乱れる国
◆1-1
フェルニゲシュ王都から三日ほど離れた距離にある開拓村は、すっかり王国軍に包囲されていた。
本来、夜盗や獣から村を守るための櫓と防壁は、自国の兵士達とにらみ合う為に使われている。農民達は防壁の裏に襤褸の武器や狩りの為の弓矢を持ち、徹底抗戦の構えを見せていた。
国の軍部を預かる大将軍の命を受け、反乱の鎮圧に出た騎士団長バガモルは、その様子を忌々しげに見つつも、口元を笑みの形に歪ませていた。傍に控えていた侍従がひそりと問うてくる。
「火をかけますか?」
「馬鹿を言え、迂闊に燃やせば蓄えまで燃えるぞ。我々はあくまで税を徴収しにきたのだ、それでは意味がない」
冬が厳しく、また長いこのフェルニゲシュ王国において、備えて蓄えを集めるのはどの町や村でも当然のことだった。しかし今年は夏も寒い日が続き、麦は痩せ、いつもの半分も実をつけなかった。農民達にも生活がある、自分達が食べる分まで取り立てられては生きていけない。今此処で殺されずとも、冬に飢えて死ぬ。ならば少しでも生き残る道を選ぼうとしているのだろう。
「奴隷共の分際で、大きく出たものだな」
「隊長、それは」
「ああ、失言だったな。この国に最早奴隷身分はいない、ということになっているからな」
皮肉気にバガモルは笑う。数年前に新王アグラーヤが即位してから、長年この国に蔓延っていた奴隷制度は撤廃された。金で人間を売買することは禁止され、農奴や土地を持たぬ流民、遊牧民は三等国民として一定の身分を保証された。
――ただ、それだけだ。法でそう決まっただけ。未だに農奴達は貧困に喘ぎ、貴族達の小間使いとして給与も出されず働いている者は大勢いる。有名無実の法を皮肉気に笑い、バガモルは笑い混じりの声のまま命じた。
「――神官を連れてこい」
「はっ!」
すぐさま部下に引き立てられてきたのは、黒の神官衣をまとった、異様な風体の男だった。
服の裾から覗く体中に、刃で刻まれた傷がある。それは神紋と呼ばれる祝詞であり、神官が奇跡を発現させる証であった。
しかし、崩壊と解放を司る主神アルードを初め、それに従属する神々の奇跡を得る為には明確な代償が必要になる。
肉体を削られ、内臓が溶け落ちる者がいれば、魂を削られ、正気を失う者もいる。
呼ばれた神官も、既に正気を失っているかのように、虚ろな瞳をしたまま、薄い色の水晶で造られた刃の短剣を握り締め、ぶつぶつと祝詞を呟き続けていた。神に縋りすぎた神官の末路など、このようなもの。他国でアルード神を初めとした信仰が、邪教扱いされているのも無理は無いと言えるかもしれない。
神官の不気味な姿に兵士達は悍ましそうに顔を顰めるが、バガモルは気にした風もない。役に立つのならば何でも構わぬと言いたげに、馬に乗ったまま居丈高に命じた。
「この忌々しい門を砕き潰せ。神の名の元にな」
「ぅ……ァ、我らが神にこの身を……捧げます……偉大なりし崩壊と解放の神、アルード様……!」
神の名、という言葉が引き金になったかのように神官は瞳に光を取り戻す。両手を組み、先刻よりも大きな声で神に向けた祝詞を捧げ――祈りの刃と呼ばれるその短剣を、何の躊躇いもなく己の胸に突き刺した。
みしり、と空気が軋んだ。男が突き刺した胸の上にびしり、と皹が入る。その皹はまるで一枚絵の上に墨で描かれたように、固く閉ざされた門の前に広がり――、それと同時に、地面、空気、固く閉じていた筈の門にまで皹は伝わり、その木板にも一瞬で皹が縦横に走った。大人が蹴りのひとつでも入れたら、砕けてしまうかもしれないほどに。
世界の理――即ち、其処に在る、という理自体を崩壊させる、アルードの奇跡の顕現だった。
悲鳴が村の内と外で同時に上がった時、神官の全身にもまるで内側から裂けるように傷が走り――ごふ、と血を吐いて倒れた。そのまま、ぴくりとも動かない。……最早、彼の肉体と魂は限界だったのだろう。
信仰を貫き、どこか安らかな顔で倒れ伏している神官を、バガモルは忌々しげに見下ろしながら言う。
「この程度か。足らんな、もう一発だ。次を連れてこい」
×××
「あいつら、神官まで連れていやがる!」
「くそ、どうする? 次に奇跡を放たれたら門がもたないぞ」
悍ましい神官の力を見せられて、立て籠もる村人達も焦っていた。彼等が齎す奇跡のことは皆聞いたことがあるが、こんな小さな村には神殿も無い。これほどのものとは思わなかったのだ。
「門を壊されたら、冬前に直すのは無理だ! それこそ全員死んじまうぞ!」
