1-3


 工場が建ち並ぶその近くに小さな公園がある。休憩時間には大抵そこにいる“彼女”に、アルニは片手を上げて「よっ」と声をかけた。


「あれ、アルニくん!?」ベンチで何かの本を読んでいた彼女は驚いて顔を上げた。


 彼女の名前はリッサ・ツェベナー。

 栗色のふわふわなボブヘアーに、大きくて丸い橙の瞳。ダサい作業着のツナギを着ていて、全身商業用の黒い油に塗れた、アルニよりも僅かに長身の少女だ。


「――て、髪がすごいことになってる!?」

「いろいろあってな」と口を濁せば、もう仕方ないなと諦めたように笑みを浮かべた。


 彼女はアルニが傭兵団に所属していることを知っているので、心配しつつもなんだかんだと世話を焼いてくれる。

 一年前に街で暴漢に襲われていたのを助けて以来、時々こうして会って話をする友人のような間柄になった。それを仲間たちも知っているので、たまに揶揄ってくるのがウザかったが。


「すぐに髪を切ってあげたいところなんだけど……ごめんね。しあさってなら休みだから、そのときでもいい?」

「いつでも良いよ。切ってくれるだけでありがたいし」


 自分では上手く切れないし、仲間に頼むと変な髪型にされるのが目に見えて分かるから、定期的に髪を切ってくれるリッサの存在は本当にありがたいのだ。


 そう言えば、リッサは照れたように大袈裟だよと笑った。


「あ、アルニくん。お昼まだならご飯食べにいかない?」

 ちょうどお腹が空いてきた頃だったので同意し、彼女と二人で近くの露店通りへ向かう。


 最近出来たらしいお店で肉饅頭を買い、歩きながらそれを食べる。ふんわりとした白い皮に包まれ、中心に肉の餡がきっしり詰められたそれは、一口食べただけで肉汁が口の中に広がり、甘い皮としょっぱい肉の餡が絶妙な美味さを引き出している。気付けばあっという間に食べきってしまった。


 少し物足りなさを感じていると「さっき帰ってきたの? 驚いたよ」とリッサがまだ口をつけていない饅頭をくれた。それをありがたく戴きながら「ついさっきだよ」と答える。


「あと、傭兵団解散したんだ」

「そうなんだ……て、え!?」なんてことないように言えば、彼女はひどく驚いたようにこっちを凝視する。


 その僅かに開いた口元に食べかすがついていて、その間抜けな姿に思わず吹き出すように笑って指摘すれば、顔を真っ赤にしながら慌てて口元を袖で拭った。しかし、今度は袖についた油でリッサの顔が黒くなったのにおかしくて更に笑えば、今度は拗ねられてしまった。


「酷いよ、アルニくんっ! 私だって女の子なんだよ? 顔見て笑うとか、酷すぎると思うんだけど」

「いや、リッサが何かしら自分の顔につけるのが悪いと思うぞ。そうやって俺のせいにして、なんか驕らせようって魂胆だろ? 悪いがこっちも金欠でな」

「今無職だものね」


 意趣返しとばかりに言われた一言が胸に突き刺さる。……確かに間違ってないけど、無職と言われるとなんだかな。


「でも悪かった。驕ることは出来ねーけど、顔、洗いたいだろ?」

 こっち、と彼女の細くもしっかりと筋肉のついた少し硬い腕を引き、路地裏へ入り込む。


 そして、

「水の精霊たちよ、我が目の前の者の汚れを洗い落とせ」


 ふわり、とリッサの髪が揺れ、どこか湿り気を帯びた空気のニオイがしたと思ったときには、彼女の全身にまとわりついていた黒い油が消えてなくなっていた。


「わぁ……すごいっ! 一瞬で……」自分の全身を隈なく見回して、綺麗になったことを喜ぶリッサの姿に、アルニは得意げに笑う。


「魔力コントロールだけは得意だからな、こういう細かい作業はお手の物ってね」


 唯一自慢出来ることがこれだけ、というのも残念な感じではあるが。


「私魔法使えないから細かいことは分からないけど、こういうの見てると“勿体ない”って思っちゃう」

「勿体ない?」

「だってアルニくんの実力、絶対街にいる軍人さんよりもすごいと思うんだよね」


 こんな小手先だけの魔法見て、どうしてそう言い切れるんだ? 訝しげにそう思いながら「そんなことねーよ」と否定するも、やはりリッサは納得いってなさそうな表情だ。


「アルニくんなら、騎士さまとかにもなれるんじゃないかな?」

 まだ言うか、と溜め息をこぼす。

「……んな柄じゃねーし、俺より強ぇやつなんてごまんといるぜ? 俺のいた傭兵団の団長とか、ルシュとかな」


 それに、強さとかは正直どうでもいい。そりゃあ、実力があれば一人でも大物の魔物とか狩れるかもしれねーけど。だけど今の実力程度でも、それほど困ったこともないし。


「そうかな……」やはり納得いってなさそうなリッサを無視して、路地から抜け出し、そのままリッサの働く工場がある近くまで送る。

「ここまでで大丈夫。―――ねぇ、アルニくん」躊躇うように口ごもり、彼女は言った。


「一緒に行かなくて良かったの?」

「? 行くってどこに? 誰と一緒に?」

 質問の意図が分からず首を傾げると、リッサは首を横に振る。

「分からないならいいや。……送ってくれてありがとう」


「おう。仕事頑張れよ」

「じゃあ3日後にね!」と大きく片手を上げて意気揚々と工場へ入っていった彼女を見送り、アルニは踵を返した。


「あ」


 商業層エリアから階段で降りていると、キョロキョロ辺りを見回す怪しい人物がいた。それは先ほど会った生意気な少年が探していた女性の特徴と、アルニ自身宿で見かけた彼女の姿と一致したので、間違いないと踏んで近づく。


