国際交流ヘルメット

 試乗したスポーツカーの名前は憶えていない。スポーツカーがトリガーであったけれど、車種に要因があったわけではないと思う。原因を突き詰めようとするなら、時と場所と僕の想いだろう。だいたいいつも、タイミングといわれる奴だ。それともう一つ。

「ヘルメットをどうぞ」

「どうも」

 それはどこか宇宙服と合わせて付ける、丸みをおびたヘルメットだった。おそらくスポーツカー用ではない。それでも被るとしっくりきたし、運転席に乗っても違和感はなかった。

「どうぞ、踏んでください」

 助手席にアシスタントさんが座る。

 ペーパードライバーがスポーツカーでサーキットを走るなど、道楽にしては時間と金の無駄遣いだろう。

「焦らずどうぞ」

「はい」

 ブォンとエンジンの音が響く。「わっ」 

「どうぞ、踏んでください」

「は、はい」

 ゆっくり踏み込んでみる。レースカーでなくてよかった。彼らはスピードと安全運転のために、精密な足さばきでいくつものペダルを踏むのだ。

 広々としたサーキットでは、時速50キロでも安心できた。

「もう少し踏んでみましょう」

「でもたしか、ウォーミングアップが必要ですよね。体調と車との相性を見ないと」

 助手席の人は僕のほうを見た。僕は、もう少し踏み込んでみる。

 60,70,75,80。僕としては順調だ。ただ、あくまで僕の中での話だ。何周か走ってみると、怖さも薄れてアドレナリンも出てきた。

「では今度は思い切り」

「はい」

 意気揚々と端から端までの距離に向き合う。

「思い切り、壁にぶつかってください」

 物騒なアシスタントだ。僕でなかったら、こんなことを言わないでほしい。

「わかりました」

「言いました」

 エンジン音にかすかに聞こえた声はあまり気にしなかった。どんどんスピードを出していく。そういえば昔、山奥のつり橋へ行ったことを思い出した。鬱蒼とした森の中で、薄暗くて、ツタが体に巻き付くかのようにはびこっていた。ざわりと背中を這う湿った空気と、渡り始めて見える足元の川の流れ、聞いたことのない鳥の鳴き声が、僕の中に入ってきた。そうだ、あの時僕は何を思ったっけ、とめぐっていくうちに速度は上がる。コレのいけないところは、踏んでいるだけでスピードが出ることだ。景色の処理のために頭の回転が速くなり、どんどんアドレナリンが出ている。何も考えていないのに、爽快だ。そのまま壁にぶつかったとしても、仕方ないかもしれない。それでも少し、足が緩んだ。

「少し楽にして」

「はい?」

「踏み込んだまま」

 かすかに聞こえた声に改めて踏む。助手席から手が伸びてきて、ハンドルが思い切り右へ切られた。驚いている間に、重力が襲ってくる。壁が左へ横切っていった。コーナリングとはこんな感じなのか。足を離そうかと思ったが、逆に踏み込んでいる。いわれなくても、踏み込んでいた。

 まぶしい。閃光が走った気がする。視界が真っ白になった。

「あのっ」

 アシスタントへ声をかけた。ところが、聞こえた僕の声に違和感があった。

「えっ」

 キーが高くなっている。例えば、ヘリウムガスを吸った時のような、甲高い声になっていた。

「何、これ」

 真っ白な世界で、手も胴体も見えない。

 サーキットのコーナリングとは、こんな感じなのか。

「……デー……メーデー……」

 絶対おかしいと思いつつ、アドレナリンが出ているのはわかっている。だからかすかに聞こえ始めた、高すぎる声は幻聴だと思った。

「メーデー……メーデー……」

「はい」

「ア」

 目の前に真っ黒な鏡が見えた。ゾッと鳥肌が立ったが、しばらくして宇宙服のヘルメットだと気づいた。

「聞こえマすか?」

「きこえ、ます」

「ぼくガ、ミエますか?」

「多分。ヘルメットの人ですか?」

「ソウです。ボクです。初めまシて、人間」

 人間、という単語が生々しかった。喋り方にちょっとした違和感を感じていたくらいなのに、人間とはっきりした言葉が聞こえて、ぞっとした。

「初めまして……あなたは誰ですか?」

「あなタと、違ウ、モノです」

 ヘルメットの人は言う。視界からは、ヘルメットの人という情報しかわからない。

「宇宙人ですか?」

「人間ハ、宇宙人と言うノデショう。ボクは人というモノではナイノデ、全く違イますが」

「どういうこと?僕は死んだんでしょうか」

「コレは、国際交流デス」

 まったく、わからなかった。

「僕はサーキットで車に乗っていたのですが、まって地球って国なんですか?」

「貴方がたノ規模デ言ったら、国デス。地球デは、電波というモノで、国際交流ヲしてイるでしょう?ぼくハ、それヲしていマス」

「もう少し、詳しく言ってもらっていいですか?」

「インターネットを、ヘルメット越しニしているダケです。もっと簡単ニ、出来たラいいんでスが」

「ここは、インターネットですか?」

「混乱して錯乱するノは、良くないデス。では、お聞キしまス。貴方ノ好きなモノは、何ですか?」

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深夜の真剣物書き120分一本勝負 空付 碧 @learine

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