◆1-2

 皹が入った丸太造の門が、ぎぃし、ぎぃし、と重い軋みを立ててゆっくりと動いていく。やがて、門は大きく開き、その役目を失った。

 村人達は何故門が開いたのか解らず慌てていたようだが、その短い時間の間に覚悟を決めたようだった。武器を構えた者達が列を作り、長であろう老人を守るように囲んでいた。しかしその眼にある戸惑いや怯えは隠せない。まともに軍と当たったら、あっという間に殺し尽くされてしまうことを皆理解しているからだ。

 緊張感が辺りを支配する中、最初に動いたのはヴァシーリーだった。

 ひらりと自分の馬から降り、外套を翻して真っ直ぐに村の中に歩いて進む。近衛の中からも静止の声がかかったが、止まらずに。鎧は着けているものの、槍斧は馬に積んだままなので、武器は腰に佩いた両刃の剣だけだ。

 足取りは淀みなく、村人達の前に辿り着く。未だ戸惑いが強い者達の中で、低く皺がれた声が響いた。

「……王弟殿下、ヴァシーリー様とお見受け致します。このような寒村にまで、よくぞいらっしゃいました。生憎と腰が効かず、このような様での無礼をお許しください」

 ――開拓民達の、長である老爺だ。囲みが開いた地べたに胡坐を掻いたまま、深々と礼をする。

 背は曲がり、顔も腕も皺だらけであるにも関わらず、顔をあげた其処にある眼光は嘗ての奴隷身分から解放された折、自らの手で土地を切り開いてきた開拓民の強さと鋭さを今も湛えていた。

 そんな視線を真っ直ぐに受け止めたヴァシーリーは、表情を動かさないままはっきりと、村全体に響く声で告げる。

「許す。貴殿らの働きは、領主代理より報告を受けている。だが、民の義務である租税を納めぬことを許すわけにはいかない」

「お言葉ですが、王弟殿下。今年の夏の寒さは、貴方様もご存じの筈。麦は八袋にとても足りず、豆もどうにか食い扶持に足る程度です。全てとは申しませぬ、ただ、来年までの猶予を幾許か、頂きたく存じます」

「武器を取り、納税官を追い出したのは貴殿らが先と報告を受けた。相違は無いか」

「無理やりに倉庫を暴き、足りぬのならばと村娘を連れていかれそうになりました。それ故の抵抗にございます」

「フン、農奴どもの分際で何を偉そうに――」

 いつの間にか、後を追ってきていたらしいバガモルが後ろで不快そうな声をあげるが、ヴァシーリーが振り向かぬまま、すっと手を挙げて遮ると声は止まった。何をされたわけでもないのに、首を仰け反らせて。

 否。そこに、誰にも気づかれることなく、もう一人増えていた。

 バガモルの首。ひたりと、光る鎌のような形の刃が押し付けられている。外套に身を包んだ人影が、音もなく彼の背を取り、己の武器を突き付けているのだ。バガモルとて腕にそこそこ覚えはあるが、全く気づくことが出来なかった。

 屈辱と恐怖で口を開けないバガモルを振り返ることなく、ヴァシーリーはぐるりと前方を見遣る。不安と怒りが満ちている農民達の顔を一人ひとり、確かめるように。そして、やはり温度の変わらぬ声で、容赦の無い結論を告げた。