「―――なぁ、お前迷ってんの?」


 突然声をかけられて驚いたのか、肩をびくりと跳ねさせてこちらを恐る恐る視線を向けた。


「だ、誰だ貴様」

「今朝、宿でぶつかりそうになったんだけど。覚えてねぇ?」

「………………………………………………………………………………………ああ!」


 首を傾げて問えば、長い沈黙の末に思い出したように手を打った。


「さっき多分お前の仲間から、見かけたら宿に連れて来て欲しいって言われたんだけど」

「仲間?――――それは、紅い目をした生意気な子供でしたか?」


 ああ、と頷けば彼女は頭を抱えて蹲りだした。


「え、おい!」

「私があれほど注意したのに……! あのガキは本当に人の言うこと聞かない……!」

「………なんかよく分からねーけど、お前方向音痴なんだろ? 心配で探しに来たんじゃねーの?」


 普通逆だと思うが、さっきまでの彼女の不審な動きを鑑みればあの少年の言い分の方が合ってるような気がする。


「っ、私は方向音痴じゃありません! 今だって宿に戻ろうと……っ」

「宿屋マーシュンは最下層エリアだ。こんな階段の途中にはねぇーぞ」


「ぐぅ!」と悔しそうに口を閉ざした。


「ま、迷っているわけではありません。本当に。絶対に。……絶対に」


 プライドだけが高い頑固者か、レッセイみたいだなと内心思い出し笑いし、それから仕方ねーなとアルニは言った。


「俺もどうせ宿に戻るし。目的地が同じなんだから一緒に行こうぜ」


 あくまで見知らぬ者同士じゃないんだから別々に行く必要もないだろうと提案すれば、彼女は大きく目を見開いて「それです!」と宣った。


「その通りですね! いやはや、奇遇ですね!」


 うんうん頷く彼女に笑いながらプライドを守るのも大変だなと思う。


「俺はアルニ。とうぶん宿にはいると思うから、何かあれば声をかけてくれ。部屋にいるかどうかは別だけど」

「私はニアです。……この国の人々は本当にお節介が多いのですね。あ、嫌味とかではないですよ。助かります」


 自己紹介を済ませたところで二人は階段を降りる。ときおり巡回してる警備兵から隠れるようにアルニの陰に潜む不審な動きは多かったが。


「着いたぞ」

「おお! 確かにここだった気がします! ありがとうございます」


 安堵したように頭を下げるニアに、やっぱり迷子だったんじゃねーかと思いながら二人で宿に入ると。


「た、た、大変、大変! ど、どうしよう! どうしよう!」


 ドタバタと階段をすごい勢いで駆け降りる足音につい足を止めて見上げれば、降りる動作がじれったくなったのか途中で人影がひらりとジャンプした。なかなかの高さを悠々と飛び降りた人影――少女は、アルニの目の前に着地してその顔を上げた。


 毛先が青味がかった銀色のショートヘアーに、今にも泣きそうな黒曜石の瞳。灰色の安っぽいマントで身を包んでいるが、その裾から覗く服装は、やけに金のかかっていそうな上等なもの。歳はおそらくあの生意気そうな少年と同じか少し上くらいだろう。


「ご、ごめんなさい!」アルニがいるとは思わず着地したのに気付いて咄嗟に頭を下げた少女は、慌てたようにカウンターへと向かうと「店主マスター! 店主マスター!…………僕の、僕の荷物……知りませんか……?」訴えは次第に嗚咽へと変わっていき、誰もいないそのカウンターに突っ伏すように崩れ落ちると、肩を振るわせて泣き始めた。


「ティフィア様……?」

 少女の唐突な登場に驚くアルニとニアだが、先に我に返ったニアが彼女の元へと行き「どうしたのですか?」と声をかけてた。どうやら知り合いらしい。


「に、ニアぁ~~~~!」


 ふえぇぇえええええんとニアに泣きつく少女ティフィアの惨めったらしい姿に苦笑しつつ、マーシュンにやられたんだな脳裏に下卑た笑みを浮かべる老人を思い浮かべた。手癖の悪いマーシュンは、人のいない部屋に勝手に入ったり、あとは睡眠薬を盛った食事を振る舞って眠られている内に金品を盗むのが常套手段である。だから訳ありなのだ、この宿屋は。


 少女は何も知らずその毒牙にかかったのだろう。


 ……まぁ、身なりからしてどこかの貴族令嬢っぽいし。狙われてしまうのも無理はないだろう。

 この件はもうアルニにはどうしようもないので(する気もないが)、自分の部屋へと戻ることにした。



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