3.赤い大蜘蛛針
―――この世界には“精霊”という不可視な存在がいる。そして、それを感じられる
その人たちだけが精霊を使役し、風を吹かせ、火を熾し、水を流して、地を耕せた。
昔の人々はその神秘な力を『魔法』と呼ぶようになり、精霊を神様だと崇め、魔法を使える人々を『魔法師』と呼んで神の使者だと称していたようだ。
時代は流れ、現代では精霊を神様だという人こそいないが、それでも魔法が使える人とそうでない人たちは存在していて、――――だからこそ『魔術』が生まれたのは必然とも言えた。
とある学者は言った。
“この世界のあらゆる生き物や無機物、それこそ目に見えない魔力から精霊まで、全て数多の元素が結びついて出来た“式法則”によって成り立っているのだ”と。
ならば『魔法』もまた、式法則で解明出来るのではないか。そして、魔法を使えない人々でも使えるようになるのではないか。
―――その結果が、その集大成が『魔術』である。
だが魔術にもまた、使える人とそうでない人との格差があった。
それは才能と資質。
式法則を成り立たせるためには、その数多ある元素を知り何万何億通り以上もある法則性を見出し、それを応用出来なければならない。
記憶力、知識力、応用力、探求心。少なくとも、この4つの能力が常人以上でなければ、魔術師など論外とも言える。
そして特に問題なのが知識力。この世界に情報機関も教育機関も存在するが、多くの国々では大抵主要都市に1つ2つあれば良い方だ。そして、そこで学べる者たちは王族貴族に偏る。
そういう理由から、そもそも一般人は『魔術』という概念を多少知っていても、それ以外のことは全く分からないし、どうせ使えないから興味すらないというのが現状なのだ。
―――というような話を、昔、レッセイ傭兵団にいた魔術師の男から聞いた。
幸いアルニは魔法が使えるので、話はほとんど半分以上聞き流していたが、それでも『魔術』はすごいと思って見ていた。
魔法は使える属性も使える力も、ほとんど制限がある。それに対して魔術はなんでも出来る、と言っても過言ではない。その万能性に憧れてアルニも魔術を使ってみたいと話したら、魔法を使える人には何故か魔術は使えないらしい。その原因は定かではないが、精霊の力が邪魔してるんじゃないかという一説が有力だという。
……まぁ、長々と説明したが。
「………やっぱ魔術すげぇな」
その一言に尽きた。
魔術で調べてもらった赤い
「? 魔力を流して、暴走させてたってこと?」
ティフィアはよく分からなそうに首を傾げたが、少年が頷くのを見て「当たった!」 と嬉しそうに笑顔を咲かせた。それをアルニとリュウレイは微妙な表情をして見守る。
「お嬢、正解だけどそれだけじゃ足りないかな。……お兄さんは、分かったでしょ」
「
「あの赤い大蜘蛛針は、見たこともない魔力因子だった。だけど、ついでにくっついてた黒鉄狼も調べて、なんとなく似た法則に当てはまったんだよ」
あのとき一緒に調べてたようだ。気が回るな、さすが自称天才なだけある。
「で、なんだよレイ。もったいぶらずに、」
「―――――『
教えろよ、と続けようとした言葉を遮り、リュウレイは淡々と答えを告げる。
「成長と変異を掛け合わせた法則性……、間違いなく『進化』の式法則だ。赤い大蜘蛛針が流した魔力が干渉して、黒鉄狼の知能を発達させてる。―――新種も良いところだよ、ここが街だったら気が済むまで調べ尽くすのになぁ。あ、新種ってことは、とりあえず便宜的に
「俺、そこまで悪意ぶつけられるほど、お前になんかした覚えないんだけど」
赤い大蜘蛛針を殺す度、なんだか俺自身が殺されたように感じるだろ。
「あっ、僕、いい名前閃いたよ!」
「お嬢はセンス皆無過ぎてつまんないから却下」
なかなか辛辣な言葉にティフィアは膝から崩れ落ち、そのままキノコでも生えてきそうなジメジメした空気を醸し始めた。
「モルドレット・ヴァーミリオン・レチリック……すっごくカッコいいと思ったのにな」という呟きを聞いて、アルニは顔を引き攣らせながら納得した。確かにセンスはないようだ。
「つーか便宜上なら、普通に
「………はっ」
何故か鼻で笑われた。
「…………………。あー……、とりあえず名前はどうでもいいから、話を戻すぞ」
言いたいことは山ほどあったが、自分の方が年上だからとここは我慢することにした。
「一応確認するが、……リュウレイ、まだ結界は攻撃されてるか?」
「それが少し前から静かなんだよね。でも、結界の周辺に魔物らしき魔力を感じるから、結界が消えるの待ってるんだと思う」
結界を破ることは出来ないと判断して、待ち伏せる方を選んだか。
「―――赤い大蜘蛛針は、少なくともあと二匹いる。そいつらが黒鉄狼のリーダー格にそれぞれ引っ付いてるなら、黒鉄狼の群れは多くても2つ。20から40匹くらいはいるかもな」
「そ、そんなに、いるの……?」
「……お兄さんは、どうして赤い大蜘蛛針が少なくとも2匹いると思ってんの?」
数の多さにビビるティフィアに対し、訝し気な態度のリュウレイにあの二枚の紙を渡す。はぐれ黒鉄狼と、王族からの大蜘蛛針討伐の依頼書だ。
ついでとばかりに、ティフィアとリュウレイに助けられる前のことも話した。
