◆3-5

 マズルカを治めるコバルニィ伯爵は元々、奴隷売買によって冠位を得、成りあがった商人であった。

 この国では遥か昔から当たり前のように奴隷制が存在し、流民や少数民族は皆奴隷の役目を与えられ、貴族の個人財産として扱われることが、数百年に渡って続けられてきたのだ。

 故に、皇国からの再三の非難など、内政干渉として無視し続けていたし、現王が法の改正をしようとも、どうせいつものようになあなあで終わるものだと思っていた。

 だが、血で血を洗い玉座に座った現王アグラーヤは、本気で奴隷制の完全撤廃を行う為、コバルニィを初めとする奴隷売買で富を得ていた者達から財である奴隷を買い取り、全てを平民とした。

 当然反発し、それこそ私兵を使って反乱を起こすものまで現れて――全て、潰された。軍部を完全に味方につけたアグラーヤは、己も獅子の引く戦車を駆り、己の槍斧で反逆者達の首を軒並み撫で斬りにした。そこで漸く彼らは震えあがり、地下に潜ることになった。

 大っぴらに商売を出来なくなり燻っていたコバルニィに目をつけたのが、大将軍タラカーンだった。

 彼は、新商品として、東の海で捕えた竜人の子供を提示してきたのだ。

 竜人の強さ、恐ろしさは、地を這うことしか出来ない人間では到底敵わないもの。だが、竜人は何よりも数が少なく、リントヴルムとの小競り合いが増えてからは、体の大きな成体の竜人達は皆戦に向かい、海で殆ど見られなくなった。

 故にコバルニィは、自分の雇った漁船に神官を乗せ、徒に近づいて来た竜人の子供を狙って捕え、売り払った。神の加護を得られぬ竜人、しかもまだ鱗も柔らかい子供達は簡単に手に落ち、その物珍しさと丈夫さから高値で売れた。

 大分軌道に乗ってきたが、ここで油断して王都の貴族に賄賂を渡そうものならすぐに嗅ぎ付けられて己も血祭りにあげられかねない。幸い大将軍への上納金は良心的な価格だったので、どんどん彼の財は増えていった。

 毎年のようにこの都市を訪れる王弟殿下のことも、コバルニィはさっぱり気にしていなかった。現王の弟というだけで碌に権威も無く、どこの種かも解らない不実の証の妹を、殊更甘やかして傷の舐め合いをしているだけだ。コバルニィだけでなく、この国の貴族達の殆どは同じように思っているだろう。

 故に――ヴァシーリー・ドゥヴァ・フェルニゲシュが僅かな近衛を連れて己の屋敷にやってきても、全く彼は動じなかった。その心に軽視と侮蔑を押し殺したまま。

「久しいな、コバルニィ伯爵殿。突然の来訪失礼する」

「これはこれは、王弟殿下。お声をかけて頂くのは、この国の民として至上の喜びでございます。――してこの度は、どのようなご用件で」

「この街で、現在禁じられている奴隷売買が行われていると耳にした。貴殿、何か知っていることはないか」

 直球だ。普段王都に居すわっている割に、貴族の腹芸など何も出来ないと見える。内心ほくそ笑みつつ、怯えたように声を作る。

「とんでもございません! 偉大なる王の触れに逆らうものなど、この街、否この国におりますまい! ……もしや、大将軍殿がそのようなお話を?」

 ちくりと探りを入れてみると、ソファに座る王弟の後ろに立つ近衛兵がぴくりと眉を動かした。主と似た者、腹芸は出来ないらしい。

「否。確かな者からの情報だ。禁制の奴隷市を密かに行っているだけでなく、東の海の竜人を捕えて商品と扱っているとも聞く」

 そこまで嗅ぎ付けられたのか。動揺を押さえこみ、あくまで悩んでいる風を装う。

「それは……確かに真ならば、大変なことですが……」

「現在非公式な調査を行っている故、協力をして欲しい」

 王弟は、厳つい顔の青い瞳をすうと眇めてそう結ぶ。全く似ていない筈なのに、王の顔を思い出し、コバルニィの背に僅かな怖気が走った。

 しかし、と思い直す。先日タラカーンから受けた密書には、機会があれば王弟の命を狙え、アグラーヤ王にも了承は得ている、と記されていた。腹を探られるのは業腹だが、これは好機でもあるだろう。

