4-2


 広い部屋の真ん中で、純白のテーブルを挟んで、ミア・カムレネア・フェルベルカと対峙する三人だが、その顔色はあまり良くなかった。

 アルニは広い一等級の部屋への居心地の悪さに、ティフィアとリュウレイに関しては彼女の名前に嫌な予感しかしていなかった。そして、ミアが依頼について話を始めようとしたとき、その予感は確信へと変わった。


「――――どうして、ここにティフィア様とリュウレイがいるんですか……?」


 ノックの音と共にオルドに通されたのは、ミアによく似た女性だった。――街で迷子になっていたニアである。


「それに貴方……アルニではありませんか」


 彼女はミアと同じ色の瞳を丸くしながら、ミアに手招きされて彼女の隣に座る。


 ミアもニアも、こうして二人並べると双子のようによく似てる。髪色も瞳も、違うとすれば服装と雰囲気か。

 愛想笑いを常時浮かべるミアは、王族らしく腹にイチモツ抱えていそうな雰囲気があるが、ニアに至っては纏っている鎧や腰に提げてる一対の剣を見るからに騎士に見える。ただ、極度の方向音痴であることを知ってしまったが故に、どこか抜けてる騎士というイメージだが。


「――に、ニア………その、ご、ごめんなさい」


 気まずそうに謝罪するティフィアに首を振り、それからニアは一つ息を吐くとミアの方へ向く。


姉さん・・・、私にも説明してもらえますよね」


 もちろんだ、と赤い口紅ルージュが弧を描く。

 ――やはり姉妹だったようだ。


「さて、まずは君たち三人が私の依頼を本当に遂行したのか、確認したい」


 その言葉にアルニは小物入れから赤い大蜘蛛針ロート・レチリックの皮膚と一本の触覚を取り出し、テーブルに広げる。それを手に取りじっくりと観察したミアは「本当にいたのか……」と呟いた。


 それにアルニはぴくりと反応した。

 本当にいたのか、だって?


「―――待て、すまない。今のは失言だった、忘れてくれ」アルニが文句を口にする前にミアは己の失態に気付き、先に止める。それから彼女は依頼について、話は始めた。


「実は最近、近隣諸国でもこの大蜘蛛針に関する情報が上がっていてな。だが実際に見た者は不思議といないのだ。……そんな状態では軍はおろか兵を動かすわけにはいかない。国民の不安を煽る恐れがあるからな。だから私は、傭兵団や賞金稼ぎに依頼することを決めたのだ」


 ふぅ、と息を吐きミアは腕を組んだ。その腕にゆさりと大きな二つの山が乗るのを直視してしまったリュウレイは、僅かに頬を赤らめて視線をニアへと移す。

 ……なんとも視界に平和だなとニアの胸を見ていると、それに気付いたニアに睨まれ、慌てて視線を明後日へ動かす。


「しかし……あの依頼書を手配して一か月、誰も任務を遂行してくれる気配もなく、どうしたものかと悩んでいたところに――今日の朗報だ! この皮膚さえあれば、我が軍の魔術師に鑑定してもらい、君たちからも話を聞ければ対策も講じれよう! 君たちは大義を果たした。その評価に値する褒美、すぐに用意させ―――」


「冗談じゃねーな」


 ミアの興奮したように弾む言葉を遮ると、アルニはその場に立ち上がり、唐突のことで驚くお姫様を見下ろす。


 隣ではティフィアが心配そうに見上げてくるが、アルニはミアの言葉に腹が立っていた。

 ふざけんな、馬鹿にしてんのか、と暴言を口にしたいくらいには。


「俺たちは命をかけてこの任務を請け負った。……なのに、それに対する説明が嘘にまみれてるなんてな。しかもすぐに褒美を与えるだと? 金さえ積めば黙るとでも思ったか?」


 温度を感じない、冷たい声は続く。


「お前ら王家ならよく分かってるよな?……俺たちならず者にとって、信用も誠意も大事なもんだ。この国に恩義はあっても、それが破綻するなら話にならん。―――ああ、こんな賞金稼ぎの小僧一人に何が出来るって顔だな。一応名乗ってやるよ。

