5.闘技大会
翌々日。
アルニはまだ答えを出せないまま、悶々とこの2日を過ごしていた。
今後の身の振り方が決まらない以上、ひとまずこのライフスタイルで過ごすしかないなと依頼を探すべく縦覧通りで掲示板を眺めていたアルニは、ふと目にかかる前髪にリッサのことを思い出した。
――そういえば“しあさって”は休みだから、その日に髪を切ってあげるねと言ってた気がする。
「ヤバい。“しあさって”て、“今日”じゃねーか!」
頼んでもらってる身で遅刻はマズイと、アルニは全速力であの『小さい公園』へと向かった。
「あっ、ようやく来た!」
遅いよ、もう! むくれるリッサに謝り倒し、そこで彼女の格好にはてと首を傾げた。
「今日休みって言ってなかったか?」
彼女は私服姿ではなく、前に会ったときと同じく作業用のつなぎを着ていた。
「遅番の人がね、子供が熱を出しちゃったらしく急遽休みになっちゃって。代わりに出勤することになったの。だから今日はあんまり時間ないんだからね!」
「あー……、それは本当に悪かった」
もう一度謝ると、リッサは「よろしい!」と満足げに返し、それから二人並んで歩く。
「私の部屋でいいよね?」
「工場の寮だろ? 俺が入って良いのか?」
「全然問題なし! それよりもどんな髪型に致しますか、お客サマ?」
「ん? そりゃあ、リッサに任せるに決まってるだろ?」
「むむ、いつもそれだよねアルニくんは。任されるこっちの身にもなって欲しい……」
リッサが住んでる工場の寮は公園と工場棟の間くらいにあるため、すぐに着いた。
3階建ての古いマンションのような無機質な建物の、2階の角部屋に入る。そのまま浴室へ。下には新聞紙が敷かれ、鏡の正面に椅子が置かれており、すでに準備が整っていた。
「さぁさぁお客サマ、こちらへお座り下さいませ」
美容室の店員のモノマネはまだ続くようだ。
促されるまま椅子に座れば、ハサミを手にしたリッサが後ろに周り、そして「――――何かあった?」
しゃき、と髪を切り落とす音と共に、問いが落とされる。
……やっぱり気付いたか、とアルニは苦笑した。
リッサはアルニのことになると、その胸の内を見透かしているかのように鋭くなる。……よく見ているということだろう。
「……まぁ、色々あった」
「色々?」
「色々」
どこからどこまで話していいものかと考えながら、これまでの出来事を思い出す。
「…………………なぁ、リッサ」
口にしながら、自分の思ってることを口にする。
「分からないんだ」そう、俺は分からない。
「分からないけど、なんか、俺は、たぶん……歩けてない気がする」
歩けてない。
前に進めていない。
それはたぶん、レッセイ傭兵団が解放したときから。
そして自分のしたことから目を背けるようにして、ティフィアたちから逃げてから、俺は足を止めてしまっている。
「そっか……」返しながら彼女は少し考えているようだった。だからリッサの答えが聞けるまで待つ。
しゃき、しゃき、とハサミが軽快に髪を切りながら、リッサは不意に口を開いた。
「アルニくんはどうしたいの?」
…………………どうしたい?
質問が返されるとは思わず、鏡に映るリッサを見る。大きくて丸い橙の瞳が、真剣にアルニの黒髪を見つめていた。
仕方なくアルニは考えることにした。
俺が前に進めていない理由は、どうしてだろう。なんでそう感じるんだろう。
後悔してるから?――何を?
どうにも出来ないから?――何が?
「俺は」
俺は一体何を悩んでる――――?
「………………………俺は、」
「アルニくん、前を向いて」
ハッと思考の海に沈んでいた意識が浮上する。
前を向く。
鏡に映る、綺麗に整った自分の髪が目に入った。
いつの間に俺は俯いていたんだろうか。
………でも、そうか。そういうことか。
俺はきっと――自分の気持ちから目を背けていたんだ。
アルニが自分で答えに気付いたことが分かったのか、リッサが柔らかく笑む。
「どうでしょうか、お客サマ」
綺麗に整えられた髪型と、迷い無くまっすぐ前を見据える自分の姿。
――リッサにはかなわないな。
「ありがとう、リッサ」椅子から立ち上がって感謝の言葉を述べると、彼女は首を横に振った。
「アルニくんはね、分かりやすいんだよ。感情が見えやすいって言うのかな」
「……そんなに顔に出てるか?」
「ううん、表情は全然。でも――瞳の色がね、教えてくれるの」
「瞳の色?」
自分の目の色ってなんだっけと鏡を見ると、灰黄色の双眸と目が合う。
「嫌なこと、悩みがあるときは暗くなって、良いこと、嬉しいときには明るくなるの」
「へぇー……」
知らなかったとは言え、知り合いに自分以上に自分のことを知られているのは、気恥ずかしいな……。
「私ね、アルニくんのその瞳が好き。特にキラキラ光ってるとき、不思議と私も暖かい気持ちになれるから」
追い打ちをかけるようなリッサの言葉に、もうどんな顔すればいいのか分からず困っていると、彼女にくすくす笑われた。わざとだな!