「だからってどうすりゃいいんだ!」
「これはひとつ、門を開けた方が良いですねぇ」
「何言ってやがる、そんなことしたら――おい、誰だ今の」
ふざけた台詞に言い返してから、農民の男はそれが聞き慣れない声だったことに気が付いた。男にしては高く、女にしては低い、どこか人を食ったような声音。それに何故、と思う間もなく、見張りが甲高い声をあげた。
「おい、大変だ! 青い旗の軍隊がこっちに近づいてくるぞ!」
「高貴なる色の旗だと!? まさか――『慈悲深き』王弟殿下か!?」
×××
荒野を走る、砂塵を起こす騎馬隊が近づいてくるのに、当然バガモル達も気づいていた。
「――馬鹿な。青旗だと? 紋はあるか!?」
「……ありません。間違いなく、『慈悲深き』王弟殿下でしょう」
「チッ……弱腰のお飾りが、また邪魔をするか……!」
苦々しく舌打ちをしているうちに、騎馬団は凄まじい足音を立てて包囲の中に突っ込んでくる。隊長以外は歩兵しかいない包囲軍は慌てて避け、バガモルの前まで続く道が出来た。ふん、と鼻を鳴らし、バガモルは馬に乗ったまま、近づいてくる相手を出迎えた。
全員が雄々しい騎馬に跨り、ゆっくりと速度を落として近づいてくる一団。その先頭に立つのは、一際大きな黒毛の、王家に献上された名馬スゥイーニ。『慈悲深き』王弟――ヴァシーリー・ドゥヴァ・フェルニゲシュが跨る愛馬であった。
王族の証である濃い青の髪を一本縛りにして、背に流している。鋭い瞳も、同じように濃いが透き通った青。また、武断の国であるこの国の王族に相応しい良い体格を、やはり青色に彩色された立派な鎧で包んでいる。愛用の槍斧は馬の脇に下げており、無骨ではあるが、どこか高貴さも感じられるその有様に、曲がりなりにも貴族の三男坊であるバガモルは内心歯噛みをする。
両脇を固める更に大柄な騎士と、細身で弓を担いだ騎士の近衛達には目もくれず、バガモルは不遜な態度を崩さないまま王弟自身に声をかけた。
「――これはこれは。一体どのようなご用件ですかな、王弟殿下」
端から相手を舐めきった声音に、近衛達が不快そうに眉を顰めるが、バガモルの虚勢は揺るがなかった。今年に入ってから何度も、このように任務の邪魔をされているのだ、溜飲を下げたくもなる。どうしようもない嗜虐心を舌の裏に隠しながら、あくまで僭越ながらと言いたげに問う。
「流石は『慈悲深き』王弟殿下ですな。陛下のご威光に敵わぬと、せめて民に温情をかけ支持を得るおつもりですかな?」
フェルニゲシュ王国は武断の国である。神々が尖兵として作り上げた巨人の血を引くとされる王家は、その血に恥じぬ力を持って戦い、血を流して国を治めてきた。そんな王家に名を連ねているにも関わらず、武勇では姉である現王に敵わず、継承権はあれど飼い殺しのように扱われている王弟殿下は、僭称として『慈悲深き』と呼ばれることも少なくないのだ。
しかし曲がりなりにも、この国で王の次に高い地位であることに間違いは無いヴァシーリー王弟殿下は、口を真一文字に結んだ真剣な顔で、バガモルにひたりと視線を合わせ、静かな声で告げて来た。
「貴殿は何を言っている? 私は、領地において税の滞っている場所へ、取り立てにきただけだ」
その声は怒りも苛立ちもなく、ただ静かであり、逆にバガモルの感情を逆撫でした。ヴァシーリーは淡々と言葉を続ける。
「ここ一帯は私の領地であり、バガモル殿と言えど勝手な専横をされているのならば、これ以上の狼藉は許せぬのだが?」
「は、いえ、ですが――ッ」
「無論、この辺りの税収は直属の領主代理に任せているが、滞っているのならば私自ら出向いた方が良いであろう」
何を白々しい、とバガモルは歯噛みをする。領主代理には既に賄賂を渡し、バガモルが自由に動けるように言質を取ってあるのだ。あの日和見領主め、王弟がやってきたことで身を縮め、へこへこと従ったに違いない。無論恐れられているのはこの王弟自体では無い、何故かこの男に甘い王自身だ。
「成程、王弟殿下のお心遣いには感謝いたします。只今、この門を破りますので些事は我々に任せ、お休みいただければ――」
「バガモル隊長!」
「ええい、今度はなんだ!」
それでも邪魔をさせてなるものかと言葉を重ねるが、不意に部下が声を上げてきた。不愉快そうに問うが、続いた言葉にバガモルは目を剥かざるを得ない。
「も、門が開きます!」
「――何だと!?」
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