 俺はアルニだ。――――――元レッセイ傭兵団の、アルニだ」


 その言葉に、今度はぴくりと反応したのはミアだった。


「………………なるほど。それは失礼した、アルニ殿。――だからどうか、チャンスをくれないだろうか」


 解散したとは言え、この国でのレッセイ傭兵団のネームバリューは知らぬ者などいないくらいには有名だ。それだけの信頼と実績があり、何よりもならず者たちへのネットワークが半端ない。これは人間関係に素っ気なかったレッセイに代わって、ルシュが築いてきたものだ。その影響力は、国が無視できないくらいには甚大なのである。


 そして、おそらくではあるがレッセイ傭兵団結成時の初期メンバーである、レッセイはもちろん、アルニとルシュ、ラヴィとニマルカは要注意人物として名前くらいは軍でも王家でも知られているはずだ。……敵に回すべき相手ではないと。


 頭を下げてきたミアに、彼女とアルニ以外の三人がぎょっとしているのを横目に見ながら再び席に着く。


「本当にすまなかった。あの大蜘蛛針を倒した者たちが只者なわけがないのに、私は侮ってしまった」

「いや、いいです。俺も無礼な口ききましたし。どうせ機密情報とか、そんな感じの制限があると思うんで」

「さすがにお見通しか。しかし確かに誠意は感じられないな……。君たちには真実を話そう」


 そうそう、さっきみたいに素で話してもらって構わないぞ。畏まった言い方は苦手なようだしな。と、ミアに気遣われたので、遠慮なくお言葉に甘えることにした。


「じゃあ、大蜘蛛針の情報についてきちんと話して欲しい。依頼書には生息地と数が明確に記載されていた。だけどこんな依頼書じゃあ、通常の大蜘蛛針だと勘違いしてもおかしくないと思うが?」


 テーブルに置いた一枚の紙。それは王家の紋章が捺された依頼書だった。


「え、あの大蜘蛛針で、ご、50万………!?」何も知らないニアが驚くのは当然だが。


「………なんだ、これは?」


 依頼書を手に取り、まじまじと見ながら愕然としているミアの態度にアルニは眉を顰める。


「これでは、素人の者たちがこの依頼を手に取ってしまうではないか!」


 演技してるようには見えない。これは、彼女の素だ。アルニはそれに確信を持つと、なんとなく今回の背景が見えてきたように感じた。


「私が明記するよう依頼したのは生息地、数、高難易度クエストによる注意書き、それから大蜘蛛針の色、そしてなんらかの特異能力を持っている可能性の示唆だ。……そのほとんどが消されてる」


 ミアはどうやら、なるべく自分が知り得る情報を依頼書に書くよう頼んでいたようだ。特異能力、というのはあの赤い大蜘蛛針の『進化』の特性だろう。さすがにそこまでは知らなかったようだ。


「……私は自分の抱える僅かな私兵を使って、この赤い大蜘蛛針が5匹森にいることを確認したのだ。だが、軍を動かすことを父上に反対されてな。それならば、と個人的に依頼書を作成し、傭兵や賞金稼ぎに頼むほかないと考えた。…………浅はかだったようだ」


 明らかな内部による妨害に、彼女は悔しそうに眉根を寄せ目を閉じる。


 ……もしかすると、これは黙祷なのかもしれない。この穴だらけの依頼書によって命を落としたかもしれない者たちへの。


「――再度、君たちへ謝罪しよう。そして謝辞を。

 このような少ない情報の中、本当によくやってくれた。このままであったなら、更なる被害者といづれ訪れていたであろう国への被害に気付くことも出来なかった」


 ありがとう。


 心からの言葉に、アルニもティフィアもリュウレイも、思わず顔を見合わせて苦笑した。

 偶然だったとは言え、死にかけたとは言え、それでも倒せて良かったとそのときようやく感じられた。


「しかし、さすがと言うべきだなこれは。解散してしまったと言えレッセイ傭兵団の団長の息子と、勇者様一行が手を組み、謎の変異魔物を倒す!―――世間に公表して一つ劇にでもしてもらいたいものだ」


 まぁ、無理なんだが。と朗らかに笑うミアとは反対に、アルニの表情は凍りつき、残りの三人は顔を青褪めさせていた。


 ………勇者、一行?

 誰が?

 誰と?


