3-2
妙に静まり返った森の中、リュウレイは一人目を閉じて神経を研ぎ澄ませていた。
己の全身に巡る魔力を活性化させ、不意に紅い瞳を開く。
【――――“窓”、展開】
杖の先を地面に突き刺した瞬間、リュウレイの周囲にあの青白い帯状のものが2つ浮かび上がった。
【
杖をくるりと回すように振るうと、“窓”と呼んだ帯が呼応するように淡い光を放ちながら、うねった文字を刻み、その文字と文字が重なり、更に別の文字が綴られていく。
【さぁ、我が魔力を糧に動き出せ!―――――
最後に大きく杖を振った直後、二つあった帯の内一つだけが大きく広がりバキンッと音を立てて砕け散った瞬間、地響きと共に周囲に生える木々の枝が、根が、リュウレイを守るように伸びてきた。
それを離れた木の上で見ていたアルニは、顔を引き攣らせながら「すげえな」と漏らした。
広範囲の結界を維持し続けていたのもすごいとは思っていたが、まだそれだけの余力を持っていたとは……末恐ろしいガキだ。
しかし突然生えて伸びてきた木の根や枝に、リュウレイとさほど離れていない場所で剣を構えていたティフィアは「うわっ!?」とかなり驚いている様子だった。緊張感がなさすぎる、……本当に大丈夫なんだろうか。
なんだか心配になってきたアルニは、僅かに聞こえた茂みを掻き分ける音に周囲へ視線を巡らす。
事前にリュウレイが言っていた。
―――魔術は二つ同時に使うことは出来ない。だから新たな魔術を発動させたときには、結界が消えたと思って欲しい、と。
どうやら結界が消え、待ち伏せしていた
最初に魔物と衝突したのは、ティフィアだった。
茂みの中を移動して、身を隠しながら近づいてきた二匹の黒鉄狼が少女に飛びかかる。ティフィアの表情は硬く緊張しているようだが、身を屈めてそれを避け、着地する寸前を狙って剣を振る。だが、浅い。すぐに二匹は近くの茂みに隠れ、逃げてしまう。
「うあっ!」
それを追い駆けようとしたティフィアの目前に、突然何本もの木の枝が延びて行く手を遮る。
「お嬢、邪魔!」
ティフィアに噛みつきつつ、触手をコントロールしながら5匹の黒鉄狼を吹き飛ばすリュウレイ。
「ご、ごめんなさい!―――ヒッ」
謝りながら新たにやってきた黒鉄狼を相手していると、地面に這うように伸びていた根っこに足を取られ、尻餅をつく。その隙を狙うように黒鉄狼が飛びかかってきて、それを横に転がることでなんとか避ける。
「………………おいおい、なにやってんだよ、あいつら」
全く連携がとれていない。
二人ともお互いが見えてないのか、リュウレイはひたすら大量の枝と根をばらけて動かし、それぞれ黒鉄狼を追い払うように操作している。一方のティフィアは、そんなリュウレイの意図に気付いてはいるものの動きが全く読めず、むしろ大量の根に足を取られて思うように動けていない。
しかも問題なのは、二人の距離が徐々に離れていっていること。これはおそらくリーダー格の黒鉄狼が意図してやってる。自分のことでいっぱいいっぱいになっているせいか、敵の意図に気付けていないようだ。
「くそっ! もしかして
アルニはすぐに木から飛び降り、黒鉄狼に気付かれないように周囲を警戒しながら二人のいる場所へ近付く。ある程度の距離を縮めたところで再び適当な木に登り、風の精霊を使う。
「おい。聞こえるか、馬鹿二人! ティー、レイ!」
肩が跳ね、驚いたように周りを見渡すティフィアとリュウレイ。
「魔法でお前らにだけ声を届けてる。いいか、よく聞け。―――ティー、レイから離れすぎてる。敵は追うな、逃げられても下がれ。それからレイ、その魔術自体は問題ねぇが枝の数を減らせ。それから敵とティーの動きよく見てろ。見て、魔術を使え」
これで通じただろうと勝手に解釈し、眼下で今にも吠え声をあげようとしている黒鉄狼の脳天に向けて短剣を投げ落とし、すぐに次の短剣を用意しながら木から飛び降りた。投げた短剣を辛うじて避けていた黒鉄狼の首に本命の短剣をぶっ刺し、落とした短剣も拾いあげてアルニは駆け出す。
二人が戦闘未経験者だとすれば、あまり戦闘に時間をかけるのは良くない。いざという事態になった場合、きっと二人では対処できないだろう。その前に早くリーダー格を―――、
「!」
背筋がぞわりと震えた。
振り返って短剣を構えると、すぐに衝撃!
