2-3
***
―――数刻前。
「ねぇねぇ、お嬢。とりあえずこの依頼からやって良い?」
王都から出てすぐの辺りで、リュウレイは一枚の依頼書を差し出してきた。
「うわ、すごい賞金額だね……」
なんて怪しい内容だと思ったが、王家の紋章が捺されているため報酬金はしっかり支払われるだろう。しかし、……やっぱり怪しい。
「これ、大丈夫なのかな。罠とか裏とか、なんか色々あるんじゃないかな」
「ヤバそうなら逃げればいいんじゃん?……実は大蜘蛛針の皮膚が欲しいんだよねぇ」
「ひ、皮膚?」
ティフィアは自分の知る大蜘蛛針を思い浮かべるが、緑色のトゲトゲした蜘蛛の姿で、そこに皮膚らしきものは無いように思える。
「知らない? あいつ、顎の下だけ針みたいな触覚生えてないんだよねー。その部分に自分の魔力を蓄えて、外敵との遭遇時にはその魔力を全身に行き渡らせて触覚の長さを自在に操ってんの。その原理が知りたくてさぁ………。魔術に応用出来たら、けっこう便利な術が創れると思うんだよなぁ!」
「そう、なんだー………」
興奮したまま説明されたが、ティフィアにはイマイチよく分からなかった。魔術に関することになるとリュウレイが
「―――えっと、場所は……あ、この森だね」
依頼書に描かれた地図にある、名も無き鬱蒼とした森林。目の前に広がる深くて暗い、木々が寄せ集まったその場所へ足を踏み入れようとして。
からん、と。
右足の先で何かを蹴った。
「……薬瓶?」
横から覗いてきたリュウレイがそれを拾うと、瓶の細い口に僅かに残っていた液体をあろうことか躊躇なしにぺろりと舐めあげた。
「ちょっ……!」
「……これ、体力回復用のポーションだ。メグノクサの味がする。しかもニオイからして開封間もない感じ」
あんな微量を口にしただけでそこまで分かるんだと内心驚愕しながらも、疑問に首を傾げた。
王都からさほど離れていないこの森は、さほど広大ではない。半日あれば端から端まで突っ切ることが出来るほどだ。そして、この森に分布してるとされる魔物もやはりそれほど強力ではない。それは周囲の魔力を感じ取れるリュウレイが王都に来る前に言っていたから、間違いないだろう。
では、非力な一般人が迷い込んだ?――それもないだろう。地面を突き上げて天高く聳えるカムレネア城塔は、そこに王都があると存在を主張しているし、王都には結界があるのだから逃げ込めばいい。そもそも一般人は必要性がないからとポーションなんて持ち歩く習慣はないはずだ。
……だとすれば、賞金稼ぎか傭兵か旅人か。
どちらにせよ、なにか不測の事態があったのだろうと考えられる。
「………正確な場所まで分かんないけど、魔力の流れを感じる。―――どうする、お嬢」
リュウレイの問いかけに、ティフィアは下唇を噛む。
これは間違いなく面倒事だ。
ニアに迷惑がかかるかもしれない。
目立つなとも言われている。
このまま何も見なかったことにして宿に戻ることが、きっと一番良いのかもしれない。
帰ろう。
帰ってしまおう。
踵を返すように森へ背中を向けようとして、――――何故か森へ足を踏み入れてる自分がいた。
「え、行くん!?」ティフィアの性格上、このまま帰ると言い出すと思っていたリュウレイは驚きながらも後ろからついてくる。
そうだよ、帰ろうよ。自分にそう言い聞かせるのに、足は止まるどころか急くように走り出していた。
「だって、」
腰から抜剣し、周囲から感じる気配に警戒しながら、
「だって、―――――僕は
今までそんなこと、一度だって思ったことはなかったけど。
それでも何故か、この時だけは、前を走るための理由に使った。
リュウレイは何も言い返さず、こんな自分勝手な言動につき合ってくれるようだった。
「! お嬢!」
ここまで近づけばさすがにティフィアでも分かる。
魔力の残滓。血のニオイ。木々や地面が抉れてたり、引っかいたような跡もある。明らかな戦闘の痕跡。
そこを抜けた先、噎せ返るような血のニオイに吐き気を催しながら見たのは。
たくさんの
膝をついて動けない青年に向かって、飛びかかる5匹の黒鉄狼の姿だった。
「―――っ、間に合え!」
リュウレイは右耳のピアスに軽く触れて手を前に突き出す。すると、淡い光と共にその手に杖を出現させた。それと同時に魔力をこめれば、杖に刻まれた魔術紋陣が浮かび上がり、それは魔物と青年の間に見えない壁を生み出した。
壁に衝突した黒鉄狼が地面に着地する前に、ティフィアは「ふっ」と小さく息を吐き出しながら剣を振るった。赤い血しぶきが舞う。
……倒せた。
ギャウッと最期に鳴いた黒鉄狼たちが地面に転がるのを見て、ティフィアはほっと安堵した。ちゃんと倒せて良かった、と。
それから持っていた回復薬を片手に襲われていた青年へ近寄ると、限界だったのか彼はそのまま眠るように気絶してしまった。
「ど、どどっどうしよう、リュウレイ!」
「回復薬を無理矢理口に突っ込んで、二人で引きずって街に戻るのっていうんは?」