 部屋の隅に控えていた部下に目配せし、自分は改めて王弟に向き直り――深々と頭を下げた。

「勿論でございます。我が町でそのような悍ましいことが行われているのならば、許されぬことです。是非、手助けをさせて頂きたい。まずは私の部下に情報を持ってこさせますので、今しばらくお待ちいただければ」

「解った、任せる」

 馬鹿め、と緩む口元を抑えながら、改めて部下に命じる。――旧市街の隠れ家に詰め込んでいる商品達を、急いで移動させるように、と。



 ×××



「ほら、とっとと歩け餓鬼共!」

「お前はこっちだ、蜥蜴!」

 怯え、衰弱した子供達は奴隷商が雇った衛兵崩れの男達に引き立てられ、地下通路を通って隠れ家から連れ出されていた。元々は戦争中に利用していた脱出路が通じている小屋だったが、コバルニィが商売の為に地下を広げ、牢を据えていたのだ。

 言葉も離せない竜人の子供達は、更に棒や剣の鞘で小突かれ、威嚇の声をあげたものから強かに殴られた。皆翼の被膜はぼろぼろに破かれ、逃げられないようにされている。

「よし、これで全部だな。一匹逃げられたのは不覚だったが、あれだけ育ってたら逆に売れないかもしれねぇから、丁度いいだろ」

「いっそ殺して鱗を剥げばよかったんじゃねぇか、その方が売れるだろ」

 彼らにとって竜人とは、言葉も話せぬ獣同然だった。珍しい生き物を狩って、売り捌くという意識しかない。彼らが誇り高き種族であり、仲間の死に血を持って償いを求めるということも知らない。自分達が戦争の引き金になるとは毛ほども思っていなかった。

 主以上に、彼等は自分達の仕事が順調であることに浮かれていたし、夜の夜中にいきなり呼び出された不満もあった。互いに愚痴を言いつつ、子供達を小突きながら裏口から外に出て――

 ひゅ、と風を切る音がした瞬間、見張りの一人がもんどり打って倒れた。

「は――」

 咄嗟に判断できなかった次の一人に、攻撃が飛ぶ。闇夜の中、彼等の持つ灯りを目印にして――矢が飛んできたのだ。

「て、敵襲!」

「火を消せ!」

 そこでやっと男達は己の本分を思い出し、迎撃の体制を取ろうとするが――遅かった。

 明かりを構えようとした一人に、銀の光が閃く。夜の闇を擦り抜けて飛んできた鎌が、首を掻き切った。月明かりで僅かに閃く鎖が引かれ、投擲した者の手に綺麗に収まる時には、その持ち主は駆け抜けて建物の中に突入していた。

「――猫が入りました。出来る限り殺さずに、足止めします。子供達には当てないように」

 別荘からかなり離れた建物の屋根の上で、弓矢を構えたままのラーザリはぼそりと呟いた。その顔はいつも通り、冷静かつどこか不機嫌そうだったが、鷹のような瞳は油断なく戦場を見下ろしている。

「了解です! しかし、こう暗いと難儀ですな」

 最低限の松明しか手元になく、相手は夜闇に紛れて移動している状況だ。思わずぼやく部下に冷たい視線を送りながら、ラーザリは何事も無いように次の矢をつがえる。

「月明かりがあれば充分でしょう。腕か足を狙いなさい、無理はしなくても良いですが。証言者の数がいると、殿下のご命令です。包囲を狭めるよう、地上部隊にも連絡を」

「「はっ!」」

「……全く、止まったまま撃つのは本職では無いのですが」

 部下の返事を聞きながら、誰にも聞かれない声でこっそりとぼやいたのを最後にして、ラーザリは再び闇の中に矢を放った。

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