「ぐっ!?」目にも止まらぬ速さで何かが跳んでくる。それを防いだ直後、アルニはすでに吹っ飛ばされていた。そのまま木の幹に背中を強打し「かはっ」と口から息が吐き出された。
落ち着く間もなく、そのまますぐに横に転がれば、ダンッと先ほどまでいた地面と木が抉れ、土埃が舞い上がる。
そのとき、相手と視線が交差したような気がした。
「風の精霊よ!」
魔法を使いって舞い上げられた砂を滞留させ、動きを止めた相手に向けて短剣を投げ放つ。だが、鋭い爪によって弾かれてしまった。
「――――そんなのアリかよ……」
大きな手によって砂も振り払われ、アルニはようやくその正体の全貌を見ることが出来た。
黒い鈍色の毛並みをもった黒鉄狼。――だが、その体は一回り以上も大きく、更に二本足で立っているではないか。
その足や腕も太く、後ろで揺れてる二本の尾はやけに長い。血走った白目を剥き、その背中と頭には一匹ずつ赤い大蜘蛛針がくっついていた。
………この状況、まずいな。
不意討ちが失敗した以上、いったん二人の元に退くべきだ。だが、黒鉄狼の群れが残ってる。それをなんとか二人によって気を引きつつ戦況を維持してる今、この大物を引き連れて混乱を招くような真似は出来ない。
―――レッセイ傭兵団だったら問題なかっただろう。
だが、ティフィアもリュウレイも経験浅い素人だ。危険すぎる。
………それなら、少しでも可能性がある方を選ぶのが最善だ。やるしかない。
アルニは太腿から抜いた短剣を両手に構えつつ、じりじりと距離をとる。
――――来る!
二本の尾と太い足で地を蹴り、その巨体が再び襲い掛かってきた。
アルニはわずかに体を逸らして振りかぶってきた爪を短剣でいなし、そのまま足を狙って剣先を向けるも、更に尾を地で叩きつけて体を浮かしたために避けられてしまう。しかも、跳ねたときに近くの木の幹を足で蹴り、体勢を変えての回し蹴り。咄嗟に短剣で庇うも、威力を相殺出来ずに再び吹っ飛ばされる。
地面を滑りながらなんとか体勢を整え、すぐにまた素早く飛びかかってきた大黒鉄狼を横に転がって避け、一度茂みに隠れて息を整える。
―――いや、どう考えても無理だろ!
口には出せないので、胸中で叫んだ。
あの尾と足を使った変則的な動きと、大きくなって威力も上がった腕と爪。しかもこちらの動きを見て対応出来る知能もある。これらは明らかに、二匹の赤い大蜘蛛針が要因だろう。
あの大黒鉄狼とまともに戦うのは無理だ。だが、要因となってる大蜘蛛針を引きはがせれば勝機は見えてくるはず。
……しかし、相手もそれは分かっている。さきほどの僅かな戦闘で、やつは背後を取られることを嫌うように動いていた。己の弱点を理解している。
――体に装備してる短剣の数も、今右手に持っているのも含めて残り2本。だが持ってる方はだいぶ痛んできている。次に衝撃を与えれば折れてしまうだろう。
魔力も休んでた間に少し回復したとは言え、使えても残り二回分くらいだ。
「くそっ、なんか手は………!」
なにもないと分かっているが、思わず小物入れを漁っていると指が固い何かに触れる。
「?」回復薬は使いきった、魔物の皮剥ぎ用のナイフは靴に仕込んである。じゃあなんだと覗き込めば、
「………そうか、これだ」
持ってたことすら忘れてたが、
アルニは大きく息を吸い、そして吐き出した。
少しでもタイミングを誤れば、その時点で全て終わる。それでも勝機は見えた。なら、やるしかない。
茂みから出ると大黒鉄狼はアルニを探しているのか、少し離れた場所でうろついていた。そしてすぐに気付かれると、嬉々として飛び掛かってきた。
飛んでくる黒鉄狼の下を潜るように駆け抜け、背後をとる。しかし、瞬時に長い尾を近くの木に巻きつけ、それを軸にくるりと体の向きを変え、その勢いのまま爪と牙を剥いてきた。
「グァァアアアアアアアアアアアアアアウウウゥゥッ‼‼」
「っ!」
避けきれないと判断して短剣で防ぐが、やはり衝撃を殺しきれないどころか剣身が軋み、嫌な音を響かせる。
―――頼む、せめてこの一撃は耐えてくれと願うも届かず、途中でバキンッと粉々に砕けてしまい、息を呑んだ。当然防いでいたものがなくなり、黒鉄狼の爪がアルニの眼前に迫り、
「はぁぁあああっ!」
咆哮と共に衝撃刃が黒鉄狼の体を吹っ飛ばす!