 ―――いや、そんなの……分かりきったことじゃないか。


「ちょ、姉さん! 部外者もいるんですよ!」ニアは慌てた様子でミアの口を塞ぐが、言い切ってしまったあとでは全てが遅い。

 リュウレイは他人事のように「あーあ」と諦めたように声を漏らし、それからふと隣を見たとき、ぞわり、と全身が震えた。それでも咄嗟に体が動いたのを、自分で自分を褒めたいくらいだ。


「…………なんのつもりですか、アルニ」


 リュウレイに腕を引かれて体を傾けたティフィアの背中に向けて短剣を振り下ろそうとしていた剣先は、剣身によって遮られていた。ニアだ。その手に握る剣の柄にぶら下がる鈴が、ちりんと鳴り、そこでアルニは我に返る。


 ――ティフィアの驚愕と怯えの混じった黒曜石の瞳に、息を呑んだ。


「っ、」


 アルニから力が抜けた一瞬の隙を突き、ニアが短剣を弾き飛ばすと、アルニはそのまま後退った。

 足下が覚束ず、ふらふらと下がり、視界を塞ぐように顔を手で覆う。


 落ち着け。


 違う、ここはあの街じゃない・・・・・・・


 落ち着け。


 ここに敵はいない・・・・・


 落ち着け。


 俺は――――もう、あのときの俺じゃない・・・・・・・・・・


「待って! お願いニア! アルニに何もしないで!」


 様子のおかしいアルニを捕らえようとするニアの腕を掴み、ティフィアは懇願した。「どうしてですか!? あの男は今、貴方様を――!」困惑するニアに、それでも首を横に振る。


 ティフィアはアルニを見た。


 命を助け、一度共闘しただけの関係だ。

 それでも、とティフィアは頭の中で言い訳する。


「アルニ……」


 ティフィアの呼びかけに、手を外して顔を上げたアルニは、泣きそうな顔をしていた。

 やっぱり今のは彼の本心じゃない。なにか、きっと理由があるんだろう。


「悪ぃ……」


 ぽつりと零した小さな言葉は、ティフィアにはちゃんと聞こえた。


「アルニ」

「俺…………、『勇者』だけは駄目なんだ」


 小さくて弱々しい言葉。それでも一言一句、ティフィアは逃さないように聞いた。


「助けてくれたことには、感謝、してる。でも、もう――――」


 ………金は全部、お前らが受け取ってくれ。

 そう言い残して、アルニは逃げるように部屋から出て行った。


 暫くしてニアが剣を鞘に納めるのを見て掴んでいた腕を離し、ミアと向き合う。


「あ、あの! 今の……見なかったことに、してもらえませんか?」

「ティフィア様!」


 ニアの諫める声にティフィアは引きそうになる。

 ニアには迷惑ばかりかけてる。さっきは勢いで彼女を止めたけど、本当はそんなこと出来るような立場・・じゃないのに。


「なぁなぁ、お嬢」


 マントの裾をくんくん引っ張るリュウレイの、紅い瞳がまっすぐティフィアの瞳を射抜く。


「お嬢は、何がしたいん?」


 ティフィアが何をしたいのか。そうリュウレイは尋ねた。

 ティフィアの本心を聞きたがってる。


 ――そうだ、いつだってリュウレイは僕の本心に尋ねてくる。

 いつだって選ばせてくれる。


 何がしたいか。

 何がやりたいか。


「僕、アルニとちゃんと話がしたい。これっきりにしたくない。だから、」

 だから、

「お願いします! なんでもするから、見なかったことにして下さい!」


 ミアに頭を下げたティフィアの隣で、リュウレイも一緒になって頭を下げた。


「そうこないとなぁ」と嬉しそうに呟いた言葉は、ティフィアの耳にしか届かなかった。でもそれが何よりも嬉しかった。


「……勇者様がそこまで頭を下げるなら、こちらとしてもわざわざ大事にしてリスクを負う必要もないし。―――良いでしょう、ただし貸し一つってことで」


 ティフィアは頭を上げると、ありがとうございます! と満面の笑みで応えた。

 ただリュウレイは一人、そう簡単な話じゃないよなぁとニアを一瞥する。


 眉根を顰め、奥歯を噛み締める姿にやっぱりなと思う。


 ニアに、アルニのあの行動を許せるはずがない。


 これは一波乱ありそうだと、リュウレイは生意気そうに笑った。


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