「駄目!」
瀕死状態の人を無理に動かすのは良くないことくらい、ティフィアにも分かる。
だからといってこのまま放っておくことは出来ないし……。
―――これしかない、よね。
***
アルニが目を覚ましたとき、何故か屈んでニヤニヤとこちらを見る生意気そうな少年の姿があった。……コイツ、街で迷子になったニアを探してたやつか。
「滾るね」
「は?」
意味が分からないとばかりに声をあげると、不意に耳元で吐息を感じ鳥肌を立たせて隣を見れば、少女がアルニの左肩にもたれかかって眠っているではないか。
「っ」驚きのあまり離れようと体を動かした瞬間、全身に走った激痛に思わず無言で悶える。
結局寄り掛かっていた木から起き上がることも、一向に目を覚ます気配のない少女の頭を肩から離すことも叶わなかった。
「止血は済んでるけど、しばらくは動けんと思うよ?……感謝しなよ、お嬢に。不器用なくせに応急処置してあげたん」
確かに
そこでようやく、アルニは自分が生きていることに気付いた。いや、助けられたというべきか―――この少年と少女によって。
しかもこの少女、もしかして宿で泣いていた子供か……? 確かニアが「ティフィア様」とか呼んでいた気がする。
それから不意に、少年は地面に置いていた彼の身長より大きい杖を立たせて「よっこらせ」と立ち上がると、唐突に杖を振り回した。すると、杖の柄に刻まれた模様がぼんやりと光り始める。
「――あ、お兄さん。変な動きしないでよ、殺しちゃうじゃん」
少年の不審な動きに、思わず腰に伸びていた手を止める。血のように紅い瞳が、無感情にアルニを見下していた。年齢不相応なその態度に冷や汗が流れる。つーか、よく気付いたな、このガキ。
「……それはお前だろ。突然そんな――“魔術”使おうとされれば誰だって警戒すんだろ」
杖を持っていた時点で彼が魔術師であることは分かっていた。そして、あの黒鉄狼がアルニに飛びかかったとき、それを防いだ見えざる壁のようなものも、おそらく魔術の一種でありこの少年の仕業だ。
少年は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに感心したように「へぇ」と口にして再び言った。
「滾るね」
「いや、さっきから意味分からん」
一体何がそこまでこのガキを滾らせているというんだ。
その疑問は無視されるかと思っていたが、だってさ、と少年は言葉を続ける。
「お兄さん、
…………?
「オレ、実はその式法則は知らなかったんだよね、屈辱。でも理解は出来た。大蜘蛛針が普段顎に蓄えてる魔力の性質は
……………は?
「そんな満身創痍な状態でよくぞこの式法則を導いたものだよ、賞賛に値するよ、本当。それに、お兄さんよくオレが魔術師だって分かったよね。それってつまり魔術を知ってるってことだよね。まぁ式法則を知ってるくらいだし、それぐらいおかしくないか……。あ、でもお兄さんは魔術師ではないんだね、杖持ってないし。その代わりみたいに短剣大量に隠し持ってたし」
「なっ!?」
唐突に饒舌にしゃべりだした少年の言っていることは9割以上理解出来なかったが、最後の一言にアルニは驚きの声をあげた。
――こいつ、俺が気絶してる間身体検査しやがったのか!
動けないから確認のしようもないが、もしかすると念のためと没収されてる可能性もある。
……このクソガキ、見た目以上に生意気だ。そして、警戒心が半端ない。
アルニが目を覚ます前から眺めていたのは気絶していたフリをしているかどうかの確認と、起きたときにすぐ不審な動きを見せたとき、いつでも対処できるように構えていたのだ。
実際、杖を手元にずっと置いてたし、少年の動きに警戒したアルニが腰に忍ばせていた短剣を取ろうしたときに忠告してきた。
そして、今もなお、少年はアルニの動向を窺っている。揺さぶりをかけて、じっと観察してる。……普通じゃない。
「……無駄だと思うけど、俺はお前らを害することはないぞ。助けてもらったし、そもそも怪我で動けねーし」
「オレね、人を見る目あるんだ。ニアおばさんを宿に連れ戻してくれたことには感謝してるけど……お兄さんはダメだよ、何かのためなら無感情に全てを切り捨てられる人だ―――オレと同じ」
「勝手に一緒にしてんじゃねーよ。少なくとも俺は、」
俺は。
続けようとした言葉に、アルニは口を閉ざした。
俺は今――――何を言おうとした………?
そんなアルニの心境など知る由もない少年が再び口を開こうとしたとき、
「駄目なのはリュウレイの方だよ」
耳元で囁くように、だけど凛としたその声に少年は顔を顰め、アルニは隣を見た。
まっすぐ少年を見据える黒曜石の瞳。髪は青味がかった銀髪だけど、瞳を縁取るのは銀よりも白っぽいんだな、とぼんやりと思った。
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