「税収は変わらず。麦を八袋、不足分は同量の豆か野菜で補うべし。今年度の変更は無い」

「……出来ぬ、と申し上げたならば」

「已むを得まい。税の円滑なる徴収は、陛下のお心である」

 ほんの僅か、眉間に皺を寄せたヴァシーリーの顔をどう思ったのか。村長は苦いものを飲み込もうとする顔で、深々と頭を下げた。

「……畏まりました。倉庫を開け」

「村長!」

「このままじゃ冬を越せねぇよ!」

「だが、本当に陛下に目をつけられたら……」

 ざわざわと村人達が口々に声をあげ、見えない拘束からやっと解放されたバガモルが声を荒げようとしたその時。

「故に! ここから先は、私の采配である!」

 場を切り裂いたヴァシーリーの大声で、辺りはしんと静まり返った。

 がらがらと車輪の音がする。馬に引かれた大きな輜重用の車が二台、三台と、村の門を潜って入ってきたのだ。

「お待たせしました、王弟殿下!」

 馬を引いて来た輜重隊の兵士達が下ろした荷は――十袋はある、豆だった。恐らく近衛兵の糧食として買い上げたもので、王家の印も入っている。それを次々と下ろし、村長達の前に積み上げていく。呆然とする村人達に、ヴァシーリーは改めて告げた。

「――村長、冬を超えるには足りぬかもしれんが、これで当座は凌げよう。秋の内に森へ入り、食料と薪を出来る限り集め、門を修復せよ。……如何にか、生き延びてくれ」

「お、おお……!」

 全ての意図を察し、村長はその皺の奥の目から涙を零した。膝を崩し、神に祈る時よりも深く頭を下げる。

「なんと、なんと有難い……! 王弟殿下、このご恩は何時か、必ずや……!」

 その村長の姿に、この豆が自分達のものになるのだと漸く気づいた村人達も、わっと歓声をあげ、次々と頭を下げ感謝を捧げた。

 そんな彼等の姿を見ながら、兵士達の顔にもどこか安堵が浮かび――自国の民と戦いたい軍などあまり居ない――、バガモルは心底口惜しさを込めた顔でヴァシーリーの背を睨み付け。

 とうの王弟殿下は一人、笑顔も無く、何かを堪えるように唇を噛んでいた。



×××



 王都へ向かう帰り道、一際体格のいい近衛兵が快活な声をあげた。

「殿下! バガモルのあの表情、見ものでしたな!」

 近衛兵たちの足取りは皆軽かった。王弟殿下の采配をちゃんと知ってはいたが、もし上手くいかなければ、あるいは間に合わなかったら、自国の民に無駄な血を流させることになってしまったかもしれない。

 それを避けることが出来たのは僥倖であるし、普段何かと突っかかって来るバガモルをやり込められたのは、大柄の男――近衛隊長ドロフェイにとっては非常に愉快なことだったようだ。窮屈そうに鎧に詰め込んだ、主に負けない筋骨の体で、金と黒の斑に染めた髪を掻き上げ、大口を開けて笑ってみせた。

「曲がりなりにも、貴族位を持つ騎士ですよ、バガモルは。そのような言い方は止めた方が宜しいかと」

 それを不機嫌そうな顔のまま諌めるのは、副隊長であるラーザリだ。この国の騎士としては線が細いが、代わりに大弓を引ける腕を持っている。色の薄い茶髪を布で纏めて風に流し、ドロフェイを横目で睨み付けているが、相手は気にした風も無い。

「金で地位を買いつけた名ばかり貴族ではないか、気にすることも無し!」

 ドロフェイはその体躯に相応しい武功を持っている男であり、この国の貴族の長男坊でもあるのだが、数年前の内乱の際、軍の命令に背いてしまった。以降出世街道から外れたものの、本人は気にする風も無く、ヴァシーリーの信頼できる右腕として仕えている。楽観的で豪放磊落な男で、部下の信頼も厚い。

「その後押しをしたのが、かのタラカーン大将軍ですよ。今回の件も、報告されるでしょう」

 対するラーザリは、元々この国の草原に住まい、フェルニゲシュの支配に最後まで抵抗した遊牧の民の血を引く者だ。その馬術と弓の腕はこの国一番と名高いが、出自が理由で軍の中での出世はほぼ不可能。腐っているところをヴァシーリーに拾われたので、忠誠心はとても強い。ドロフェイとは対照的に悲観的だが、冷静な視線も持っている。

 言い合いを続ける正反対の隊長と副隊長を、部下達もいつものことだと気にすることは無い。その後ろを馬で進む、彼らの主である王弟殿下が何も言わないからでもあるが。

 ヴァシーリーの表情はいまだ浮かなかった。元々表情が豊かな方ではないが、ここ最近はつい眉間に皺を寄せてしまう。……自分がやっていることがただの焼石に水であることにも、当然気づいているからだ。