「――さて、そろそろ私も仕事に戻らないと」ジト目で睨むアルニを流し、両手を合わせて話題を切り上げるリッサの言葉に、もうそんな時間かと頷く。
「本当にありがとうな、リッサ。聞いてもらって、スッキリした」
「いつでも聞くよ、私で良ければ」
それからリッサを工場まで送ると、その足で最下層へ降り――宿屋マーシュンまでやってきた。
――自分なりに、けじめをつけるためだ。
カムレネア城塔で、殺意と短剣を向けたティフィアたちから逃げてしまったことを、きちんと謝りたかったのだが――――
「ああ、あの『上客』でしたら昨晩にチェックアウトされましたよぉ?」
残念でしたねぇ、いや本当に残念です。
肩を落とすマーシュンの言葉に、どうやらティフィアたちからまだ金を奪おうと考えていたようだ。行き違いになったことは本当に残念だが、彼女たちのことを思うと良かったとも思う。
……そうだよな、殺されかけたんだから、いるわけないか。
同じ宿にアルニが泊まっていたことはニアが知ってるし、金も盗まれている。こんな宿からさっさと出るのは当然の考えだろうし、もしかしたらこの街からもうすでに出ているかもしれない。
決心した矢先にこれかと溜め息を吐くと「おや、お困りのようですね」と両手を揉むように擦り合せながら、マーシュンが下卑た笑みを浮かべてすり寄ってきた。
「知りたいのですか?――居場所を」
「おい、情報屋からは足洗ったんじゃなかったのか?」
「“情報を商品として売り買いする生業”からは足を洗いましたよ?……ですがご贔屓にして下さっているお客様へ、
やけに回りくどい言い方だが、要約すればティフィアたちが現在いる場所を知っているが、タダで口を滑らすわけにはいかない――ということだ。
「………………………………………………………いくら欲しい」
マーシュンの思い通りにすることは憚られるが、……すっごく嫌だが! それでもけじめはつけたい。彼女たちにとって迷惑かもしれないし、自分勝手だとは分かっている。だけど、自分自身のために。
ティフィアたちとまた会って、話をして、謝って。
そうしてまた、前を向くために。
そして「ん」とマーシュンが指を立てて眼前に向けてきた。
立ってる指の本数は「3」。
「……………………3万?」
「いやいやぁ、まさか! 一桁少ないですよ!」
きひひっ、と何がおかしいのか笑う老人。
指をへし折りたい衝動をなんとか抑えた。
「さすがにぼったくり過ぎだろ!」
「これでもお安くさせていただいてるんですけどねえ? まぁ、無理なら残念でしたーってことで……」
「分かった! 払う払う!」
背中を見せようとしたマーシュンを慌てて引き留めれば「最初からそう言えばいいんですよ」とぼそっと呟かれた。
短剣に手が伸びそうになったのを、なんとか堪えた。
「……でもそんな大金、俺持ってないぞ?」
依頼をこなして地道に貯めたとしても時間がかかり過ぎだ。
もし前払いで要求されれば、お金を用意した頃にはとっくにこの国から出てる可能性もある。
「ええ、ですので――これを」
どこから取り出したのか、マーシュンから差し出された一枚のビラ。
そこには金色に輝くトロフィーのイラストと、「闘技大会」とデカデカと書かれていた。
「闘技大会……?」
「アルニさんは興味なかったでしょうからご存知ないと思いますが、2年前から毎年この時期になると王家主催で開かれているんです。――優勝賞金は、なんと100万!」
ひゃっ、100万!?
それだけの大金があれば、数年くらいは遊んで暮らせるぞ。
「あのレッセイ傭兵団にいたアルニさんなら優勝ぐらい獲れるでしょう? ただし賞金の3割を依頼料としてもらいますがね。……どうです? 悪い話ではないでしょう?」
きひひひひ、と笑みを深くするマーシュンに「いやいやいや、悪い話だろ」とツッコミたいところではあるが、拒否権はないのだろう。
念のために出場してる間にティフィアたちが街を出てしまう可能性を示唆してみたが、問題ありませんと断言されてしまった。……ということは、少なからず大会の期間中彼女たちは街のどこかに滞在しているということか。
意外と王都は広い。闇雲に探しても見つけられる保証はないし。
「そもそも俺が負けたらどうするつもりなんだ?」
「それはもう残念でしたーということで」
どうせ賭けで稼ぐつもりであろうマーシュンにとって、アルニが優勝すれば運良く大金をゲット出来る程度にしか思っていないのだろう。本当に腹立たしい男だ。
「で、どうします?」
……他の情報屋にあたった方がいいかもしれない。
でも、とアルニは思う。
――優勝出来ずとも、どうやら上位に食い込むと10万の賞金を貰えるようだ。
金に目がくらんだわけではないが…………断じて違うが! 闘技大会出場を決めた。
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