国の現状だった。

 竜人の子供達は、ミーリツァの奮闘により翼を全て癒され、纏まって故郷へ帰ることになった。幸い、囚われていた子供達の怪我はそこまで深く無く、翼さえ癒せば問題はなかった。故に全部治すと言ってミーリツァは聞かず、散々止めたものの最終的にヴァシーリーの方が折れた。

「せわになった。れいをいうぞ、かみびとたちよ」

「東に進めば、また囚われるかもしれない。まずは北へ行き、リントヴルムに入る前に国境に沿って進めば、海に出られるだろう」

「どうぞ、ご無事でお帰りになってくださいまし」

 ヴァシーリーの提案には素直に頷いていたが、隣のミーリツァが目尻に涙を浮かべていることに気付いたのか、竜人の子供は忙しなく皮膜で瞬きを繰り返してから、ぼそぼそと呟く。

「……かみびとのおんな。わがなはククヴァヤ、ひのりゅうギナのうろこよりうまれしもの。おまえのなは、なんだ?」

「ククヴァヤ様、ですのね。わたくしはミーリツァと申します」

「みーり、つあ。……またあおう」

 微笑んで名乗るミーリツァに、やはり竜人の表情は全く動かなかったが、静かにそれだけ告げて。

 ばさりと大きく翼を広げ、竜人は空へと飛び立った。連れ立って飛んでいく小さな羽達も見送って、お元気で! と一生懸命手を振るミーリツァの姿は微笑ましかったが、ヴァシーリーはとにかく戦端が開くことなく終わったことに安堵していた。



 ×××


 マズルカの街を後にし、一行は南にあるアブンテへと向かう。

 皇国との国境沿いの山中に建つアブンテの神殿は、嘗て戦の際、砦として建てられたものだった。

 二百年前、皇国の併呑を拒んだフェルニゲシュが、砦に王族自ら立て籠もり、奉じる神に祈りを捧げて大軍を押し返した。以降この地は聖地の一つとされ、死者達の慰めも兼ねて神殿となり、今は若い神官たちの修行場となっている。

 現在も山の上に建つ神殿は見張り塔の役目も兼ねており、また守りの硬さと厳重さから貴族の子女がこの地で勉学を学ぶことも多い。今では在籍者の九割が女性になっていた。

 大人数で細い山道は昇れない上、馬も通ることが難しい道もある。更に今回はスリーゼニ家の者達も運ばねばならないので、いつにも増して時間のかかる道程となった。

 山の頂上に聳え立つ石造りの神殿は、背を崖の上に晒すことにより防備を強め、今もなお無骨な砦時代の壁を残している。王弟の証である、無印の青旗を掲げていた為、ミーリツァの乗った輿が正面に辿り着いた時、自然に重い音を立てて門は開かれた。

 髪や顔まで黒い神官衣で包んだ神官達が恭しく、ヴァシーリーに対して礼をする。敬虔な信者である彼女らにとって王家とは神に近しい眷属の血を引いたものであり、敬う対象なのだ。

 この神殿の長である老婆が、曲がった腰でゆるりと近づいてきて、ミーリツァにも礼をした。彼女はミーリツァを王家の血筋と認めるだけでなく、彼女が死女神の優秀な神官であると正当な評価をしてくれている。この国では数少ない、ミーリツァの味方だった。

「死女神様曰く、命とはただ一時目を開き望む黄昏也。よくぞ戻られました」

「お出迎え、感謝いたしますわ長様」

「遠路ご苦労様でございました。では、こちらへ」

 恭しく妹を促す神官達を見送ろうとすると、ミーリツァがくるりと振り向く。毎年必ず味わっている別れであるが、やはり妹の瞳はいつも通り潤んでいた。

「では、兄様――いいえ。ヴァシーリー・ドゥヴァ・フェルニゲシュ王弟殿下。長旅の供、感謝致します。リントヴルムまでの道中、無事をお祈りしておりますわ。どうぞ息災にお過ごしくださいませ」

 小さな体で、精一杯淑女としての礼を取る妹の姿に堪らなくなって、ヴァシーリーは出迎えの神官達の目も構わず、地面に跪いて妹の体をしっかりと抱きしめた。乱暴に頭を撫でて、すぐに離す。長引けば彼女を悲しませるだけだと解っているけれど、止められなかった。

「……ありがとうございます、兄様。ミーリャは果報者ですわ」

「お前も、息災でな。……リントヴルムからの帰路に、また立ち寄らせてくれ」

「ええ、ええ。お待ちしておりますわ、兄様」

 大きな茶色の瞳からぽろりとひとつ、滴が転がったのは互いに気付かぬふりをして、兄妹は笑顔で別れを告げた。



 ×××



 妹の背が神殿内に消えていくのを見届けて、暫く。――次に、その中から出てきたものは、ミーリツァのものよりも随分豪奢な輿だった。

 華美な様相だが、しっかりと病神の神紋が刻まれており、黒い天幕を揺らしてヴァシーリーの前で下ろされる。中から誰か出てくる様子は無く、傍に控えていた侍女がそっと中を伺い、頷いてこちらに向き直った。

「お迎え感謝致します、ヴァシーリー王弟殿下。此度の婚姻をお嬢様は非常に光栄に思っております。我が国と神の威光を他国に知らしめる、またとない機会でございましょう」

「大義である。――ゾーヤ・スリーゼニ殿はそちらに?」

「ええ、いみじくも未婚の淑女、更にこれから他国に嫁ぐさだめを持った淑女を、徒に殿方の目に触れさせるわけには参りませんので」

 理由としては解らなくもないが、曲がりなりにも王族に対して不敬な振る舞いであることも間違いない。部隊の半分以上を麓に残している為、近衛も置いていったのだが正解だったと見える。ラーザリはまだしもドロフェイが居れば、無礼者と声を荒げていたかもしれない。

 一つ息を吐き、ヴァシーリーはあくまで冷徹に口を開く。

「――心得た。だが、此度は二国の信頼を得る為の婚姻であり、私にはそれを見届ける義務がある。ここからは動かぬ故、姿だけでも拝見させて貰えまいか」

「申し訳ございませんが――」

「い、いわ。見てあげる」

 どこか怯えたような、しかし尊大な声が聞こえた。傍女達がはっと息を飲み、輿を仰ぐ。天幕の隙間から随分と青白い肌の手が伸びて、ゆらりと蠢く。

 隙間から、じりじりとした視線を感じる。ヴァシーリーはまっすぐにそれを受け止める形で答えた。王弟として傅くことはしないが、自分の姿が女子供に威圧感を与えることは良く知っているので、なるべく大人しくしているつもりだが。

 不躾な視線がじろじろと己を舐めていくのを感じて、暫く。

「……違うわ。あなたじゃない」

 どこか絶望したような声が聞こえて、天幕の隙間は閉じられた。いよいよあまりの不敬さに、流石にヴァシーリーも僅かに眉を顰めるが、己の立場も弁えている。……スリーゼニ卿の娘にとって、王弟は敬うべき対象では無いということなのだろう。

「無理を言って申し訳ない。イオニアス殿は私と同窓の士であるが、心優しい好漢だ。きっと貴女を守ってくれるだろう。不安はあろうが、どうか旅の間はゆるりと過ごしていただきたい。王と神の名に誓い、貴女の道行を護ろう」

 真摯な宣言にも、天幕から答えが返ってくることは無かった。

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