 今夏の冷害による被害は、国土全体に及んでおり、王都から遠く離れた開拓村では逃散も相次いでいるという。にも拘らず王家や貴族院は減税を認めず、容赦の無い取り立てを行っている。先刻の村のような状況も、決して珍しくないのだ。

 王弟と言えど、自分の自由になる蓄えには限度がある。こんなことを何度も続けてはいられない。どうにか、この状況を打破する方法を考えなければ――

「――まーた埒もないこと考えてますねぇ? シューラ様」

 不意に聞こえた、男にしては高いが女にしては低い声。同時に、鎧に包まれた背中越しに感じる、とすりと寄り掛かってくる重み。良く知っているそれに気づいて、ヴァシーリーは漸く思考の海から這い上がることが出来た。

「コーシカ」

 僅かに振り向いて、相手の名を呼ぶ。いつの間にか――本当に、周りにいる兵士達に一人も気付かれずに――、馬の尻に腰かけてヴァシーリーの背に凭れて座っている従者の名を。そこで初めて後ろに続いていた部下達がその姿に気付いたらしく、僅かに驚いた声をあげた。

 身動きの取り易い皮鎧と、長めの外套に身を包んだ黒髪の青年は、その姿も男か女か一瞥では判別し難かった。髪はざんばらに短く、体の線がしっかり見える装束だがほぼ全身が布で覆われており、凹凸がどうにも少ない。髪の隙間から見える金色の瞳は悪戯っぽく輝き、猫のようにすり、と頬をヴァシーリーの背に擦り付けて来た。

「こちとら五日前からこっそりあの村に忍び込んで、調査やら下準備やらしてきたんですよぅ? 次の事を考える前に、まずは優秀な斥候にお褒めの言葉一つかけてくださってもいいじゃあないですかぁ」

 語尾が間延びした口調で、仮にも王弟に対して随分不敬な言い草だったが、ヴァシーリーの口元は自然に、ほんの僅かだが緩んでいた。十二の時に出会って以来、忠実な従者として自分が望むがままの仕事をしてくれるこの猫のような青年に、ヴァシーリーは全幅の信頼を置いていた。こうやってすぐに思索に沈み動けなくなってしまうヴァシーリーを、引き上げてくれる存在でもあるのだ。

「――そうだな。感謝する、コーシカ。お前のおかげで、血を僅かに流すだけで済んだ」

 僅かな血、とは奇跡を使い力尽きた神官を指しているのだろう。それを理解しているコーシカも、ほんの少し不満げに唇を尖らせて答える。

「あいつらについてはシューラ様が気にすること無いと思いますけどねぇ。神官を使ったのはあのカマキリ野郎だし、ああなっちまったらあいつら、もう死ぬしか道が無いですよ」

「解っている。しかし――蟷螂とは言い得て妙だな」

 厳ついが顎が随分と細いバガモルの顔を思い出して一人頷くと、馬の上で器用に体を反転させたコーシカが、するりと両腕をヴァシーリーの首に回して抱き付いてくる。

「でしょぉう? ちなみにご褒美はぁ、口吸い一つで充分ですよぅ?」

「却下だ」

「ちぇ、つれないなぁ相変わらず」

 冗談しかない口調をぴしゃりと切り捨てると、気にした風もなく腕の拘束は解かれた。また背中に体重がかかったので、どうやら城に帰るまで、主の馬に乗っていくつもりらしい。いつものことなので、やはりヴァシーリーは気にしない。

「おお、門が見えましたぞ!」

 大分離れていたドロフェイの大声に、ヴァシーリーも顔を上げる。

 高台の上に建てられた城壁と、巨大な青く塗られた門。その向こうに見える、巨大な青い屋根の城。嘗て巨人が建立したとされる、フェルニゲシュ王都の姿だった。


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