すでに日は傾き始め、空も赤味を帯びてきた。暗くなる前には全て終わらせて、王都に帰りたいものだ。話終え、不意に見上げた空にそんなこと思っていると、
「一人でその数を相手してたなんて……アルニすごいね!」
右手を、ティフィアの両手で握られた。
自分より少し暖かい、そして小さくて柔らかい手にギクリと戸惑っていると、すぐに目敏く「お嬢!」とリュウレイが杖を振り回したおかげで手が離れたものの、紅い瞳が警戒するようにアルニの動向を窺っている。……今のは俺が悪いわけじゃないだろ。
「………と、とにかく! とりわけ厄介なのは、赤い大蜘蛛針がくっついてるリーダー格の黒鉄狼だ。こいつらを最優先で倒したい。だけど、絶対と言っていいほど隠れているか距離を取ってるはずだ」
「うわぁ……本当に厄介だね。数での不利を考えると、この場合短期決戦がいいんだっけ?」
「うん、今度は完璧な正解だよ、お嬢。リーダー格さえいなくなれば、群れはただの烏合の衆に成り替わるん」
「リーダー格が前に出てこねぇと対処できない状況に置くか、あるいは不意討ちだな」
「一番現実的なのは後者の方、か。じゃあ囮役は当然だけどオレしかいないね。ド派手に魔術かましてやろう!」
杖を振って楽しそうに言い放った少年に、こいつ、さっきからわざとやってんな、とティフィアを横目で見やる。やはり分かってなさそうに、リュウレイの雰囲気に乗せられて「おおー」と雄叫びをあげていた。思わずため息を漏らした。
「……魔術師一人に囮やらせる馬鹿がどこにいんだよ。――おい、ティー。お前レイ守りながら戦え。俺が不意を狙ってリーダー格を倒す」
「はい、異議あーり! そう言って一人逃げる気なんじゃないですかー。信用できませーん」
やっぱり食いついてきたか、とアルニは眉を顰める。
「おいクソガキ、お前状況よく理解してんだろ。過保護発揮すんのは構わねーけど、時と場合考えろよ」
「何言ってん? オレは信用問題の話してるんだけど」
「じゃあティーが不意討ち担当するか? そんな器用に見えねーけど。やれるんなら俺はそれでもいいぞ?」
「はあ? ねぇお兄さん、オレの言ったこと聞いてた? オレ、お兄さんのこと信用出来ないって言ってん! そんなやつに命預けられるわけないじゃん!」
「それなら代替案出せよ。俺だって別にお前らを信用しきってるわけじゃねーけど、協力しないとどうにもならないから言ってんじゃねーか!」
アルニとリュウレイが唐突に言い合いを始め、戸惑っていたティフィアはオロオロと二人を見比べている内に、つり上がった灰黄色と紅い瞳も、白熱する二人の雰囲気も、なんだかすごく似た者同士に見えて、思わず「ふふっ」と吹き出してしまった。
この場にそぐわない笑い声に、二人が同時にティフィアの方を見たのもまた、面白くてどんどん笑いがこみ上げてくる。
「お、お嬢……?」「な、なんだよ……?」と二人が変な顔で聞いてくるのも、更に面白さに拍車がかかる。
「ふふっ、ふへへへ、へへへへへへへ」
おかげで奇妙な笑い声が出て、少し二人が引いてしまったが。
「ふへへ。……だって、二人とも仲良さそうなんだもん。なんだか兄弟みたい」
ティフィアは自分が頭悪いことを自覚してる。だからアルニとリュウレイが何を言い争ってるのかはよく分からない。
でも、と思う。
―――こんなにリュウレイが怒る姿を、僕は初めて見たんだ。
「アルニ、僕はリュウレイを守ればいいんだよね?」
二人が苦虫を噛み潰したような顔で呆然としているところに声をかける。すぐに我に返ったアルニは戸惑いつつも頷き、一方でリュウレイはティフィアに驚いた顔を見せて、「お嬢!」と声をあげた。
「大丈夫だよ、リウ。心配してくれてありがとう。――でもここは“
生きて、一緒に帰るために。
「………………………………………………………………名前、何度も間違えんでくれる?」
大きく溜め息を二つ吐き、長い間を置いてようやくリュウレイはそれだけを返し、ティフィアは慌てて「ご、ごめんなさい!」と落ち込む。そしてリュウレイは最後にもう一つ溜め息を吐くとアルニに向き直った。
「お嬢はトラウマがあって、魔物の大群が苦手なん。当然サポートするけど、…………お兄さんも出来れば………その……出来れば、」
「―――元々そのつもりだったわ、アホ」
後頭部を掻きながら、アルニは面倒くさそうに言い捨てた。
「ティー、今言った通りだけど、木偶にはなるなよ。さすがにサポートするにも限度がある」
「う、うん! 僕、頑張るよ!」
「レイ、分かってると思うけど、森燃やすなよ。あと、俺の短剣返せ」
「分かってるよ!―――て、そういえば、返し忘れてた」
リュウレイが近くの茂みに手を突っ込むと、はい、と数本の短剣が葉っぱにまみれて返ってきた。
そんな近くにあったのかと葉を払い、体のあちこちに取り付ける。馴染みある重さに安堵し、それから二人を見やる。杖を片手にやる気に満ちたリュウレイと、緊張しつつも剣帯に手を添えてまっすぐ見返してくるティフィア。
「よし、行くぞ」
二人は頷いた。
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