「アルニ、加勢に来たよ!」
突然の事態に驚きつつ安堵していると、ティフィアが荒い息を零しながらやってきた。
「助かったけど、お前、離れて大丈夫なのか?」
今頃一人で黒鉄狼の群れと戦うリュウレイの姿を思い浮かべたが。
「それが、なんか少し前から群れの動きが単調になってね! リュウレイの魔術でほとんど捕縛出来ちゃったんだ!」
だからアルニの方に来れたんだよ、と興奮冷めやらぬ口調で説明してくれた。
「……そうか、そこまでの知能はないのか」
少し前というと、おそらくアルニとこの大黒鉄狼が戦い始めた頃だろう。
アルニとの戦闘に集中しすぎて群れへの指揮を怠った、という感じか。幸いにも赤い大蜘蛛針は二匹共こいつだけにひっついてるし、他に指揮を取れるリーダー格がいなかったのが幸いだ。
「ティー、説明する暇はないから簡潔に言うぞ。―――俺が隙を作る。お前はあいつの脳天を、大蜘蛛針ごとぶっ壊すことだけ考えてろ」
「頭を狙えってことだね。うん、分かった」
ゆっくりと体を起こし、ヴヴヴヴヴヴッと唸り声をあげる大黒鉄狼。
腰から最後の短剣を抜いて構えるアルニと、剣を両手に構えるティフィア。
――先に動いたのは、やはり黒鉄狼だった。
地を蹴ってあっという間に二人の前まできた大黒鉄狼は、まず回し蹴りを放ってきた。二人はそれを屈むことで避け、そこにティフィアが即座に剣を下から上に振り上げ、一閃。その一撃は、咄嗟にのけ反った黒鉄狼の鼻先を掠める。
少女が相手している今の内にと背後へ回り込もうとしたアルニに気付いた大黒鉄狼が、まだ体勢を整えていないティフィア諸共狙うように、二本の尾を振り回す。
それぞれ剣で防いだが、おかげ魔物との距離が少し離れてしまった。
ティフィアは再び衝撃刃を使おうと剣身に魔力をこめるが、それに勘付いた黒鉄狼が彼女へとすぐに間合いを詰め、腕や尾を振り回し攻撃し、反撃の隙すら与えない。
……だが、それこそ目論見通りだ。
すでに黒鉄狼の意識から外れたアルニは、いつの間にか登った木の上からその攻防を見下ろし、ちょうど真下に黒鉄狼の頭が来たタイミングで木から飛び降りる。
「こっちだぁぁああああああ!」
突如叫びながら頭上に現れたアルニを、大黒鉄狼は無視できない。
やつの頭には赤い大蜘蛛針がくっついているから。
大黒鉄狼は咄嗟にアルニを見上げ、口を開く。腕と尾は以前ティフィアに向けて攻撃を続け、アルニのことも落ちてくるのをそのまま食べるつもりなのだろう。だが、アルニは短剣を持ってない方の手で、四つ目烏の卵の殻を、
「火の精霊よ、小さく灯れ!」
口の中に入った瞬間、――――それは
「グァフッ!?」
それほど大きい爆発ではないが、元々火に弱い黒鉄狼が極端に驚くは当然だ。
だが、まだ隙が出来たとは言えない。ティフィアへの攻撃は続いてるし、二本ある尾の内一本がアルニへ迫ってきている。短剣を構えて衝撃に備えつつ、アルニは最後の魔力を振り絞り、続けて魔法を唱えた。
「地の精霊たちよ、ヤツの足下を崩せ!」
言い終えた直後、衝撃はきた。
尾によって地面に叩き落された瞬間目の前に星が飛んだが、なんとか意識を持たせると、すぐに起き上がってその場面を見た。
大黒鉄狼の片足が地面にめり込み、それによって体勢を崩していた。そして魔物の腕を踏み台にして頭上まで跳んだティフィアが、
「うおりゃぁぁああああ!」
少々気の抜ける掛け声とともに、黒鉄狼の頭を真っ二つに粉砕した。
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